第八章)混迷の世界へ 同盟
▪️四大国・エウル王国⑦
「はじめまして。“反逆者”のアロウ=デアクリフと申します。……“密林の蛇王”の蛇王さん」
「……どうやって分かった?」
しばらくの沈黙の後、ケルカトルが呟いたのは、それを言外に肯定するものだった。
静かに、ただ静かに呟いた。
もし、ここが街中であったなら聴き逃してしまいそうなほどに小さな呟き。
だが、それと同時に放たれた殺気は、これまでに感じた誰のものよりも強大だった。
ミシリ。
机が、ソファーが、床が、壁が、空気が軋むように錯覚する程に濃密な殺気。
気の弱い人物ならば、それだけで絶命してもおかしくない。
「いくつかの違和感。そして、先日の戦いですよ」
全身が総毛立つ。
だが、それを悟られぬよう、穏やかに微笑みうけながす。
今ここは戦場だ。
剣や杖は持たないが、僕と彼との一騎打ちの場である。
この戦いの趨勢により、この先の展開が決まると言っていい。
腹に力を入れ、笑顔で彼を見つめる。
「まず、僕達が違和感を感じたのは、この国の民の笑顔です」
「……何?」
ケルカトルの表情がぴくりと動く。
鬼神のように凄惨な顔つきから殺気が僅かに弱まる。
「知っての通り、僕達はたったの四人。二万人とも言われる大盗賊団相手を相手にするには、何もかもが準備不足でした。」
すっと席を立ち、少し離れた暖炉の上に置かれた水差しを手に取る。
「どうぞ」
「む……」
カップを二つ手に取り、ケルカトルの分も水を渡す。
待ち合い客に茶も出さないとは、まったく嫌われたものだ。
とはいえ、それは少し正確ではない。
待っている間に茶が出なかったのはその通りだが、ケルカトルがやってきた段階で、この部屋には人払いの結界を貼ってある。
それなりに魔法の耐性を持つものでなければ、無自覚レベルの意識に働きかけ、この部屋へは近づくことが出来ない。
探知も働かせているが、念の為だ。
「そこで、僕達が最初に行ったのは、城下町の探索です。すると不思議なことに、街の人々の表情が皆明るいんですよ。国民の総数に倍するような盗賊団が、すぐ近くに潜んでいるというのに」
そうなのだ。
いくらこの国自体での被害がすくないとはいえ、全くのゼロではないし、ならず者というかだけで過剰に反応してもおかしくはない。
それなのに、城下町は明るく賑わっていた。
「盗賊団は、一部の民に施しを行っているとも聞きますし、国内で襲われた荷の半分以上ほどは、この国へ納める税としての荷物だったとか。そして、エウルへ支払う上納金についても、納めるものがなければ今のエウル国王は、無理な徴収は行わない」
これが、希代の悪王などならば、そんな事情は知ったことではないと、規定の上納金を何としてでも回収しただろう。
だが、バルハルト王は、支援こそしないが過度な徴収も行わない。
つまり、支払うための税が回収出来ない以上、その幾らかが減免出来るのだ。
「それじゃあ、黒幕は誰か? 上納金を惜しんだ国王陛下? いや、先日の応対を見る限り、陛下にそんな器用な真似は無理だ。それならば誰か? そこに先日の戦いですよ。“鋼撃”、でしたね。あれを見てすべてが繋がりました」
一撃を持って全身ごと拳を突き出す動き。
あれは剣術のものでも、まして無手の拳に由来するものでもない。
そして、あの日、蛇王の槍さばきに同じものを見たのだ。
「“密林の蛇王”とは、ドルネクを中心に集まった盗賊を手懐け、被害を最低限に収めるための組織。加えて、ドレーシュの財を奪うことでエウルへの上納金を低減。そして、無駄にエウルへ送られるはずだった財を民へ返還する。そんなこと、国の内部に精通し、ある程度の権限と実力を持った人でしかなし得ない。……あの日現れた黒鎧の蛇王。あれはあなただ。」
いつしかケルカトルが放つ殺気は、ほとんど無くなっていた。
その代わりに、表情は益々の凄惨さを帯びる。
先程までの殺気は、威嚇の意味もあったのだろう。
そこにあるのは決心。
事がここまで露見してしまえば、もはや最後まで決着をつけざるを得ない。
だが、それは僕の望むところではないのだ。
「ならば……どうする」
ケルカトルが腰を浮かす。
机を挟んだ位置で向かい合っているのだ。
傍らの槍では間合いが近すぎる。
だが、拳で代用したあの一撃。
懐に伸びた手には、刺突用の短剣でも忍ばしてあるに違いない。
「取引きをしましょう」
「……なに?」
ケルカトルの動きが固まる。
前垂れの中に差し込んだ手から柄が見えているが気にしない。
「取引きをしましょう。ケルカトルさん」
もう一度、同じ言葉を繰り返す。
その意味を測りかねているのだろうケルカトルは、それでも話しを聞いてはくれるようだ。
右手を外に出し、ソファーに座り直した。
「エウルから物資を送ります。必要な物は奪ってください。但し、商人達に被害が出ないようにお願いします。時期を見てそういう偽装ではなく、普通に援助できるようにしたいと思っていますが」
ケルカトルの目の色が変わる。
ここの数週間ほど、僕達の妨害によりろくな成果を挙げられていないはずだ。
直接の配下たちはともかく、元々の盗賊たちを抑えるには厳しいはずだ。
「……それで何をさせるつもりだ?」
「“密林の蛇王”は、盗賊団ではなく、反エウル組織、というのはどうでしょう?」
「ば、ばかな! 貴様、エウルの騎士だろう!」
ケルカトルが激昴する。
やっていることは盗賊行為とはいえ、その本質は国を想うが故のことである。
騎士でありながら、反エウルを誘う言葉が信じられないのも無理はない。
だが、
「あれ、先程名乗りませんでしたか? “反逆者”のアロウだと」
そうだ。
そもそも僕は、騎士ではない。
正確には、騎士としてここに来てはいない。
雇い主のいる冒険者としてここにいるのだ。
「……なるほど。たが、騎士としての貴様はどうする。“蒼龍の角”は、“密林の蛇王”の討伐を命じられたのだろう?」
ケルカトルの疑問ももっともである。
冒険者のそれとは違い、騎士にとって任務とは必ず成し遂げなければならないものである。
それも王命とあっては、失敗とは命に関わるものなのだ。
だがその答えはもう決まっている。
「ええ。僕はこの剣の誇りにかけて、国王の騎士となりました。……なりましたが、そこはほら、僕は魔法使いですし。剣に誇りはありませんよ」
そもそもがエウル王家自体には、義理も何も無い。
ギルドに迷惑がかからないように城へ赴いただけで、騎士という地位に未練などない。
僕達はSランク。
エウル軍を相手としてもなんとでもなる。
いざとなれば南国でも西国でも頼ればいいのだ。
「くっ、ふはははは。……いいだろう。どのみち正体がバレてしまった以上、他に打つ手はない。その甘言、ひとまずは聞いてやろう。ただし、乗るかどうかはそれから決める」
蛇王・ケルカトルは豪快に笑い、手に持った水を一気に飲み干した。
聞いてから決める、とは言ったものの、その答えはもう決まっているようだ。
その証拠に、先程まで険しかった顔つきは穏やかに晴れわたっている。
この日、“反逆者”は、ドレーシュ王国という後ろ盾を得ることとなる。




