第八章)混迷の世界へ エウル軍撤退★
▪️キュメール共同国⑭
「なぜですか、殿下! 我らを集結させておいて、攻めるなとは!」
エウル王国軍、本軍の陣営。
その中央にある司令部で怒号が飛び交う。
指揮官に位置するガラージに食ってかかるのは、八岐大軍が一人、第四首・“殲滅”のチグルスだ。
魔力を込めた弓矢部隊を多く抱え、一方的に、徹底的に敵を“殲滅”させる戦いを好む猛将だ。
「そうですとも。このまま七の首のお楽しみを見守るだけのおつもりか?」
冷静に、しかし怒気をはらみながら口を挟むのは、第六首・“崩国”のヒルミア。
惜しげも無く肌を露わにする彼女は、精神支配の魔法に長けた諜報部隊を担当とする。
「まあ、待て。殿下にもお考えがあるのだろう。だが、やつごとかの国を“蹂躙”するのであれば、我が軍団のみで事足りるがな」
不敵な笑みで場を睨みつけるのは、第三首・“蹂躙”のシダ。
魔法に頼らぬ精強な騎士団を率い、自身も大剣を自在に振り回す剛の者だ。
彼らに仲間という概念など存在しない。
あるのは、弱者をいたぶりたいという欲求と、それをお預けされている、不満だけだった。
ガラージは思う。
なるほど、自分は王の器ではない。
あの魔法使いの青年は、血と暴力で足りぬ忠誠心を補ったと評した。
改めて配下の顔を見つめる。
誰も彼も、血に酔い、暴力を求め、餌にありつけぬ野犬のように飢えている。
腐った王国をまとめるためには、血で律するしかないと思っていた。
それは、ひとつの事実だっただろう。
だが、それならば、こいつらはどうだ。
こいつらに欠片でも忠誠心が、愛国心が、己を律するという理性があるだろうか?
答えは否だ。
重臣と民を律しようとするあまり、足元を見ることを忘れていた。
手足であり剣であり盾であるはずの八岐大蛇軍自身が、全くの野放しだったのだ。
お前は、野犬に餌を与えて手懐けただけ。
真の王ならば、野犬を手懐けるのではなく従えるべきだった。
そう言われたような気がした。
「無為に兵を集め、待機を命じたことは詫びよう。だが、これは命令だ。兵を動かすことは許さん」
数キロ離れた平野で火の手が上がったのは、ガラージがそう命じたその夜だった。
八岐大軍がガラージの下に就いているのは、金や名誉、ましてやガラージに対する忠誠からではない。
弱者を痛ぶり、合法的に殺戮を繰り返す口実が欲しかっただけなのだ。
その彼らが、目の前に標的がある中で待機の命令など聞けるはずもなかった。
ガラージにとって、これはひとつのかけでもあった。
三千対二万。
普通に考えれば自分たちの勝利は揺るぎない。
ガラージもムルムを捨て駒にするつもりなど、全くなかった。
ただその状況を利用し、自分の器と配下の制御を確かめたかった。
凶悪で凶暴な配下とはいえ、しっかりと手綱を取っていればそれは有用な武器となる。
これまでそう思って彼らを重用してきた。
リヴェイアやアロウとの約束だった不干渉。
それを口実に、彼らを制御できるのか、自らを試したのだ。
「ふぅ、馬鹿どもが……」
その呟きには自嘲も含まれていた。
彼らを制御できているつもりだった、愚かな将に対する呟きだった。
「全軍、進撃せよ! 命令違反の軍を掃討する」
ガラージの指示によりすぐさま全軍が動く。
指示に反し無断で軍を動かしたのは、第三首・“蹂躙”のシダの軍団の様だった。
標的が盗賊であろうとドレーシュであろうと、仲間であろうと、血に飢える八岐大軍には、関係がない。
これまでの進軍以上の俊敏さで、十二万の兵が火の手の方向へと向かった。
「な、なんだ……これは……」
しかし、そこにあったのは、目を疑うような光景だった。
先行した第三軍団が、一方的に壊滅しているのだ。
そして、相手の戦力は、
「報告します! 偵察兵の証言によると、敵戦力は三人。たったの三人です!」
“反逆者”の面々であった。
「無慈悲に踊りなさい。召喚魔法・単眼千手の巨神兵」
黒衣を身にまとった妖艶な美女が呼び出したのは、天にも届こうかという巨大な魔導兵士。
屈強な男性の肉体を再現した造形だが、人の姿とは大きく異なる部分が2つある。
ひとつは頭。
石造りの割には実に有機的な肉体に比べ、首から上は実に呆気ないものだ。
円錐状の石柱に、一つだけ巨大な宝玉がはめ込まれている。
そしてもうひとつ。
それは両の腕だ。
そこにあるのは二対四手の腕だ。
ただし、その腕は両肩と接しておらず、身体の周りを浮遊している。
通常の人の形よりは多いとはいえ、名に千手とあることを考えれば慎ましいものだ。
だが、その理由はすぐに分かる。
「ギュギィィィィッッ!」
口などどこにあるのか。
巨大なゴーレムから、奇怪な声が上がる。
それと同時に、四本の腕が掌を天に向けた状態で、くるくると身体の周りを回転し始める。
回転する手に光が宿り、描かれた軌跡が天へと放たれる。
天空に現れたのは、複雑な立体多重層魔法陣。
そして、妖艶な魔法使いは、告げる。
「嘆きの慈雨」
直径数キロにも及ぶ、天空の魔法陣から放たれる隕石。
それは、さながら千の拳のように無慈悲に降り注ぐのだ。
強大な対軍魔法を防ぐには、術者を攻撃するのが定石だ。
無論、魔法使いへと火矢や砲撃が幾度も放たれる。
だが、それがそこに至ることは無い。
全ての攻撃は、見えざる壁に弾かれる。
「守護系魔法・破魔の神域」
遠距離系の攻撃に対し、絶大な効果を発揮する防壁を作り出したのは、一人の少女だった。
一目には、まだ幼さも残るあどけない顔立ちをした少女は、その実、数十年もの修行を積んだ魔法使いにさえ使いえない、強力な守護魔法をこともなげに発動させる。
だがこの魔法は、矢や砲撃、魔法などの遠距離攻撃に対する守護に特価しており、剣や槍といった直接攻撃に弱いという欠点もある。
それを知ってか知らずか、数組の部隊が少女の元へと押し寄せる。
しかし、彼らもまた、少女へとたどり着くことは無かった。
少女の瞳が紅く輝く。
途端、兵士たちはバタバタと倒れ、息も絶え絶えにうずくまる。
少女の眼前では、あらゆる命が吸い取られ、歩くことはおろか、ただ生き延びるのさえ困難となる。
その地獄の名は、吸血結界。
生半可な実力の者では、忌むべき種族である彼女の前に立つことさえ許されないのだ。
だが中には、隕石の雨をくぐりぬけ、結界をも弾く強者も存在する。
大剣を振るう軍団長は、数々の災厄を打ち破り、二人の魔法使いの前へと辿り着く。
しかし、彼の進撃もそこまでだった。
魔法使い達と彼の間に、一人の戦士が立ちはだかったのだ。
右半身に装備の偏った、不可思議な鎧を纏ったその戦士は、手に持つ大剣を大きく振り上げる。
軍団長の足が下がる。
これまで、自分よりも強いものなど見たことがなかっただろう彼も、己の過ちに気づく。
上には、上がいるのだ、と。
「終剣技・大斬撃、雷豪!」
青白く立ち上る剣気と共に放たれた、落雷の如き巨大な斬撃は、軍団長のみならず、その背後にいた数十もの兵士も残らず吹き飛ばしたのだった。
ガラージは、戦慄した。
そして同時に、ひとつの指示を出す。
「軍旗違反を犯した反乱者は討たれた。よって、我らはエウルに帰還する」
もはや、ドレーシュの戦争の結果など、確認するまでもない。
ムルムは、敗れるだろう。
そして、自分も、エウル王国も敗れたのだ。
「俺とて民を思う王族の一人だ。引き際は心得ているさ。……あとは頼むぞ」
ガラージの呟きは、ここにはいない、はるか昔に袂を分かった弟へと向けられていた。




