第八章)混迷の世界へ その男、リヴェイア
▪️東国の王子⑥
「いらっしゃいませー。ご要件はなんなのさ?」
満面の営業スマイルに切り替えたルコラさんの前に現れたのは、ゆるくカールした茶毛、キザ風な甘いマスクに安物ではあるが清潔なシャツを身につけた、いかにも遊び人風の若い青年だった。
表で僕達の会話を聞いていたようだが、1週間を使いたいとは言いつつも、僕達の方へは目もくれず、真っ直ぐにカウンターへと向かう。
よたよたと千鳥足でギルドへ入り、すれ違いざまに酒の匂いを撒き散らし、明らかに正常の状態とは言い難い。
「あははー、猫耳のかわい子ちゃん。僕の依頼、聞いてくれるかなぁ」
「はい!ご要件はなんなのさ?」
完全に泥酔している酔っ払いにも、不動の笑顔で答えるルコラさんだが、青年はフラフラと足をもつれさせながらカウンターへと近づき、倒れ込みながらも慣れた手つきでルコラさんの手をとる。
「とある凶悪な泥棒を捕まえてほしいのです。犯人は、僕の大切なものを盗んでいきました。そう、それは僕の心! このあと犯人を捕まえに食事にでも行きませんか? 依頼料は僕のハートでいかがでしょう」
「はい。当ギルドのゴルマッチョイでよろしければ、お食事の同伴を200万ガルでお受け致しますよ?」
流石は百戦錬磨のルコラさん。
酒の匂いさえなければ、それなりに見目のいい青年に手を取り微笑みをかけられ、それでも満面の営業用の笑顔で答える。
ギルドマスターがルコラさんの幻影である以上、普段この事務所には彼女一人しかいないのだ。
登録している冒険者たちがいるとは言っても、《砂漠の鼠》の特殊なシステム上、当てにならないようなチンピラと変わらないような奴らがほとんどなのだ。
そんな状況で荒くれものが集まる冒険者ギルドを一人で切り盛りしてきたのだ。
酔っ払いのあしらいなど、まさに朝飯前と言ったところだ。
ちなみにゴルマッチョイさんは、実在する冒険者、というかすぐ横にいる、片目につけた眼帯と傷だらけの顔がトレードマークの筋肉ムキムキスキンヘッドのおじさんである。
今は何故か、後ろを向いたままこちらを振り返り、両腕を上へ丸くたわませ、背中の僧帽筋をピクピクと動かしている。
「この先に東岸系の料理がうまい店があるんです。そこで食事でもしながら僕達の未来を語り合いませんか?」
「ゴルマッチョイさん、依頼なのさ。食事と宿とサンドバック付きですが、どうなのさ?」
全く会話が成り立たないままに話が進んでいってる。
青年は熱の篭った潤んだ瞳でルコラさんを見つめ、その左手をがっちりと両手で包んでいる。
一方でルコラさんはといえば、満面の笑顔を崩さないままに空いた右手でサラサラと依頼書を書いてまとめている。
きっと本当にゴルマッチョイさんへの指名依頼を作っているんだろう。
当のゴルマッチョイさんといえば、二人の様子を見ながら、両腕を腰のあたりで丸く構え、左半身を取りながら見事な胸筋を隆起させている。
ちなみに青年の言う東岸料理の店も心当たりがある。
事務所から十数分歩いたところにある《青き渚》亭のことだろう。
二年ほど前にオープンした料理屋だが、片田舎であるドラコアスの街には似つかわしくない、ちょっとした高級店で、わざわざ近隣の町から若いカップルが馬車に乗って訪れるほどの人気店である。
何度かお邪魔したが、確かにあそこの料理は素晴らしい。
内装にも気を使い、東岸のリゾート地を思わせる雰囲気を醸し出し、この辺りの店では珍しく、給仕専門のスタッフを雇うほどの徹底ぶりだ。
王都の人気店などでは、せっかく訪れても満員で入れないなんていうことがよくあるが、魔法使いでもなければ、気軽に《繋魂》で予約をとるなんていう裏技が使えるわけもない。
しかし、ドラコアスという中途半端な立地が幸いして、繁盛しているのにも関わらず、ほとんど待ちが出ないというのも人気のひとつであり、僕も大型の依頼が片付いた後に、お祝いとしてリリィロッシュと食べに来ることにしている。
山奥の農村とはいえ、東岸出身の僕としては、かなりお気に入りの店だ。
「そこのトマトスープで煮込んだ魚が美味いんですよ。トマトの風味とジンジャーの香り、微かな酒精がほのかに漂い、魚を切り分けると赤いスープの中に目も覚めるような美しい白身が輝いているんです。その味と言ったらもう、酸味の中に魚の甘さが広がって。いつかあなたと本物の東岸へ……」
「はい、ゴルマッチョイさん指名なのさ。いってらっしゃーい」
そろそろ限界だな。
このままでは、今は横を向きながら両腕を上げ、天を仰ぎ見るようなポーズを決めているゴルマッチョイさんにお持ち帰りされてしまう。
その時、いつの間にか外へ出ていたリリィロッシュとラケインが、事務所に帰ってきた。
二人から目で合図を受け取り、カウンターへと近づく。
「あのお、表にいた怪しいやつは片付けときましたよ? そろそろ本題をお願いします」
カウンターの横から男性とルコラさんの間に割って入る。
そう。
青年が酔ったように見えるのは演技だ。
足はふらつき、この国では敬遠されがちな獣人のルコラさんに言いより、酒の匂いを撒き散らしながらも、その眼は静かに深く澄み渡り、知性の光を宿していた。
つまり、酔って正常でないように見せかけなければならない状態にあった、ということなのだ。
魔力を密にして探知をしてみれば、ギルドの周囲に五人、明らかにこちらの様子を伺う不審な人物が確認できた。
そこでリリィロッシュとラケインにひと働きしてもらったのだ。
「おや、流石はSランクの“反逆者”。鮮やかなものだね」
青年は、つい数瞬前までの緩みきった表情が嘘のように消え去り、その眼差し同様に聡明な顔つきとなってこちらを振り向く。
先程までとは違い、足取りもしっかりしている。
もしかしたら酒の匂いがするのも、服にわざと酒を染み込ませ、本当は飲んですらいないのかもしれない。
そう思わせるほどに、青年の佇まいは隙のないものだった。
「僕の名はリヴェイア。良かったら僕とそこの店で食事でもしないかい?」
やっぱり、ただの酔っ払いなのかもしれない。




