第八章)混迷の世界へ 蛇王の急襲
▪️四大国・エウル王国③
「冥府の底とは恐れ入ったぜ。たかが冒険者四人が図に乗りやがって」
ムルムが嘲るように笑う。
エウル王国正規軍、第七軍団。
“荒廃”の二つ名を持つ彼らは、高火力の魔法使いを多く抱える、殲滅専門の部隊だ。
その数、二万。
彼らが通った後は、町も家も人もない荒廃した原野のみとなると言われている。
狭いこの山間の集落に留まっているのは、たかが千五百人ほどになるが、軍団長であるムルムが出撃している以上、付近にいる兵士たちは、その精鋭部隊だ。
エウルの軍には、基本的に兵站という概念はない。
ノガルド連合圏内の国では、例えエウル国外であろうとあらゆる資材の徴発が認められている。
無論、最低限の資材や医療部隊は存在するが、一応という域を出ない。
自軍の兵士ですら、損傷すれば現地の兵を動員すればいいと考えている。
腹が減れば奪い、武器が損耗すれば奪い、女が欲しければ奪う。
それが合法的に認められているのがエウルの軍だ。
故に、今この場にいる千五百人、その全てが補給専門の後方部隊などいない、戦闘用の兵士なのだ。
「はっ、調子に乗りやがって。……全軍! 盗賊の残党を確認。嬲り殺せぇっ!」
ムルムの号令を受け、千五百の兵士が武器を取り陣を構える。
鎧が擦れ合い重く鈍い擦過音が重なる。
魔杖に魔力が巡り、唸り響く。
「第一から第四小隊、突撃形態! 相手を四人と思うな! 千人の軍隊だと思え!」
「第十小隊以降、魔力充填! 合図を待て!」
指揮官の叫び声と、それに呼応する兵士たちの咆哮と足音。
平地の少ない土地のせいもあるだろうが、その様は四方の山が雄叫びをあげているようにも思える。
「くはは、圧倒的だなぁ、おい。たった四人で、この“荒廃”の騎士団から逃げられるとでも思ったか、馬鹿め。“魔帝”だなんて呼ばれて、魔王かなにかにでもなったつもりかぁ?」
高らかに哄笑するムルム。
だが、僕達はといえば、その様子をただ冷ややかに見つめるのみだ。
「『魔王』、ね」
苦笑する。
確かに、人間の王国軍に敵対するというのなら、それもいいかもしれない。
だが、それは今でなくていい。
なぜなら、
「自分たちが人間のつもりとは、恐れ入るよ。この外道が!」
奴らは人間じゃないっ!
「はっ! とっとと死ねぇ!」
その叫び声をもって、暴虐の幕は開かれた。
「魔導兵、放てっ!」
初手は、二百名以上の魔法使いによる砲撃だった。
まずは無詠唱の魔力弾斉射。
火炎系魔法・炎弾。
水氷系魔法・氷弾。
大地系魔法・石弾。
烈風系魔法・風弾。
あらゆる攻撃魔法の中でも基礎中の基礎。
しかし、だからこそ構築が早く牽制や連射には最適だ。
しかも無詠唱とはいえ、二百名からなる中位の魔法使いが放つ魔法だ。
炎弾は火災旋風に、氷弾は吹雪に、石弾は土石流に、風弾は竜巻にと、その猛威を存分に振るう。
間髪入れずに、今度は後方に備えていた三百人の魔法使いが、簡易詠唱をした中位魔法を放つ。
爆炎系魔法・紅咆哮。
氷雪系魔法・氷蛇。
自然系魔法・深緑粘毒。
炎熱系魔法・炎獄千手。
二属性の複合魔法の乱舞。
紅き光線が、白き大蛇が、禍々しき触手が、夥しい数の手が襲いかかる。
千人の軍隊と思え。
彼らの指揮官のひとりがそう叫んでいた。
なるほど、確かにこれほどの攻撃ならば、軍隊も消し飛ぶのかもしれない。
「はぁ。これで終わり?」
激しい弾幕。
土煙と炎と水が反応した水蒸気が一陣の風と共に吹き飛ぶ。
「……ば、ばかな。無傷、だと?」
速射性のある小魔法による牽制から高威力の高位魔法による重爆。
それでも、僕たちにはぬるすぎた。
メイシャの結界、リリィロッシュの暴風陣、ラケインの剣技の前には、この程度の攻撃など涼風に撫でられたようなものでしかない。
「千人の軍? 僕達はSランクだよ?」
ほんの僅かの威圧を込めて、殺気を放つ。
兵士たちは、その圧に押され僅かに身じろぐ。
それはそうだろう。
過剰戦力であるはずの攻撃を加え、勝敗など覆るはずもない。
それがこの結果なのだ。
それでも、命令がある以上逃げるわけにも行かない。
敵前逃亡は重罪である。
「怯むなぁ! 魔導兵、再充填。魔法剣士隊、突撃っ!」
後方に控えていた千人の兵士が、津波のように押しせる。
その時である。
「暗黒系魔法・混沌の光。」
漆黒の光線が走る。
熱はない。
だが、それに触れたものは、黒く
燃え上がる。
「ぎぎゃぁーっ」
「ひぃぃ、き、消えねぇ! 火が、火がぁぁ!」
叫び声が響き渡る。
これが闇属性である暗黒魔法の恐ろしさだ。
火・水・土・風の四属性。
その全てを極めた者のみが扱えるのが、闇属性である。
四属性を正とした時の負。
表に対する裏。
それが暗黒の魔法なのだ。
その特性は反転。
氷のように冷たい闇の炎は、実態がない影ゆえに、簡単に消すことが出来ない。
先程の魔法で運良く直撃し、命を落としたものは幸いだ。
不運にも、黒い光を掠めただけの兵士たちは、冷たい炎に焼かれ苦悶の声を上げ続ける。
「はっはっはっは。とうだ? 俺の暗黒魔法は? って、お前らは無事なのかよ。だが、おかげでまだまだ楽しめるじゃないか」
黒い光を放った犯人、ムルムは嘲るように高らかに笑う。
「ム、ムルム様! 兵に被害が、おやめください!」
小部隊を率いる隊長格がムルムに訴える。
だが、ムルムの答えは、いや、答えですらないその反応は、
「あぁ? 何お前ら手を休めてんだよ。とっととまとわりついて足止めしろよ。それとも、お前から焼かれるか?」
自分の為に死ね、だった。
「ひっ! く……っそぉぉ! ぶつかれ! 全員で一斉にかかれぇ!」
戦場は混沌とした様相を帯びてきた。
配下すら道具として使い捨てる“荒廃”。
その巻き添えを恐れ逃げ惑うもの。
絶望から自暴自棄に突撃をするもの。
闇の光に焼かれ苦しみ悶えるもの。
山間にある小さな広場は、正に阿鼻叫喚の地獄と化した。
そこに新たな一撃が入る。
凍てつくような叫声の響く中、エウル軍の後方から熱気の篭った雄叫びが上がる。
「報告します!」
伝令の兵が、ムルムの前に駆けつける。
「なんだよ今度は」
苛立たしげに応じるムルムに怯みながらも、伝令の兵は口早に叫ぶ。
「“密林の蛇王”です! 散発する雑兵ではなく、蛇王の旗を持つ本隊が急襲!」
「あぁ? このタイミングでかよ!」
その報を聞き、そちらへ目をやる。
黒地に白い刺繍の蛇が描かれた旗。
手勢はおよそ百か。
そしてその先頭に、一際体の大きな盗賊が見える。
全身黒づくめの重鎧を身につけた鬼神。
「やっと出てきたか。……あれが、“蛇王”」
それが、二万の大盗賊団の首領、蛇王と初の邂逅だった。
炎獄千手……爪ではなく、地を這うのクロウです。




