第十章)そして北へ 戦いの前夜
▪️教会の闇②
アロウ達一行は、ようやくコール聖教国の北西部、イーカンスの地へとたどり着いた。
流石の魔蜥蜴もこの極寒の地での移動は堪えたらしい。
いつもよりも速度が乗らず、移動に時間がかかったのだ。
それもそのはず。
元より雪と氷、そして針葉樹からなるこの北国の中でも、更に寒さの厳しいこの地では、樹木すら根を下ろすことが出来ない。
足元の土は、霜と氷に覆われ、まばらに生える低木すらそのいくつかは凍ってしまっている。
薄い土の層のすぐ下は、雨水や雪氷、地下水が凍り、文字通りの氷の大地なのだ。
魔物である魔蜥蜴ですら、活動が鈍くなる程の厳しい自然。
あらゆる生命を拒絶するようなこの地こそ、聖獣・氷河の乙女の座所である。
「さ、寒いですぅ。暖かいレモネードが飲みたいですぅ」
「あ、あっちに父ちゃんと母ちゃんが見えるっス」
猫は暖炉で丸くなるなどと言うが、うちの僧侶と猫も、馬車の中で丸くなって身動きが取れなくなっているようだ。
魔法使いではないメインはともかく、メイシャは、僕達と同様、耐寒の魔法を使っているはずなので、それほど寒くはないはずなのだが、実際の寒さよりも気持ちの問題が大きいらしい。
まったく、ラケインですら、薄く闘気を巡らせて対応しているというのに。
まあ、蜂蜜たっぷりにラム酒を少し落とした、暖かいレモネードで落ち着きたいという気持ちは、痛いほどわかるのだが。
「はぁ。二人とも耐寒の魔法は効いてるだろ? 聖都で見つけたこれ貸してあげるから」
本当はついついデザインが気に入って買ってしまった保温魔道具を、二人に手渡してやる。
薄い鋼板を何層か円筒状にして、刻印を利用したデザインによって火の精霊を封じ込めた、ランタン型のストーブのようなものだった。
演劇用の荷車にでも吊るしたら、それこそランタンのように可愛いかと思ったのだが、まさかこんな所で役に立つとは。
「わぁい、暖かいっス」
「ううう、和むですぅ」
賑やかし担当の二人は、大事そうに魔道具を抱え込んでにこやかに暖を取っている。
もっとも、この気温の中では馬車の中とはいえ、こんな小さなストーブなど気休めにすらならないのだが、本当に気持ちだけの問題だったようで、二人に笑顔が戻っているのは幸いだ。
刻印の形に空いたスリットからは、封じてある火の精霊から光が漏れ、ゆらゆらと立ち上る。
まるで火の粉か蛍かのように幻想的だが、本物の火ではないので、燃え移る心配もない。
明るい火、そして穏やかな火。
確かにそれは、寒さで凍えついた心を柔らかに溶かすものだった。
そうこうしているうちに、目的地であるイーカンス氷河が遠くに見えてくる。
氷河の乙女戦に備え、今夜はこの場所で野営となる。
雪と氷の世界とはいえ、若干ながら木も生えていれば、岩陰もある。
できるだけ寒さと風を防げる野営地を確保し、体力の回復に努めるのだ。
少し進むと程よい岩陰を見つけ、野営地とした。
馬車の横で休む魔蜥蜴達には、防寒用に幌をかけてやる。
元々それなりに力のある魔物だが、やはりこの地の環境は辛いのだろう。
幌をかけてやると柔らかに目を細めて眠りについた。
僕達はと言えば、周囲に断熱の魔法陣を描き、簡易な結界の中で夕食の用意を進める。
「鳥唄姫か……」
簡単ながら夕食を取り、メイシャ待望のレモネードで冷えた体を暖めながら、ラケインが呟いた。
今回の目標、“氷河の乙女”の正体と考えられる魔物のことである。
鳥唄姫とは、Cランクの魔物である鳥姫の上位種族で、鳥のような翼と魚の下半身を持った姿の水棲魔族だ。
人格を有し、魔物から魔族へと変化した鳥唄姫は、烈風系魔法と水氷系魔法を操るうえ、高位の精神系魔法を得意とし、単体でAランクという、一般的には、国家規模の戦力でもなければ手の出しようもない驚異である。
しかし、精神系魔法による同士討ちの恐れから、軍隊での討伐はむしろ悪手であり、少数精鋭での討伐が望ましいとされている。
また、精神魔法は、歌声を媒体としており、魔法で加護を与えた耳栓で防衛が可能である。
「とまぁ、攻略法が知られる程度には有名な魔族なんだけどさ、不安材料が尽きないよねぇ」
簡単に鳥唄姫についての説明をおさらいがてらにしてみたが、今度の相手はただの鳥唄姫ではない。
《聖母》が神の加護を与えた聖獣とまで呼ばれる驚異である。
通常の個体でAランク。
それが強化されているとすれば、確実にSランクに達しているだろう。
さらに、有名な魔族でこそあるが、縄張りに近づかなければ、進んで人を襲う事はなく、わざわざ討伐依頼を出されることも無い。
それが、神の使徒とまで呼ばれる神獣を、わざわざ教会のトップが依頼するのだ。
嫌な予感しかしないのだが、やるしかない。
「とりあえず、通常の対策をして行くしかないよね。とりあえずラケインの耐魔力装備を底上げするとかさ」
「はぁ。こればかりはアロウを頼るしかないが、いまいち相性は良くなさそうだな」
耐魔法、特に精神系魔法に耐性の少ないラケインの弱点は相変わらずである。
リュオさんからの贈り物である暁天の鉢金のおかげで、多少の耐性が上がったとはいえ、確かに相性がいい相手とも言い難い。
特に魔法を使えない戦士でおるラケインの場合、修行などでなんとかなるものでないのが歯がゆいのか、この手の話題になると不機嫌となるのらららららだが、それこそ相性の話しなので仕方がないと思うよりほかない。
「その分、接近戦では頼りにしてるからさ、明日はがんばろうぜ」
「そうですよ。私もラク様をサポートしますから、思う存分暴れてくださいね」
穏やかに微笑むメイシャとそれに応えるラケインを見て、僕達も穏やかに笑いあうのだった。




