第十章)そして北へ 東の森では
▪️北の大地⑦
一方、コール聖教国東部の森。
「そうりゃあ!」
「ちっ。兄貴、そろそろ切り上げねぇとやべぇよ」
まばらに地を覆う雪を踏みちらし、隻腕の赤髪が相棒に注意を促す。
兄貴と呼ばれた青髪の戦士は、巨大な戦斧で迫る炎弾を撃ち落とし、ちっ、と舌打ちをする。
振るわれた戦斧をかわし、ジリジリと追い詰めるは黒衣の集団。
薮があり、倒木があり、土はぬかるみ、雪で目に見えぬ窪みもある。
そんな足場の悪さを一切と感じさせず、黒衣の兵達は、二人の男に襲いかかる。
「あぁ。こいつら今までのヤツらとはデキが違う。そのくせ、ちまちまと魔法で攻めてきやがって、まともに打ち合いしながらねぇ」
赤髪が長柄の大鉈をふるい、土塊を追っ手へ弾き飛ばす。
追っ手が怯んだその瞬間に合わせて、青髪は戦斧で周囲の樹を一息に切り倒し、追撃を与える。
見事な連携だが、黒衣の兵たちもさっと身をひるがえし、直ぐに距離を取り直す。
先程からこうなのだ。
個人の技量もけして低くはない。
むしろこれだけやれる人間がこれほどの人数いたのかと感心するほどだ。
だが、それでも自分たちが負けるとは思わない。
相手が真正面から撃ち合ってくるのならば、だ。
黒衣の兵が魔法弾を撃ってくる。
必殺の一撃ではない。
足元を狙い牽制し、木を撃ち雪を落とし、ジリジリと包囲を狭めてくる。
これほどの技量を持ちながら、突出して打ち合わず、からめ手ばかりで攻めてくるのだ。
「くそっ、舐めやがって」
「兄貴、俺が仕掛けるから、でけぇの合わせてくれ!」
言うが早いか、青髪が立ち止まり、ほんの僅かに先行していた黒衣の兵に向かって突進する。
周りの黒衣にしてみれば、ようやく焦れて飛び出してきた獲物だ。
これ幸いといっせいにそこへ魔法弾の集中砲火を浴びせにかかる。
「はっ、馬鹿が。来ると知っていればなんということもないわ! ぬぅりゃ、獣王六刃!」
青髪が放つその秘技は、身の丈ほどもある長柄の大鉈による神速の六連撃。
隻腕と思えぬその剣技は、迫る魔弾を空間ごと縦横無尽に引き裂き、その全てを叩き落とした。
「ふん、焦れて飛びだしたのはどっちだって事だな。くらえ、炎爆波っ!」
青髪が見事な囮となり、包囲の意識が僅かに綻んだ瞬間、赤髪もまた秘技を繰り出す。
赤髪の気迫に答えるようにして、戦斧が赤く輝き、爆炎をもって辺りを吹き飛ばしたのだ。
「ブルーガ! やれ!」
「おうさ!」
青髪の男、オグゼの合図により、隻腕の赤髪、ブルーガが懐から短剣を取り出す。
短剣を掲げ、刻まれた召喚魔法の刻印を発動させ、呼び出された炎魔牛を駆って包囲を脱出したのだった。
次の瞬間、
「うぉぉっ!」
どこから現れたのか、二十騎ほどの魔蜥蜴騎兵が黒衣の兵に立ち塞がり、その追撃をはばむ。
騎兵たちは皆、黒ずくめの鎧を身につけ、頭領と思われる先頭の騎兵は、蛇を象った兜を身につけ、その手には、一目で業物とわかる美しい剣が下げられている。
突如現れた騎兵たちに、これ以上の追跡は無理だと判断したのか、黒衣の兵も一人、また一人と姿を消していったのだった。
「お前たち、危なかったな」
蛇頭兜の頭領がオグゼに近づく。
鋼の輝きからして、まだそれほど使い古していないだろう鎧には、その歴史の浅さに反比例するように、真新しい傷が無数に刻み込まれている。
よく見れば、頭領が駆る魔蜥蜴も、若い小竜ではなくよく鍛えられた歴戦の古龍であるようだ。
すなわち、それほどの激戦をここしばらくのうちに幾度もくぐり抜けた証と言える。
蛇頭兜に黒甲冑。
かつてエウルとの国境付近で猛威を奮った、大盗賊団“密林の蛇王”を思わせる出で立ち。
だが、無論のことその正体は、“密林の蛇王”などではない。
既に伝説となりつつある蛇王の噂を隠れ蓑として、その騎士は、密かに暗躍しているのだ。
兜を脱ぎさったその顔に、笑みが宿る。
褐色の肌に隆々とした鋼の肉体。
貌にも体にも、全身に大小様々な傷を受け、それでもなお、雄々しく輝く稀代の将。
元エウル王国第一王子、ガラージ=ソリューンである。
「隊長、旗下二十三名、負傷なく待機しております」
「おお、ご苦労。俺もあとから合流する。先にアジトへ戻っておけ」
ガラージが合図すると、副将の指揮で騎兵隊が撤収していく。
元より訓練された魔蜥蜴とはいえ、嘶きも、ろくに足音すらさせずに移動するさまは、その練度の凄まじさを伺わせる。
ガラージは、国王代理としてエウル王国の歴史に幕を下ろした後、アロウに協力しつつ、現東の四大国、キュメール共同国総議長リヴェイアの手足となっている。
かつての直属部隊、翠龍騎士団や元エウル王国軍の中でも、信頼できるものだけをよりすぐった影の精鋭部隊を率い、今なお元王族の責務として、旧ノガルドの民を守っているのだ。
「おぉ、ガラージの旦那。助かったぜ。あいつらのしつこさにはほとほと手を焼いてたところだ」
「まったく、付かず離れず、地味にいやらしいからめ手ばかりしやがって。虎の子の炎魔牛まで使わされちまったわ」
オグゼとブルーガが、魔牛から降り、ガラージと固く手を握り合う。
「何言ってやがる。お前さん達ならあの程度の人数、余裕で消し飛ばせるだろうが」
苦笑混じりにガラージがオグゼの肩を軽く叩く。
かつて、ガラージには大望があった。
その武の力で恐怖を操り、小国であったエウルを、本物の大国にしてみせるのだと。
しかし、アロウたちの活躍により、それが無謀な夢出会ったことを知った。
世には想像もつかない化け物がおり、自分の力などその末端にも及ばないのだと、現実を直視させられたのだ。
ガラージは、己の器を知ることで、将としての才能を正しく開花させたのだった。
そして、アロウに紹介されたこの二人も紛うことなき化け物なのだと知っている。
そんな二人が、あの程度の人数に苦戦するなど考えられなかったのだ。
「そりゃあ俺たちだって、全力の本気でやれば何とかなったさ。なぁ、兄貴?」
「まぁな。だが、それでもあの黒いやつら、並の技量じゃねぇよ。まともにぶつかったとしても、それなりに苦戦させられただろうぜ?」
不服そうなブルーガに対し、オグゼは、正しく状況を把握していた。
確かに手に持つ武器は、自身の最強の獲物でないし、変化の術で人間に化けてもいる。
ろくに魔力も行使せずにいた上に、何よりアロウからは、極力相手を殺さないように厳命されているのだ。
それでも、だ。
あの黒衣の兵たちも尋常の存在ではなかった。
剣戟を交えたのは、たったの数回ではあったが、その鋭さ、身のこなしは、明らかにかなりの武芸者だった。
それがあの人数である。
今更ながらに背筋に汗が伝い、口元に好戦的な笑みが宿る。
「まぁそりゃそうだろうな。あいつらは北国の特殊部隊、黒法衣戦団だ。その中でもかなりガチなやつら。つまり冒険者でいえばAランク付近の奴らだな。まったく、アロウのやつも厄介な仕事を振ってきやがる」
そう言うガラージもまた、その言葉とは裏腹に、口元が危険につり上がっている。
つまり、これもアロウの作戦のうちなのだった。
南国では、フラウが対魔王軍の攻勢を一心に受け、西国では、リュオと《永遠なる眠り》のカリユスが、アロウのサポートをする。
そして、北国内の戦闘部隊である黒法衣戦団を聖都から引きつける役を、ガラージ達が引き受けたのだ。
「まったく、あの『魔王』殿ときたら、俺たちの命がいくらあっても足りんよな」
「ふっ、全くだな」
「そう言うなよ旦那。それに兄貴も。なんだかんだ、そう言うアロウが気に入って付き合ってるんだろうが」
無骨で不器用な武人肌の二人に、無邪気なブルーガが照れたように頬を掻きながら笑いかける。
三人は、まったくだなと笑いながらアジトへの帰路へと着くのだった。




