第十章)そして北へ 氷河の乙女①
▪️教会の闇④
「風翼翔」
ジュデッカが片翼を振るう。
玉座に腰かけたまま、右の翼を広げ、軽くはばたいた。
ただそれだけの事だ。
魔法ではない。
おそらくは種族に備わる能力の部類なのだろう。
つまり、それがどんな御業であろうが、彼女にしてみれば、それは歩く、息を吐くのと変わらない、ただの動作なのだ。
それが、この威力。
そのはばたき一つから、生まれたのは、呼吸すらままならない程の突風。
まるで荒れ狂う濁流の中に放り込まれたかのように、身動きひとつとる余裕が無い。
魔力を伴っているとはいえただの風。
それなのに、どれほどの風圧を叩きつけられているのか。
さらにタチの悪いことに、それほどの突風を受けているのにも関わらず、何故か吹き飛ばさせてすらくれない。
巻き込むように、あらゆる方向から吹き付ける風に捕らわれ、ただただ、それをこらえることしかさせて貰えないのだ。
「ぐっ、がぁっ」
声が漏れる。
いや、正確にはこの突風で声を出すなど不可能なのだが、それでもうめき声が喉の奥から漏れ出てしまう。
時間にしてたった数秒のことだったろう。
それでも、強烈な風の猛威と、凶悪な拘束感によって、何十分も捕われていたかのように疲労してしまった。
「氷翼翔」
今度は、左の翼だ。
ゆらりと広げ、そしてはばたく。
まずい。
そう思う余裕もない。
途端に襲うのは、極低温の吹雪。
風の強さこそ、先程の比ではないが、恐ろしいほどの冷気が突風を伴い襲いかかる。
予めかけてある、耐寒の守護系魔法がなければ、一呼吸もする間もなく氷の塊と化していただろう。
しかし、それでもなお身体に染み込む圧倒的な冷気。
寒さこそ感じなくとも、肉に、骨に、血液に、そして魂に染み入り、まるで毒のように侵していく。
反撃はおろか、迎撃も防御も間に合わない。
それほどにジュデッカの攻撃は、早かった。
スピードではなく間。
技ではなく動作として完結する、絶望的な能力だ。
今こちらに命があるのは、氷の乙女が風と水を操る鳥唄姫だろうという予測をしていたからにほかならない。
そして、鳥唄姫であれば、問題なく討伐可能な用意をしていたからに過ぎないのだ。
それでもなおの、この疲労感。
まだ、戦いが始まって数分も経っていない。
しかも、相手は、まだ直接的な攻撃をしていないのだ。
疲労と損耗。
傷こそなくとも、既に心と体が敗北へと向かってしまっている。
「どうしました? 教皇からの刺客とは、この程度……」
「防御魔法・黒鉄城っ!」
「火炎系魔法・豪炎破壁っ!」
ジュデッカの言葉が終わらぬうちに防御壁の魔法を使う。
彼女の攻撃を待って対処するのでは遅い。
まずは、仕切り直さなければ。
「メイシャ、ナイス。いやぁ、これは参ったね」
「アロウさんこそ。あれは反則ですよぉ」
言葉も目も合わせずにタイミングを合わせて防御壁を張ったお互いを労う。
「気休めですけど、少し回復します。守護系魔法・癒しの光」
続けてメイシャが精神回復の魔法で折れかける心を癒す。
これでいい。
まずは物理、そして低温への対策をした防壁の中で、回復できた。
これでようやく仕切り直せる。
幸いにして、ジュデッカは、強者故の余裕か、それとも何か思惑があるのか、追撃しては来ないようだ。
黒鉄城も豪炎破壁も、かなりの強度がある魔法だが、彼女ならば易々と破壊してもおかしくないはずなのだ。
防壁越しに透かして見ると、やはりあの玉座に座ったまま、悠然と構えている。
「アロウの兄さん。あれ、どうするっス? 実際、あの風と吹雪をどうにかしないと、近づくことすらままならないっスよ?」
「いや、これだけなら押し返すことも無理じゃない。でも、問題はその後なんだよなぁ」
確かにさっきの技はおそろしいが、相手の手がわかっていれば、やりようはある。
メインの言葉を返すようだが、近づくことは出来るのだ。
だが、問題はその後。
あの風は、ジュデッカにとって必殺の技でもなんでもないのだから。
「しかしまあ、やってみないと分からないか。メイシャ、合図で魔壁を解除するよ。リリィロッシュ、合わせて」
想定よりも数段上の敵。
未知の能力を持つ相手には、直接ぶつかってみるよりほかは無い。
「……1、2、3!」
「大地系魔法・螺旋槍槌!」
二種の魔壁の解除と同時に、リリィロッシュの魔法が放たれる。
大地より巨大な土塊が高速回転しながら敵を穿つ、大地系の高位魔法だ。
本来、寒冷地の魔物ならば火炎系魔法を使いたいところなのだが、ジュデッカには、あの暴風の攻撃がある。
なまなかな炎では、風に押し戻されてしまうのだ。
だが、
「氷翼翔」
ジュデッカは慌てることも無く、左翼の極冷風によってリリィロッシュの魔法を凍らし、その動きを止める。
そして、同時にその極冷風が、そのままこちらへと襲いかかる。
「爆炎系魔法・赤扇!」
得意とする爆炎の魔法で、極冷風を散らす。
赤扇は、その名の通り、赤い壁のように広範囲に爆炎を放つ魔法だ。
威力、効果範囲なども微調整でき、牽制にも制圧にも攻撃にも使えるため、かなり使い勝手のいい魔法なのだ。
今回は、本来なら扇状に広がる巨大な爆炎を一点に集中させ、威力も密度も最高レベルに仕上げた、爆炎の破城槌として利用した。
空間ごと凍らせるような極冷風の嵐だが、高密度の爆炎によって防いだのだ。
「ふふ、ではこれならどうですか? 風翼翔」




