第八章)混迷の世界へ 土煙が晴れて
▪️キュメール共同国⑦
嘆きの槍が炸裂し、もうもうとした土煙が舞い上がる。
周囲は、阿鼻叫喚の様相を呈している。
あるものは、偽魔砲による砲撃を受け四肢をもがれ、またあるものは、ケルカトルらの槍にかかり両断され、そして、呪詛の槍により倒れたものは、口から泡を吹き、皮膚は腐り始め、中には眼球が溶け落ちている者まであった。
──豪。
凄まじい勢いで火柱が上がる。
ダメ押しの魔法が放たれる。
周辺国からの派兵だけでなく、直属の配下をも巻き添えにした、ケルカトルを狙った悪意。
部下達も被害を受け、ろくに統率が取れていないのだろう。
たが、それでもなお圧倒的な物量により、必殺の威力を持った爆撃がこの地を埋め尽くす。
ドレーシュ軍三千はもとより、先鋒隊であった七千のエウル軍ですら、生き残ってはいない。
……はずだった。
「どうなってやがるんだ! くそがっ!」
一陣の風により、土煙が晴れる。
果たしてそこには、赤眼の蛇槍を携えた、騎士の一団の姿があった。
「……ふむ、凌ぎきったか。お前達、無事だな」
「はっ!」
ケルカトルが一瞬振り返り、配下の安否を確認してつぶやく。
蛇頭の兜が、フルフェイスのタイプであったことに内心安堵する。
平静を装ってはいるが、内心では恐怖で卒倒しそうだ。
強面で通している自分が、今の表情を部下に見られるわけにはいかない。
絶対に顔面は蒼白。
歯の根も合わないほどに震えているに違いないのだ。
──数日前。
「なるほど。それで先鋒の部隊は凌ぎきれるかもな。それだけでも大博打には違いないが。それで? だからどうする。例えそれを退けても、さらにその数倍もの本軍が控えているんだぞ」
ケルカトルは、アロウに問う。
もう腹は決めた。
相手はあのエウル軍。
この地で散れというのならばそれも本望だ。
だが、配下を持つ身として、勝ち目がないのならばないなりに勝ち筋を探さねばならない。
夜の幕舎。
急造に拵えたにしては充分な出来と言える砦の一角で、会議とも呼べない軍議を開いていた。
この場にいるのは、仕掛け人であるSランク冒険者の“魔帝”と自分、そして三人の部隊長だけだ。
「この国の切り札である大盾を見ることが出来たのは僥倖でした。魔法反射の刻印は僕の方でさらに強化しておきます。あれと長槍、そして用意してもらった水瓶の偽魔砲があれば、初戦はまず凌ぎきれます」
アロウは言う。
この男の落ち着きぶりを見ると、時々こめかみに力が入る。
元はエウルの出身ではなく、北東のドルホの生まれだと聞いたが、それならば、あのエウル軍を相手にすることの意味など、よく知っているはずだ。
こちらの戦力も、相手の馬鹿げた規模も、そして、自分が邪王であるということも承知の上で、なぜこれほどに落ち着き払っているのか。
自分より十は歳下にしか見えないこの青年に、苛立ちとともに底知れなさを感じている自分に、余計に腹が立つのだ。
「わかっていると思いますが、この戦い、負けて当然、勝ちの目などありません」
部下達か一瞬たじろぐ。
分かっていても、あえて言葉に出されれば動揺するのも当然だ。
だから、それは今ここでいう必要のない台詞だ。
無駄に士気を下げる必要などない。
「アロウ殿、」
「……ですが、」
口を挟もうとした自分をアロウが手で制して遮る。
「勝たせますよ。いくら彼らが強大とはいえ、貴方達の奮戦と、ここに僕がいるのですから」
彼の言葉に、部下達も決意を新たにする。
なるほど。
まるで柔らかな砂山に水をかけて固めるように、あえて同様を誘い、綻びた緊張をさらに引き締めたのか。
時々感じる、彼の底知れなさの一端を垣間見た気がした。
つまり、彼は人心の掌握が巧みなのだ。
細やかな言動や振る舞いひとつから、場の雰囲気を作り替え、実力以上の力を発揮させる。
人を率いるものとして、学ばされる事も多い。
「さて、そんな彼らですが、たしかに強大。ですが、こちらに有利な点がひとつ」
場の空気が切り替わったことに満足したのか、説明を再開する。
有利?
この状況に有利な点などあるのか?
正直、絶望的な局面しか読み解けない。
「あのムルムという軍団長です。ここに真っ先にやってくるのが彼で、僕達は既に一度、彼の戦いぶりを知っている。この一点です」
彼の言っているのは、あの谷間の集落での出来事だろう。
あの時自分は、蛇王として参戦していた。
ここで頷くわけにはいかない。
というか、分かっていなかった。
「奴を知っている。だからどうだと?」
多少の怒気を込めてアロウに問いかける。
たしかに奴の魔法は強力だったが、それでも二万人の中の一人だ。
指揮官の質は重要だが、正直なところそれ以前の話である。
「ええ、重要ですよ。ムルムという軍団長の性格、彼の技。そして彼もまた、こちらのことを知っている。それが付け入る隙となります」
「それで、これか」
土煙の隙間からエウル軍を睨みつけた後、その視線を自らの左腕へと落とす。
その腕には、複雑な模様が刻まれた白銀の小手が付けられていた。
「まったく、とんでもない代物だな」
思わず身震いして視線を前へと戻す。
やや青みを帯びた白銀のそれは、自らの魔力を良く通し、他者の魔力には高い対魔力を示す魔法金属、月銀鉱がふんだんに使われ、その中央には、淡く光る大きな宝玉が嵌め込まれている。
破邪の小手。
あらゆる魔法を封じ、使い手を守ると言われる防具。
噂には、あの魔王を倒した勇者が身につけていたとさえ言われる伝説級の装備だ。
あの小柄なアロウの装備だけあり、自分にはやや小さく、自前の小手の上から鎖で巻き付けて固定しているが、それでも流石の威力である。
これが本物かどうかはともかく、実際のところは、噂ほどに使い勝手のいいものではない。
確かにあの黒い槍も炎の爆撃も完全に吸収した対魔法性能は見事なものだ。
だが、吸収できるのは、魔法そのものだけだという点が厄介である。
あの黒槍に付随する腐食の呪いや、爆炎から発せられる高熱までは防げないのだ。
だが、それで十分だ。
アロウの言った通り、ムルムはこちらを警戒していた。
第一波を防がれることは織り込み済み。
そこでうって出てくるはずの自分達を、味方諸共、魔法で消しにかかってくる。
奴の必殺の魔法は闇属性。
しかも、“荒廃”の二つ名の由来となった腐食の魔法を使ってくることは目に見えている。
全て、アロウの予見、いや、予言通りの結果だ。
だから、最初の突撃以降、敵陣へ突っ込むそのタイミングでは、敵本陣への警戒を強めていた。
案の定、三回目の突撃、しかもぶつかるその直前に合わせて、奴は魔法を放ってきたのだ。
そこまでお膳立てれれば、後は自分たちの仕事である。
この手に持つ大槍・多翼の赤蛇は、持ち主の闘気に反応して攻撃そのものを巨大化させる。
魔法による直撃を小手で吸収したしたあとは、槍を突き出し、その巨大化させた突きを防壁として、その余波を防いだのだ。
改めて敵陣を見る。
向こうもこちらの生存を確認したのか、同様が走っているのが手に取るようにわかる。
既に勝負がついたと思ったムルムの砲撃により、自身達も手痛い被害が出ている。
こうなれば、もはや数の利も覆せるだろう。
「だが、お前達の死神は俺たちじゃない。そら、もうすぐそばまで忍び寄っているだろう?」
ケルカトルは、誰に聞かせるわけでもなくそう言って笑い、敵陣へとユサを走らせる。
死神の露払い。
まぁそれも悪くない。
そして、
「やあ、ムルム軍団長。また会ったね」
その死神は、独り、獲物の前へと降り立ったのだ。




