第七章)混沌の時代 王の悪夢
▪️vs吸血の王④
カーミルは、狼狽える。
彼にとって、ほかの人間などただの餌にしか過ぎなかった。
その餌が、なぜ今自分よりも高い位置から、こちらを見下ろしているのか、彼には理解出来なかった。
──130年前。
二代前の魔王が倒され既に20年。
世界は平穏な日々に慣れ始め、既に騒乱の時代を知らぬ世代が多数派となった時代、カーミルは、コール聖教国東端の地方領主の家に生を受ける。
宗教国家であるコールにおいて、領主とは司祭であり、統治者であり、支配者だった。
無学な領民達を宗教の名の元に徹底管理し、一掬いの水ですら領主の所有物という世界で、幼いカーミルは、父にこう言われて育ってきた。
「王子よ。お前は神に愛され強大な魔力を授かった選ばれし民の末裔だ。王子よ。お前は愚民どもを支配するために生まれた高位の存在なのだ」
無論、コールに王族など存在しない。
故に、父の語る王子という言葉は、息子に対する愛称に過ぎない。
だが、幼いカーミルは、その言葉を文字通りに受け取る。
そして、それを信じるに足る魔力を確かに持っていたのだ。
ある日、大規模な山火事が起こり、多くの家屋が焼け、幾人もの民が死んだ。
クルス教からは腕利きの魔法使いが派遣され、周辺の領主からは水引きのポンプ車が運ばれてきたが、文字通りに焼け石に水であった。
カーミルは王たるものとして、民の救済に当たる。
それは、慈悲の心によるものではなく、所有物が無為に焼け落ちることを良しとしないからであった。
「水の精よ、豪火を打ち消せ!」
カーミルには魔法の心得などなかった。
地方領主として、民から搾取する方法しか学んでいない。
それでも、強く願っただけでそのイメージを顕現させる程度には、強大すぎる魔力をその身の内に持っていた。
付近の小川から、少し離れた支流からと、無尽蔵の水を呼び出し、集落を飲み込むほどの水球を生み出した。
結果、幾人もの民と家屋を押し流し、火災は消し止められた。
領主であるカーミルの父は戦慄した。
古の民である吸血族とはいえ、その力は彼の知るそれとはあまりにかけ離れていた。
不運にも、彼の力は吸血族としては弱く、カーミルの力は吸血族の中でも強力なものだったのだ。
そして、彼は二つの選択をする。
ひとつは、彼を正しく王として崇め、祭り上げること。
そしてもうひとつ、彼を畏れ、悪神として封じ込めること。
「王子よ、古の民、吸血を導く王子よ。貴方の力は偉大だ。この地に我が一族の王国を興す導となってくれ」
以来、領内では疫病が蔓延する。
各村は隔離され、外の情報は封じられた。
例え疫病など存在しないとしても、例え隣の村が一人残らず失踪したとしても、領民にそれを知るすべはなかった。
カーミルもまた、領内の古城に事実上幽閉されることとなる。
時折、領主はカーミルに願い事をし、代わりに供物として領民を差し出す。
ある時は雨を降らせ、ある時は村を焼き払い、ある時は実りを豊かにし、ある時は火山を噴火させた。
カーミルにとって最大の不幸は、父である領主が己の事しか考えぬ無能な領主であったことだった。
世界を変えるほどの力を持つカーミルは、幼い精神のまま、支配者という名の兵器として育てられたのだ。
それから十年の時が経つ。
領主は老いていた。
限られた地の中とはいえ、権勢を誇る支配者が最期に望むことなどひとつしかない。
領主はカーミルに不老不死を願う。
このころ、カーミルは既に人としての器を完全に脱し、魔人として不老の体を手に入れていた。
「王子よ、我が息子カーミルよ。わしにも老いない体を、不老不死の体を与えてくれ」
「……いいだろう」
領主の意識はここで途切れる。
領主には、重大な間違いが三つあった。
一つ、吸血族とはいえ、ただの人にすぎない彼が、カーミルという規格外と同族だと思ってしまったこと。
一つ、これまで幾百人もの領民を供物として捧げてきたが、その死体の行方に気を止めていなかったこと。
一つ、カーミルにとって領主は、父ではなく、ただの餌を運ぶ給仕に過ぎなかったのだということ。
元領主であった老人の体は、カーミルによって生命を吸い尽くされ、代わりに魔力を注ぎ込まれた死人となり、既に死しているため老いることなく、既に死しているため死なない体を手に入れることになる。
カーミルは、領主の死を公にし、新領主としての地位を得た。
その施政は、前領主の統治が楽園であったかというほどの地獄であった。
前領主は、民を生かさず殺さず、ギリギリの範囲で搾取し、カーミルの起こす奇跡によって支配をしていた。
だが、カーミルにとって、生かさず殺さずという思考はない。
欲しいと思ったものは、一切の躊躇なく全てを奪い尽くした。
反乱を起こしたものは、残らず不死の奴隷となったのだ。
カーミルの欲は、物や財だけではない。
古城に幽閉されていた時代から、領内の若い女も頻繁に集められていた。
生まれた男子や年老いた女は、晩餐の血袋として、女は後の妾として配下の死人に育てられていた。
カーミルが幽閉されて以来、既に数十年の歳月が経つ。
カーミルは一人の少女と出会う。
既に娘か孫か、はたまた曾孫なのか既に判別はできなかったが、白磁のような肌と流れるような銀髪に目を奪われた。
そして何より、カーミルの血を濃く受け継いでいるのか、膨大な魔力をその身に宿していた。
娘にマラーカの名を与えたのは、単なる気まぐれだった。
死人や生まれてきた子供は、所有物に過ぎず、それまで名前を与えるなど考えたこともなかった。
カーミルは、マラーカを気に入っていた。
「マラーカ、食事だ」
「マラーカ。食事をいただきます」
マラーカの反応は無機質だった。
それはそうだろう。
カーミルの命令なしには身じろぐことさえほとんどない死人に育てられたのだ。
しかし、カーミルはそれを疑問に思わなかった。
カーミルが欲したのは、マラーカの美しい容姿であって、人格ではなかった。
マラーカを気に入ってはいたが、それは彼女自身を愛するものではなく、宝飾品を身につけるのと何ら代わらない行為だったのだ。
それが変わったのは、ある日のことだった。
マラーカに子供が生まれた。
まだしわくちゃの羊水と血にまみれた赤子であったが、カーミルは確かに感じた。
この子供は、自分自身だと。
マラーカも並の吸血族以上の力を持った上位個体だったが、修練もなしに魔人となったカーミル程ではない。
だが、未だその片鱗さえ見せない産まれたばかりの赤子の中に、恐ろしいほどの力を感じたのだ。
「マラーカ。その子供をミラーカと名付ける。生きた下僕を使って、その子供を育てろ」
「マラーカ。ミラーカを育てます」
カーミルは、生まれて初めて、他人というものに興味を持った。
いや、他人ではない。
自分自身だ。
カーミルは、ミラーカを言葉の通り、もう一人の自分として愛したのだ。
だが、搾取する事しかしてこなかったカーミルに、教育することなどできなかった。
それは、ミラーカを、ものを考えぬ傀儡の様な僕にはしたくなかった為の命令だった。
領地からひと組の夫婦を攫ってきた。
名など覚えてはいない。
マラーカの監視の下、赤ん坊を育て上げろ。
それが夫婦に下された命令だった。
夫婦の教育は順調だった。
マラーカの乳を与え、愛情を注ぎ、教育を施し、一人の少女を育て上げた。
ミラーカが10歳となった日、その家をカーミルが初めて訪れた。
このころ、ミラーカは大凡の事情を把握はしていた。
自分は領主様の娘で、育ての親である夫婦は教育係。
週に一度やってくる無表情な女性が母親なのだと。
夫婦は緊張しつつも、出来うる限りの用意を拵えてカーミルを迎えた。
平穏に過ぎた10年。
恐ろしいと噂される領主の娘を預かり、娘のためとはいえそれなりの暮らしをさせて貰った恩に報いるためだ。
ミラーカも緊張した面持ちで、初めて見る父の姿を待ちわびた。
「はじめまして、お父様」
カーミルとマラーカが家へと入る。
「領主様、ようこそおいでくださいました。」
夫婦は深々と頭を垂れ、精一杯の笑顔と感謝の気持ちを持って領主を出迎えた。
「うむ、ご苦労だった」
ゴチュ
濡れた、くぐもった音。
「ほぎゅ、ぎ、ぎょうひゅひゃまゃぁぁ」
腹を貫かれ、生命の全てを抜き取られた元夫婦達は、死人にすらならず塵と消えた。
「は?」
ミラーカには、目の前の光景が理解出来なかった。
見えている。
すべて見えているのだ。
それなのに、その光景が頭に入ってこない。
つい今しがた、育ての親は、そこにいたはずだった。
それがなぜ、塵となって崩れ落ちたのか。
なぜ、父である領主様の手が血に濡れているのか。
「行くぞ、ミラーカ」
その言葉がきっかけだった。
「いやぁぁぁぁぁ」
ミラーカの感情が、止まっていた時が動き出したように溢れ出す。
そして、魔力が弾ける。
マラーカ譲りの流れるような銀髪は、さらに色を失い、美しく艶やかな白髪となる。
金色の双眸は、血が吹き出したかのような赤へと変わる。
用意された料理は乾き、暖炉の火は消え失せ、飾り布は崩れ落ち、椅子はひび割れ砕け始めた。
「ぐ、ぬぅおぉ、ミ、ミラーカ! こんな! こんな力がぁ!」
ミラーカに生まれて初めて発現する吸血族の力。
それは際限なく周囲の生命を飲み込む、凶悪な吸収。
たかが僕を吸い尽くした程度の事に、これほどの反応を示すとは考えもしなかったカーミルは、不意をつかれた。
カーミルの肉体もまた朽ち始め、その姿は塵に変わっていく。
「ちぃ、ミラーカ! 我が分身よ! やめよ、やめるのだ!」
カーミルは、叫ぶ。
だが、我を失ったミラーカに、その言葉は届かない。
完全に自我を放棄し、初めての魔人化に心を奪われてしまっている。
それが、ミラーカの命取りとなる。
「くっ、ならば!」
カーミルは、自分の体を諦めた。
既に魔人となり、人間としての生き方に興味を失っていたカーミルに、後悔はなかった。
「くらえぃ! 我が生命、我が精神まで余さず食らえ!」
その後、白の少女と、それに傅く二体の骸骨の姿は、死の地となったコールの領地を離れ、魔物狩りの冒険者達の追跡を逃れ、命溢れる豊かな林へと至る。
「さぁ、まだ抗うんですか?」
目の前には、金髪と赤目の少女が立っている。
その手には、自分のものよりも遥かに凶悪な光、あれが浮かぶ。
「ひ、ひぃぃぃあぁ」
カーミルの口からは、意味をなさない悲鳴が溢れる。
なぜだ、なぜ王たるワシが、こんな目に遭わなければならないのだ。
カーミルが、そう自問したその時、横から一人の男が間に入る。
「待て、メイシャ」




