第九章)最後の魔王 呪詛の雫
▪️魔王軍の襲来⑰
「……貴様、“魔帝”と言ったな。本当に、何者なのだ?」
その言葉には、以前と違う重みがあった。
ありえないほどの魔力、ありえないほどの魔法。
そんなものならば、ありえない程度のことならば、単に想定外というだけのこと。
そんなもの、戦場にはごまんと転がっている。
だが、知るはずのない自分の名前、自分の性格。
そしてただの人間だとは考えられない、尋常ではない戦闘への才覚。
それは、ありえないのでは無く、あってはならない程の異常なのだ。
メイダルゼーンが、傷めた腕を押さえて睨みつける。
その様子には、もはや余裕の欠けらも無い。
尊大で、他者を見下し、自らを強者と疑わない、それまでの姿ではなかった。
「言ったろ? 言っても信じないって。それでも知りたければ、自分で確かめるんだな!」
駆ける。
メイダルゼーンの問いを黙殺する。
先程の一撃は、確かにメイダルゼーンに大きな痛手を負わせた。
だが、それだけだ。
致命傷でもなければ、こちらが優勢になった訳でもない。
言ってみれば、相手の油断に漬け込み、相手の予想を上回る手札と駆け引きで、なんとか一撃を与えたに過ぎない。
そして、奴にもはや油断はないのだ。
唯一の手札である、こちらへの疑念。
それをみすみす手放す訳にはいかないのだから。
「抜かせ! 火炎系魔法・炎熱剣」
メイダルゼーンは、こちらからの返事がないと見るや、舌打ちして炎の剣を取り出す。
剣に火を宿す守護系魔法ではない、魔法そのものを武器と化す高等魔法だ。
二対四本の炎熱剣。
豪つ、と一閃。
紅い軌跡が空を割く。
風の魔力で強化させた脚力で、瞬間的に爆心地を離脱する。
爆心地。
そう表現するに足る程に、つい数瞬前まで立っていた場所は、弾け、抉れ、溶解していた。
「がぁぁぁっ!」
紅の軌跡が右から左からと無数に入り乱れる。
その全てを駆け回り大きく回避する。
剣の腕には自信がある。
無論、一流の戦士であるラケインには及ぶべくもないが、彼と打ち合うことが出来るレベルにはあるのだ。
いかに凶悪な威力を持つといえど、本来ならばギリギリで身をかわし、メイダルゼーンの懐に潜り込んで一撃を放つ。
それが最善手。
だが、今この場ではそうはいかない。
メイダルゼーンの炎熱剣は、その威力のみならず、炎の魔力そのものであるが故に、恐ろしいほどの高熱を帯びているのだ。
術者本人であり、また最高位の魔族でもあるメイダルゼーンはともかく、人間の身では、ギリギリでかわす、それだけでも大ダメージを受けてしまう。
それだけで戦闘不能にはならないだろうが、次の瞬間に八つ裂きにされるだろうことは目に見えている。
「えぇい、ちょこまかと。……ちぃっ」
メイダルゼーンが剣を引き距離をとる。
紅蓮の連撃を止めてまで身を引いた理由。
それは、僕の右手に宿る、暗黒のモヤだった。
これが圧倒的に格上であるメイダルゼーンと渡り合う為の唯一の武器。
実際には、魔法として術式さえ固定させていない、暗黒の魔力に過ぎない。
例え触れたとしても対したダメージにはならないし、メイダルゼーンの炎熱剣を防ぐことなど到底叶わない、ただのモヤ。
それでも、先程見せた虚無系魔法を思い起こさせるには、充分過ぎる程の効果を持つ。
虚無系魔法とは、それほどまでに凶悪な力なのだ。
「死ね、死ねえい! 人間が! 人間ごときが、この暴鬼に勝てるとでも思っているのかぁっ!」
魔力の込められたメイダルゼーンの咆哮。
それは、拘束の効果すら持たされた圧倒的上位者からの威圧。
ただの叫び声ですら、魔力抵抗のない者ならば、心臓の動きすら拘束され、それだけで絶命しかねない。
それでも、
「うるっさいよ、ばーか」
炎槍の魔法を放ち、牽制しつつも動きを止めない。
逆にメイダルゼーンの方が、取るに足らないはずの下級魔法に足止めされ、動きを乱す。
つまるところ、経験が足りないのだ。
魔王軍の中でも有数の戦力を持つメイダルゼーン。
だが、危険をさけ、召喚した配下に戦わせてきた奴には、圧倒的に戦闘経験が不足している。
先程の炎球にしろ、炎熱剣にしろ、冷静にからめ手を入れて使われれば、あっという間に勝負は着いただろう。
また、剣の腕にも拙い。
いくら凶悪な攻撃力を持つ炎熱剣も、ただ振り回すだけでは当たりようもない。
そこに、虚無系魔法の影をちらつかせてやれば、逃げるだけの千日手と言えど、渡り合うことは可能だ。
「小細工をぉぉっ! 死ね! 今すぐ死ね! 天より誘う黒き雫、地より這い出る闇の嘆き」
しかし、それを許すメイダルゼーンでも無い。
激昂するメイダルゼーンが、片方の両腕を天に掲げると、漆黒の液体としか表現のできない闇が空中に現れる。
ふよふよと浮かぶそれは、次第に大きさを増していき、緩やかに回転し、ついには小さな小屋ほどの大きさの黒球となった。
ビタリ。
突如、足の動きが止まる。
宙に浮かぶ黒球に気を取られているうちに、いつの間にか地面も漆黒に塗りつぶされ、闇の影が足元を塗り固めていた。
「ぐははは。ようやくこれで詰みだわ、魔帝。これは、俺の最大の魔法、怨嗟の嘆き。逃げ足の早い貴様も病魔の闇に脚を絡められては、もはや脱出も迎撃も出来んぞ」
メイダルゼーンが勝ち誇る。
その通りだ。
足元を覆う闇は、呪詛の塊。
脚を捕え、動きを封じるだけでなく、高熱、目眩、悪寒の呪詛を携え、対象の体力や判断力までも奪う。
そして、宙に浮かぶ黒球が破裂した時、致死の呪詛を込めた雫が、滝のように降り注ぐのだ。
「手こずらせおって。呪詛の熱にうかされては、もはや虚無系魔法など使えまい。……ぐふふ、もう貴様が何者かなど知らんわ。さぁ、……死ねい! 暗黒系魔法・怨嗟の嘆きっ!」




