第九章)最後の魔王 致死の芳香
▪️魔王軍の襲来⑲
「ばかな! 何が起こった!?」
阿修羅が取り乱すのも無理はない。
自らの腕を消し飛ばされたことももちろんそうだが、そんなことよりも不可解なことがある。
つい今しがたまで魔力を使い果たし、まさに死に体の状態であったはずの相手が、魔力を使い宙に浮いているのだ。
「ふふ、何が起きたんでしょう?」
黒桜昇狼に腰掛け、優雅に宙を漂うリリィロッシュからは、つい数秒前までの、魔力が枯渇した様子は見られない。
それどころか、明らかに先程までよりも魔力に満ちているのだ。
「くぅ、叩き落とせ! 単眼鬼!」
阿修羅の悲鳴にも似た叫びに、六体の巨人が動き出す。
人の胴体ほどもの太さを持つ巨槍を振るう。
黒桜昇狼を操り軽やかにそれをかわすが、間髪入れずにほかの巨人が攻撃を繰り出す。
動きが鈍いように見える単眼鬼だが、立派に高位魔族なのである。
その巨槍に炎や氷の魔力を宿し、体勢を崩したリリィロッシュに必殺の一撃を繰り出す。
「とろけなさい」
しかし、リリィロッシュのその一言で、単眼鬼の動きが止まる。
「なぁっ!?」
呆気に取られる阿修羅をよそに、リリィロッシュもまた嘆息を吐く。
「はぁ、さすがに生まれたての能力ではこの程度ですか。……まぁいいでしょう。花弁よ舞い踊れ。火炎系魔法・彼岸花の舞踏」
紅く、大きく、鮮やかに開かれる幾多の花弁。
炎の大輪が咲き誇る。
六つの彼岸花が辺りを朱に染め、花柄たる単眼鬼は、もはや細い炭と化し、屈強であった肉体はもはや見る影もない。
「ばかな……」
阿修羅も、唖然として炎の華に魅入っている。
それはありえない、あってはならない光景だった。
確かに高位の術者ではあっただろうし、高位魔族でもあった。
だが、どう見てもAランク程度の力量だった上に、完全に魔力も枯渇し、瀕死の体だったはずだ。
それが、突然の魔力の回復に加え、明らかに元よりも力が増しているのだ。
Aランクでも高位の単眼鬼を瞬殺する魔力。
それは、最高位のSランクに到達した証拠にほかならない。
確かに、永い修行を積めば力は上がる。
戦士であれば技量も筋力。
魔法使いであれば、知識と魔力。
だが、これは違う。
例え枯渇した魔力が回復したとしても、それは元に戻るだけ。
元よりも強力な力を得ることなど、出来るはずもない。
「何をした、貴様ぁぁっ!」
阿修羅が魔力弾を放つ。
目の前の異常を認めることなど出来ない。
そう言わんばかりの力任せの魔法だった。
ニタリ。
およそ気高くも妖艶なリリィロッシュに似つかわしくない笑みで口元をゆがめる。
助かった。
その安堵が見せた笑みだった。
「ふぅ、荒ぶる貴方の魔力。美味しかったわ」
破壊力だけで術式も何も無い無造作な魔弾。
リリィロッシュは、それを指先だけで絡め取り、まるで上等な水菓子を舐めとるようにして口に入れたのだ。
阿修羅は、顔を青ざめる。
理解した。
理解してしまった。
目の前の女が何をしたのかを。
「貴様、……喰ったのか。俺の魔力を喰ったのか」
「ええ。いただきましたよ?私の固有能力・致死の芳香で」
そう告げたのだ。
リリィロッシュの種族。
淫魔。
親から生まれる“派生種”の魔族であり、本来、高位魔族と言えど、その力はAランク上位に留まる。
しかし、数代前の魔王の時代。
最強の淫魔が生まれたことがある。
その力は、当時の四天王に並び、魔王の寵愛を一身に受けたという。
「致死の芳香、だと?」
「ええ。淫魔とは、他者の精を受けて自らの魔力に変える種族。そしていまの私は、一度身に受けた魔力を支配下に置く芳香を纏っています。精神のみならず、魔力そのものに対する絶対命令権。それが私の固有能力」
それがどれほどに異常なものか。
そもそも、魔力と他者の魔力とは、水と油の関係にある。
余程波長の合うもの同士ならばともかく、基本的に異なる魔力が混ざることは無い。
守護系魔法が他者に効きにくいのと同じである。
それを完全に支配下に置き、我がものとする異常。
既存の法則など塗り替える異能。
正しく固有能力のなせる技である。
そして、それはもうひとつの事柄を指し示す。
「固有能力を持つのは、最高位魔族でも本のひと握り。“王”階級の魔族だけだ。いかに淫魔といえど、そんなものが使えるはずが……」
「ええ。淫魔ならば、ね。でも淫魔は、ある条件の元、自らの殻を破ることが出来るの。例えば、魔力を枯渇させた状態で無理やり他者の魔力を飲みこむ、とかね」
「なっ!?」
そもそも、魔法とは膨らませた風船から空気を抜くことに似る。
外界から取り入れた空気を吐き出すのだ。
だが、魔力が枯渇すると風船は固まり、空気を取りえれられなくなる。
そこへ無理やり空気をねじ込むとどうなるか。
通常は風船は割れ、命に関わる致命傷となる。
だが、淫魔は、そこから先があるのだ。
成功率こそ低いが、殻を割り、新たな風船を得ることがある。
分の悪い賭けではあった。
だが、手札は揃っていたのだ。
枯渇した魔力。
そして、同種ばかりの敵。
強引にねじ込む魔力としては、都合がいい。
さらに、相手は自分のことを舐めてかかり、複雑な術式を使わなかった。
飲み込むに適した、単純な魔力だった。
そして、一番重要な点。
召喚された彼らは、メイダルゼーンの使い魔ではなかった。
主の魔力から作られた使い魔であれば、同じ“王”級であるメイダルゼーンの魔力を従えるなど、困難だった。
だが、彼らはメイダルゼーンを主としながらも、独立した個体として召喚されていたのだ。
ならば、奪える、従えれる。
上位魔族といえど、産まれたばかりの魔族など、固有能力の障害にはなりえなかったのだ。
「今の私は、淫魔ではなく、夢魔王女。かつて魔王の横にあった最強の魔族なの」
リリィロッシュが言い放つ。
進化。
リリィロッシュの変化は、まさしくそれだった。
枯渇した魔力の殻を破り、新たな生を受ける。
かつての“魔族の落ちこぼれ”が、最強の魔族となったのだ。
「くく。ふはははは。まいった。まいったよ。まさか“王”の力を得るとは。これで魔力は互角。しかもこちらの魔力は封じられているときた」
阿修羅が自嘲の笑いをうかべる。
その通りだ。
リリィロッシュの進化は、単なるパワーアップではない。
その本質は、淫魔の能力の延長であり、相手の全ての屈服である。
さすがにSランクの力を持つ阿修羅を相手に、魔力を乗せた言葉だけでの支配は出来ないが、放たれた魔法程度ならばその無力化は容易い。
「だが、我が剣の乱舞まで受けきれると思うな、女ぁっ!」
もはや結果はわかっていただろう。
その表情には、諦めにも似た虚勢があった。
四つ腕から繰り出される魔剣の連撃。
それは本来ならば、逃げることも受け切ることも出来ない、絶望そのもののはずだ。
だが、今の阿修羅は、腕をひとつ失った手負い。
その乱舞には乱れと隙がある。
そして何より、
「産まれたばかりの子供の剣が、魔剣士に届くと思うな!」
落ちこぼれの魔族として、数百年の時を剣の研鑽に費やしてきたのだ。
一瞬の間に繰り出される三連撃。
それを僅かに一刀で打ち払う。
黒桜昇狼にリリィロッシュの魔力が宿る。
致死の芳香の支配によって支配された阿修羅の魔力は、あっという間に霧散し、黒桜昇狼に吸収される。
「消えなさい」
黒桜昇狼に宿った魔力が開放される。
すくい上げるように天へと突き出された剣閃と共に、膨大な魔力が吹き荒れる。
巨大な魔力の奔流により、阿修羅の姿は塵となって掻き消された。




