第十章)そして北へ 氷河の乙女③
▪️教会の闇⑥
「葬送曲」
瞬間、まずいっ、と思ったが遅い。
技後硬直で動けないのは、こちらも同じことだ。
四人それぞれが反撃の好機と思って、必殺の一撃を繰り出しているのだ。
その直後に来たのは、驚くべきことに音楽、いや、唄だ。
─昔、昔
皆に願われ、存在を祝福された人物がいた
昔、昔
皆に憎まれ、存在を否定された人物がいた
二人は姉妹であり、そして恋人でもあった
二人は一つにして全であった
姉は誰も分け隔てなく、全ての人たちを愛した
妹はそんな姉を尊敬し、姉の愛した全ての人達を愛した
昔、昔
皆に願われ、存在を祝福された人物がいた
彼はまさしく完璧であった
人々はたやすく姉を捨てた
姉は言った
それでも私は皆を愛していると
妹は言った
それでも私は姉を愛していると
そして彼は言った
それは、皆を惑わす悪だと
姉は追われ、そして愛したはずの人々に殺された
姉を悼み、妹は言う
「こんな世界要らない」と
これは昔、昔のお話─
それは本当に唄だったのだろうか。
必殺の技を繰り出し、それが彼女に届く間。
それどころではない。
おそらく彼女は、声さえ発していない。
唄なのだとしたら短な部類だろう。
それでもこの刹那にも満たない瞬間に、脳内に叩き込まれるには、膨大にすぎる量の「声」。
「ぐあっ」
その苦悶の声さえ何とか絞り出したものだった。
ほんの一瞬とはいえ、処理をしきれない情報量を叩き込まれ、脳幹が揺さぶられる。
視界が揺れ、胃がひっくり返るようにその中のものが込み上げる。
息をどれだけ吸おうとしても、肺が呼吸の仕方を忘れたように、空気が入ってこない。
そして、物理的な効果だけではない。
これは、鳥唄姫種の、いや、悲恋姫の唄なのだ。
その悲しみの物語は、心までも侵食し、戦闘の気力を奪っていく。
この絶体絶命の窮地に、奮い立たせる闘志はなく、自ら命を差し出してもいい、そんな気持ちにさせられてしまう。
「こんなものですか……」
ギリギリのところで、かろうじて武器を取り落としていない。
それだけの事だ。
敵を前にして、剣を振るうことも、魔法を放つことも出来ない。
もはや、悪夢のような翼を振るうまでもない。
その細腕の一振で、こちらの敗北は決するだろう。
「これでも食らうっス!」
「多連装破砕暴風っ!」
突如、目の前を炎の渦が巻き起こる。
周囲の氷を溶かすほどの熱量。
そして何より、ジュデッカの風翼翔にも劣らぬ圧倒的密度の暴風。
その意識外からの思わぬ熱気に頬を炙られ、意識が覚醒する。
「ぎゃぁぁっ!」
そして、意識の外であったのは、僕達だけではなかった。
それほどの豪炎が直撃したジュデッカが、炎を振り払おうとのたうち回る。
誰がこれをやったかなど、それこそ火を見るよりも明らかだ。
だが、それでもなお振り向き驚愕する。
「ウチらだってお荷物なだけじゃないっスよ」
「思いつきだったけど、予想以上の威力でびっくりしました……」
無論、そこに居たのは、ドヤ顔のメインと自分の魔法の威力に驚くペルシの姉妹だった。
味方ながらに驚きを隠せない。
決して軽んじていた訳では無い。
彼女たちも信頼する仲間だ。
それでも、心のどこかでこう思っていた。
彼女たちは、かわいい妹分であり、後輩の冒険者であり、守ってあげる対象だ。
何より、彼女たちはCランクの冒険者で、このSランクの戦いに付いてこれるはずなどない。
そう思い込んでいた。
それが……。
「伊達にウチらも、堕天の姉さんや風賢聖さんと旅してないってことっス」
「私たちも強くなったんですよ、アロウさん」
不敵に笑うこの姉妹。
その笑みのなんと心強いことか。
彼女たちは、いつかの貧しい孤児だった少女ではない。
機転が利き、道具や魔法を最大の効果を生み出す、魔法剣士の“風刃”メイン。
柔軟な発想で、多芸な魔法を使いこなし最高の効果を生み出す、魔法使いの“雷塵”ペルシ。
今更に思い知らされる。
彼女たちこそ、新進気鋭の冒険者、月と羽根なのだと。
その才能は片鱗とはいえ、確実にSランクの高みに届いている。
自分たちの身を守るべく、突撃していたアロウ達と距離を置いていたことが幸いした。
ジュデッカの葬送曲の効果範囲から逃れ、アロウ達の窮地を救うことが出来たのだ。
真っ先に反応し、行動したのはメインだ。
とっさに魔石と灯油を混合させ、燃焼剤としてを投げつけ、火炎魔法で着火。
それだけでもかなりの威力があった。
さらにペルシは、メインの火炎を見て、風で強化することを思いつく。
ジュデッカの風翼翔に着想を得て、回転装填式速射魔法と竜巻の魔法を組み合わせることで、乱れ狂う複数の竜巻による局所的な嵐を生み出した。
この姉妹の最大の特徴は、初歩的な攻撃を最高のタイミング、最高の効果で使用し、さらにそれをお互いに相乗させることにあるのだ。
「くっ、支援役と思って見くびりましたか。この地に生まれ百年以来、これほどの手傷を負わされたことは初めてです」
ジュデッカにしても、彼女達の攻撃は予想外だったろう。
美しい羽根も、白雪のような肌も、樹氷のように輝く髪も、おそらくは自らの魔力で編まれているだろう純白の衣も、豪炎によって焼かれ、一部は溶け一部は砕かれている。
ここで初めて気がつく。
このジュデッカと名乗る魔族。
“氷河の乙女”と呼ばれる悲恋姫を、どこかで見た覚えはなかったか。
乱れた髪から覗くその顔は、どこかで見た覚えがある。
「教皇の使いという冒険者よ。これで私の技も最後です。今一度、私の全力を受けなさい!」




