第七章)混沌の時代 林の深奥にて
▪️古の民⑦
途端、なんの前触れもなく空気が変わる。
死の林に入った時、外の林と明確な境界があったことを思い出す。
この死の林では、魔力は濃くとも生命の息吹が希薄だった。
しかし、今この場には、生命の存在が全く感じられない。
草も木も、大地も風も、ありとあらゆる生命を狩り尽くした空間。
その深部にいたのは、一人の少女だった。
一目には、線の細い、美しい白髪を持った儚げな少女だ。
だが、その白い少女が腰掛けているのは、彼女と同じ真っ白な骨となった、この林に住んでいたものだろう、夥しい数の魔獣の屍。
それは、傅くように踞る二体の人骨を肘掛けにした、骨の玉座だった。
豪奢な刺繍が施されつつも、一切の色の入っていない純白のドレス。
白磁の陶器もかくやという程に、透けるような白い肌。
辺りの木々も、地面すらも色が抜け落ち白く乾いている。
これが、白の少女の支配領域なのか。
一面の白の世界の中で、ただ、少女の瞳だけが、爛々と赤く息づいていた。
既に互いを視認できる範囲にいる。
木々によって遮られているとは言っても、基本的には起伏のない平地。
身を隠す場所などない。
みな言葉を発することなく、静かに歩いていく。
これが謎の魔物などの仕業であれば、どれだけ良かったか。
だが、メイシャから吸血族の話を聞いてしまった。
相手は、ただの人間なのだ。
それでも、この林の惨状を見れば、最早放置できる問題でもないことは明らかだ。
一歩、また一歩と、徐々に白の少女に近づく。
「ニンゲン…冒険者カ…。」
白の少女から声が聞こえる。
その声は音が割れ、どこかくぐもったようにも聞こえる。
「ワタシノ討伐ニキタカ…。」
林がざわめく。
恐らくはこの少女が発した魔力によって変質した、死霊樹が主の敵を討とうと集まってきているのだろう。
「君がこの死の林の主だね。」
白の少女に話しかける。
少女は真っ直ぐにこちらを見ているが、その焦点は合っておらず、こちらと少女の中間ほどを見ているようだ。
「死ノ林…。コノ枯レタ世界ガソウナノナラバ、我ガ主ダ。」
そもそもが疑う余地はないが、これで確定だ。
この白の少女が、この死の林を生み出した吸血族か。
「待って。僕達は君の事情を把握している。もちろん、その秘密を他言する気は無いし、協力もする。だから、この林から外に出ないか?」
白の少女に呼びかける。
この依頼は少女の討伐がは目的ではない。
林の異常の発見、延いては、その正常化が目的だ。
なら、この白の少女と敵対する必要は無い。
彼女とて、その血の為にこの場所へと追いやられた被害者であるはずだ。
しかし、
「コト…ワル…。」
少女の答えは否だった。
「我ラノ一族ヲ知ルカ。ダガ、ソレデコノ林ヲ去ル必要ハナイ。ココナラ血ガ絶エル恐怖モ、隣人ニ恐レラレル恐怖モナイ。」
彼女の言い分もわかる。
正直、《永遠なる眠り》程巨大なギルドなら、この林ひとつくらいどうということはないだろう。
だが、それではダメなのだ。
「君自身気づいているはずだ。君の吸収によって、周囲に死霊が溢れている。この林じゃ、君の生命をまかないきれてないんだ!」
吸血族の吸収は、強大な精神エネルギーから身体を守るため、他者から生命エネルギーを奪う術だ。
だが、それでも足らず、命ない魔力を振りまいた結果、この死の林が出来上がったのだ。
「このままじゃ、近い将来に君も力尽きる。だから…」
「ダマレェっ!」
空気が軋む。
最早、少女に聞く耳はない。
「キエ…ウセロ…。」
大地がせり上がる。
ぼこぼこと波打つように、地面が襲いかかる。
いや、その下にある数多の屍が襲いかかってきたのだ。
偽狼、魔熊、一角兎。
様々な魔獣のアンデッドが土の中から現れる。
「─、─っ!」
震わす喉すら失った骨どもが叫ぶ。
その暗く落ち窪んだ眼窩には、生ける者への嫉妬、憎悪の炎が灯る。
今にしてわかる。
この吸血の少女が発する死の魔力により、この地は既に掌握されている。
言わば、僕達は巨大なモンスターの手の内に遊ばされているようなものなのだ。
「戦闘か、残念。大地系魔法・魔障壁!」
それがどうした。
瞬時に魔力を編み込み、土の防壁を出現させる。
アンデッドの群れに単純な攻撃など意味は無い。
燃やそうと凍らせようと、死体にダメージはない。
ましてや砕けば数が増えるだけともなれば、まともに戦ってなどいられない。
まずはアンデッドの突進を防ぐことが第一なのだ。
しかし、その動きを読んでいたかのように、上方から鋭い槍が降り注ぐ。
死霊樹による槍枝の攻撃だ。
「烈風系魔法・破障壁。」
リリィロッシュの風魔法。
高圧の風の障壁が、槍枝の攻撃を粉砕しながら防ぐ。
ここまで粉々にしてしまえば、復活のしようもない。
「メイシャ!」
その動きに合わせ、メイシャに呼びかける。
「はい!浄化魔法・福音の光!」
掲げられた銀賢星が眩い光を放つ。
林も、土の壁も透過する聖なる光が辺り一面を覆い、アンデッドを浄化する。
「もう止めて!」
アンデッドが崩れ落ちると同時に駆け出し、両腕を大きく開いて立ちはだかったのはメイシャだった。
「私は吸血族の末裔です。私たちは、決して否定された存在なんかじゃない!あなたを受け入れたいの!」
メイシャの目には涙が浮かんでいた。
否定された存在。
その言葉の重みに僕達は誰も口を挟むことが出来ない。
生まれながらに人間の、仲間の血をすすることを義務付けられた種族。
仲間に、人に、世界に忌み嫌われ、その存在が知られれば迫害は免れないだろう。
そして、一番に辛いのは、自分自身にすら否定されること。
生まれて来なければよかった。
その歪みが、メイシャには痛いほどに分かるのだ。
「ヴァン…キュール…。オマエガ…。」
「そう!私は吸血の一族。あなたと同じ。私は、私を受け入れてくれる仲間たちに出会えた。だから、次は私が、私があなたを受け入れる!…だから!」
メイシャは、銀賢星を手放し、静かに白の少女へと歩み始める。
未だ蠢く骨達が道を開くかのようにメイシャを避ける。
メイシャは、ゆっくりと少女に近づく。
少女は動かない。
骨の玉座に腰掛け、ピクリとも動かず静かにこちらを見つめるだけだ。
いや、まて。
ピクリとも動かない?
この少女、今言葉を交わした時に口を動かしていたか?
そして同時に、ある違和感に気づく。
ここまで、死霊樹や動物の腐乱人形を見てきたせいで気づくのが遅れたが、《永遠なる眠り》からは人的被害の報告は聞いていない。
なら、あの肘掛となっている二体の人骨は、一体誰なんだ?
「…テ。」
白の少女が呟く。
そう、今初めて、白の少女が言葉を発したのだ。
「メイシャ、待って!」
少女に近づくメイシャを呼び止める。
だが、
「…モウ、…もう止めて!父さん!」
その瞬間、それまでメイシャを迎え入れるように避けていた骨たちが、白い大波となってメイシャを飲み込んだ。
「メイシャーッ!」
ラケインの叫びが響く。
万物喰らいで骨の山をなぎ払いながらメイシャへと駆け寄る。
骨の山の中からメイシャを引きずり出す。
「ラク様、大丈夫です。」
メイシャは、骨の波に飲み込まれる既のところで障壁を張ることで難を逃れたようだ。
白の少女の方を見る。
その表情は恐怖に凍りつき、赤い瞳からは血の涙が溢れる。
「もう、もうやめましょう。父さん、母さん。林を枯らし、獣の血をすすり、今度は人を殺そうとしている。こんなの、もう耐えられない!」
白の少女は虚空に向かって叫ぶ。
目の前に見える何者かに訴えかけるように。
そして、その声に答えたのは、彼女の手元で傅く人骨だった。
「フザケルナ!我ラガドレダケノ辛酸ヲ味ワッテキタカ、ソレヲ知ラヌハズハナイダロウ!認メヌ!我ラノ安住ノ地ハ、コノ林ヲ他ニオイテナイノダ!」
そうか、この惨状の主は、この白の少女ではなかった。
こいつが、犯人だったのか。
「林ハ、誰ニモ渡サン!」
魔力が激しく渦巻く。
白の少女の横に傅く二体の人骨。
その四つの眼窩に、赤い光が怪しく灯った。




