第八章)混迷の世界へ 開戦
▪️キュメール共同国③
「やれ」
ムルムの手が振り下ろされる。
ゴーンという、腹の底に響く様な太鼓が打ち鳴らされ、眼前の二万という大軍が一斉に進軍を開始する。
ムルム率いる第七軍団に混じり、諸国からの派兵も混じっているとはいえ、ここに至るまでに散々と血の味を覚えさせてきた兵だ。
戦場での混戦に、兵の練度など関係ない。
全ては量と狂気。
血狂いの軍団が、目の前の獲物に襲いかかろうと、その足を早める。
「魔砲隊! 属性“大地”。三、二、一、放てぇ!」
初手は、遠距離から魔法による砲撃。
城塞と呼ぶにはあまりに貧弱な砦だが、城攻めの基本は、変わらない。
大規模魔法による殲滅。
その後に、近接部隊による蹂躙だ。
部隊の半数以上を魔法剣士で構成する“荒廃”の軍団だが、無論のこと砲撃専門の高火力魔法使いも多く在籍する。
急造でこしらえた木の砦に、千の岩の砲弾が襲いかかる。
「破砕散弾っ! 撃ぇーっ!」
ケルカトルの号が飛ぶ。
城壁、正確には、囚人達が作った粗末な牢屋の屋上から、弓兵部隊が矢を射掛ける。
僕が使う、時喰みのような魔弓ですらない、ただの弓矢。
迫り来るは、第二領域の魔法で打ち出された、ひと塊が人の身長程もある岩弾。
数も、質も、威力も段違いだ。
「投石魔法、着弾。土煙が晴れます! ……な、馬鹿な! 無傷! 敵城壁、損耗見られません!」
エウル軍の物見兵が叫び、兵士に、そして将に動揺が走る。
既にこの一撃だけでも勝負が決まると、たかを括っていたエウル軍からすれば、目を疑うような光景だった。
ろくな兵士もいない辺境の軍。
それも、囚人達をも駆り出した烏合の衆。
砦を埋め潰す程の岩弾による攻城魔法。
それが、たかが数百人の弓で防がれたのだ。
「馬鹿な! なぜあの程度の、壁と呼ぶのさえおこがましい砦に魔法が届かない!」
第二波の砲撃も防がれ、エウル軍の部隊長が憤る。
「恐らくは風の魔法を付加させた矢による迎撃かと。こちらが大地系魔法を使用したのを見て、風の矢で撃ち落としたのでしょう」
そばに控える魔法使いが分析する。
だが、それはありえないことなのだ。
「そんなことは見ればわかる! 問題は、なぜそんなことが出来たのかということだ!」
魔砲隊による、大岩を飛ばす投石魔法。
いくら強力な術を仕込んだとしても、岩を一本の矢で砕くというわけにはいくまい。
七千の岩弾。
仮にひとつの岩に対し、四発で迎撃できたとすると、およそ三万の矢が必要だ。
それを既に二回。
となれば、この戦闘の開始よりも前に、六万本もの矢に風の守護を与えたとでも言うのか。
さらに言えば、こちらが初手でどんな攻撃をするかは、無論知る由もないだろう。
四大属性の魔法に、物理的な攻城兵器。
いっそ、兵による物量戦という方法もある。
その全てに対応しうる用意を、あの粗末な城壁と僅かな兵力で用意しているとでもいうのか。
部隊長は戦慄を覚える。
最前線部隊である自分たちだけでも敵の倍以上。
後方にはさらにその倍のムルムの本隊が、そして、未だ到着していない本軍は、さらに五倍の兵力がある。
兵の損失すら起こりえない、圧倒的な大戦力。
楽観視していた敵の砦が、急に得体の知れない城壁に感じられる。
だがそれ以上に、それほどの大戦力を有しながら、開戦の狼煙をあげることが出来ずにいる自分を、ムルムが許すはずもないという事実に、膝を震わせずにはいられなかった。
「えぇい、突っ込めぇい! なんとしてもあの城を燃やすのだ!」
部隊長は、自らも騎乗し戦線へと駆け出す。
前門の虎、後門の狼。
もはや生き残る道は、死力を尽くしてあの不気味な砦を落とすことしかなかったのだ。
「恐ろしいまでに予想通りですな」
「まあね。冷静になってみれば、どれほどの大戦力も対応策なんか出てくるさ。まして、ここには僕がいるんだから」
眼下の光景にケルカトルが息を呑む。
現状、こちらの想定通りに事は進んでいる。
相手は、圧倒的という言葉すら愚かしい程の大戦力。
無駄な策など不要。
ならば定石の通り、大魔法で砦を破壊し、その後に本隊が攻め寄せるはずだ。
問題は、初撃の大魔法をどうやって防ぐか。
火水土風の四大魔法にその複合魔法。
攻城兵器を用いた物理的な攻撃手段もある。
だが、これについては問題がない。
相手が用いるのは、大地系魔法による砲撃、それしかありえない。
まず工作兵による攻城兵器。
これは考えなくてもいいだろう。
起伏の多い山奥にあるこの地だ。
大型の兵器を持ち込むには難がある。
まして相手は、魔法使いが多いムルムの軍だ。
間違いなく初手は、魔法による大規模攻撃となる。
最も攻撃力の高い火炎系魔法。
これが一番ありえない。
周りは油分を多く含む樹林。
万が一どころか、ほぼ確実に自身も被害を受ける。
さらに、砦を燃やしたところで彼ら本来の目的は、この地に巣食う盗賊団だ。
進軍の妨げとなる山火事など起こさない方がいい。
烈風系魔法も除外される。
風とは、押し出す方向だけでなく、後方にも吸い込む力がかかる。
後方に味方がいる場合、風魔法という選択肢を取るのとはできない。
冷気を宿す水氷系魔法もありえない。
土は水に強い。
木と岩の砦に冷気の魔法は使ってこない。
氷塊を用いた物理攻撃ならば有効かもしれないが、これは技術的に不可能だ。
一人二人ならばともかく、それほどの大魔法を使える人材は、それほど多くない。
軍隊という統一した行動を求められる場では、下限の兵に力量を合わせざるをえないのだ。
同様に無属性の物理魔法も用いることは出来ない。
繋魂のような基本魔法はともかく、無属性魔法は、基本的に四属性複合の高等魔法。
中にはそれを使うことが出来る術者はいるだろうが、今この場では選択肢から外れる。
残るは、大地系魔法による大岩の砲撃となるわけだ。
相手の初手は分かった。
ならば対策は講じれる。
それは、至極簡単だ。
矢で撃ち落としす。
それだけだ。
目の前の空間を埋め尽くすような無数の大岩を、たかが弓矢で迎撃できたのには、もちろん種も仕掛けもある。
破砕散弾と名付けた矢には、風の魔力が付加されている。
ただし、第二領域クラスの魔力効果を込めた矢だ。
土は、風に弱い。
そして用意した矢は、一つ一つ狙いをつけて撃つのではなく、十数本ずつを束ねてばらまくようにして放っている。
高速で迫り来る大岩を一つ一つ狙いをつけて撃つなど不可能だ。
ならば、威力は魔法でカバーする。
さらに言えば、矢も通常の使用ではなく、そこら中にある木の枝を簡単に払ったものでいい。
数百の兵がばらまく数千の矢による、擬似的な風の障壁。
それがことの真相だ。
「さあ、まずは前衛部隊が突っ込んできますよ。ケルカトルさん、出番ですよ」
地鳴りとともに迫るエウル軍を眼科に置き、ケルカトルを見つめる。
「おぅ。“蛇王”の、そして“鋼撃”の戦ぶり、とくと見てもらおうか」
ケルカトルは、踵を返し階下へと降りていく。
白銀の兜を着けていたが、その表情は分かる。
獰猛な獣。
親友のものと同質のそれを見て、迫るエウル軍に訪れるだろう不幸を哀れんだ。




