第一章)元魔王の復活 決意
■アロウ=デアクリフ①
実際、自分が赤ん坊だと認識してから暫くの事は、記憶がない。
なにせ、精神と身体が一致してしまったために、赤ん坊の身体のほうに精神が引っ張られてしまったのだ。
それにあわせて、知能というか、知性もまた、身体に合わせて失われていた。
それが、こうして人並みに、落ち着けるようになったのは、「僕」が5歳になった頃からだ。
人並みに、と言ったが、それは、魔王であったころを基準としてだ。
未だ幼少の身であるため、感情の起伏は激しいが、それでも、同じ歳の子供とくらべれば、気味が悪いほどに、落ち着いている。
母さんも大変だったろう。
夜泣きの激しい赤子の時期が過ぎれば、今度は一転して、感情を持たない生きた人形のような子供になったのだ。
一時は、あまりに大人しいので、悪霊払いの医者へと相談しに行ったほどだ。
とはいえ、こちらの苦労も察してほしい。
感情は幼子のものだとしても、魔王であった頃の記憶はあるのだ。
ましてやこの身体は、魔族ではなく人間のもの。
自分の年齢で、人間とはどこまで話せて、どこまで判断できるのかが、わからないのだから。
まして、おしめを換えてもらったり、おまるを使うようになってからも汚物を確認されたりの羞恥プレイは、一種の拷問かと思ったほどだ。
そうこうしているうちにも、月日というものは流れ、僕は12歳となり、文字通りに人並みの知識と振る舞いができるようになったと思う。
改めて名乗ろう。
僕の名は、アロウ=デアクリフ。
名もない農村に暮らす、デアクリフ夫妻の一人息子にして元魔王だ。
余談だが、これまでヒゲのことを父と呼んだことはない。
1歳になった頃、
「マ……マ……」
と話しかけられてたいそう喜んでくれたお母さんの前で、
「……ヒィ、ゲ……」
と呼ばれたヒゲの、愛しさとせつなさが入り混じった、微妙な表情は忘れられない。
どうやらヒゲは、この村から1日程度の距離にある村を拠点として、冒険者をしているようだ。
冒険者とは、この時代には珍しい職業ではない。
かつて冒険者というのは、野盗まがいのならず者で、未開の土地を切り開き、一攫千金を夢見る荒くれ者だったはずだ。
しかし、現在では、冒険者ギルドという仕組みにより、職業のひとつとして認識されている。
ヒゲも、それなりに腕が立つようで、記憶にある限り、依頼を失敗したことはないように思う。
その証拠に、家を離れるのは、長くても5日程。
そして、帰るたびに、少なくはない報酬を持ち帰ってきている。
ちなみに母さんも、昔は冒険者として活躍しており、ヒゲとの馴れ初めは、敵同士だったというから驚きだ。
そして、僕はといえば、農村の子供として元気に野山を駆け巡っている、というわけだ。
勘違いしてほしくないのは、なにも本当に遊び呆けていたわけではないということだ。
険しい山道を駆け抜け、少しでも魔力の濃い場所を探し、枯れ枝で剣術を修め、精霊を探し魔法を学ぶのだ。
人間の身体は脆弱だ。
今の身体など、かつて魔王だった頃の僕からすれば、指一本すら振るう必要がない。
それでも、僕は、魔王だ。
実際に魔王ではなくても。
魔族ですらなくても。
脆弱な、かつては見下していた人間の、それも子供の姿であっても、だ。
かつて、人間の身でありながら、魔の頂点である「我」に、打ち勝った人間がいた。
我が命を受け、そんな強者に立ち向かい、命を散らした魔族がいた。
そして、彼らを認め、彼らに認められていた我がいたのだ。
「僕」は、魔王だ。
眷族も、魔力も、膂力も、財宝でさえも失ってしまった。
魔王であった矜持、それだけを胸に秘め、我は、いや、僕は、この今を生きる。