第八章)混迷の世界へ 暴虐の風★
▪️キュメール共同国⑤
大盾で固める本陣の影から、深緑の外套を羽織った一団が抜け出す。
皆それぞれに魔鳥馬を駆り、森の中へと入っていく。
恐るべきはその練度。
ユサも嘶きひとつさえさせず、また、根が張り出し大小様々な木々が行く手を遮る森の中にも関わらず、その隊列は一切の乱れを起こさない。
数にしてたったの五百騎。
目の前の七千の軍に対して、あまりにも頼りない数字ではあるが、今この場においては、最強の五百騎だ。
「さあ、俺たちの出番だ」
その一声で“鋼撃”ケルカトル率いる騎馬隊が敵の集まる平野へと躍り出る。
「おおおおぉぉぉぉぉっ!」
ケルカトルの雄叫び。
突如現れた白銀の騎馬隊に慌てふためくエウル軍。
蛇頭を模した大槍“多翼の赤蛇”を振りかざし、勢いを落とすどころか、ますます速度を上げ、エウル軍の横腹へと突っ込んだ。
大槍に闘気を込める。
白銀の槍先に絡みつく赤蛇の瞳が怪しく光る。
「はぁっ!」
敵軍へぶつかると同時に、右脇に抱えた大槍を大きく振るう。
右後方からすくい上げるようにして前方へ。
そして、手首を返し、頭上で旋回してもうひとすくい。
ユサの猛烈な速度により、エウルの大軍の中を通過するのに奮った槍は、たったの二回。
だが、その二撃による被害は甚大なものだった。
大槍・多翼の赤蛇。
これこそ、大盾に並ぶドレーシュの秘密兵器。
その白銀の槍の刻印は、持ち主の闘気に反応し、繰り出す攻撃そのものを強化、巨大化させるというものだ。
圧倒的不利の戦場。
国を守るという騎士としての矜持。
そして、長い歴史の間、虐げられてきたエウルへの怒り。
昂るケルカトルの闘気に呼応し、槍から延びる見えざる刃は2m以上にも及び、ただの二振りの間にその刃にかかったエウル兵の人数は、三十三に及んだ。
そして、あとに続く五百騎ももまた、それぞれに敵を突き、叩き、斬り。
この数分の間に六百人余り、実に一割近くものエウル兵が血の海へと沈んだ。
「なんだ! 何が起きた!」
「化物……、蛇の化物……」
その兵士は、阿鼻叫喚の地獄の中、ただうろたえることしか出来なかった。
弱者を蹂躙するためだけに集められた軍である。
そもそもがドレーシュとはなんの遺恨もない、エウルの強権によって集められただけの近隣国の兵がほとんどなのだ。
ここに来るまでのあいだ、虐殺と略奪を繰り返し、血に酔っていた知性が目を覚ます。
祖国では、第一の軍でこそなくとも、魔法剣士としてエリートと称される兵士だったのだ。
前線にいる部隊だけでも敵の倍の人数を擁し、後方にはその二倍。
そして本体はそのさらに五倍という馬鹿げた戦力差をもった、もはや結果の決まった任務であったはずだ。
エウルの将軍に強要されたとはいえ、弱者を蹂躙し、兵士としての獣の部分を解き放つのに、快感があったことも確かだ。
だが、それがなぜこうなったのか。
ほかの兵も皆、士気は高かった。
一方的な勝ち戦なのはずだった。
ようやく見えてきた城は、砦というのもおこがましいような木と石で組まれた即席の拠点だった。
規模から見て、ここが最後の防衛戦であることも分かった。
楽な制圧戦。
だったはずなのだ。
それが、どうだ。
あんな粗末な城、最初の砲撃だけで充分に方がつくはずだった。
仮に相手にも魔法使いが多くいて、岩塊を防いだとしてもそれまでだ。
そこまでの防御魔法を連続で使用出来るほどの人数は、この国にはいないはずだ。
それどうだ。
風の障壁なのか岩塊は全て砕け散り、巨大な盾が行く手を遮り、すり抜けた仲間たちは長槍に貫かれた。
そうこうしていたら、今度は後方に地響き。
すぐにはそれがなんなのか、分からなかった。
否、見て、何かは分かっても、それがそうなのだと認識出来なかったのだ。
再び地響き。
第二射が終わり、土煙の影からそれが姿を見せる。
木だ。
つい先程までそこにはなかった木が生えていた。
急に木が生えた?
いや違う。
よく見れば、急に現れたその木は、枝が払われた丸太の状態で、逆さになって地面に刺さっているのだ。
馬鹿げている。
この長さが5m程もある巨大な丸太を矢のかわりに飛ばしたのか。
恐るべきスピード。
恐るべき質量。
恐るべき破壊力をもって。
目の前には越えられない城壁。
後方には、恐ろしい味方の本隊。
前にも後にも動くことが出来ない自分たちに、この恐るべき巨大な矢が降り注ぐのだ。
ならば、と横に視線をやったのは、単なる偶然だ。
自分たちの集まる平地の奥。
木々の間から騎馬隊が現れる。
援軍か、いや、それにしては人数が少なすぎる。
奇襲──
その考えに至った時には、既に叫ぶ間もなかった。
その暴虐が眼前に到達するまでには、あまりにも時間がなかったのだ。
先頭の白騎士の雄叫び。
背中の芯に稲妻が走ったかと思うほどの覇気を纏い、神々しいまでの美しさを放つ白銀の鎧が煌めき、怪しいまでの輝きを持つ赤眼の蛇槍が唸りを上げる。
一陣の風。
兵士は、魔法剣士という職業上、魔法だけでなく闘気の扱いにも慣れていた。
だからそれが何なのかすぐに分かる。
圧倒的な闘気。
いや、鬼気だ。
人ならざるものとしか思えない純度の気が、地を、空を、人を切断する。
兵士は、立ちすくんでいただけだ。
その暴虐の風から逃れられたのは、ただ単にその軌道上に存在しなかった、ただそれだけの事だ。
続いて麾下の兵士が通り過ぎる。
その進行上にいたものは、ことごとくが彼らの槍に貫かれた。
兵士は呆然とその死の一団を見送る。
圧倒的な死の気配だけを残し、その一団は、過ぎ去っていく。
仮にもエリートと呼ばれていた兵士が、その戦ぶりに魅入っていた。
恐怖、絶望。
そして命が助かった今、その美しさに見惚れていたのだ。
だが、戦場は優しくはない。
すぐさまに現実へと引き戻す轟音。
振り向くとすぐ目と鼻の先にあの柱のような巨矢が新しく生えている。
絶望的な死そのものと言うべき暴虐の風が目の前を通り過ぎたかと思えば、さらに別の絶望が降って現れる。
この地は、地獄である。
そう確信する。
「ちくしょう、……ちくしょう」
兵士は誰にと言うでもなく、悪態をつく。
誰かに、見えざる誰かに文句を言わずにはいられなかった。
巨矢を避ける。
爆ぜた小石が、仲間だったものの欠片が顔を打つ。
ふと、顔を上げると、遠くから白い輝きが近づいてくる。
あの暴虐の風だ。
──あぁ、そうか。
なぜ先程、あの騎士達に目を奪われたのかがやっと理解出来た。
あれは、この地獄から自分を救ってくれる死の御使いだったのだ。
赤眼の蛇槍が煌めく。
兵士は、その風が自分へと向かってくるのを、静かに受け入れた。




