第七章)混沌の時代 その結末
▪️vs吸血の王⑦
「くっ、どうしたら……」
その時だった。
「わぁ、ユー君の言った通りですねぇ。これ、使ってみます?」
救いの女神が現れた。
「カーレン!? どうしてここに?」
「えへへぇ、ユー君が多分困ってるだろうから行ってきなさいって、これ、渡してくれたのぉ。」
カーレンが手にしていたのは、小瓶に入った青く透き通った液体。
《永遠なる眠り》の回復薬だった。
「カーレン、気持ちは嬉しいんだけど、回復薬じゃ効果はないんだよ。」
そうなのだ。
ラケインの症状は、単純な怪我や毒などによるものでは無い。
生きる力である生命エネルギーの欠乏症だ。
純粋に体力や魔力に作用する回復薬や魔力薬では、効果が出ないのだ。
「ふっふーん。まぁダメ元で飲んでみてぇ。ラケ君の一大事だしぃ」
しかし、カーレンは自信ありげに小瓶を手渡す。
回復薬か。
だが、他に手がないのも事実だ。
気休め程度にも、ラケインに飲ませるしかない。
ラケインが小瓶を受け取り、ガラスの栓を外し、口へと運ぶ。
「あ、すっごくまずいですよ」
「おぐ! ……ごく」
ほんの一口だけ薬を含むも思わず吐き出しそうになったようだが、ラケインの顔がみるみると赤みが増していく。
「……まず……い、いや、これは、体に気が満ちている?」
「なんだって!」
カーレンを見返す。
……物凄いドヤ顔だ。
「ささぁ、ぐいっとぉ」
「うむ……。ふぅ、いくか」
よほどひどい味なのか、ラケインも飲むのに一息ついて覚悟を決める。
ラケインが飲み干した瓶を受け取り、飲み口の雫をなめてみる。
「うげっ」
確かにひどい。
まず舌に来るのが痺れるような苦味。
続いて舌の奥の方にまとわりつき、口の中どころか内臓まで染め上げるようなしつこい甘さが襲いかかる。
だが、肝心の効能は本物だ。
体力そのものも確かに回復しているが、何よりも、失われた生命エネルギーが身体の中を激しく循環し増加してくるのがわかる。
「カーレン、これは?」
「K&K印のぉ、『ほいほい生える君・試作版』ですぅ」
いや、壊滅的なネーミングは置いておくとして、聞きたいのはそこじゃない。
「ラケインの症状は、普通の怪我じゃない、生命エネルギーの枯渇だ。回復薬じゃ効果はないはずなのに」
「うん、だってこれぇ、回復薬じゃなくて、木の栄養剤だもん」
「え、栄養剤?」
カーレンがあと四本、同じ小瓶を差し出す。
確かに。
よく見れば見覚えのある《永遠なる眠り》の回復薬とは、若干色合いが違う。
「ラケ君以外のみんなも疲れてるみたい。まずいけど飲んでね」
「あ、あぁ」
ありがたく薬を受け取るが、先程味見をした僕からすれば、少し遠慮したい。
「ぶふぁっ!」
「うぐっ、これは……」
「けほっけほっ」
とはいえ、ラケイン程でなくとも、体に不調が来ているのも確かだ。
悶絶しながら魔法で水を生み出して口をゆすぐ三人を横目に、覚悟を決めて薬を飲み干す。
「ふぅ、ありがとうカーレン。でも、この薬はいったい?」
そうだ、体力や傷の治癒ではなく、生命エネルギーそのものを癒す薬なんて今までに聞いたこともない。
これがあれば、回復薬では手の出しようもなかった、死の間際にある重傷者、いや、死んでまもないものなら蘇生すら可能かもしれない。
何より、定期的に血を吸わなければならない吸血族の問題は解決する。
「うーん、これねぇ、ユー君が作ってくれたの。」
「カリユス氏が?」
館で見たカリユス氏の朗らかな笑顔を思い出す。
「うん。元々、私たちは最近増えてきた枯渇病の薬を開発するためにこの研究所に来てるのぉ。枯渇病の原因が、病気じゃなくて極度の衰弱だって分かってたからねぇ。この林には、元気な木が沢山あるからねぇ」
そうか。
この林は、薬品の安定供給のための保全林と聞いていたが、それだけではなかったのか。
そう言えば、《永遠なる眠り》の御曹司であるカリユス氏が、保全林の管理だけのために、こんな辺境にいるわけもない。
「そしたらねぇ、林も枯渇病になっちゃって、大変だったけどおかげでサンプルも取れたし、なんとか出来たのぉ。これはその試作品なのぉ」
なるほど。
奇しくもカーミルのおかげで、生命エネルギーの回復薬、いや木の栄養剤が完成したのか。
それにしても、
「カーレン、『ほいほい生える君』は止めよう」
「えぇー、なんでぇ?」
壊滅的なネーミングに、一人を除いて笑いながら、僕達は館へと戻るのだった。
──その頃。
ずるっ、ずるっ。
少し離れた林の中で、いくつかの骨を繋げ、触手のように使って地を這う頭蓋骨があった。
「ひっ、ひぎぃ。……がっ、こ、こんなことで、このワシが、滅ぶなどありえんわ」
ラケインの剣により、ミラーカから引き剥がされたカーミルだったが、間一髪のところでミラーカの影に入り、元の骸骨へと憑依したのだ。
「ぎひぃ。このワシが、吸血の王たるこのワシがこのような! 許さん、あの小僧ども、必ずくびり殺してやる!」
「うーん、それは困るなぁ」
崩れた枯れ木を掻き分け、落ち葉や枯れ枝の中を這いずるカーミルの前に、一人の男が立っていた。
「邪魔じゃあーっ!血と、体をよこせぇっ!」
頚椎と胸骨の一部、それと無理矢理に繋げた手の骨だけの体のどこに、そんな力があるのか。
カーミルは、男に飛びかかる。
カーミルには、男は新しい身体としか見えていない。
頭蓋骨だけとはいえ、その犬歯から薄い牙が伸び、男の血を吸わんと、可動の邪魔となる肉が欠片ほどもない顎を全開に開く。
「うがっ!? かっ……、動けん!」
しかし、カーミルの思惑通りにはならなかった。
男は、指の一本すら動かしてはいない。
だが不思議なことに、カーミルは男の目の前の空中で動きを止め、宙に浮いたままになっている。
「こっ、これは、不可視の礫!何者じゃ、貴様!」
カーミルは、驚愕する。
それは、つい先程まで自分が行っていた、空間の支配。
魔力によって空間を固定し、カーミルを捉えているのだ。
「なに、この林の所有者だよ。どうやら君がお邪魔虫だったようだね」
男は、そう言って穏やかに微笑む。
「あぁ、そう言えばお礼をしなくちゃね。君のおかげで、新薬が完成の目処がたったよ。」
カーミルには、目の前の男の言っている意味は分からない。
だが、この男の持つ、異常な力だけはひしひしと感じている。
これほどの魔力、尋常の人間のものではない。
そして気づく。
この男の目が、血のように赤くなっていることを。
「き、貴様! 吸血族か!」
カーミルが激昂する。
誰もその存在を知らない古の民が、今日だけで二人目、自分たちも入れれば五人目なのだ。
「アロウ君達には悪いことをしたかな」
しかし、男は既にカーミルのことなど見ていない。
いや、見つめてはいるが、その視線の先は、自分の妻とその友人という冒険者達へ向かっている。
「人と吸血族は、分かり合える。たしかに、見せてもらったよ」
男の興味はそれだけだったのだ。
本当のことを言えば、この森程度、全く惜しくはない。
厄介な害虫が住み着いたのならば、とっとと燃やしてしまってもよかったのだ。
だが、そこへあの冒険者たちの名前が出た。
その活躍は耳にしている。
そして、恐らくはそのメンバーの中に、同胞がいることも想像がついていた。
吸血族である自分と、一般人の妻。
その行き先を、彼らに投影させてみたいと思った。
それだけのことだったのだ。
「き、貴様! 何をする、止めろ! 止めろぉ!」
男は、何も聞こえないとばかりに、カーミルの頭蓋骨を傍らに持っていた壺へとしまい込む。
「さて、薬の効果も確認できたし、新しい実験の素材も手に入った。そろそろ帰らなくちゃね」
そうして、カリユスは死の林を後にするのだった。
「いやぁ、今回はご苦労さまだったね」
屋敷へ戻ると、後から合流したカリユス氏から、労いの声を受ける。
カリユス氏は、《永遠なる眠り》の魔法使い達を解散させるために色々と指揮をとっていたそうだ。
「いえ、こちらこそありがとうございます。二度目のチャンスをいただき、そのうえ新薬で生命を助けられました」
「はっはっは。なんの、その薬も本当はまだ試験中でね。ダメ元でカーレンに渡した甲斐があったというものですよ」
カリユス氏がズボンの上に窮屈そうに乗っかる腹を揺らして、大きく笑う。
「とりあえず詳しい報告はギルドにしてもらうとして、依頼は完了、ということで。それで、そのお嬢さんはどなたかな?」
カリユス氏が、僕達の後ろで小さくなっているカーミルに目を止める。
「彼女は、近くを家族で旅していたところ、今回の原因となっていた魔物に囚われていたようです。こちらで保護しました。」
帰りの道中に打ち合わせた内容をカリユス氏に報告する。
一瞬、カリユス氏の目付きが細くなるが、すぐにいつもの朗らかな笑顔に戻る。
「そうですか、大変でしたね。こちらとしても管理地内の事故ですので、できる限りの援助はしますが、保護の方はお任せしても?」
「ええ、こちらで対応します」
ひょっとしたら、カリユス氏なら何かに気づいているのかもしれないが、せっかく知らないふりをしてくれるようだ。
ここは氏の好意に甘えておこう。
「それにしても、あの新薬。カーレンからは、木の栄養剤と聞きましたけど、あれは……」
カリユス氏に気になっていたことを尋ねる。
あれは、栄養剤なんていう生易しいものじゃない。
《永遠なる眠り》の御曹司たるカリユス氏が、その事に気づかないわけもない。
「はっはっは。バレちゃいましたか。あれは、上手く行けば蘇生薬とも言える薬です。まだまだ調整もデータ収集も必要な段階ですがね。くれぐれも秘密でお願いしますよ」
「はい、もちろんです」
カリユス氏は笑っていうが、あれは完成すればとんでもないものになる。
蘇生薬。
魔族でさえも伝説としてしか知らない、死んだものを蘇らせる神薬。
無論、完全に死んでしまえばダメだろうが、魂が留まっている状態の新しい死体にならば、運が良ければ効果が期待できる。
「カリユスさん。あれを売り出すつもりですか?」
「勿論、市場に出すような真似はしませんが、希釈したりさらに改良を加えて、高度な治療薬として売り出すつもりです」
流石にカリユス氏には、この薬のもたらす危険性が充分に理解出来ているようだ。
だが、その上でも頼み込まなければならないことがある。
「流石ですね。ですが、その上でお願いしたいのですが、あの薬を定期的にこちらで買い取らせてもらえませんか?」
薬品市場どころか、この世の常識や倫理を根こそぎ変えてしまいかねない危険な薬。
それでも、僕達はこの薬を手に入れなくてはならない。
メイシャも、そしてミラーカという少女も、この薬が必要だ。
「今回は生命エネルギーを奪い取る魔物が相手でしたが、いつまた同じ能力の相手が現れるとも限りません。あの薬は、これからの僕達に必要なんです」
少々強引だが、吸血族のことを伏せたまま、ギリギリのラインで説明する。
こんな説明で、この新薬を譲ってくれるだろうか。
「ふむ、確かに。あんな魔物が現れるとは思いもしませんでしたからね。いいでしょう。勿論ただとはいきませんが、こちらも使用のデータが欲しかったところです。格安で定期的にお譲りしますよ」
「ありがとうございます!」
意外な程に簡単になっとくしてくれたことに安堵し、差し出されたカリユス氏の柔らかい手ひらを、がっちりと握りしめた。
この章終わる終わる詐欺発令。
まだ終わりませんでした。
次で終わらせます。




