第八章)混迷の世界へ 格
▪️キュメール共同国⑧
「やあ、ムルム軍団長。また会ったね」
そう言って、人混みの中からヌルりと、そこから生まれでたかのように姿を現す。
「貴様ぁっ、どうやってここまで近づきやがった!」
まあ、ただの演出だ。
魔王時代ならともかく、空間転移や自己召喚などの破戒級魔法など使えない。
実際には、ケルカトル達が奇襲をかけた段階で、偽魔砲部隊の指揮権を指揮官に託し、風魔法を付加させて走ってきた。
後は、静音、認識阻害、闇隠れなどの隠密系効果の魔法を重ねがけし、密かに近づいたのだ。
多重の重複詠唱とはいえ、一つ一つは児戯にも等しい低位の魔法だ。
だが、指揮官の自軍の被害も考えない無謀な攻撃、圧倒的戦力にも関わらず敵を倒せない焦り、そんな中に現れた民衆の英雄たるSランクの冒険者。
そんなものが急に目の前に現れたのだ。
こちらの思惑は見事にハマっているようで、周りの兵士たちは、面白いように逃げ惑い、ムルムにしても後ずさりする程度には、狼狽えている。
相手の心を折るには、こういう小細工の積み重ねが大事なのだ。
「全く、後からしゃしゃり出てきたかと思えば、無様なものだね。さて、こちらの戦力はわかってくれたと思う。」
詭弁だ。
戦力もなにも、こんなものは、地の利と奇策、そして運によって勝ち得ただけの事だ。
エウル軍には、盗賊団を討つという大義名分と、比較することすらおこがましいほどの戦略差があった。
だからこそ、真正面からだけ攻めてきたのだ。
そもそもが物量を生かして取り囲み、多方面から攻めてこられれば、なんの抵抗もできなかっただろう。
それとも、数千の部隊で足止めさえしておけば、残りの兵だけでこの国を蹂躙することなど容易かったはずだ。
だがそれをしなかった。
大軍が故の驕り、大国故の見栄がそうさせたのだ。
「さあ、道は二つだ。諦めて逃げ帰るか、ここで散るか。どちらでもいいよ」
どちらでもいい。
それは、本心だ。
ドレーシュのことだけ考えれば、このまま引いてくれた方がありがたい。
流石に二万人もの兵士を相手に、損害なく追い返すことが出来るなどとは思えない。
だが、ここまで完全に敵対してしまったのであれば、今後もエウルに拠点を置く身としては、少なくともこの地にいる兵士だけは、始末しておきたいというのも本音だった。
「ふ、ふざけるな! この、ムルムが、この八岐大軍の“荒廃”が、こんな辺境の兵に、平民風情の冒険者ごときに、負けられるかあ!」
はたして、ムルムは後者を選んだ。
ならば応えよう。
その蛮勇に対する答えを。
ならば教えよう。
“魔帝”の怒りに触れる愚かしさを。
「死ねぇ! 禍つ火刃、凶つ岩棘。炎熱系魔法・灼熱の刃!」
ムルムが右手を突き出し詠唱する。
地面が裂け、赤銅色に輝く溶岩の刃が無数に飛び出す。
身を翻し刃をかわすが、刃は合体と分離を繰り返しながら、蛇のようにくねり追撃してくる。
土と炎の複合魔法である炎熱系魔法。
その特性は、有形である土と、無形である炎の融合。
故に重く、熱く、そして凶悪だ。
特に、意思を持つかのように不規則に動き敵を追尾する魔法が多いことも特色のひとつであり、一度放った魔法が相手を追い詰める間に、次の魔法を放つことも出来る。
「炎熱系魔法・灼熱の刃! 灼熱の刃ぃっ! ははは、そらそら、燃え刻まれろ!」
風の守護で速度を上げてうねる刃をかわすも、魔法は次々と追加される。
四、八、十二、十六……。
次第に刃は増えていき、その攻撃を避けるだけの空間が無くなっていく。
「はっは、これでチェックメイトだぜ?」
ステップを踏んで刃を避けた先には、冷えて固まった溶岩の壁がそびえていた。
そして振り返れば、それぞれが5、6本の刃が融合した巨大な溶岩の刃が三本、鎌首をもたげている。
炎熱系魔法。
それは、執拗に攻め立て、狡猾に待ち受ける、蛇蝎の如き魔法なのだ。
「はっ! 何が英雄、何がSランク。この“荒廃”に敵うわけがねぇんだよ!」
勝ち誇ったムルムの号令に合わせ、巨大な蛇となった溶岩の刃が一斉に襲いかかる。
だが、
「炎熱系魔法・灼熱の刃。」
手に持つ水晶姫が怪しく光り、足元から無数の溶岩が吹き出す。
その数、二十三本。
炎蛇と化した刃を貫き、冷えた溶岩の壁を打ち砕き、周囲にある木々や溶岩の塊を一掃する。
「で? “荒廃”がどうだって?」
「ば……、そんな馬鹿な! 俺と同じ灼熱の刃、それもこんな数を、無詠唱だぁ!?」
必殺の魔法、それも完全に勝利を確信したはずの攻撃を打ち破られたムルムは、思わず尻もちをついてしまう。
ただ破ったわけではない。
全く同じ魔法をより強力に使用した。
それは、魔法使いとしての力量の差を、何よりも雄弁に物語っているのだ。
「で? どうするんだい?」
じゃり、と一足踏み出す。
こちらの一歩に対し、ムルムもまた一歩退く。
「ひ、ひぃ。荒れ狂う炎、猛り狂う大地……」
「炎熱系魔法・紅き嘆き。」
後退するムルムを遮るように、その背後に溶岩の壁が出現する。
「ぎゃ、あつっ! な、なんで。なんで俺が使おうとした魔法がぁぁ!」
そう。
紅き嘆きとは、先程ムルムが近づく僕を遮ろうと使うはずだった魔法だ。
それを、発動する以前にやり返される。
ムルムからすれば、気が狂いそうな程の恐怖だろう。
だが、もちろんこれにも種がある。
元々、僕の得意とするのは精密な魔力操作。
相手の動揺を誘い、魔力の流れを読みやすくさえすれば、相手が使おうとする魔法を先読みすることも難しくはない。
ちなみに、この技術を教えてくれたかつての配下は、魔法を先読みするどころか、さらに完全に反対の魔力をぶつけることで、相手の魔法を一切封じるという荒業を得意としている。
魔王時代ですらその境地には到れなかったが、先読み程度ならば今の僕でも可能なのだ。
「違うだろ? そうじゃない。今、お前が頼る最後の切り札は、それじゃないはずだ」
さらに一歩、ムルムに近寄る。
ムルムは大量の汗を吹き出し、その視線はぐるぐると定まらず、今にも涙と鼻水を垂れ流しそうな程に狼狽している。
「ち、近寄るな! 下がれ! い、いい気になるなよ。これで俺達が引き下がったとしても、まだ仲間達が、七人の八岐大軍と十四万のエウル軍が後に控えているんだ。貴様の方こそ諦めろ!」
自分自身に言い聞かせ、気持ちを振るい起こそうとするようにムルムが喚き立てる。
三千対二万。
確かに大勝だ。
だが、それでもなお、まだ十四万の軍がいる。
そもそも、ムルム達の軍ですらが、ただの先鋒隊に過ぎないのだ。
だが、ニヤリと薄く笑うムルムだったが、同様にこちらもニヤリと笑う。
「お前が仲間達だなんて寒い事言うとはね。安心してよ。そっちはもう方がついてる。」




