第八章)混迷の世界へ 王の問答②
▪️キュメール共同国⑩
「私は……」
リヴェイアがその答えを口にする。
「なに?」
明らかに怒気をはらんだ声。
彼を推すと決めた僕でさえ、正直耳を疑った。
「ええ、ですから僕には分かりませんよ。この国をどうするのかだなんて」
リヴェイアは、恥ずかしそうに、だが迷いなくそう答えた。
「バカにしているのか!」
ガラージが杯をダンっと置き、声を荒らげる。
周りの衛兵たちに届かないように声は抑えているが、相当に怒っている。
当たり前だ。
この国のことを真剣に想う。
だからこそガラージは、血で自らの手を汚してきた。
ガラージは、決して残虐なわけではなかった。
仕方がないから、その方法をとったのだ。
だが、リヴェイアから聞かされた言葉は、“分からない”。
これでは、ガラージが怒るのも無理はない。
「ふふ、そうですね。ですが、これが僕が真剣に考え、真剣に悩み、真剣に選んだ答えなんですよ」
「なに?」
リヴェイアは語る。
「そもそも、ラー兄さんは、この国をダメだと断じた。この国は、腐りきっていると。でも、そうでしょうか?」
軽薄な口調、柔和な笑顔はそのままだ。
だが、その瞳は深く澄み渡り、その奥にある知性の光は、先程までと別人かと思われるほどだ。
「僕は、成人と同時に早々と王位継承権を放棄して、各地を巡ったよ。北も南も、ノガルド連合国内は、あちこちね」
リヴェイアは、正式には王子ではない。
ソリューンの姓を捨て、今は、リヴェイア=セイルが正しい名前だ。
「その中で、色々な人と出会ったよ。エウルの重税に苦しむ農民。権力を笠に着て圧政をしく貴族。確かに酷いものだった」
実際リヴェイアは、そういった地域を巡り、微力でもその改善を促すように動いていた。
その中で、ビルスと出会ったのだという。
「でも、そんな土地ばかりじゃなかったんだ。貧しくとも明るい人々。正しくあろうとする貴族。貴族の目を盗んで施しをする役人。この国は、いや、この世界は、まだまだ腐ってはないんだよ」
リヴェイアの目に宿る光は、さらに強さを増す。
燦々と、爛々と。
それは、信じるという力。
信じるものは、また自身も信じられる。
それは、つまり……
「なるほど、この国はまだ死んでいない、か。ならばもう一度問おう。お前はこの国を、どうしたいんだ」
ガラージが問う。
先ほどと同じ質問。
だが、その答えは先程とは違うものになると確信している。
「僕は、終わらせる。この国を終わらせる。そして、ゼロから始めるよ。みんなと」
それが、リヴェイアの答えだった。
「この国を……、終わらせる」
ガラージがその言葉を反復する。
そうだ。僕がリヴェイアと初めて出会った日、彼はそう言った。
ソリューン王家には興味が無い。
つまり、このエウルの地に、新たな王国を建てると。
「兄さんは言ったね。この国はもう長くはないって。それは、僕も同感だ。だったら、なぜそれを守ろうとするんだい? 腐った幹を倒し、新たな種をまく方が、余程まともな思考だ」
それは、リヴェイアと話し合い、僕達が目指した未来。
だが、こうしてリヴェイアの口から改めて語られると、衝撃が走る。
このエウル王国は、四大王国のひとつだ。
長い歴史と、勢力と、決められた地位がある。
それを壊すというのだ。
「リヴェイア。お前は、国を木に例えた。俺は、腐った幹を守るため、より腐らぬように害虫を削ぎ落とした。だが、お前は、木そのものを切り倒し、次の木を植えようというのだな」
ガラージは、リヴェイアを見つめ続けている。
その未来を、リヴェイアを値踏みするかのように。
「リヴェイア。その方法で、その木に住むいく百もの実や葉、そしてそれに連なる鳥や虫たちが傷つき、少なくない数が死ぬ。それを分かっているのか?」
実際に人は死ぬ。
ドレーシュとエウルの戦争がそうであるし、エウルを倒せば少なくとも今の貴族達は、今まで通りの生活は送れなくなるだろう。
それだけではない。
これまであったエウルと周辺国の軋轢が、一気に弾ける。
それに巻き込まれるのは、名もない平民たちだろう。
「そうだね。だから、分からないんだ。僕が作る国がどうなるかなんて。僕は壊し、めちゃくちゃにするだけ。そして、新しい国を作るのは、ほかのみんななんだから」
それはひとつの理想だ。
皆が協力し、皆が競い合い、誰も抑圧されず、誰もに希望がある。
負けることもあるからこそ勝ちもある。
最初から勝っている者、負けている者の存在しない国。
それが、僕達の目指す国だ。
そして、そこに王は必要ない。
「全てを壊した後、僕は王位を廃する。それが、僕の国造りだ」
沈黙が続く。
王を戴く者として、国を壊し、国を棄てるという異常。
ガラージは茫然自失とし、それを知っている僕ですらあっけに取られる。
「幾多の屍の上に後の世を作る、か。俺よりもよほど残酷な話ではないか。まるで『魔王』だな」
暫くの後に口を開いたのはガラージだった。
「知っているか? 噂では、魔族が人間を襲うのは、向こうの国が滅びかけているからだそうだ。それでこっちが滅ぼされたんじゃ、今住んでいる俺たちは迷惑なものだな」
思わずぴくりと反応する。
正確には、この世界そのものが滅びかけていて、魔力の逃がし先としてこの大陸の核を手に入れたいのだが、大筋は間違ってはいない。
「“魔族”は滅ぼす。それが俺の答えだ」
相容れない。
リヴェイアの目指す未来は、受け入れられない、という意味だ。
交渉は決裂か。
「……だが、」
だが、ガラージの言葉はさらに続く。
「新しい世界。お前の作る世界を見てみたくもある」
ガラージは、天を仰ぎ、目を伏せる。
その姿は、何かの審判を仰ぐ罪人のようでもある。
「おい、“魔帝”」
その姿のまま、ふいにガラージは、僕に問いかける。
「貴様、何故こいつと組んだ。俺ではなく、こいつを選んだんだ」
なるほど。
待つのは、答え、か。
自分は王にふさわしいか。
その答えを問いたいのか。
ならば、答えはひとつだ。
「ただの冒険者風情がお答えするのも滑稽ですが、あえて申し上げましょう。私は、とある王を知っています。」
頭を垂れ、跪いて答える。
「その王は、苛烈でした。より良き世のため。より多くの民のため。多くの人々を殺し、君臨しました」
ときには謀略を、ときには虐殺を行い、目的を果たそうとした。
「彼が、最良の王であったかなど、私には分かりません。ですが、かの王にあって、殿下に足りないものがあります」
「ほぉ?」
ガラージは、顔を下ろし、こちらを見つめる。
「王の治世など、千差万別。ならば方法ではなく、王そのものの資質が要と考えます。殿下に足りないもの、それは、カリスマです」
「人を引きつける力。多くはそう思うでしょう。ですが、王のカリスマとなれば、意味合いは異なります。『その王の為に命を捧げられる忠誠心』、それが王のカリスマです。ガラージ殿下は、それを血と恐怖で補おうとした。その一点をもって、私は殿下を王と認めることができません」
なんと無礼な物言いであることか。
本人を目の前に、お前は王にはなれない、などと。
だが、こうして顔を合わせ、気づいたのだ。
きっと、ガラージ本人も、その事に気がついているのだ、と。
「ふふふ、ははははは。なるほど、リヴェイアにふさわしい家臣だ。実に面白い。この俺に向かって、王と認めぬとはな」
ガラージが笑う。
それまで、凄惨な覇気を身にまとい、鬼のような形相をしていたのが嘘のように、まるで子供のような表情で笑うのだった。
「いいだろう。貴様たちを“敵”と認めてやる」
その表情は晴れやかだ。
だが、“敵”とは?
「王の座を争う敵だ。俺も俺のやり方を諦めるつもりは無い。お前達のやり方を否定もしない。だから、ドレーシュの戦、それで決めてやろう」
やはり、話が早い。
僕は、ガラージを“王”の器ではないと思った。
だが、間違いなく、“将”としては、一流の器を持っている。
「予定どおり、全軍で向かう。だが、実際に攻めるのはムルムの軍団だけだ。あいつはお前達に因縁がある。それを退けたら、残りの軍も引くと約束しよう」
本来なら同数での決着が望ましいが、そこまで譲歩を引き出すのはおこがましいだろう。
三千対二万。
それで雌雄を決すると決めたのだ。




