第九章)最後の魔王 百鬼夜行
▪️魔王軍の襲来⑬
「ぐふははは。おい、まさか貴様、この軍勢を女ひとりに押し付ける気か。目の前の現実が見えておらんようだな」
メイダルゼーンが愉快げに笑う。
その様子からは、もはや自分が戦うだろう姿を想像もしていないと見える。
Aランクまでもを含む二百体以上の魔族の軍団だ。
普通ならば、勝負はついている。
そして、普通ならば命乞いを始めるか、二人で共闘して立ち向かうかという所だ。
だが生憎、こっちはそんな普通ではないのだ。
「そうだね。面倒な雑魚の相手を押し付けてお前を片付けるんだ。彼女には悪いと思うよ」
「いえ、アロウ。こちらは気にせずに。鬼共といえど、処刑の相手には事欠きませんから」
そううそぶくリリィロッシュを残し、立ちはだかる鬼たちの横へとずれる。
鬼たちが進路を防ごうと反応するが、リリィロッシュが魔力でそれを牽制する。
「さて、頼りの手下共も忙しいようだ。そろそろ始めようぜ、鬼の王よ」
「くくっ、まぁいい。確かにあれは奥の手ではあるが、まさか呼び出した鬼共より俺の方が弱いなどとは思わんよな?」
戯言もここまで。
そして、剣戟の音が弾ける。
「さて、アロウの手前、いい格好をしましたが……」
鬼兵の軍団を前に、悠然と佇むリリィロッシュだったが、実のところ、そのセリフに反してさほど余裕があるわけではなかった。
それが証拠に、笑みすら浮かべるその表情とは裏腹に、剣杖・黒桜昇狼を握る手の内は、じっとりと汗ばんでいた。
《蒼炎》と《朱風》の二人のことは知っている。
というより、魔王軍に籍を置く者ならば、知らぬほうがおかしい。
かの牛巨神が相手となると、ラケイン達では荷が重いかもしれない。
だからこそ、この鬼達をアロウと二人で相手取る訳には行かなかった。
そうすれば、手の空いたメイダルゼーンがあちらへ加勢しに行くだろうことは目に見えている。
それぞれに手一杯。
そこに援軍などあれば、もはや手の打ちようはない。
ならばこそ、ここでこの鬼達を足止めし、メイダルゼーンは、アロウに任せるしか無かったのだ。
「ふははは。女ぁ、この数の魔族を相手にその態度をとるだけでも褒めてやるよ。だが、喚ばれたばかりで俺らも腹が減っていてなぁ」
人喰鬼の一人が舌舐めずりする。
思わず総毛立つ。
単純な魔力量だけで言えば、この人喰鬼一人ですら、リリィロッシュと同格の力の持ち主なのだ。
それが三人。
その上、更に上位の魔族である単眼鬼や阿修羅まで控えている。
正直なところ、勝ち目があるとは思えないのだ。
「まったく。王様もお人が悪い。我らをこれ程に喚んでおいて、餌がたったの二人とはな」
「いや、多少の在庫はあるようだが、いずれにしろ、全くもって足りておらんわ」
「おい、人間の娘よ。とっとと死ぬか、仲間を連れてくるかせんか」
そう口々に悪態をつく鬼共だったが、逆にその罵声が、リリィロッシュにある決意をさせる。
「人間の娘、ね」
リリィロッシュは、苦笑する。
確かに、人間に見えるように擬態し、蝙蝠の様な翼も、触手のようにしなる尻尾も隠しているとはいえ、本来の彼女は、高位の魔族、淫魔なのだ。
アロウと出会い、十年以上も人間として過ごしてきたとはいえ、本来の彼女は、人間に対して否定的である。
“反逆者”のメンバーやあの獣人姉妹と関わり、多少その考えも和らいだのだが、彼女にとって人間とは仇敵であるはずなのだ。
それがいまや、こうして人間を守り、魔族と敵対する立ち位置にいる。
その事に違和感を感じていたのだが、彼らの罵声でその迷いも消え失せたのだ。
「ふっ、それもまぁいいでしょう。元より人間に与するつもりもありませんでしたが、今この時のみ、人間として魔族を討ちましょう!」
そう言って、黒桜昇狼を構え駆け出した。
「烈風系魔法・嵐龍牙!」
リリィロッシュが放ったのは、横向きの竜巻から成る龍の顎。
凄まじい速度で突進しながらも自在に動く暴風の龍は、巨大な鎌首をもたげ、鬼の群れへと食いついた。
「ほう、『同時詠唱』持ちか。少しは楽しませてくれるか?」
そう言ったのは、先程舌舐めずりした人喰鬼だ。
アロウやリリィロッシュが当たり前のように使う、魔法と戦闘の二重行動、同時詠唱だが、これを使える人間は多くはない。
魔法使いの役割とは、つまるところ生きた大砲であり、当たれば決まる、当たらなくても仕方がない、と言った所なのだ。
すなわち、同時詠唱を使える時点で、リリィロッシュが第一線級の能力を持っていることはしれたはずだ。
だが、鬼達にそれで動揺する様子はない。
確かにリリィロッシュの魔法は、彼らに直撃した。
だが、それで削れたのは、小鬼が数匹、血溜まりに変わっただけだ。
あるものは目の前の小鬼を盾に、あるものは自前の魔法で防ぎ、最後列の大型の連中など、身動ぎすらしていないのだ。
これが鬼族の恐ろしさである。
Fランクとされる粘魔を除き、最下級の魔物とされる小鬼を擁するだけに、人間は鬼の種族を格下に見る。
単眼鬼などの大型種を前にしても、でかいだけの愚図と言って憚らない。
だが、真実は異なる。
一般に魔族は、高位で強力なものほど人間に近い姿を持つ。
人間達が知らぬこととはいえ、角や体躯こそ違え、殆ど人間と同じ姿を持つ彼らが、弱いはずもないのだ。
大柄で強靭な肉体。
狡猾で慎重な性格。
そして、魔法を自在に操る知能と、膨大な魔力。
鬼とは、魔族で最も数多く、最も凶悪な戦闘種族なのだ。
「さて、先手は終わりだな。それじゃあ、間違っても小鬼共如きに喰われるなよ? 貴様は俺が喰らってやるからな」
人喰鬼の合図をもって、小鬼たちが吠える。
数百という爪牙が、リリィロッシュを一斉に襲うのだった。




