第十章)そして北へ 聖都、その闇
▪️北の大地②
待ち合わせた事務所は、多くの人でごったがえしている。
外にはあまり人通りが見えなかったようだが、どこにこれほどの人がいたのかと思えば、どうやらここは、関所のような場所らしい。
原則として個人での財産の所有を認めていないコールでは、貨幣の流通がそれほど多くないため、商店での買い物やサービスといった文化がない。
村単位での自給自足が基本となる。
それでもさすがに聖都などの大都市では、それが成り立つはずもない。
例えば、大きな建造物を作るには専門の職人が必要で、打ち合わせには会議室が必要で、事務職もサービス業も必要となる。
彼らの生活を保証するには、どうしても対価となる金銭でのやり取りが必要となる。
そうして貨幣の代わり、いやこの都市専用の貨幣となるのが、教会の発行する聖札である。
客はこの、聖札を店に支払うことで対価を得る。
店は聖札を教会への納めることで食料などの配給を受けることになる。
この事務所は、外部からの旅人や商人達が、金銭や売り物を聖札に交換するための関所兼、喫茶付きの会議室というような性質をもっているようだ。
リサの案内でまずは聖札を手に入れる。
基本的に納める金銭は、教会への寄付という名目なので、払い戻しは効かない。
少なければ交換の手間がかかり、交換しすぎれば丸損となる。
よく出来ているものだ。
そうして移動したのは、同じ区画にある少し奥まった建物。
見た目には多少年数は経っているものの、大きく立派な建物だ。
だが、中へ入ってみると、様子は一変する。
がらんどうなのだ。
階段こそあるものの、部屋と部屋の間には構造用の柱や壁以外何も無い。
竈も間仕切りの壁も、扉さえも付いていない。
一部には土さえもられていない、下地がむき出しの壁すらあるのだ。
建物の不穏な雰囲気に面食らうが、極秘の打ち合わせということも考えれば都合がいい。
「まずはお疲れ様でした。改めまして、ようこそ、コール聖教国へ」
空っぽの部屋。
扉の代わりに布を釘で止めただけの目隠しを潜り、どこからか持ってきたのだろう質素な机と椅子に腰掛ける。
窓からの採光こそあるが、もとよりこの国では日差しがあまり強くない。
魔法ランプで明かりを取りながら、リサの話を聞く。
「このような建物へお通しして申し訳ありません。皆さんの宿は別に手配してありますからご安心ください」
そう切り出したリサが、この国の現状について説明を始める。
コール聖教国。
クルス教の教会組織が母体となる宗教国家で、教会が国の組織運営を行っている。
社会の物流は、金銭による授受ではなく、教会の管理による配給制。
そのため貧富の差はなく、国民全てが平等である国家。
それがこの国である。
「と、ここまでは国外にも知られる表向きの話です」
淡々と説明を続けるリサだが、その後に続く言葉にも想像が着いている。
聖都を眺めて、メイシャが顔をしかめた部分の話だろう。
「まずはあちらの窓から外を見ていただけますか?」
周りにはあまり高い建物がない。
ここは建物の四階だが、周りのほとんどの建物はここよりも低く、街の遠くまでよく見晴らせる。
いや、見晴らせてしまった。
採光のために開け放たれた、表通り側の窓ではない、街の裏側に面する窓には、カーテンと呼ぶのもおこがましいようなボロ布が貼り付けられている。
その隙間から、街の裏側を見て唖然とする。
「あれは……」
街並みの奥。
立派な石造りの家々の奥に見えるのは、広大なスラム街。
聖都の街並みとの境界には、区分けの壁が設けられている。
聖都に入って直ぐに見えた当たりは、壁の建造が追いついていなかったのだろう。
「あれがこの国の真実です」
リサは表情も変えずに説明を続ける。
これまで通ってきたように、地方都市の運営は、それなりに治まっている。
村人が自給自足の生活を行い、それぞれに不足する部分を司祭の管理で互いに補いながら暮らしているのだ。
だが、それは全ての人間が完璧に管理され、誰も欲を抱かないという前提の元に成り立つ。
人が多くなれば、必ず搾取する人間が現れる。
搾取が起これば、当然のようにそこに貧富の差が起こる。
そしてこの国は、富はともかく、貧などその存在すら容認しない。
神の下、貧しいものなどあってはならないのだ。
だから排除する。
壁を造り、無かったことにする。
この国には、富める心正しきものしか存在しないのだと。
「私は、クルス教の教えが間違っているとは思いません。ですが、それは現実を無視してまで強制されるべきではないと思っています。今この国では、教会の教えを第一とする旧体制の教会派。そして、教会は管理でなく庇護を行うべきだと考える新体制の教皇派に別れているのです」
リサの説明で納得する。
確か、西国軍部の介入で、コールに政変が起こりそうだという話をフラウからも聞いていた。
つまり、この教皇派と呼ばれる新体制派の思想こそ、エティウからの工作の結果なのだろう。
不自然な平等を重視する社会に、自然な不平等を意識させ、その過渡期の混沌の中でコールの首脳部に間者を紛れ込ませたり、自国に有利な条約を取り付けたりを狙っているのだろう。
しかし、この流れは、こちらとしては喜ばしいものではない。
コールのみならず、世界中に影響力のあるクルス教を利用することで、魔族との対立を抑えようというのだ。
そのクルス教自体が揺らいでいるようでは、話にならない。
これは、どうにかしないと。
「なるほど、分かりました。それで、リサさん、そして教皇自身はどちらの派閥なんです?」
僕の問いに他の皆が首を傾げる。
今の話を聞いていなかったのかと。
リサは旧体制に納得が言っておらず、また、新体制もその名を教皇派なのだと言っていたのだから。
「ふっ。なるほど。“魔帝”の字は、伊達ではない、ということですか」
しかし、皆の予想に反し、リサは初めてその澄ました表情を崩す。
「ええ。私、そして教皇猊下は、旧体制派ですよ」
「えぇ!?」
僕を除く一同は、驚きの声を上げる。
これはリサからのテストだったのだろう。
いくらリュオさんからの紹介とはいえ、自国のデリケートな問題について、他国の人間をいきなり信用出来るはずもない。
そもそもが協力していると言っても、リサとリュオさんも他国同士、つまりは敵対関係と言っても過言ではない。
今は、互いに目的と利益が合致しているだけということなのだ。
それを踏まえて考えてみれば、この状況は想像がつく。
メイシャのご両親からの情報では、エティウ軍部の画策により、コールに新勢力が生まれたという。
つまり国民に主体を持たせる新勢力、教皇派がエティウが支援する派閥のはずだ。
だが、同時にその作戦にリュオさんは組みしていなかったはずだ。
エティウもまた、一枚岩ではない。
リュオさんもエティウの新勢力、親女王派に属している。
だからこそ、エティウ軍部が支援する教皇派の作戦に僕達を送り込めるほどの発言権があるはずもないのだ。
ではそもそもが、リュオさんに頼んだからと言ってコールに近づくことは出来ないのではないか、ということになる。
だが、それは誤りだ。
リュオさんと対立するエティウ軍部の派閥。
その作戦を妨害するための繋がりを持っていないはずがない。
あの場では明言しなかったが、そちらのルートに一枚噛ませて欲しいと言ったのだ。
ちなみに、フラウ、カリユス氏がそのことに気づかなかったはずはない。
それが異論を唱えなかったというのことも、その繋がりがあるという証明である。
結果としては、エティウ経由で教皇に届く足がかりができるのだから、どちらでも構わないといえばそうなのだが。
教皇自身が、反教皇側というか旧体制派であると睨んだ理由は、勘としか言い様がない。
あえて言えば、二つほど根拠はある。
一つは、ここが『神』の根城であるクルス教の国だからだ。
『神』は、クルス教を隠れ蓑として人間の動向を管理している。
ならば、自分が作ったこれまでの体制に逆らうような人物を、教皇に据えるわけがない。
もう一つは、以前の四校戦で見たイメージだ。
心身に疲れ、覇気のない陽炎のような初老の男性。
それが教皇だった。
言ってしまえば、お飾りなのだ。
意識しているかどうかは別とし、『神』の傀儡となる人形。
そんな男が、旧体制を壊して新しい世界を作るなど、思うはずがない。
「教皇派とは名ばかり。教皇の庇護の元、自分たちがこの国を支配するというのが、新体制派の目論見です。わたし自身としては、現在の国の有り様に思うところが無いわけではありませんが、教皇様に忠誠を誓った身です。彼らの思うようにする訳には行きません」
つまり、リサ自身の考えとしては、教皇派、いやもう混同しないよう新体制派と言おう。
彼らの表向きの目的に同意しているのだろう。
クルス教による完全管理は、どうしても不都合が生じる。
それが先程見たスラムの隔離などの歪みなのだ。
だが、それとは別として、クルス教徒としてのリサは、教皇を傀儡として自分たちが支配しようとする、彼らの本当の目的に対して忌避感を感じている。
現在のリサの立場としては、後者に重きを置いているという訳だ。
「今の私は、教皇直轄の軍事行動部隊、黒法衣戦団の工作員です。普段はあの事務所で換金作業の事務員として情報収集の任務に当たっています」
黒法衣戦団とは、母さんも所属する、クルス教の武装集団だ。
その任務は、民の救済の他に、クルス教に対する外敵の駆除も存在する。
リサは、後者側の任務にあるのだろう。
「そうしていると、見えてくるんですよ。外国から見たこの国の歪さ、醜さが。それでも、それよりもなお醜い、権勢に群がる害虫などよりも幾分ましなのです。だからこそ、クーガ将軍からの教皇との橋渡しを取り付けました」
既にリサの顔には、いつも通りになんの感情も映っていない。
だがその瞳には、明らかに燃えるような熱意が輝いている。
「私の目的は、コールに巣食う私欲に溺れる亡者達の駆除です。そのために利用するのは、エティウだろうとあなたがた冒険者だろうと構いません。ただし、あなた方がクルス教を害するものだと判断したら、その時には国が動くまでもなく、私があなた方を処分する。それだけは覚えておいてください」
感情の込められていない表情は、いっそ酷薄な雰囲気を纏う。
ギラついた熱意と冷徹な殺意を込めた瞳だけが僕達を抉る。
「了解した。僕達の目的は、人心の保護。それがクルス教と教皇に害するものでないよう、僕達も約束します」




