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追憶の項 始まりの日

■勇ましき者


「ライト、朝ご飯よー」

「はーい」

 ライトと呼ばれた少年が、裏庭から食堂へと駆け込んでくる。

この名もなき村の朝は早い。

日が昇るかどうかという頃から、子供は庭の掃除や水汲み、親は炊事に狩りに農作業にと大忙しだ。


 シューライト=セタニアは、コール聖教国の司祭の家に生まれた少年だった。

冬の寒さは厳しいものの、豊かな自然と優しい両親。

そしてクルス教の教えにより豊かな暮らしをしていた。

この、10歳の誕生日までは。




「それでは本日の祈りを終わります。神の下の兄弟に」

「神の下の兄弟に」

 朝のミサを終え、村人達がそれぞれの家へと帰っていく。

クルス教の総本山であるコール聖教国では、平等と博愛を最も重要視し、個人での財産所有を認めていない。

実際には、王国でいう貴族や村長などにあたる司祭が権力を持っているが、建前上ではあくまで村の代表という位置づけから逸することはない。


 村で採れた農作物は、司祭の下で皆に平等に配られる。

全く同じものが同量配布されるという訳ではなく、それぞれの家が求めるものを取りまとめ、過不足がないように取り計らうことが司祭の勤めである。

だからこそ、午前中の家業は早朝に済ませ、朝食の後は村人総出で祈りのミサを行い、司祭は村人の要望を取りまとめる。


 近隣の村とのやり取りや、雑貨などを買うために行商とのやり取りもあるので、貨幣は無論流通しているものの、村外との交流はさほど多くはなく、村という小さな世界だけで生活が完結する、昔からの暮らしを変わらずに続けていた。




「ライト。こっちへ来なさい」

「はい、司祭さま」

 ライトが答える。

教会の中で法衣を着ている父を、努めて司祭さまと呼ぶことにしていた。

司祭は皆の父でなければならない。

誰か(・・)の父であってはならない。

そう教えられてきたからだ。


「ライト。こちらは聖都の本部から見えた神官殿だ。今日はお前に大切な話がある」

 父が紹介した神官は、たいそうに歳をとっていて、背も曲がり顔中に深い皺が刻まれているた。

しかし、一番気になったのは、その深い皺と見間違うばかりに細い目だ。

こちらが見えているのかも怪しいほどに細められた目は、一見、にこやかに笑っているようにも見える。

だが、ライトは気付いた。

その細い切れ目の奥に潜む、こちらを値踏みするような剣呑な瞳が覗いていることを。


「おぉ、『北の地』にそびえし『凍てつきし山の麓』、『古の暮らしをおくる村』の『十の年になる少年』よ。そなたこそ、神によって選ばれし者。さあ、『勇者』よ。聖都へと参りましょうぞ」

 老いた神官は、(うやうや)しくライトの手を取り、強く握りしめる。

ライトは困惑し、父に助けを求める視線を送る。

だが、そこに居たのは、父としてではなく司祭としての顔をした男だった。


「ライト。ご神託が降りたそうだ。今日からお前が『勇者』だ」

 父である前に司祭。

その司祭から、『勇者』だと告げられたとき、ライトの中で何かが変わる。


「『勇者』よ。よくぞ我が村においで(・・・)下さりました」

 司祭は、ライトに、否、『勇者』にそう呼びかける。

自身のその言葉に、なんの疑問もない。

ライトは、もとよりこの村で生まれ、この村で育った。

ただの言葉のあやにしても、その言葉の選択には違和感がある。


「とう……、司祭さま、ありがとうございます」

 だが、ライト自身、その違和感を感じ無くなっていた。

今この世界から、シューライトという少年の存在が、急速に失われつつある。

そして、この地に『勇者』という存在が芽吹いたのだ。


 ライトはその日、十年もの間慣れ親しんだ、自分の部屋へ訪れる(・・・)ことにした。

いつも使っている食器。

いつも使っている水桶。

いつも使っているベッド。

その全てが十年間慣れしたしんだものばかりだ。


 だが、本当にそうだったのだろうか。

食器はこんなに分厚くいびつな形をしていただろうか。

水桶はこんな大きさをしていただろうか。

ベッドはこんなにも固かっただろうか。

ライトは、その自分の部屋に、居心地の悪さを感じずにはいられなかった。


 その夜、遅く。

司祭がライトの部屋を訪れる。

古い生活の中では、深夜の訪問などありえることではなかった。


「『勇者』様。よろしいですか?」

「ええ」

 部屋の戸を開けると、そこには()がいた。


「恐らく、これが最後となるでしょう」

 なにが、とは言わなかった。

だが、ライトにはわかった。

これが、()との最後の別れになることを。

父は、ギュッとライトを抱きしめる。

「いつでも帰ってこい。……例え、お前が『勇者』で、私が司祭(・・)だとしても」

「はい、父さん」


 次の朝。

家の外では、昨日の神官が馬車で待っていた。


「『勇者』様。どうかお気をつけて」

「はい、司祭(・・)様」


 これは、この地で幾度も繰り返された物語。

物語は、この日から始まり、そして同じ週末を迎える。

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