第九章)最後の魔王 《「人間」の魔王》
▪️本当の脅威③
「クハハハハ。おい、兄貴。してやられたわ」
重苦しい雰囲気の中、口を開いたのは片腕を失ったブルーガだった。
高威力の魔法により片腕を失い、腹にはメイダルゼーンの魔弾をくらい、誰よりもダメージを受けながらも、誰よりも早く笑ったのだ。
武人とはこういうものだろう。
正々堂々の決闘ならばともかく、命をかけた純然たる戦闘には卑怯も何も無い。
罠も騙し討ちも智謀と策略に他ならない。
命あれば儲けもの。
ただ相手が自分の上を行ったのだと笑い飛ばすのだ。
「ふっ、ブルーガよ。利き腕でなかっただけマシか。まったく、俺に余計な心配などするからだ」
オグゼもまたため息をつきながらニヤリと笑う。
ラケインとの死闘の中、メイダルゼーンの放った魔弾から身を呈して守った弟に対しするならば、ひどい言い草である。
だが、これこそ弟の身を案じるがゆえの憎まれ口であることは、ブルーガも十分に承知している。
「まったく、肝が冷えるとはこのことだね。まさかアンリエッタが出てくるなんて」
思わずその場にへたり込む。
旧四天王、“断罪”のアンリエッタ。
空意地を張って余裕を見せていたが、今の自分たちには荷が重すぎる相手だ。
オグゼ達兄弟を含め、全員で立ち向かったとしても、勝ちの目はなかっただろう。
無論、その事にはアンリエッタも気づいていたはずだ。
つまり、僕達は単純に見逃されて命を繋いだのだ。
「あぁ、災難だったな。で、『魔王』様よぉ。さっきの質問の答えなんだが」
オグゼがどっかりとあぐらをかいて座り込む。
その目には、先程までの猛々しさはない。
だが、より深く、真剣にこちらを伺う真摯さがみてとれた。
「ああ。アンリエッタも言っていたけど、僕は今代の『魔王』では無いようだ。それでも、かつて『魔王』だったことを忘れたわけじゃない」
荒れ狂う大地。
雷の鳴り止まない空。
目の前で散った同胞達。
あの記憶を忘れるわけが無い。
「だが、人間に生を受け、こちら側にも縁が出来た。今の僕には、人間を敵視することなど出来ない」
母さん、ヒゲ。
学園やギルドの仲間。
そして、リリィロッシュ、ラケイン、メイシャ。
皆、今や大切な友人達だ。
「だからこそ、僕は『魔王』であることを止めない。『神』を祓い、世界を救う。魔族の血も、人間の大地も。人間の味方でも魔族の味方でもない。この世界を守りたい。それが、この“反逆者”なんだ」
そう言い放った。
「くくくくく、はーはっははっは。流石だ! 流石は『魔王』様だぜ! いや、今はアロウだったか。おもしれえ、おもしれぇよ」
「あぁ、こいつはいいや。流石は俺らの『魔王』様だぜ」
しばらくの静寂の後、兄弟はまるで風船が破裂するかのように笑い転げる。
「あぁ、そうだ。俺達は、世界を救うために人間と戦ってきたが、そもそも奴らは敵ですらねぇ。敵だ味方だと騒ぐ道理なんぞはなからねぇよな、兄貴」
「おう。どの道あの“断罪”の奴から要らんと言われたんだ。このまま魔王軍に戻る訳にも行くまい。なぁ、アロウよ。俺達をこっちで使う気は無いか?」
オグゼとブルーガが、笑い泣きに潤む目頭を指で擦りながらも、真剣な眼差しで見つめてくる。
ちらりと横を見てみると、ラケインは無言で頷き、メイシャは満面の笑顔で両手をパチンと合わせている。
「そりゃこっちは願ってもない事だけど。いいのか? 別に正面から敵対する気は無いけど、この分だとあっちは間違いなく敵として襲ってくるぞ?」
無論、現魔王軍のことだ。
人間の味方はしないと言いつつ、襲われている人間を見捨てられるわけもない。
魔王軍の侵攻が始まった今、人間の味方かどうかと言うよりは、魔族の敵となったという方が正しいだろう。
「あぁ構わんさ。元々俺たちに魔族としての仲間意識がないのは、あんたが一番知っているだろう?」
「それに俺たちのことだって、あの“断罪”が放っておくわけがねぇ。遅かれ早かれ刺客を送ってくるのは、分かってんだよ」
二人の言い分は正しい。
規律正しい魔族であるアンリエッタが、背信と認定した二人を生かしておくわけがない。
元より、アンリエッタの役目とは、“断罪”の名の通り、罪人の処刑。
だからこそ、オグゼ達は、もはや魔族であって魔族ではなくなったのだ。
「確かにね。それじゃあよろしく頼むよ、オグゼ、ブルーガ」
そう言って、二人の手を握る。
《蒼炎》と《朱風》。
二人の規格外が、“反逆者”に加わることになったのだ。
「ただいま戻りました。『魔王』様」
転移陣から現れたアンリエッタが、その場で跪く。
「おかえり、アンリ。それで、どうだった?」
魔王城、王の広間。
暗く閉ざされた広間に時折稲光が鋭く閃く。
その最奥。
魔王の玉座に彼は座っていた。
「はっ。ご命令通り、“大喰豚”オルクレイ、並びに“暴鬼”メイダルゼーンの処理を完了しました」
『魔王』の問いにアンリエッタが答える。
オルクレイとは、豚魔人系の“王”であり、メイダルゼーン同様、魔王軍の部隊長だ。
『魔王』は、今回の大侵攻に伴い、各部隊には詳細な指示を与えていた。
本来、メイダルゼーンにも大都市への侵攻を命じていたのだ。
だがメイダルゼーンは、その命令を無視し、近郊の村を襲った。
正確には、その大都市への足がかりを名目として、自身に危険が少なく、思うように人間をいたぶることが出来る小村を襲った。
人間の大陸を手に入れるという大望などまるで無視し、自身の欲求を優先させたのだ。
そして、もう一人の対象、オルクレイも同様の性質を持っていた。
いわば今回の指示は、最後のチャンスだったのだ。
アンリエッタには、遠見と瞬間移動の魔法道具を与え、メイダルゼーンとオルクレイにはその受信機を取り付けた。
細かな指示まで与え、それを遂行するならばよし、命令に反し自らの欲を満たすだけの侵攻をするならば処断せよ。
それがアンリエッタに与えられた使命だった。
「いや、そっちの心配は最初からしてないよ。俺が言っているのは、予感の方さ」
だが『魔王』の問いは、それではなかった。
いかに部隊長二人とはいえ、その処断ごときに四天王を、しかも“断罪”を動かす理由がない。
「……はっ。ご慧眼の通り、お耳に入れておきたい人間を確認致しました」
実の所、今代の『魔王』には、ある特殊能力があった。
神の啓示としか説明のつかない、一種の未来予知じみた勘の鋭さがあるのだ。
その勘に基づき、アンリエッタを派遣したのだ。
「へえ、君が人間を見て確認、ね。ということは、殺さなかった、見逃したのか。それは気になるね」
「はっ。“反逆者”という冒険者で、メイダルゼーンを討伐し、あの《蒼炎》共とも互角に打ち合う程の力量のパーティです」
「へえ……」
『魔王』が口元を歪める。
人間の中にも高位の実力者は存在する。
そろそろそういった者達が台頭してくる頃だとは思っていたし、その出現を楽しみにもしていた。
だが、それは予感ではなく予測であり、期待していたほどの情報ではない。
「それは確かに面白いね。だが、君が見逃す程の人間だ。それだけじゃなんだろ?」
だから『魔王』は確信を持って訪ねた。
人間など存在価値もないゴミクズだと言ってはばからないこの“断罪”をして、あえて見逃すほどの人間なのだ。
間違いなく、彼の勘が訴える縁のはずだ。
「それが、そのリーダー、“魔帝のアロウという者。それが言うには、自らが生まれ変わりだというのです。……先代『魔王』、リオハザードの」
「なに!?」
ガタッ。
『魔王』が飛び上がるように立ち上がる。
転生。
稀に聞く前世の記憶持ち。
だが、魔族から人間、それも魔王からの転生など聞いたことも無い。
だが、不思議と納得した。
なるほど。
あいつが復活しているのなら、自分が存在しているのも納得だ。
いや、そうでなくては説明がつかない。
理屈も理論もない。
だが、だからこそこうなのだ、と。
「そうか。やはり『光あるところに影がある』んだな、リオハザード」
その時、雷光が『魔王』の顔を照らす。
幼ささえ残る青年の顔は、憂いと悲壮感を映す。
だが、それもその一瞬だけのこと。
次の瞬間には、むしろ先程までもなかった、好戦的な笑みがそこにあった。
「如何なさいますか? 『魔王』シューライト様」
アンリエッタは、あえてその名を口にする。
その名は、既に呼ぶものがいなくなってから久しい。
アンリエッタがその名を知っているのは、『魔王』自身から聞かされていたからに過ぎない。
それすらも必然だったのだろう。
今、この瞬間に、『魔王』に呼び聞かせるために。
「いや、待つさ。あの時は、俺があいつを待たせたんだ。あいつはきっとここまで来るさ」
『魔王』は、玉座に座り直す。
「さあ来いよ、リオハザード。今度こそお前に勝ち、俺は世界を救うんだ」
元『勇者』、『魔王』シューライトは、二十年前に挑んだかつての好敵手と同じ姿でそう呟いたのだ。




