第八章)混迷の世界へ 王子、二人
▪️嵐の前の静けさ①
「ちっ、使えん奴らめ。まぁ、いい。屋敷の偵察隊に合流させろ」
受け取った報告書を一瞥するとすぐに興味を失い、丸めて床に放り投げる。
報告書を持ってきた兵士は、真っ青な顔をあげ、足早に部屋から逃げ出して行く。
彼にとって何よりも幸運だったのは、彼の主がその任務に重きを置いていなかった事だ。
時期が時期だけに念の為、その程度のことだった。
そうでなければ、主の傍らに控える騎士の刃がその首に吸い込まれていたことだろう。
ガラージは、ため息混じりに窓の外へと視線を送る。
末の第三皇子の監視。
そんな些事よりも大きな事柄がその視線の先にある。
その見つめる先には、王城の一角、国王の居室がある尖塔が見えている。
「あのジジイめ。いらぬ欲を出しやがって」
思わず力が入り、手に持つペンをへし折ってしまう。
「おぉっと」
二つに割れてしまったペンを思わず元に繋げようとして苦笑し、ペンを放り投げた。
割れてしまったものは、もう二度と元には戻らない。
そう、それは、父と子、兄と弟の関係であったとしてもだ。
東の雄、四大国の一であるエウル王国。
その第一王子であるガラージは、生まれながらにして、世界の四分の一を治める運命を負っていた。
父である国王バルハルトによる政治は、まだ幼かった当時の彼から見ても、お世辞にも良いものとは言えなかった。
役人から賄賂を受け取り便宜をはかる。
意味不明の税を制定し、民や同盟国から金を巻き上げる。
美女を、宝飾品を、高価な珍味をと、その財を湯水のように使う姿には、幼心に呆れたものだった。
だが、彼に幸いだったのは、父王は愚かではあったが、人の道を踏み外すような外道ではなかったことだ。
良い王ではなかったが、少なくとも悪い父でもなかったのだ。
集めたその財を、自分のためだけではなく、子供であるガラージや弟達のためにも使っていた。
昔は、それなりに仲のいい家族であった。
幼い頃には、領内の森へ散策へ行き、誕生日の祝宴には贅を尽くした宴を開き、剣術の真似事も父から手ほどきを受けたものだ。
それがいつのころからだろう。
互いに牽制しあい、疑い、間諜を走らせ、謀略をかける。
そんな間柄となってしまった。
しかしガラージは、その事を特に不幸とは思わなかった。
確かに幼き日の楽しかった思い出を懐かしむことはあっても、これも王たるものの宿命だと受け入れている。
全てはより良い王となり、より良い国を作るための、いわば試練のようなものだと考えていた。
だからこそガラージは、軍を掌握した。
力とは、すなわち力だ。
何も難しい謎かけなどではない。
圧倒的な力。
それは、外敵を打ち払い、内政を統括し、外交においても優位を確立するものだ。
事実、ガラージが軍のトップとなって以来、連合国内に大きな内乱は起きていない。
それまでは、魔族の侵攻時はともかく、属国同士の小競り合いや、地方領主の反乱などが多発していたのにも関わらずだ。
王宮を含むあらゆる場所での武装を許可した翠龍騎士団による統制。
そして、それを基盤とした国王軍、連合軍の支配。
それがこの国の力だった。
それがどうだ。
今年、新たにSランクの冒険者パーティが誕生したという。
それ自体はいい。
この国に大きな利益をもたらす、喜ばしい事だ。
だが、それを国王が召し抱えるとなれば話は全く変わってきてしまう。
個人Sランクの化け物共はともかく、パーティSランクの奴らにしても、一国の軍に匹敵すると言われるような人外共を御しえるなどありえない。
そんな奴らを国の内部に取り込めば、一時的に国力は上がるだろうが、遠からずこの国の害となることは明白なのだ。
何より、この国をまとめているのは、自分の力、それだけでいい。
頭が二つある化け物の倒し方など、新兵ですら知っている。
注意を二手に引き、動けなくなった胴体を攻撃する。
つまり、国の勢力を分離させ内乱でも起こせば、この国は滅ぶとは言い過ぎでも、混乱は免れないだろう。
まして、件のパーティは、南国とのつながりも深いという。
まさに巨獣に巣食う病魔である。
なんとしても、かのパーティと国王を合流させてはならない。
こちらの陣営に引き入れるか、いや、それでは王とやっていることは変わらない。
だが、少なくとも後見にでもなり、王から離すようにはしなくては。
それも叶わぬようならばいっそ……。
ガラージは、しばらく思案してから補佐官を呼び、次なる策の下知をだすのだった。
王宮の奥深く、窓ひとつない石室の中、その男は大量の報告書を一枚一枚吟味していた。
宰相である第二王子・ザハクだ。
「ふむ、兄上の配下も存外使えないのですね」
報告書を読み終わると、手元のロウソクで火をつけ燃やしてしまった。
「はっ、こちらの間諜も手配できますが、いかがしましょう」
補佐官が軽く腰を曲げ低頭したままの姿勢で意見する。
宰相であるザハクに、軍の一部である諜報部隊を指揮する権限はない。
だが、金を握らせてその情報を流させるなどは容易いことだ。
最近、王族の立場から逃げ出した末弟が、ふらふらと王都に出入りしているようなのだ。
もはや王位継承権も失い、取るに足らない男となったが、あれで地方の領主からは信が厚いようだ。
時期が時期だけに用心に越したことはないと警戒していたが、今回彼らは任務に失敗してしまったらしい。
「いえ、結構。兄上の配下と鉢合わせて、こちらに注意が向くよりはいい。また報告書をよこしなさい」
「かしこまりました」
補佐官は姿勢を崩さず、礼を取ったまま後退し、物陰へと消えた。
「まぁ、あのような弟に何が出来るわけもなし。そうなればやはり“反逆者”とやらの方が気になりますね」
ザハクは、別の報告書の束を紐解く。
そこには、新しくSランクとなった冒険者パーティの資料が載っている。
ノガルドの育成学校を卒業。
在学中にも異例の特別クラス制を採用するなど、当時からその才能はずば抜けていたらしい。
リーダーの歳は十九。
他のメンバーも同じような年頃らしい。
字付きは、Aランクともなれば珍しくはないが、パーティ全員がそうだとなれば、なるほど、Sランクたる器と言っていいだろう。
「やれやれ。こんな事態になるのであれば、Aランクのうちにつばをつけておけば良かったですね」
ザハクは、報告書を紐で閉じ、棚の片隅へとしまう。
現在、ザハクの立場は微妙なものである。
宰相、つまり、この国の政治の頂点ではあるが、その実体は金庫番に等しい。
無論、様々な法や政策を打ち上げ、金と人の動きを全て手中にしていると言えばそうではある。
だが、法ひとつ動かすにしろ、実際には兄の軍の力を借りなければいけないし、父に至っては、その一言によって、自分が年単位で調整してきた法をねじ曲げるだけの権力を持っている。
だが、それでもザハクには、この国を動かしているのは自分だという自負があった。
確かに、自分には、武力も権力もない。
たが、権力だけがあっても国は動かないし、軍を維持するにも金はかかる。
そのどれもが欠けてはならない。
自分は唯一の頂点ではない。
だが、確実に頂点の一つではあるのだ。
しかし、ここで事情が変わる。
最近、話にも聞く若い冒険者がSランクの指定を受けたのだ。
現在のエティウ将軍である“白き刃”とその相棒、“黒き閃光”がSランク指定を受けて以来、七年ぶりの事だ。
それが自国のギルドから誕生したということは喜ばしい。
しかし、国王がそれらを配下に迎えようとしていると言う。
そうなれば、この国のパワーバランスは崩壊する。
権力しか持たない国王に、一国に相当するとされる武力が加わる。
それはこの国が武力を基本とする国となることを意味し、副次的に同じく武力を司る兄の力が増えることも意味する。
そうなれば、自分の地位は、正しく金庫番のみとなってしまうことだろう。
これまでも、国王の散財や兄の軍事力をなんとか支えてきたが、それは、自分自身も利益を得るついでのようなものだ。
だが、これからはそんなことも許されなくなる。
なぜなら、自分は頂点ではなくなるからだ。
それだけは避けなくてはならない。
「さて、どうしたものですかね」
そう言いながらもザハクは、悩む素振りなどしない。
自らの力の象徴であるペンを取り、すらすらと配下への指示を書き出すのだった。




