第八章)混迷の世界へ 虎の尾
▪️四大国・エウル王国②
「弁解を聞く必要はあるかな?」
努めて冷静でいようとするが、それは僅かばかりに残った理性をフル稼働させているだけの事だ。
「ふん、なるほど。国王の犬か。Sランクの名は伊達ではなさそうだな」
広場の中心で座っていた騎士はそう呟き、椅子からゆるりと立ち上がる。
その仕草は慇懃無礼も極まりない。
だが、今その瞬間が幻であったかのように、すぐさま居住まいを正し、極めて礼儀正しく、それこそ一部の隙もない程に完璧な礼をとる。
「お初にお目にかかります。“蒼龍の角”の“魔帝”アロウ=デアクリフ様とお見受けいたします。手前は、エウル王国軍第七軍団長ムルム=マギーヨ。此度は、総司令ガラージ殿下の命にて、北方に蔓延る“密林の蛇王”の誅滅に馳せ参じました」
目の前に跪き、封書を掲げ差し出す。
確かに、王国軍のトップであるガラージ王子からの指令書だ。
書かれた内容にも差異はない。
改めてムルムと名乗る騎士を見る。
細面に刈り上げられた緑の髪。
背はラケイン程か、かなり上背があるが細い体躯のせいで大柄なイメージはない。
傍らに置かれる長い錫杖を見れば、戦士ではなく魔法使いのはずだ。
だがそんなことよりも、一番に目を引くのは、切れ長の細い目だ。
細い目は生来のものだろうが、さらに薄く目を伏せているせいで、視線がどこを向いているのか分かりづらい。
一目には笑顔では目を細めているようにも見えるが、その実、冷静にこちらの様子を伺っていることがわかる。
そして、醸し出す気配は、冷徹でへばりつくような殺気。
完全にこちらを獲物としてしか見ていない。
「で? だから?」
だが、そんなことはどうでもいい。
王の直轄部隊である僕達と、国王軍の任務が被った。
話はそれだけで、そんなことは特段問題でもない。
「この虐殺になんの意味があるんだって……、訊いてるだけど」
怒気をこらえる。
相手は、形の上では最上級の礼をとっている。
軍には、戦闘を行う兵士だけではない、戦闘や交渉の記録を取るためだけの兵も存在する。
だからこそ、こちらが先に手を出したり、非礼をとったりすれば、国賊と判断される口実を与えてしまう。
ムルムは、それを分かって敢えてこんな芝居をうっているのだ。
「さて、何のことでしょう? 手前共は、盗賊を誅滅しただけですが」
「おい、ふざけるなよ? その死体の山はなんだよ! この先にあった集落の惨状はなんだよ! 囚われている女性達はなんなんだ!」
ムルムは、緩やかに立ち上がり、薄ら笑いを浮かべながら大げさに両手を上げる。
本性を出した、いや、こちらの怒りを引き出した以上、礼をとる必要もなくなったと判断したのだろう。
「おやおや、怖いですね。あれは皆、盗賊団の一味ですよ。一部の盗賊は聴取するために捕らえましたが、なにか問題でも? ああ、そういえば不思議と女性達ばかりですが、これからじっくりと尋問しなければなりませんがね。……それとも、彼らが盗賊でないという証拠でも?」
「くっ……」
嫌味な程に正論だ。
もちろん偽りばかりで正義すらない。
だが、大義も正論もあちらが持っている。
盗賊団を撃退した王国の騎士。
確かに、犠牲となった彼らが、盗賊ではなく村人だったという証拠などない。
いや、その証拠など彼らが燃やしてしまったのだ。
「ふっ。それはさておき、どうやら不幸にも上からの指示が重複してしまったようですね。そちらも任務を果たさなければならない。手前共も任務を果たさなければならない。そこでどうでしょう? “蒼龍の角”の皆様。正式に王国軍に編入されるというのは?」
ムルムは、下卑た笑顔でひとつの案を提示する。
「王国軍に? 国王直轄ではなく、軍に編入されると?」
「えぇ、その通りですよ。軍とは一つの生き物。そちらが任務を果たして頂ければ、手前共がこの地にいる必要も無い。皆様も任務が果たせ、手前共も荷が下ろせる。相互の利益という訳です」
ムルムの表情からは、どれほどの感情も見いだせない。
薄っぺらな笑顔。
どちらでもいいのだ。
僕達が話に乗ろうと乗るまいと。
恐らくは、最初からこれが狙いだったはずだ。
“蒼龍の角”の引き抜き、それが彼らの本命だ。
だが、それに失敗したとしても……
「一応聞くよ。僕らがそれを断ったら?」
ムルムは、その言葉を聞くと、ニヤリと笑う。
先程までの作られた笑顔ではない。
本心からの愉悦の表情だ。
「どうもしませんとも。手前共は手前共で任務を果たすまで。無論、その間に盗賊の一味の集落がなくなるかもしれませんがね」
やはり、ガラージ王子の思惑とは別に、ムルムには、その流れになった方が楽しめるのだろう。
「外道が……」
隣に立つラケインは無表情だ。
ラケインは、激しい戦いに燃えると獰猛な闘気を撒き散らしながら狂気の哄笑を作る。
だが、今のラケインはその真逆だ。
何の感情も表に出すことなく、その怒りや義憤の全てを腹の奥底に溜めている。
あと一押し、なにかきっかけがあれば、もう僕でもと止めることは出来ないだろう。
もっとも、それは僕も同じなのだが。
「どうします? 我らの傘下に降るか、民を見殺しにするか。Sランクの英雄どのならば、どうすべきか悩むまでもないでしょうに」
ムルムは、勝ち誇り高らかに笑う。
もはや口調も礼儀正しいものに整えることすらない。
なるほど、確かにもう王国軍に加入する以外に、罪なき民を守る術などない。
……普通ならば、だ。
「ムルム軍団長。あなたは二つ、勘違いをされている」
言葉を選び、静かに語りかける。
ムルムは、思ったものと違う反応が帰ってきたことに戸惑う様子を見せるが、すぐさまに気持ちを切り替えこちらに備える。
「勘違い、ですと?」
「ええ。一つは、僕達は陛下の忠実な部下でも、騎士の地位を望んでいるわけでもないという事。別にわざわざそちらに取り込まれなんかしなくても辞めればいい。騎士の地位なんか興味が無いんですよ」
実力はともかく、軍の重職にいる以上、このムルムという男も貴族の出身だろう。
だから間違えた。
僕達が、必要ならば騎士の地位などいくらでも捨てられるということ。
国王の命令など、正直なんとも思っていないということを。
「くっ、愚かな。……我らの軍に盾突くとはな。だが、それならばさっさとエウルへ逃げ帰るがいい。貴様らのような愚物、取り込むまでもない。ガラージ殿下もご理解くださるわ」
国王の命令を破棄するのならば、僕達に突っかかる必要も無い。
さっさと帰れと、手を払うがそうではない。
「愚かはどっちだろうね。僕は勘違いが二つと言ったよ?」
「なんだと?」
話は最後までよく聞くこと。
そして、喧嘩を売るなら相手をみること。
この魔族も人間も、このどうしようもない現実に生きる以上、ルールは一緒だ。
かつて、人も、魔も、魔王に挑んだ多くの敗者に吐いた言葉を、まさかこの身で今更吐こうことになるとは。
「貴様らは強い、強いのだろうな。その矮小な身で目の届く小さな範囲の中では。だがな、覚えておくがいい。この世には、上には上がいるのだと。この“魔帝”の前に立った浅慮。冥府の底で嘆くがいい」
ムルム=マギーヨ:マ行のムルム。えぇ、ほかの軍団長もアカサタナの順で名前つけてます。




