第八章)混迷の世界へ 敗戦そして廃位
▪️キュメール共同国⑭
ノガルド北部戦争、北の奇跡。
後にそう呼ばれる内戦は、こうして、わずか四十分の一という戦力にも関わらず、ドレーシュ王国の勝利で終わった。
歴史家が語るには、これで十分かもしれないが、現実にはそう簡単に終わらない。
歴史的な勝利のうらには、歴史的な敗北があるのが道理だ。
仮にも四大王国の一つである、エウル王国が大敗したのだ。
それも、庇護の対象である属国に、圧倒的戦力差にも関わらず完敗したのだ。
無論、その影に元Sランク冒険者である“反逆者”、もとい“蒼龍の角”の活躍があったことは、周知の事実である。
それでも、これまでの悪評がたたり、エウルに盟主たる資格などないのではないか、という気風が広まるのに、時間はかからなかったのだ。
「貴様、この愚か者がぁ! この失態、どう責任を取るつもりだ!」
怒号が響く。
王城の一角、謁見の間である。
上座に座るバルハルト王は、かなり憔悴の様子で、頬はこけ、目の下にはクマが濃く現れ、髪も艶を失い乱れている。
「南国の女狐めが何を言ってきたと思う。『北の対応に苦慮されているなら、南半分をもらって差し上げましょうか?』だと! あの忌々しい魔法使いめが!」
ロゼリア導師、いや、本体であるフラウだな。
まったく、余計なことを言って煽ってくれる。
だが、聞くに値しない愚痴も、これくらい聞いてやればもう十分というものだろう。
「恐れながら陛下。私共は、陛下のご指示を忠実に遂行したまで。陛下のご命令通り、事態にケリを付けて帰還致しました。その際、これも陛下の思惑の通り、ガラージ殿下に苦杯を飲ませました。……なにかご不満でも?」
「たわけが! エウル軍と敵対する所まではいい。ガラージに灸を据える必要もあった。だが、それを負かしてしまいどうするのだ! エウルとは、即ち儂じゃ。そのエウルの名に傷をつけよって!」
バルハルト王が目を剥き、射殺さんばかりの憤怒の形相で睨みつける。
だが、それこそ南国のフラウに比べれば役者が違いすぎる。
「ああ、それと。北の大盗賊団を壊滅させよとのご命令でしたね。それもご安心を。諸悪の根源である陛下が失脚すれば、北の盗賊も消え去りますよ」
「貴様……! もうよい。冒険者風情などに温情をかけてやったのがそもそもの間違いよ。栄えある騎士に取り立ててやったものを、無にしおって。“蒼龍の牙”を呼べ! この不届き者共を討ち取るのだ!」
王が叫び、控えていた従者達が慌ただしく駆け出す。
「驚く程にのんびりとしたものですね、陛下。上にふんぞり返っているだけだと、こうも愚鈍になるものとは」
まったく、失笑ものだ。
「なにぃ」
「討ち取るとまで言われて、私が騎士達が来るのをただ待っているとお思いですか?」
僕の言葉を聞いてようやくその事に思い至ったようだ。
王の顔色はみるみると青ざめ、僅かばかりに残った理性で何とか平静に努めようとするが、膝はカタカタと震え、左手は顎髭や腹の辺りを忙しなく行き来している。
「あぁ、ご心配なく。何もこの場で陛下に危害を加えようなどと思ってはいませんよ。それと、“蒼龍の牙”も……」
「既に待機しております。陛下」
現れたのは蒼龍の牙の中でも最精鋭である部隊の長、ヒゲである。
部屋の外で待機していた団員たちも続けて入ってきて、先程彼らを呼びに出た従者達は、傍らで青ざめてガタガタと震えている。
「貴様ら! 儂を裏切るつもりか! このような真似をしてどうなるか……」
「恐れながら、どうなるというのです?我ら、そしてここにいる蒼龍の角の多くは元名うての冒険者。騎士号などあって邪魔になるばかりで、城から出られると言うなら願ったりですが?」
慇懃無礼にも程がある態度で王に恭しく語りかけるヒゲ。
元々、冒険者として慎ましくも楽しく暮らしていたのを、権力で無理矢理に招集されていたのだ。
さらにここに来て、肝心の権威が揺らいできたとくれば、王に遠慮する必要など微塵もない。
「くっ。しかし、貴様たちがいかに精強といえど、数十万のエウル軍が貴様たちに襲いかかるのだぞ!」
思いもかけぬ裏切りに、バルハルト王は、目に見えて慌てふためく。
だが、今更エウル軍の威光に頼ろうとするとは、もはや笑い話にもならない。
「陛下。俺たち蒼龍の牙は、そのエウル軍を抑えるために陛下が組織した騎士団ですぜ? その陛下ご自身がエウル軍を頼ろうなんざ、エウル軍が耳を貸すわけもなければ、俺たちの力を測り間違えているにも程がある。さらに言えば、ここにいる俺の息子の仲間たちは、たった三人でそのエウル軍の軍団を壊滅させちまったバケモンだ。今更、瀕死の軍が出てきてどうこうできるとは思えんですな」
ヒゲの言う通りだ。
僕がムルムと戦っている間、リリィロッシュ達にはエウル軍本隊の牽制を頼んでいた。
だが、まさか一軍団を壊滅させているとは思いもしなかった。
リュオさんからもらった装備の効果もあっただろうが、いつの間にか驚く程に力を付けていたもんだ。
「ま、“魔帝”! 貴様も、貴様も儂に剣を捧げたではないか。騎士が自らの剣を裏切ると言うのか!」
王が不乱に叫び散らす。
もはや、拾えるものは笑だろうが小石だろうが掴みたいのだろう。
だが、ケルカトルと話した時にも言ったが、騎士である前提など、僕たちにはなんの意味もない。
「ええ、我が剣にかけて。ですが、私は魔法使いですし、剣にかけたものなど何もありませんので。……それでは、そろそろ失礼します。陛下にはご健勝であらせますことを」
そう言って踵を返す。
その翌日。
バルハルト王は、自らの体調不良を原因として、王の地位を退く。
それに伴い、暫定としてガラージを国王代理とする勅令が発行されたのだった。




