第十章)そして北へ 聖母
▪️北の大地⑧
「聖獣とは、《聖母》様の御加護を受け、邪気を清められた魔獣と言われています。邪を祓う守護者であり、主の使徒であると言われていますが……」
メイシャの説明に、思わず目眩を起こしそうになる。
クルス教で主と言えば、それはあの『神』の事だ。
嘘か真実かはともかく、その加護を受け、より強化されているとなれば、まずその強さもデタラメなものになっているだろう。
その上、正式な信徒でなくとも、ほぼ世界中の人類に影響を与える宗教の守護者を傷つけたなんてことが明るみになれば、もはや陽の当たるところを歩けなくなってしまうと言って過言ではあるまい。
「アロウ。今更、神の使徒とやらに思うところはないが、そんな存在を狩るというのは、さすがにまずくないか?」
「うぅん、まずいよねぇ。かといって教皇には引き受けるって言っちゃったし」
とはいえ、依頼を失敗するのならばまだしも、一度ひきうけた依頼を差し戻したりしたら、もう教皇との接点を持つことは、二度とないだろう。
「ま、やってみるしかないか」
そう。
悩んだところで最初から選択肢などないのだから。
改めて、北国内の組織について確認しようと思う。
正式名称、コール聖教国。
一血族である王族が支配するような王国ではなく、クルス聖教という宗教そのものが統治する異教の国家で、その頂点はクルス聖教の教主である教皇が代々その任に就いている。
現在は、ワーゲン=フォルクス。
僕達の目的である。
信仰によって統治されているとはいえ、実際には、国を運営管理する組織が必要となる。
大きな組織は三つ。
行政を担当する示教区。
軍部を担当する僧兵団“黒き剣”。
そして、宗教としての活動を統括する聖堂区である。
このうち聖堂区は、ほとんどなんの権力も持たず、規模もいちばん小さい。
宗教国家の要となる部署なのだが、やっていることと言えば、街の小さな教会とかわらないのだから、それも仕方が無い。
次いで示教区だが、いわゆるお役所だ。
リサも表向きはここに属しており、基本的には事務処理を行い、各地を取りまとめる司祭らを統括するのはこちらの部署だ。
信徒、及び国民の財産の所有を認めていないクルス聖教が、蓄財を独占するする為だけに作られたのがこの示教区だと言い換えてもいい。
そして、黒き剣である。
いくら博愛のクルス聖教と言えど、他国の牽制や、魔物の討伐、事故などの対応を一手に引き受ける軍部に権力が集中するのは、他の王国と同様だ。
軍が動けば金が動く。
そして、金が動けばより利権を得ようと権力者が集まるのが世の常なのだ。
また、黒き剣には、他国に干渉するための別動部隊が存在する。
“黒法衣戦団”。
国内自治を主任務とする黒き剣と異なり、布教活動の名目で国外での活動を主任務とするのが彼らだ。
母さんもそこに所属していて、いまは東国の治安維持部隊として派遣されているはずだ。
これは噂になるが、各地の黒法衣戦団を隠れ蓑として、表沙汰にできない活動をする暗部も組織されていると聞くが、恐らくは事実だろう。
これが、“国家”としてのコール聖教国である。
ただし、“宗教”としてのクルス聖教となると、話が少し変わってくる。
コールという国は、あくまでクルス聖教に対する信仰心に基づいて作られている。
すなわち、最大勢力である黒き剣も、財力を持つ示教区も、その存在意義まで含め、あらゆる活動は、クルス聖教によって認められるのだ。
武力も財力も持たない聖堂区。
それが傀儡なのか、それとも影の支配者なのか、多説があるが、実際のところは知られていないのが現状である。
「で、その《聖母》っていうのが、新体制派の中心人物って訳か」
目的地までの道中、メイシャから改めて北国内の情勢について説明を受ける。
冒険者であり、商人の娘であり、クルス教徒でもあるメイシャの存在は非常にありがたかった。
「ええ。と言っても、《聖母》様ご自身が指揮されている訳ではなく、あくまでも新体制派に祭り上げられているっていうのが実情のようですけどね」
メイシャがこちらの理解に補足を促す。
《聖母》、か。
魔王時代にも人間の共通意志の象徴でもある教会には、何度となく接触してきたが、初めて聞く存在だ。
おそらく魔王が敗れ、アロウが生まれるまでの間に誕生した役割なのだろう。
「《聖母》様は、荒神と呼ばれるほどの魔物を多数封じることで尊敬を集めた方です。各地で魔物を倒し、傷ついた人々を癒す、その名にふさわしい方ですよ」
メイシャが目を伏せ、祈りを捧げる。
こういう所は、しっかり僧侶なんだと今更に思う。
メイシャの話しやリサから聞いた情報をまとめると、こういうことのようだ。
そもそも、聖母という称号自体は、エレナ先生の為に作られたものなのだという。
魔王討伐を果たし、世界を救った慈愛に充ちた『僧侶』。
まさしく《聖なる母》と呼ばれるに相応しいことだろう。
だが、それも小魔王の出現で立ち消え、『勇者』の死亡によりエレナ先生は身を隠すことにした。
それから数年後、突如現れたのが現在の《聖母》なのだという。
『僧侶』の失踪という特大の問題を有耶無耶にする為にも、新たな英雄を探していた、そういうことだろう。
だが、それもおかしいのだ。
それほどに優秀な人物ならば、必ず逸話の一つや二つ、表に出ているはず。
それこそ、荒神という強力な魔物を倒した話や、それに付随するような噂が全く聞こえてこない。
まして、『僧侶』の代わりに祭り上げるはずの人物なのだ。
もっと大々的にお披露目をしていておかしくはない。
それが、クルス聖教内部の人間しか、その存在を知らないのだ。
「ふぅん。メイシャには悪いけど、なんだか怪しいね。で、その《聖母》からの加護で強化された聖獣とやらが今回の獲物ってわけか」
全くもって頭の痛い事だ。
教皇と対立する派閥の代表である《聖母》。
そして、おそらくはその使い魔である魔物を討伐させようとする教皇。
事態は思っているよりも複雑なのかもしれない。
だが、今は教皇からの依頼を達成する他はない。
深くため息を吐き、馬車の先へと視線を送るのだった。




