第九章)最後の魔王 その決断
▪️破滅の序章④
「魔眼の王……だと?」
リュオさんが僕の言葉を繰り返す。
それは、人間の世界にも名を知られた悪夢のような魔族の名だ。
曰く、邪眼の主。
曰く、死の使い。
曰く、恐怖であり安息。
かつて、人がまだ国としてまとまり始めたばかりの事。
その邪眼は、一瞬で数千の人の命を奪ったとも言われ、幾千年を経て尚、最凶最悪と名高い魔族だ。
しかし、数千年もの昔の事。
それは、過度に脚色された伝承だとされてきたのだ。
「おいおい。魔眼の王なんておとぎ話の代物だろ? エティウ、いや、世界中で使われてる子供を脅かすための方便みたいなもんじゃないのか?」
リュオさんの声が奥の方で震える。
悪い子はバロールが攫いに来るぞ。
子供はそう言われて育ったものだ。
その魔眼の王が実在する。
それがどれほどの脅威なのか。
その危機感に肌を泡立たせているのだ。
「ええ。魔眼の王は、単体の魔族ではなく、三千年ほどに実在した魔族の兵器です。僕もアロウとしては両親に聞かされてきましたからその話は知っていますが、あれは魔族の作った兵器なんです」
遠い昔に存在した魔族ではなく、今なお稼働する凶悪な兵器。
その点を除けば、人間に伝えられる伝承は正しい。
あまりにも途方も無さすぎて、おとぎ話と信じ込む程に凶悪な伝承がだ。
「魔王に準じるほどの高位魔族や魔獣を千も融合させ、当時の『魔王』が、自らの名を与えてまで作ったものです。ですが、あれは魔族の大陸、こちらで言う魔界に封印されていたはず。こちらで暴れる小魔王の扱えるものでは無いんです」
数多の魔王級の魔族を生贄に、古代文明の遺物まで組み込み作り上げた醜悪な魔神。
魔眼の王の危険性などいくら話しても話し足りない。
だがそれよりも、更に最悪の事態が迫っていることをリュオさんに、いや、この世界最強の将軍に伝えなくてはならない。
「いいですか、リュオさん。魔眼の王は、確かに強力な兵器ですが、その強力さ故にそう容易く使えるものではありません。だから、それよりも先に備えなくてはいけないことがあります。魔界にあるはずの兵器が用いられた。それの意味するところ、分かりますね?」
「……つまり、それを操っているヤツら。魔界の魔族、本物の魔王軍がやって来るってことか」
前魔王、つまり僕が『勇者』に敗れたのは21年前。
リュオさんも当時の魔王軍を知らない世代だ。
だが、それでもその危険性は伝わったらしい。
神の手先となっている小魔王も、力の上では魔王に匹敵するだろう。
だが、魔界の魔族たちは、根本的に違うのだ。
人間に対して明確な悪意を持ち、明確な目的を抱き、明確な誇りを掲げる彼らは、単純な戦闘能力に置き換えられない強さを持っているからだ。
冒険者も困難な依頼の時には協力し合い、ひとつの依頼を成し遂げることもある。
だが、人数の上ではともかく、それではただの烏合の衆なのだ。
冒険者でもあり軍人でもあるリュオさんならば、集団と軍との違いが身に染みてわかっていることだろう。
「アロウ、情報をすまん。俺はこれから軍を編成し、魔王軍の襲来に備える。……だが、その前にどうしても聞かなきゃならんことがある」
普段以上に表情を引き締め、凶暴な瞳を爛々と輝かせる獣がそこにはいた。
リュオさんは、既に、人類の守護者として、最強の武人としてそこにいる。
ならば、問われる内容は分かっている。
「言ってください、リュオさん。何を言いたいのかは察しがついています。でも、あなたの口から直に聞きたい。それを聞けば、僕も、自分の決意を固めることが出来る気がする」
実のところ、未だ迷いがある。
自分の中での境界を決めかねている。
21年前に『勇者』に敗れ、二十年をこの身体で過ごしてきた。
母さん。
ヒゲ。
ラケインにメイシャ。
エレナ先生、ダンテ、メイサン、マーマレード。
ルコラさん、メイン、ペルシ。
知己を得た多くの人達。
もはや、彼らとの縁を捨て去ることなど考えられない。
だが、同様に『魔王』であった時の記憶も確かに存在している。
荒れ狂う空。
地獄のような大地。
嘆く民。
四天王や魔王軍と共に抱いた、平和への夢。
それもまた、重く心にのしかかる。
「……わかった。ならば答えろ、アロウ。お前は、どっちにつく?」
それは、人類の守護者としての問い。
小魔王が台頭し、今また旧魔王軍が動き出した。
そしてさらに、前『魔王』がここにいる。
この問いの答え如何で、僕の存在がなんなのかが決まる。
一度、目を閉じる。
まぶたの裏に、様々な顔がよぎる。
そして、静かに目を開き、水晶に映るリュオさんの顔を正面から見つめる。
「リュオさん。今、この場で宣言します。僕は、僕です。それ以上でもそれ以下でもない。僕は『魔王』であり人間です。どう考えても、それ以外の答えが出ない。だから、魔族との戦争には協力は出来ません。もちろん、降りかかる火の粉は払うし知り合いを守ることは厭いませんが、僕は魔族とも人間とも争いたくはありません」
どっちも選ばない。
正しくは、選ばないということを選んだ。
『魔王』であったことも、人間であることも真実ならば、どちらかを選べるはずもないのだ。
「わかった。正直、お前達が敵に回らんだけでも充分にありがたい。人間達のお守りは俺に任せとけ。だから、お前達は、神様とやらを何とかして、魔族のヤツらをさっさと止めてくれ」
そういうと、リュオさんは一瞬だけニヤリと笑い、通信を切った。
どっ、と疲れた。
体調が悪かったこともあるが、久しくないほどに緊張していたのだ。
と同時に、胸の中のつかえが溶けていくのを感じる。
アロウ=デアクリフとして生を受けて二十年。
『魔王』である記憶と人間である現在に揺り動かされ続けていたが、今日、ハッキリと口にすることが出来た。
僕は、僕だ。
傍らで穏やかに微笑むリリィロッシュを優しく見つめる。
「リリィロッシュ、聞いた通りだ。僕は、魔族と争わない。勿論、降りかかる火の粉は打ち払うけど、僕は、『魔王』であった自分も忘れることは出来ないよ」
それを聞き、リリィロッシュもまた優しく見つめ返し、僕の手を取る。
「えぇ、分かっていました。アロウ、あなたの思うままに。私は伴侶である前に、あなたの騎士なのですから」
僕達は、互いの手を取り、しばらくの間見つめ合い続けていた。




