第九章)最後の魔王 魔王軍、進軍
▪️破滅の序章⑤
それから数日後、西側の大地に激震が走る。
西国、南国の両国に、大量の魔族が現れたのだ。
あまりにも突然の襲撃に、各地域では、多くの犠牲者と被害を出すことになる。
それは、いくつかの不幸と判断の誤りが生じさせた悲劇だった。
まず、東国の崩壊。
四大国として、千年以上の永きに渡り、人類繁栄の基盤を作ってきた大国が、わずか半年の間に断絶した。
たとえ悪政が敷かれていたのだとしても、それに不満に思うのは、その地の民だけである。
曲がりなりにも大国。
経済の面でも、治安維持の面でも、また文化的な面においても、大国の崩壊の余波は、少なからず世界中の国々に影響をもたらしていた。
そこへ先日の怪異、西国南端のエニウス王国の異変。
それがあまりにも不可思議で、にわかに信じ難い有様であった為、エティウ上層部が情報を封じたのだ。
本来、隣接する南国とは、その勢力をしのぎ削る間柄である。
東国の異変により、緊張状態にある中で、大砂洋を挟むとはいえ、勢力圏の境にあるエニウスの消滅など、表沙汰にできるはずもなかった。
そして、時期である。
これまで、前魔王の討伐から最短でも六十年、長い時には二百年近くものあいだ、次の魔王が現れることは無かった。
だからこそ、各国は小魔王の発生に戸惑いつつも、その対応に専念することが出来ていたのだ。
そして、現在は魔王討伐から二十余年。
それは、短いようで長い。
若い世代は、魔王の存在を知らず、往年の世代は、その存在を忘れかけていた。
だが、時は訪れた。
魔族襲来。
それは、小魔王の散発により疲弊していた人間の世界にさらなる試練が訪れたということである。
各地に現れた小魔王は、それ自身の強さはさておき、勢力としては小さく、また、進んで人間を襲おうとするものは希であり、頭が痛い問題であったとはいえ、それでもまだ、人類が共闘して排除すべきものという認識はなかった。
あくまでもその地域の問題であり、これまでに類を見ないほどの強力な地方の主が現れたという認識だったのだ。
だがここに来て、本物が現れた。
わずか二十年ほど前に封じられた魔王城が魔力の高まりを見せ、膨大な数の魔族が解き放たれた。
圧倒的な魔力を持つ高位魔族を始め、凶暴な魔獣、太古の技術が用いられた兵器が続々と大砂洋を突き進む。
そして、小魔王の勢力との大きな違い。
それは、人間に対する絶対なる悪意。
魔族たちは、人の村を、町を、国を次々と襲い、攻め滅ぼしていく。
「全ての魔族の為に! 魔族の平和の為に!」
魔族の兵達は、口々にそう叫ぶ。
人間達は、魔族を恐るあまり、彼らの言葉を聞こうともしない。
人々は立ち上がり、口々にこう叫ぶ。
「全ての人類の為に! 人類の平和の為に!」
世は、終末の様相を呈する。
「『魔王』様。各地への進軍は順調。既に二十八の町を落とし、簡易拠点の建設に入っております」
魔界の王城、魔王城の一角、魔界の大地を見渡せるテラスで、鎧武者が傅く。
悪鬼の面を模した兜に覆われ、幾分くぐもってはいるが、その声は凛と響き、声色からその騎士が女性であるとわかる。
怨念が取り付いたように苦悶の表情を象る全身鎧は、受けた返り血がこびりついたかのような鈍い黒色に染まり、その背に背負う大剣は、飛ばした首から吹き出す鮮血のごとく紅く脈動している。
禍々しい気配を発する漆黒の騎士の名は、アンリエッタ=セイムソン。
“断罪”の字名を持つ元四天王の一人である。
「ああ、ありがとう。アンリ」
そう言うのは彼女の主。
種族という概念が薄く、個体差が大きい魔族ではあるが、女性であるはずの彼女よりも一回り小柄な青年。
彼こそ今代の『魔王』である。
一見すれば、穏やかで物腰は柔らかく、どこにでもいそうな青年である。
半牛半人であったり、触手や翼があったり、見上げるほどの巨躯や、はたまた霊体のものなど、一概に魔族と一括りにする事は難しいが、共通して言えることは、高位の存在ほど人に近しい姿をしていることだ。
それこそが、荒れ狂う濃密な魔力に変質させられる前、彼らがこの地に生きるただの人間であった名残なのだが、それにしてもこの『魔王』の姿は、ほとんど人間と同じと言っていい。
ただ唯一違うのは、紫紺色の怪しい燐光を放つその眼光のみだ。
「ただ、そろそろ勘のいいやつが現れてもいい頃だ。前線部隊の連中には、無理に攻めずに危険を察知したら情報を持ち帰ることを最優先にと伝えといて」
およそ魔族らしからぬ指示ではある。
魔族であれば、人間の駆逐、人間の大陸の奪取は至上命題。
勝利は前提であり、ただ愚直に戦力を投入し、戦線を押していく。
それが魔族の戦い方だ。
元より、人間とは比べ物にならない力を持つ魔族が、人間に対して慎重になる必要が無い。
例え過去数千年もの間、敗退した歴史があったとしても、それでも魔族と人間の間には、隔絶した能力差があるのだ。
だからこそ、過去の『魔王』達は、人間よりも寡勢にも関わらず、悪手とも言える戦力の逐次投入という戦法をとってきたのだ。
もっとも、それしかできなかったという理由もある。
それが、ここ魔王城の存在だ。
「かしこまりました。それでは、転移門の準備が出来次第、伝令を送ります」
アンリエッタは、そう言って立ち去る。
魔王城。
それは、魔界の大地と人間の大地を結ぶ転移装置だ。
魔界における王城である魔王城。
そして、人間の大陸の西端にそびえる、侵攻拠点としての魔王城。
このふたつは、事実同じものである。
魔界の濃密な魔力を動力として、空間を繋げ、二重存在として人間の大地に顕現させている。
その使用には、膨大な魔力量を誇る魔王のみが、その転移門を開くことが出来る。
つまり、一度に人間の世界に送れる魔族の数が少なく、組織だった軍団の運用が困難なのだ。
仮に、戦力を集め一気にどこかの国を攻めたとする。
その戦場は、草木一本すら残さぬほどに焼き尽くすことも可能だろう。
だが、人間の数は膨大だ。
一方だけを攻めれば、魔界との連結点である魔王城を失うことになりかねない。
だからこそ、魔族は、広い人間の世界に個別で侵攻する必要があったのだ。
だが、今代の『魔王』は違った。
小魔王の台頭に目をつけ、これまでのように一気に人間界へ攻めいることをせず、密かに、そして確実に人間の世界に魔族を送り込んでいった。
決して先走って行動せず、人間に見つかった時には、小魔王の手下を装い、密やかに強大な戦力を確保したのだ。
それは、後先を考えず、目先の勝利を積み重ねるようにしたこれまでの魔族の戦い方とは全く違う、先を見据えた、長期的な戦略からの作戦だった。
「さあ、ここらからが正念場だな。人間達にも恐るべき英雄は多くいる。だけど、負けない。負けるわけには行かない。今度こそ、世界を救うんだ!」
『魔王』は、暗雲の立ちこめる魔界の空を睨み、己に言い聞かせるようにして呟いた。




