第八章)混迷の世界へ 闇夜を喰らう虚無
▪️キュメール共同国⑬
「虚無系魔法、だと」
ムルムが体を硬直させる。
顔は青ざめ、黒いもやを払おうとする手が止まる。
「ば、馬鹿な! そんなもの、そんなもの、一人で扱い切れるはずがない!」
ムルムが吠える。
虚無系魔法とは、それほどに強力、凶悪なものなのだ。
魔法には、格が存在する。
無論、術の難易度、使い手の技量、その場所の属性効果や相性など、術の威力には、様々な要素が絡んでくるが、余程の実力差がなければ覆せない、絶対的な格が存在するのだ。
その一例がムルムが多用している暗黒系魔法だ。
魔法には、基本となる四元素。
火の火炎系魔法。
水の水氷系魔法。
土の大地系魔法。
風の烈風系魔法が存在する。
その一段階上位にあるのが、二種以上の属性を混合させて用いる複合魔法だ。
爆炎系魔法、自然系魔法、氷雪系魔法、炎熱系魔法。
探知などの簡易的なものを除き、基本的には四属性の魔法をある程度習熟していないと使用出来ない。
複合魔法の術者は、それだけで冒険者にしろ騎士にしろ、一流と見なされる。
さらにその上位に当たるのが、ムルムが得意とする暗黒系魔法となる。
火、水、土、風の四属性とは、世界の構成する基礎であり根源。
つまりは、正の存在。
ただし、異なる魔力は互いに反発し合うため、通常は、“四属性の複合魔法”など存在しえない。
その例外の一つが、正から負へと“反転”する術式だ。
すなわち、『闇属性』である。
暗黒系魔法の特徴は、死への状態異常。
暗闇、猛毒、病魔、混乱、呪い、腐食、そして致死。
単純な攻撃力以外に、致命的な状態異常をもたらす、凶悪な魔法だ。
それほどまでに強力な魔法を得意とするムルムだ。
並の魔法使いなど、格下と捉えていてなんの不思議もない。
一般に、魔法の最高位は、この暗黒系魔法だと考えられている。
俗に攻撃系の魔法を、“黒魔法”などと呼ぶのは、それが由来であるとも言われる。
だが、真実はそうではない。
魔法には、より高みが存在する。
その一つが、この虚無系魔法である。
“呪文”ではなく、“技術”と呼ぶのには、理由がある。
これは、修行や鍛錬によって到達できるものとは、異なる次元の術式だからだ。
暗黒系魔法ですら、四属性の複合と反転という脅威の術。
虚無系魔法とは、その闇属性をベースとして、さらに四属性と無属性を複合させた、六属性複合魔法となる。
正も負も飲み込む、絶対的な虚無。
暗黒系魔法のような状態異常などの追加効果はないが必要ない。
全てを飲み込み消滅にするのだ。
実際、虚無系魔法が使用されたことなど、歴史上にも数える程にしか存在しない。
魔法大国とされる南国からして、秘匿級の技術なのだ。
いつしかの四校戦の折に、高位の生徒達によって再現されたが、それにしても、魔法陣や長文詠唱の補助をつけた上で、数人がかりの調整により実現されたものだった。
「そんな! そんな馬鹿な!」
我に返ったムルムがもがく。
火炎系魔法を爆炎系魔法を、氷雪系魔法を、足元に向かって打ち込むが、黒いもやは、その全てを受け止める。
「ムルム。それじゃない、そうだろ?」
先程も投げかけた言葉だ。
即効性、威力。
様々な要素がある中で、選択する魔法は数あるはずだ。
だが、ムルムが使うべき魔法は、それではない。
「ふふふ……くはははは。まさに『魔王』だな。いいだろう。俺の最高の魔法で、必ずこいつを撃ち破ってやる」
そう言ったムルムは、既に落ち着きを取り戻している。
魔法使いにとって、虚無系魔法を相手にするという意味。
それはすなわち、絶望でしかない。
だから、この状況を打開するには、自らの全身全霊を込めた一撃で、虚無系魔法の格を打ち破らなければならない。
ムルムのことを逃がすつもりは無い。
もはや、命を奪うと決めた相手だ。
だからこそ、その人生の中で積み重ねた自身そのものと言える一撃で、勝負を付ける。
「ムルム。お前自身を見せてみろ」
「蒼より出る炎龍と」
ムルムから、異常な程の魔力の高まりを感じる。
「紅より出る氷狼と」
その表情からは、決死の覚悟も必死の焦りも見られない。
「碧より出る鋼虎と」
あるのはただ、
「黄より出る風鳳を従え」
己の研鑽の果てを顕現させる魔法使いの矜恃のみ。
「我ここに宣言する。闇の主として、大いなる安息の力を! 暗黒系魔法・闇の光っ!」
それは極限まで凝縮された闇の光線。
ただただ、闇を放つ。
単純にして強力な魔法だ。
「ぬおぉぉぉっ!」
両手を足元に向け、黒のもやに向かって光線を放つ。
ムルムにとって、勝機はこのもやに、僅かでも揺らぎを生み出し、脱出することだけだ。
ムルムも気づいているだろうが、既にこちらも死に体だ。
やはりまだこの人間の体に虚無系魔法は、荷が重かったらしい。
体内の魔力の流れはズタズタに引き裂かれ、こうして立っているだけでも本当は辛い。
もし、ムルムがこのもやから脱出することが出来たなら、こちらの負けだ。
闇の光線に押され、黒いもやが僅かに揺らめく。
だが、捕らえたムルムの足元はそのままに、形を変え、光線を包み込もうと這い上がる。
だが、光線も負けじとその出力を上げ、もやを吹き飛ばそうとする。
時間にして一分にも満たない僅かな時。
決着の時は訪れる。
「ぐっ、ぐぎっ、が。がぁぁぁぁっ!」
闇の魔力が霧散し、ムルムの腕が弾ける。
そもそもが、状態異常の効果を産むほどに“負”の力を持つ闇の魔法なのだ。
自分の限界を超えれば、魔法に食われることとなる。
ムルムは、敗れたのだ。
「終わりだね。ムルム」
ムルムの前に立つ。
恐るべき使い手だった。
ムルムは嫌いだ。
だが、死力を尽くした彼に、もはや憎しみは持てない。
ならば、僕にできるのは、安息の死を送ることだけだ。
闇のもやが、ムルムの体を包み始める。
闇夜を喰らう虚無。
あらゆるものを飲み込むもやは、苦痛も恐怖も産むことは無い。
ただ、安らかに消滅するだけだ。
「くそが。俺の“荒廃”がくらい尽くせない虚無とはな。……“魔帝”。次は俺が勝つ」
ムルムは、そう言い残し、この世界から消滅した。




