第八章)混迷の世界へ 四天王、そして
ようやくこの章が終わりました。
▪️キュメール共同国⑰
「うわぁぁぁん! フラウ様ぁぁぁ!」
《花咥える水蛇》亭にウォルティシアの泣き声が響き渡る。
「わかった、わかったスから」
人間とは、思いもよらぬ人物が取り乱した時ほど冷静になるものらしい。
先程まで泣きじゃくっていたメインが、すっかりとシラフに戻ってウォルティシアをあやしている。
実年齢にして数万歳。
見た目の年齢ですらメンバーの中では一番の大人であるウォルティシア。
あの、魔王軍の元四天王であり、かつては神と同列にいたとされるウォルティシアの、まさかこんな姿を見る日が来るとは、誰もが夢にも思わなかった。
必死にウォルティシアをあやすメインを横目に、エアロネとペルシは、その顔を引き攣らせている。
「ウォルティシア様って……」
「そっちの人だったんだね……」
「だって、フラウ様は、私に勝った初めての人間だったのよ」
ひとしきり泣き終えたウォルティシアは、今度は酒を片手にしんみりと語りだした。
カラン、と、その手の内にあるグラスから氷が傾く音が響き渡る。
その姿には哀愁が漂い、彼女の美貌も手伝い、女性であるペルシですらドキリとする怪しさを醸し出している。
ただし、その傍らにある数十本の空き瓶がなければ、だ。
「私は誰にも負けなかった。あのリオハザードですら、私の前に膝をついた。それが、幸運と策略があったとはいえ、魔人化していたとはいえ、ただの人間に私は負けたわ。その瞬間、私はフラウ様の虜となったの」
魔族ですらごく一部のものしか知らされていない極秘事項がさらりと語られる。
実は、『魔王』リオハザードは、“堕天”ウォルティシアに敗れている。
元々、調停の女神であったウォルティシアである。
争いごとを好まず、魔王軍への参入を拒んだのだ。
実のところ、リオハザード、当時のアロウ以前の魔王も、度々ウォルティシアを勧誘している。
打倒『神』を目標とする魔王たちにとって、元神であるウォルティシアの力は、必要不可欠だった。
だが、その尽くを断り、力ずくで参加に加えようとする魔王を全て返り討ちにしてきたのだ。
リオハザードに説き伏せられ、争いを防ぐための争いに身を投じ、魔王軍に加入したが、それまでのウォルティシアは、正しく無敗であったのだ。
「あの冷めた瞳。その深奥で静かに、だけどとても強く燃える炎。傷だらけになって、血まみれになってもなお気高い魔力。あの時のフラウ様は、神よりも美しかったわ」
グラスを傾け、一人語りを続けるウォルティシアだったが、その横にいる三人は、全力で引いている。
「で、でも、フラウさんて女性じゃないですか。見た目だけなら私より子供だし」
「それがなに? 見た目こそ女の私だけど、同種が存在しない“原種”魔族にとって、性別にどれほどの意味があるというの。それがなに、ぽっと出のあの魔王。結局、勇者に負けたくせして。フラウ様も、口を開けばリオハザード、リオハザードと。ノガルドの政情も不安定なようだし、こうなったらいっそ……」
「ち、ちょっと! ウォルティシアさん!」
ウォルティシアの妄想が危険な方向へ行きだしたのを察して、ペルシが声を荒らげる。
このままでは、姉と自分の想い人に危険が及ぶ所だ。
「私たちの前で言っていい事と悪いことがありますよ!」
「やだ、冗談じゃない」
「いやぁ、ウォルティシアさんの場合、シャレにならないっス」
そんなことを言って四人でじゃれあっていると、カランと入口の鐘が客の訪れを知らせる。
「ちょっと、入口の看板見たでしょ。今日の営業は終わった……わ……」
「いやぁ、悪いね。看板は見えたが、懐かしい気配を感じてな」
無作法な客に毒づこうとしたウォルティシアだったが、訪れた客の顔を見て言葉を止めた。
「ふん。女の園に誰が来たかと思えば。むさくるしい『戦士』と引きこもりのじじいじゃない。少しは会話ができるようになったの、“魔剣”?」
「ふむ。孤独にての研鑽も悪くは無いが、俗世での見聞も悪くないと思ったところだ、“堕天”」
入口に立つ二人組。
それは、かつての勇者パーティ『戦士』ラゼルと、元四天王の一人である“魔剣”レイドロスであった。
「ふーん、エアロネを負かしたあの坊やのねぇ。昔の貴方からは想像も出来なかったわ」
「ふむ。最初は、絆の力とやらを学ぶためだったがな。今や息子と呼ぶことになんの躊躇いもない」
グラスを傾け合う二人を、四人は少し離れた席から見つめる。
「あ、あの。あのおじいさんがラケインさんのお義父さんなんですか?」
「ああ。元四天王の一人だがな。ラケインの育ての親だ」
尋ねるエアロネにラゼルは苦笑する。
聞けば、この少女は、噂に聞く小魔王となったフラウが生み出した使い魔の一人らしい。
そして他のふたりも、フラウの下で修行をする冒険者だとか。
レイドロスに負けず孤独を愛したかつての仲間が、丸くなったものだ。
「なるほどね。お尋ね者の『戦士』と一緒に山篭りしていたとはね。そう言えば、他の二人がどうしているのか、貴方知ってる?」
「ふむ、貴様が知らんものを儂が知るはずもなかろう。だが、あやつらほどの豪の者だ。あの決戦の後にも生き延びているのは間違いなかろう」
「私はともかく、貴方も含めて四天王が生きていることの方が驚きだけど、まぁ言われてみればそんな気もするわね」
“堕天”と“魔剣”の会話は夜更けまで続く。
──一方、その頃。
とある古城の深奥で、いかにも恐ろしげな人影が、薄明かりの中で揺らめいていた。
「ご用意が整いました。『魔王』様」
「ああ、君に雑用なんて頼んで悪かったね。さぁ、そろそろこの茶番を終わらせようか。例のものを始動させてくれ。それを合図にまずは西にうってでる。行くよ、“断罪”、“龍王”」
「はっ! 『魔王』様の御心のままに」
全部で108柱あるとされる小魔王。
その最後の一人がようやく動き始めたことを、まだ誰も知らなかった。




