追憶の項 心に牙をもつ者《100話記念》
4/30から書き始めて8ヶ月。
ようやく100話まで来ました。
今回は記念の追憶の項です。
本編の方も折り返しが過ぎて物語が加速していきます。
これからもアロウの応援をよろしくお願いします。
■心に牙を持つ者
雷鳴轟く荒れ果てた大地。
数分となく雷が降り注ぎ、地は裂け、大地がせり上がったかと思えば、そのそばから砕けて岩塊と化す。
そこに一人の魔族が発生した。
その姿は、いたって普通の人間型であった。
魔族が人間型というのもおかしな話だが、魔族とは元はこの地に住まうただの人間であり、これが魔族本来の姿なのだ。
それが『神』の出現により、いまや魔族の姿は多種多様に変質し、新大陸には新たに人間という種が誕生した。
だから、魔族たちもこの姿を便宜的に人間型と呼称している。
強力な魔族ほど、人間型に近い。
この地に暴れ狂う魔力に変質されない程の魔力量を秘めている為だ。
その魔族は、老人の姿こそしていたが、その身に強大な魔力を秘めた、高位の魔族だった。
「かっ、なかなかいい具合じゃねぇか。」
男は、手を握っては開き、己の中に存在する魔力の密度に充分な満足感を得る。
魔族とは、精霊や龍族同様、高密度の魔力が形を持った、半エネルギー生命である。
子をなして増える“派生種”と違い、濃密な魔力から偶発的に生まれた“原種”であるこの魔族は、いわばこの世界の申し子である。
必要な知識や、自分が何を成すべきかという知恵を、生まれながらに持ち合わせていた。
「ふひっ、いたいたぁ。そろそろ餌ができる頃だと思ったんだよなぁ。」
「お、おでが先に見つけたんだど。おでが先だど。」
そこへ、二人の魔族がやってくる。
一人は頭が身長の半分程も占め、もう1人は地に引きずる程に長い腕を持っていた。
巨頭の魔族は、その凶悪な顎から涎をたらし、長腕の魔族は指を鳴らし、眼前の餌を貪り食おうと歩み寄る。
魔族の世界は弱肉強食。
弱いものは食われる運命にある。
もっとも高位の魔族は、本能的に同族食いを嫌悪しているが、下位の魔物や魔族にとって魔力量の高い同族は、何よりものご馳走なのだ。
「はっ、糞が。誰の許可を得て眼前に立つか。」
男の姿がぶれる。
その瞬間に長腕の魔族の首が落ちる。
男のしたことと言えば、ただ通り過ぎて、首を撫でただけだったが、その姿を視認できたものは、男自身だけだった。
巨頭の魔族は、男が消えたことに驚き、隣の相棒が既に事切れていることにも気づかない。
男は、巨頭の魔族の背後から手を突き入れ、上に引き裂いた。
二人の魔族には、不運が三つ重なった。
一つ、下手に知恵を持ち合わせていた為に、数に劣る相手と舐めてかかったこと。
二つ、その相手が弱々しい老人の姿であったので、相手の魔力を推し量ることさえしなかったこと。
三つ、その老人が、生まれながらにしてAランクに達する力を持っていたことだ。
唯一、二人にとって幸運だったのは、あまりに実力が違いすぎて、痛みはおろか恐怖さえ感じる間もなく、その命を刈り取られたことだけだった。
「ちっ、肉もくせぇ。これだから雑魚は。」
男は二人の肉を食った。
それは本来、知恵も知識もある高位の魔族にはあるまじき行為だった。
だが男は、そんな知性よりも凶悪な本能に従ったのだ。
弱さとは敗北であり、敗北とは死であると知っていたからだ。
食って強くなる。
男の精神を強く支配していたのは、それだけだった。
飢餓感、いや、恐怖と言い換えてもいい。
食って強くなる。
強くなれば、より強いものを食ってさらに強くなる。
男は強さというものに飢えていた。
それから、男は付近の魔物を狩り尽くした。
中にはその力に恐れをなし、傘下に入ろうとする魔族もいたが、そんな者達をも食らい尽くした。
強く、強く。
強くなればなるほどに、男は飢えた。
ある日、男は生まれて初めて敗北した。
「同胞食いよ、滅ぶがいい!」
その相手には、男の持つ全てが通じなかった。
強靭な脚力による速度は見切られ、力任せに振るった鋭い爪はたやすくいなされた。
その相手は、男の首めがけ、長く緩やかな孤を描いた片刃の大刀を振り下ろさんと、大きく刀を上に掲げる。
男が生き延びたのは、全くの運によるものだった。
まさに刀が振り下ろされようとするその時、男の真後ろに雷が落ちたのだ。
耳を聾する轟音。
そして、視界を奪う閃光。
相手は一瞬の硬直を見せる。
対して、男は衝撃を背に受け加速し、光は背後から当たり視界に異常はない。
男は、相手の首ではなく、手に持つ刀を払った。
その選択に意味はなかった。
ただ、何となく、相手よりも刀の方に意識がいったのだ。
「…つまらん。」
そこから先は、一方的なものだった。
相手はされるがままに蹂躙され、首は引きちぎられ、両の腕はあらぬ方向へとねじ曲がり、腹は半分ほど吹き飛んでいた。
つまるところ、この相手も男の敵ではなかったのだ。
無論、相手が強者だったことは間違いない。
だが、男には遥かに届かぬほどの力しか持っていなかったのだ。
それが、先程までは逆に圧倒していた理由。
それは、武器による間合いの利と、鋼の硬さによるものだったのだ。
鋭い爪を硬い鋼の刀で受けきり、一方的に遠い間合いから攻撃する。
それだけだった。
「なんだ、この武器というものは、一体なんなんだ!」
しかし、男にとってはそれほど簡単なことではなかった。
生まれながらに強者であった。
強くなるために同族すら食ってきた。
確かに、この相手は充分に技を磨いてきただろう。
だが、それでもこの相手は男より弱く、そして自分はたしかに一度死んだのだ。
自分より弱い相手をして、自分を上回る実力を持たせる、武器というものに魅入られた瞬間だった。
それから、男は大刀を手に取った。
襲いかかる相手、逃げまどう相手、全く気づかない相手、全てを斬った。
この頃には、同族食いはやめていた。
弱い相手を食ったところで、強くなれないとわかったからだ。
それよりも、大刀の使い方を学びたかった。
魔獣を斬った、魔族を斬った、地を、岩を、雷を、天をも斬った。
そして、周囲には何もなくなってしまった。
男は、その日も刀を振り続けていた。
空に幻の姿を見出し、至上と思える一断ちをなぞるように刀を振るっていた。
だが、男は唐突に気づいてしまった。
腹が、減った。
既に月日の感覚は薄れ、最後に物を口に入れたのがいつだったかなど記憶にない。
腹が減れば、死ぬ。
当然のことだ。
そして周囲を見渡す。
何も、ない。
目に見える全てのものを斬り捨ててきた。
今や、男の周囲には、草木一本どころか、地さえも切り刻まれ、足元に鋭い山を残し、大地は断崖へと姿を変えていた。
もはや、男の周りには、一握りの草さえも生えていなかった。
男は倒れる。
なんだ、これは。
この枯れ木のように萎びた、痩せこけた腕はなんだ。
この水気を失い、無残にひび割れた、老木のような肌は。
俺は、強くなったのではなかったのか。
こんな、誰もいない、何も無いものが、俺が望んでいた強さだとでも言うのか。
男の目から、その長い生涯において初めて、一筋の雫が流れ出る。
違う。
これは、強さではない。
俺は敗れたのだ。
目に見えぬ、己、という生き物に敗れたのだ。
その目に見えぬ、心の牙に貫かれたのだ。
敗れれば死ぬ。
当たり前だ。
だが、これではあまりにも虚しすぎるではないか!
男は、今にも死に絶えそうな体をよじり、断崖の底へと転がり落ちる。
そこは、魔力溜まりだった。
高密度の魔力が留まり、数日か数年後か、または数千年後かは分からぬが、新たな魔族が発生する場所だった。
立ち上がることさえ困難なはずの男に、かつてない力がみなぎる。
それは、命の力ではない。
意志の力。
誰も訪れぬ崖の下。
その壁面に、己の軌跡を刻む。
長く振り続けた刀で、縦に斬り、袈裟に斬り、横に薙ぎ、いくつも、いくつも、斬り続けた。
いずれ見る、この地に生まれる命に、自分の痕跡を見出してもらうために。
やがて、男は自分の命が果てることを知る。
あと一断ち。
それを振るえば、最後に残った力も使い果たし、この世界から消え果てるだろう。
男は、あらん限りの力を振り絞り、声を張り上げる。
「天よ、地よ!いや、この世界よ!俺を笑うがいい。だが、もしほんの僅かにでも慈悲を見せてくれるのならば、この身を糧に、この地に新たな命を授けてくれ!そして、何も無かった俺の生に、僅かばかりにでも意味を与えてくれ!」
男はそう言い残し、刀を振り上げる。
最期の一刀。
それは、刀を振り続けた長い生涯で、初めて振るわれた刀。
自身への一刀だった。
数年後、この地に新たな魔族が発生した。
老人の姿をしたその魔族が、“魔剣”の名を名乗るのは、それから百年の後の話だった。
というわけで、この「男」の生まれ変わりが、ラケインのお父さん、レイドロスになります。
特に記憶とか引き継いでないはずなんですが、こんな過去があったから料理上手なんですね、とか後付しました。




