第一章)元魔王の復活 チフミのシチュー
■アロウ=デアクリフ②
「ただいまぁ~♪パパが帰ったよ~♪」
頭の痛くなるようなセリフとともに、ヒゲが姿を見せる。
いい加減に自分と息子の年齢を考えてほしい。
「パパおかえりぃ♪アーちゃん、パパが帰ってきたね♪」
……。
母さんはいいのだ。
ため息をつきながら、手に持っていた羊皮紙を片づける。
前の魔王が勇者によって倒されたのは、僕が生まれる、ちょうど一年前だったらしい。
前の魔王、つまり僕のことだ。
普通なら、魔王が勇者に敗れてから復活するまでに、約六十年という時間がかかる。
それがわずか一年。
やはり自分は魔王としてこの世に生を受けたのではないのだろう。
魔王の死後、魔王軍は散りじりとなり、各地で小勢力を形成。
各地で勢力を形成し、小魔王と呼ばれるようになった。
そして、その勢力のひとつが、この地方にも迫ってきている。
それを知るのは、ヒゲが持ち帰る羊皮紙の束。
達成済み依頼の依頼書だ。
最初は、人間の文字を覚えるためだったが、あるとき、依頼された品目の流れから、周辺の流通を推し量れることに気がついた。
そのことに気がつき、ヒゲに依頼書を持ち帰るように頼んだときの、ヒゲの喜びようはすさまじいものだった。
なにせ、自分に全くなつかない息子が、初めてのおねだりをしたのだ。
一週間後、二十枚を超える羊皮紙を持ち帰り、その中の何枚かは自分が達成したのだ、という自慢話を聞かされる羽目になった。
いつもは五日程で一件の報酬を持ち帰ってきていたのに、その日は、なんと一週間で五件もの依頼を達成したのだ。
羊皮紙を欲しがる子供というのもなんだが、幼い頃から鍛錬を続けてきたことが功を奏し、冒険者にあこがれる子供、と受け取ってくれたようだ。
無論、こんな小さな国の辺境にあるクエストだ。
それほどたいした内容はない。
それでも、世界の騒乱のためか、特産品の鉄鉱石や石炭、魔石の需要は、どんどん増えている。
国外の異民族からの依頼も増えている。
これは、滅ぼされた国の難民が、この国へやってきている為だろう。
どこかの貴族が魔法道具を求め、どこかの国王が傭兵を募る。
そうして遠くの、または世界の情報に耳を傾けるのだった。
お土産の羊皮紙を受け取りながら、夕食の用意を手伝う。
今日の夕食は、ヒゲの大好物である、チフミ肉のシチューだ。
どこかの家で、年老いたチフミをつぶしたのだろう。
かくいう僕も好物であったりする。
チフミというのは、このあたりの農村で飼育される中型の魔物だ。
主に乳を採るために飼育されているが、体毛が多く、冬の衣服や寝具の材料ともなる。
魔物といえど、動物とそうは変わらない。
適切な扱いさえすれば、きちんと飼えるのだ。
乳の出なくなった年老いたチフミは、つぶして食肉にし、周囲の家へ銅貨と引き換えにおすそ分けする。
そうして大きな村で、新たに子チフミを買って育てるのだ。
我が家にも一頭だけ飼われているが、まだまだ乳の出もよくない若いチフミだ。
ちなみに、オスのチフミは、身体も大きく、力も強いので、農作業の友として、近隣の大きな村で飼育されているらしい。
母さんは、鍋でチフミの肉を炒めながら、同時にさまざまな香草を刻んでいく。
鍋に水と乳を加え、灰汁を丁寧に取り除きながら煮込んでいく。
危ないからという理由で、未だに厨房に入れてもらえないが、調理の手順というものには摩訶不思議なものに見えてしまう。
その辺の草むらで取ってきた香草を操り、見事な料理へとかえて行く様は、かつて魔の頂点であった僕からも、まるで魔法のように見えてならない。
そんなことを考えながら、僕も忙しなく手を動かしている。
厨房に入れてもらえない僕の仕事といえば、居間の片付けと食器の準備だ。
それほど大きくもない、一般的な農村の家だ。
食堂などという立派なものはない。
普段、母さんが裁縫をし、僕が羊皮紙を読み、なんならヒゲが剣の手入れをする机が食事の場だ。
机の上に広げられた荷物を所定の位置に片づける。
母さんの私物は寝室のそばへ。
僕の私物は窓際へ。
ヒゲの荷物は、危険なものもあるので触らせてもらえない。
そうして机を片付けたら、湿らせた布巾で軽く掃除をして、食器棚へ。
今日はシチューなので、椀ではなく、深彫りの平皿をとりだす。
普段はお目にかからない料理なので、自然と食器もほこりが気になる。
先ほど机を拭いたのとはべつの布巾で、これもきれいにふき取り、厨房の母さんへと手渡す。
「はい、ありがとう。もうすぐできるからね~」
そうして母さんの笑顔を見上げ、もうすぐ味わえるシチューの味にのどを鳴らすのだ。
「さぁ、シチューができたわよ~♪」
母さんの声で、僕とヒゲが定位置に座る。
母さんは厨房のそばの席。
僕は母さんの向かいの席。
普段家にいることが少ないヒゲは、小さな椅子を持ってきて、横に座る。
「大いなる天よ、地よ、母よ、父よ。今日もまた糧を与えたもうたことをここに感謝します。願わくば、すべての民と明日の我らにも祝福のあらんことを」
母さんの言葉で目を閉じ、指を組ませて祈る。
魔王の僕が祈る?
最初はそう思った。
でも、この祈りは神に捧げられるものではないのだ。
自然の恵みと父祖に感謝し、同胞の祝福を祈る。
まじないの言葉こそ違っても、これは魔族にもある習慣なのだ。
「あらんことをー♪」
祈りを終え、早速、匙でシチューを掬い、口へ運ぶ。
若干、フライング気味だったが気にしない。
途端、乳の甘みと、香草の香りが口の中に広がる。
かつて魔王城で口にしていた食事と比べれば、味は薄く、具もわずかだ。
それでも、空腹と愛情が調味料、などとは言わないが、普段はむかつくヒゲと会話する気になる程に、心が満たされるのだ。
匙でもう一掬い。
今度は、チフミの肉が入っている。
大振りに切られた肉は、やや筋張って固い。
年老いたチフミの肉だから、それは仕方ないのだろう。
しかし、こんな小さな農村において、チフミの肉は、またとないご馳走なのだ。
口いっぱいに頬張り、肉をかみ締める。
年老いたチフミは、筋張ってこそいるが、深い味わいの出汁が染み出す。
それを口の中でかみながら、シチューをもう一口含む。
シチューの塩気とチフミの脂、香草の刺激を持った香りが頬を緩ませる。
「アーちゃん、おいしい?」
「うん♪ 母さんの料理はいつもおいしいけど、やっぱりシチューは一番おいしいね♪」
満面の笑顔で答える。
けしてお世辞や身内の馴れ合いではない。
心からの真実だ。
見よ、ヒゲのあのだらしのない顔を!
無精ひげに香草の切れ端が引っ付いている幸せそうな顔を!!
そんな情けない顔ですら、ほほえましく思えるほどに、母さんのシチューは絶品なのだ!
「アーちゃんありがとう♪ でも、いくらおいしくてもよく噛まないとダメよ?」
そう言って、母さんも幸せそうに顔を緩ます。
──瞬間、閃光。
耳を聾するほどの大音量と、赤い光。
高熱と大きな質量が襲う。
気がつけば、屋根は吹き飛び、空が見えている。
しかし、そこに星はなく、轟々と燃え盛る炎の切っ先が見える。
振り向けば壁は崩れ、闇夜に塗られた黒はなく、森を焼く炎の赤があった。
デアクリフ家は、村の外れにある。
村の中心を見ると、すでに十数匹の魔物が村人へ襲い掛かっていた。
迂闊。
人間となり、幼子となり、幸せな家庭を前にして呆けていたのか。
まさか、この魔力に直前まで気づかぬとは!!
、っ!?
母さん、ヒゲ!!
閃光は、家の東側、ヒゲの方向から放たれたようだった。
あれほどの一瞬、並の人間では、反応することさえできず、吹き飛ばされていただろう。
しかし、そこには、ヒゲの背があった。
燃え盛る瓦礫に埋もれ、かすかに肉の焼ける匂いがする。
その右手の先には、母さんが横たわっている。
あの瞬間、ヒゲは、その爆発を察知し、身を伏せさせるために、僕と母さんを突き飛ばしたのだ。
なけなしの魔力を集中し、筋力を強化して、瓦礫の山と化した家を蹴散らす。
これまでの修練が役に立ったなどと、考える余裕はない。
「母さん!父さん!!」
瓦礫から二人を引きずり出す。
「……。へへ、初めて、父さんなんて読んでくれたな」
うっすらと目を明け、父さんが口を開く。
「……父さん、怪我は?」
こんなときでも、一瞬の気後れをする自分に、若干の嫌悪を抱くが、二人の無事を確かめる。
「あぁ、ちっと火傷をしたが、俺は大丈夫だ。母さんも大丈夫だ。今は気を失っちゃいるが、たいした怪我もないようだな」
ゆっくりと起き上がり、大きな手で僕の頭をガシガシとなでる。
「それにしても、アロウ。いつも訓練しているのは知っていたが、たいした魔力の操作だな」
見たことのない笑顔で、僕を見つめる。
それは、いつもの緩みきった、だらしのない笑顔ではない。
かつて、魔王城で、戦に向かう眷族たちが誇らしげに仲間たちとかわしていた笑顔だ。
「アロウ。お前はまだ子供だ。本当は父さんが守ってやらなきゃいけない。だが、お前は俺の息子だ。その力があれば大丈夫だな。だからお前が、母さんを守ってやれ」
そう言うや、僕の返事を待たずして村の中心部へ駆け出す。
見送るその背中は、大きかった。
チフミ)後述しますが、オリジナルの言語で変換された「ヒツジ」。作中では、羊によく似た飼育されている魔物の事です。