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けったいなこって。もうどうにもなりませんて。一体この世の中でどうやって暮らせばいいんでしょ! だってさ、血だまりがまず歩けば二、三カ所はあってさーあ。それをみて私驚くわけよ。帰り道に血だまりがあったら驚かない? もっと驚くのが帰り道に返り血浴びてたら驚くでしょ? もう血まみれなわけ。血だまりみて、かんけーねーって思ってたら私関係あるってなるわけ。そんでその血だまり作ったのよく考えてみたら私なわけ。わ、た、し! そうだわ。血だまりなんて、ふつーにしてたらありえないんだから。特別な理由ってやつがどうしても必要になってくるわけ。答えよ! はい! ちゅーこさん! はい! わたしがころしました。私が殺しました! せいかーい! だって、私が殺したんだもの。血だまりがあるのも、顔に返り血を浴びてるのも、だって私が殺したんだから!
こんにちは。アバンチュール! ってどーゆー意味だったっけ? わたし、吸血鬼の赤音血雨子。みんなからはちゅーこって呼ばれてるよ。てぇかぁ、こんな名前つけちゃうわたしの親族ってどーにかなっちゃってるよね。なんつて。名前は私がつけたのでした! なぜって生まれた時に両親の血を根こそぎ吸っちったから! ちゅーってね。ちゅー! あのときのことは今も忘れられないーいし、忘れたくないからちゅーこって名付けたんよ。だからみんなもわたしのこと忘れないでねぇー。ちゅーこ、ちゅーこ、ちゅーこ。ちゅーこ! ちゅーこ! ちゅーこ!
はーやってらんねぇべよ。
みんなは吸血鬼なんぞやったことねぇー から私のやってらんねぇべよなんてわかるわけねぇべよべよ。けれどべよ。わかってほしいべよ。だって私友達いねーべよー! 友達って、なんだよーまじ。友達ってどうやったらできるんるんあっかんべー! よ! グチるのはずーっと私一人っきり。吸血したくねっ。吸血しなきゃ生きていけねぇ。人殺ししちまうとどうしてもやんなっちゃうけど死ぬのはもっとやんなっちゃうからすーしかねー。ちーすーしかねーちゅーこ。
べらんめぇ。べらんめぇ……
はぁ、なんてね。改めて、あたしは吸血鬼の赤音血雨子。
人を殺したことはあるかしら。ないと思うし、これからも殺さない方がいいわね。なぜってあたしみたいになるから。どうしても殺さなくちゃならない時に初めて人殺しをするべきであって、どうにもならずにやさぐれている時、中途半端に、人を殺さない方がいいのは違いないさ。感情のやり場に困るし、困って頭がおかしくなるものだし。あたしは仕方がなく殺している。言ったとおり、あたしは吸血鬼だから。悲しい性だ。殺したくないのに殺してしまう。殺したくないなら殺すなといわれても殺してしまう。
とはいってもね。なにせもうどれだけ人を殺してきたかわからないものだし、それに殺しても問題なさそうな人間だけを選んで殺してきたわけだし、そこにもう後悔や動揺ってもんがあるわけじゃあ決してないんだけどね。
え?
じゃあなんで頭がおかしくなってたのかって?
そう。あたしって、時々自分が保てなくなると、ああやって狂ったようになっちゃうのだけど、たまによ、たまに。別に二重人格とかそういうわけじゃないんだから。でも吸血鬼のストレスのやり場って本当になくてねー。困ったもんなわけ。最近はそうでもなかったんだけどさ、これだけ不可解なことが起きてしまうと、ちょっとアレなわけ。
何が不可解って、動いてるんだよね。死んだはずの人間が。殺したはずの人間が。ここがいくらなんでもありの、ならず者が集う町『外れゴーストタウン』だからって、死人が蘇るなんて聞いちゃいねーし、聞いたこともねーわけなんだよな。『外れゴーストタウン』ってのは、もうどうしようもなくなったゴーストタウンの中でもさらに、残念な意味でも『外れ』だから『外れゴーストタウン』っていうらしいぜ。誰が言い始めたんだろうな。そいつ、とんでもねー自虐野郎だぜ。ゴーストタウンってのは、別に幽霊が出るわけじゃー決してないけれど、とかくなんでもありなんだよな。あたしみたいなやつが住んでる町っていうと、そのやばさが伝わるかな。正直な話、ここにいる人間を全員殺してもいいんじゃないかって思うくらい、生産性のない奴ばっかだからね。ここにきて正解っちゃ正解で、実はストレスはずっとなくなってたんだ。
でもゾンビがいるとは聞いてねーんだな。んや。ゾンビなのかはわからねー。けど首元かっきったはずなのに、立ち上がりやがった。傷は塞がってんのか、これ。
何が困るって、こっちを見てくるんだな。未練がましく。殺したはずの人間が蘇って、お前が殺したな、なんて呪いを受けたこともないから、その場を立ち去ることも出来なかったし、なんとなく怖くなって、ああなっちまったってわけ。人殺しは出来るのに、こんな状況には弱いって、なんかおかしな話だよな。でも、首から血ぃ出しててさ、それですんげー冷静な目つきしてんだぜ。ゾンビってほら、うぇええ、とかよだれ垂らしてんだろ、大抵。あたしのイメージだとそうなんだけど。
「あなた、今私を殺しましたね」
「は? あ、はい」
あ、話しかけてきた。つーか話せるのかよ。
「殺していいんですか、人を」
「まー。のっぴきならない事情ってやつでさ。気分を悪くしたなら謝るよ」
「いえいえ、困りますよ。あなたの事情でいちいち人が死んでたら、いくらこの『外れゴーストタウン』にいる人間だって、のっぴきならなくなりますね。あなたののっぴきならなさでみんなのっぴきならなくなったらもうてんやわんやというわけですよ」
「わからないね。あたし、生きるために人殺してるから。それって、生きるために金稼いでるから、なんてことと同じようなもんじゃない? 金稼ぐために人を殺す連中もいるじゃない? そいつらほど残虐じゃないよ、あたし。人は殺すけど」
「同じじゃないよ、全く。君、誰にも言われたことないだろうから言っておこうか。人殺しー!」
「なんだその、馬鹿を相手取るようなリアクションは。大体ーー」
あたしはずっと言いたくて言いたくてたまらなかったことを、ようやく言うことが出来た。
「あんた、死んでないじゃん」
その血塗れのゾンビは、驚いた……とびっくり仰天するふりをしてみせた。
「それは、ナイスな発見です」
今度は、親指を立てて血を吐きながら笑みを見せてくるゾンビ。こいつ、なんかもう色々やばいな。こういうことが起きなかったら関わってないだろうということを確信するくらいにはやばそうだ。
「ナイスな発見って。じゃあいいじゃん。あたしはあんたを殺した。でもあんたは死ななかった。結果オーライ。でしょ?」
「オーライではありませんね。あなたの罪を私は見逃すわけにはいかないものだから。あなたに死ぬまでついていく!」
この時あたしは、まー一度死んだくらいで死なない人間もいるんだろうなーなんて思ってた。はっきしいって、馬鹿だよね。もっと深く考えるべきだった。でもあたしを責めないで欲しい。だって、あたしが吸血鬼なもんだから、そんくらいいても……ゾンビくらいいてもおかしくないって斜に構えていたんだ。だからこいつの……こいつの言った、「死ぬまでついていく」ってのが、だいぶ本心で……そしてどうしようもなく誠意がこもっていて。誠意って、すげー嫌な誠意だよ? つまり絶対、何が起きてもその言葉は遵守する! みたいな信念がこもっている、しちめんどくさい類の誠意だよ。に、私はまるで気を遣わなかったんだ。あ、はい。そうですか、ってね。バカがなんか言っているって感覚は間違いなかったんだけど、そういえばあたしも結構バカだったんだな、って見直しはそのときできなかったわけ。
・
ノリって大事だよね。ノリって。初めて人を殺した時は、ほとんどノリだった。だって、腹ぺこだったし。あ、殺しちゃお。って、思ったら殺してた。
あたしと一度死んだゾンビは、あたしの行きつけのBARに来ていた。主にノリで。つーか、殺された奴に酒でも飲まない? なんて言われたのは生まれて初めてだよ。でもあたしも酒を飲みたかったし、なんつーか、一応罪の意識があったから、酒でもおごったるかって思った訳よね。だから『外れゴーストタウン』の外れにある、とんでもなくしおれた、陰気くさいBAR、『下衆』に辿りついたのね。『下衆』って、その名の通りここには下衆しかいない。ゴーストタウンの下衆がこぞって集まるげびたBARなわけだけど、この町には下衆しかいないから、まーどのBARに行っても下衆しかいないよね。
「で、一体なんであんたは生きてるわけよ」
「いきなり核心に迫ってきますねぇ。そういうとこ、嫌いじゃありませんよ」
「え? なんでいきなり親しみを込めてるわけ? あたしとあんた。一度殺して生き返った仲。ただそれだけ」
「はは! いいじゃないですか! 十分すぎますよ。一度殺して生き返った仲がこの世界にどれだけあると思います? つまり十分親密に値する仲ではありませんか」
「思わないかな。あたし、結構一人でいたいタイプの人間だし。あんたみたいにやかましそうなのは、すげー苦手なんだよね」
「そんなことを言わないでくださいよ。私だってナイーブなんですから。これからずっともう、あなたについていくんだから丁重に扱ってください!」
「ついていくって。今日はもうこれでおしまい。あたしの面倒ごとは、人殺しだけで十分なの。殺されたほうはいつもぎゃーぎゃーわめくけどさ、殺す方の気持ち、考えたことある?」
「あります」
おふざけだと思った。
なにせ存在がおふざけな奴だと思っていたから。死んでも死なないような人間が、ふざけてないわけがない。そんな感覚があったから、この時このゾンビ野郎が、真剣で、真面目くさった顔で言葉を発するとは思わなかった。思えなかった。
あたしはさっさとこのゾンビ野郎と適当に酔っぱらっておさらばするつもりだったのに、好奇心が顔を出してしまった。はー面倒くさ。
「あるって……」
「そりゃ、ありますとも。あなたが人間を殺すように、私は人間に殺されるわけです。溜息をつくように、殺されるのです」
「そりゃ、ゾンビだからか?」
「死んでも死なないからですよ。死んでも死なない人間って結構有用なんですよ。色々な形でこれまで死んできたというのもあります。そのうち、人を殺す人間の気持ちがわかるようになってきましたよ」
そいつはとても説得力があることだった。あたしは人を殺したくないけど人を殺す人間の気持ちがわかる。それと同じようなもんなのだろう。
「へいおまちぃ」
考えてたら、『下衆』のマスターが現れた。『下衆』のマスターの何がいいって言うと、細かいことは気にしないことだ。言い忘れてたけど、あたしとゾンビ野郎。二人とも血まみれなんだ。全身血まみれ。ゾンビ野郎に至っては、まだ血があふれ出てやがるからね。そんな二人が酒場で酒を飲もうっていうときに神妙なツラして話し合ってるんだから笑える。もっと笑えるのが、マスターがやっぱりなんにも気にしておらず、料理を作って運んできたことだったし、加えてどの客も自分が酒を飲むことで精一杯で、やっぱりまったくあたしたちのことを気にしていないってことだった。イカれてるよね、この町。むしろ吸血鬼のあたしのほうがよっぽどまともなんじゃないかって思うよ。
「これ『下衆』のおすすめ料理。焦がしピーナツメロンパスタ。そんで、酒。まぁ飲めよ。血、出てるし」
「そうですね。血、出てるし」
飲み干したゾンビ野郎の首元からは、酒がこぼれていた。
「うわ、穴があいてる」
だってさ。やっぱ狂ってるね、どいつもこいつも。服じゃねーんだから。
あたしはたばこをポケットから取り出した。たばこも血まみれだったけど、なんとか吸えた。やってらんねー。
「ぷはぁー! うまい!」
「全部こぼしてんじゃん。首から出てる」
「しょうがないですよ。で、私、もう一度真面目モードになっていいですか?」
「真面目モードって。あたし、そろそろ帰りたくなってきたんだけど」
「……感じたのです」
急に、恍惚としている。話、聞けよ。こいつ、バカなんだな。多分。死にまくってるとバカになるらしーぜ。注意しよう。
「私はこれまでさんざん殺されてきたけれど、あなた……血雨子さんには今まで感じなかった何かを感じてしまったというわけなんです。わかりますか?」
「絶対にわかりたくないかな」
「これだけ死んでると、どういう死に方をするのか、という、私なりの哲学が生まれてきましてね。その一瞬。死ぬ瞬間。色んなことを考え、感じるようになるというわけなんですよ」
「はぁ……」
「うまく言葉にできないのですが、またあなたに殺されたい、と。そのように思いました……あ、失礼。紹介が遅れました、私、こういうものです」
血まみれのスーツから、血まみれのケースを取り出した。その中に入っているもんは血まみれじゃないと思いきや、血まみれだった。意味ねー。ケースに入っている意味ねー。
あたしはゾンビ野郎から血まみれの手で掴まれた血まみれのその紙切れをあたしの血まみれの手で拭ったのだけど、見ることが出来なかった。もう三枚ほど受け取って、ようやくそこに記されている内容を読むことが出来た。一生懸命拭っておきながら、ぜんぜん興味なかったし、見るべきでなかったと気が付いた。
『 ミイラ探偵・吊屋絹夫 』
「ってミイラかよ!」というあたしのノリ突っ込み。ゾンビじゃん。どうみても。
「ミイラなんですよ。誰がなんとおうと。私はミイラ探偵なんです!」
「妙なところでキレんなよ。てか、ミイラ探偵ってなんだよ」
「その名の通り、ミイラ探偵です。その下に書いてるキャッチコピー読めませんか?」
「ええっと……『合い言葉は、じゃ、死んでみますか! 颯爽とあなたの前に現れる、不死身で不気味で、ちょっとシャイ。それでいてキュートなミイラがあなたに謎を解く鍵デリバリー!』……意味、わかんねーけど」
「意味、わかんなくて結構です。なんせ、私もわかってないんで」
「ミイラ探偵なんだろ」
「それがですね、その家業を始めようと躍起になっていたのが今日、なんですよ、わかります? そこを血雨子さん。あなたに殺されたというわけなんですよ」
「てか、ミイラ探偵はもうどうでもいいよ。お前は一体なんなんだよ。そこだろ、問題は」
「ですから、ミイラですよ。ミイラたらミイラです!」
私はたばこを消して、『下衆』のビール。通称『下衆ビール』を飲み干した。そしたらもう一度こいつ殺してみようかな、なんて思ったんだけど、やっぱりやめた。
「まー死ねないし死なないんですね。私が言いたいのはですね、ちょっとばかし、あなたと行動を共にしたいんです。殺されたとき、そう思いました。恥ずかしげもなく言うとすれば、運命だとすら思いましたから」
「あ、はい」
「ええ! すんごいノリ悪い!」
「ノリはいいよ。あたし。でもさ、あんたのその……ミイラ探偵とやらにつきあってはいられないわ。しょうもなさそーだし」
「そう、思いますか? これ、いい商売ですよ。商売っていうのもあるし、私実は探偵になりたかったんです」
「いきなり夢の話されても困るんだが。そういうの、言わなくていいよ」
「こう見えて、私ってピュアですから。ずばずば謎を解いていく探偵に憧れてるんです。でも問題は、私の頭がたいしてよくないってことなんですよね。で、思いついたのが、ミイラ探偵って次第なんですよ」
……話きいてねーな、こいつ。
「わかったよ。じゃーそのミイラ探偵ってのはなんなんだ」
「その名の通りです。合い言葉は『じゃ、死んでみますか!』で快活に死んでみせる。そういう探偵です」
「ちょっと待て! おめーが探偵だろ? てか勝手に死んで何がわかるっていうんだよ!」
「そこらへんは……まぁ、ノリ、ですかね」
やっぱこいつバカだ。
顔つきは血まみれながら、そんなにバカっぽくなかったから、バカと確信できなかったけど、バカだこいつ。アホだ。アホでもあるぞ。アホミイラ。
「でもなりたかったんですよ。こんな私でもね。今までさんざん死んできましたけどね、夢くらいもっていいんじゃないかって思うわけですよ」
「わかった。もうこの話はここらで切り上げよう。あたしはあんたにこいつを奢る。飲め。食え。そんでチャラだ」
「え? 助手やってくれるんですか! ありがとうございます!」
「人の話を聞け! 勝手に話を進めるな!」
「すいません。でも、探偵に助手は必要だし、それに私の頭じゃどうにも探偵はできそうにないんです」
「探偵諦めてんじゃん! 夢! 夢どうしたよ!」
「ああ。でも、私思うんですけど、血雨子さんと相性いいと思うんです。私、ミイラ探偵として、ほかの探偵にはないことがやっぱり死んでみるってことなんですけど、血雨子さんって、人殺しじゃないですか」
「吸血鬼といえ!」
「あ、すいません。だから、いざとなったら人が殺せる助手っていいなぁ、って思いましてね。そんな血雨子さんに、いざとなったら殺してもらう。そんなことを売りにしていきたいんですよ」
バカの相手は疲れると思いきや、この時あたしに、とんでもない閃きが舞い降りた。舞い降りてきてしまった!
「あんたの血、吸い放題じゃん」
「そ、そういえばー!」
「そういえば! じゃ、じゃああんた以外人、殺さなくて済むじゃん!」
感動もつかの間、細かいことを気にしないマスターが細かいことを気にせずに会話に入ってきた。
「お前等、探偵なのか?」
「探偵ですよ! ミイラ探偵吊屋をどうぞお願いします! どうぞどうぞお願いします。本日開業でございますから」
「じゃあ早速頼んでいいか? 報酬は弾むぜ。大体『下衆ビール』飲み放題を一ヶ月くらいってことで」
マスターは細かいことを気にしなさすぎだった。どういう了見をしてたらミイラ探偵に探偵業を頼むのだろう。そしてこのバカ会話にどれだけの見込みがあったというのだ。
「いいね、乗った!」
だけど我ながら、即断。ビール代とタバコ代ってバカにならんのよね。それに『下衆ビール』は結構美味い。多少のめんどうごとで一ヶ月飲み放題なら安いもんだ。
「して、相談はどういうことです」
「いやー俺、女房殺しちゃったかもしれねーんだ」
マスター。
いくらなんでも、細かいことを気にしなさすぎだろ、それは。
第一黙示録 『下衆』のマスターが妻を殺したかどうか事件
殺害現場は、なんと『下衆』の建物内部だった。殺害現場の下で酒飲んでたのかなんて考えていると、薄気味悪くなったのだが、まあ血まみれのあたしたちが言える台詞ではない。
二階のマスターの部屋に入ると、そこには確かに生々しい血がべったりとあって、あたしは吠えかけたのだけど、そういえばあたしって人殺してたんだ、ってことを思い出して冷静になった。
「これ、ワインだったとかいうオチじゃないよな。なんで血だけがあって、死んだ奴はいないんだ?」
「それがな……俺もよく思い出せないんだ。はっきりいって、俺って結婚してたのかどうかも含めてな」
「おい! それはあまりにもどうにかなっているだろ! マスター!」
「俺はとんでもなく不器用に生きてきた。物事はすぐ忘れる。大体二歩くらい歩くとすぐに記憶がなくなる。大事なことは結構覚えているんだけどな」
「おおらかさというレベルを越えている!」
突っ込みが、追いつかない。というのも、吊屋がふところに携えていた短刀を取り出し、逆さに構えて今にも自害しそうだったからだった。待て、待て。
「おい、バカ。なにしてんだ」
「いやぁひとまず死んでみようかなぁと」
「アホか! お前が死ぬのはかまわないが、お前の血と、ここにある血が紛れてしまうだろーが!」
「そうだった。ミイラ探偵だし……じゃ……」
といって、今度は慌てて口を塞ぐ吊屋。窒息死か? 刺すのがだめなら息を止めるのか? バカなのか?
「危ない。危うく決め台詞を言うところだった。決め台詞って大事ですからね。探偵業では。ばしっと決めるんで、ちゃんと血雨子さんもサポートしてくださいね」
「うん。ひとまずお前探偵やめたほうがいいわ。今すぐ」
「そんなー!」
「さて、茶番もそろそろで、さっさとこの事件を終わらせましょ。あたし、眠いし。まずマスター。あんたの記憶を整理する必要があるわ!」
「嬢ちゃん。整理する記憶がない」
「ううん。結婚してたかどうかくらいわかるでしょ。マスター。『下衆』の部屋ってこれだけなの?」
「これだけだよ。一階がフロア。二階はこの俺の部屋だけ」
「だったらもう、謎は解けたんじゃないかい、血雨子さん。マスター! あなたには実は妻などいない!」
「そうだったのかなぁー? でも何で俺妻って言ったんだろ?」
「そうね。あたし、マスターとは付き合い長いけど、妻がいないにも関わらず妻が殺されたって言うほど何も考えていないわけじゃ決してないわ。この血の海はいつ見つけたの?」
「店を開く前だな。そうだ。朝起きたらもう血がべったりだったんだよな」
どう見ても、一人で暮らしているような痕跡しかない。とてもじゃないが、奥さんがいるなんて……でもマスターは妻、と言っているし。多分、奥さんと同棲していたのかはおいておいて……というかその可能性は低いか。だって常連のあたしが見たことがないから。でも、奥さんがいた可能性というのはあるのだろう。でなければ、マスターから妻という言葉が出てくるわけもない……さすがに。
「うーん……ちょっとマスターだけの話じゃ拉致があかないわね。子分呼びましょう。多分その方が簡単に解決するわ」
子分ってのは、『下衆』で働く従業員の総称のこと。なんでそう呼ばれたのかはわからんけれど、そう呼ばれるのがどうにもしっくりくるので、子分と呼ばれたのだろう。さながらマスターが親分ってやつだ。
あたしたちはもう一度一階に降りたのだけど、そこで改めておかしな事態に気が付く。
「あれ、子分いないじゃない? 確か三人くらいいなかった? いつもなら」
「そういえば、今日はいないよなぁ」
「だから忙しかったのか!」
「だから料理来るの遅かったんですね!」
「二人で納得してんなよ。これ、おかしくない? つまり、マスターの、店側の人間が全員姿をくらましてるってことだよ」
「ですね。もしかすると、みなさん全員殺害されているのかもしれないですね」
「マスター思い出してよ。誰かを殺したのは間違いがないの?」
この質問の違和感。半端がない。けれどマスターのとさかは鶏を越えているのだった。
「それもあやふやなんだよなぁ。俺、なんて言ったっけ?」
「妻を殺したかもしれないって」
「うーん……そうなんだよなぁ」
だめだ。マスターから何かを聞くことはできない。
「もう一度上に行こう。確認したいことがある」
再び、二階。
「血雨子さん! 一つわかったことがあります!」
「あんま聞きたくないけど、なんだよ。つか叫ぶなようるせーから」
「この血だまり、綺麗すぎやしませんか?」
「お、探偵っぽいぞ。確かにあたしもそう思っていたところだ」
血は血で間違いがないはず、なのだが、誰かを殺したにしちゃ、少し整いすぎだった。
「どれだけ今まで死んでるって思うんですが。ミイラ探偵ですからね! ミイラ探偵ですからね!」
「二度言わなくていいよ」
「ミイラ探偵ですから、仮に私がここで殺されたらどうしよう、って考えたんですね。間違いなく、この小さな部屋の壁に血がつきますし、びしゃびしゃの血は、水たまりみたいなんかにならず、あっちこっちに飛びますよ」
「おお、やるじゃん、ミイラ」
「何回殺されたと思ってんですか!」
「あたしもそう思う。あたしも人、殺してきたからね。殺害は本当にこの部屋で起きたのかなんて疑問が出てくるな。というかマスター、いつ奥さんを殺したの? それも覚えてない?」
「ああ」
「とても自信満々! あたしがいいたいのは、もしマスターが殺したんなら、返り血を浴びたはずでしょ? 着替えたんなら、その服はどこにあるの?」
「それだ! そうだ! 全然返り血を浴びた記憶なんてないな」
「おかしい……こうなるともう、マスターは誰も殺していないんじゃないかしら。ここに血があるだけの、ただそれだけの事件!」
「ミイラ探偵、惨状! あ、これ、推理前の、これから推理はじまるぞ、っていう決め台詞その2なんですけど、どうですかね」
「どうでもいい。あたし、正直に言えばすごく帰りたい」
「ふふ。ここからですよ、ミイラ探偵の本領は。完全に私のこと見くびってますね、血雨子さん」
「見くびってなんかないわ。バカだと思ってるわ。マスターもバカだったから、バカの言葉を信じてバカと推理しようとするあたしもバカだって気が付いただけ。バカ!」
「それって見くびってるじゃないですか!」
「そうともいうわ。で、なに? 巻きでね」
「これ、大事ですよ。私ミイラ探偵ですからね。探偵ってのは、必ず特殊能力じみたものを持ってるもんです。私は優れた観察眼なんてありませんから、このミイラという言葉に込めた、ミイラ探偵吊屋絹夫はしかし、誰にも真似できない推理をしちゃうって話なんです」
「言ってみろよ」
めんどくせー。
あたしはタバコをふかした。
「決め台詞ですよ! 決め台詞! 決め台詞は……そうですね、助手の助言があって初めて成立するものなんです。わかりますか?」
「わかりません」
あたしはタバコを投げつけた。
「じゃあこう言ってください。『血、出そうか』。いいですよ。もうこの際、けだるげでも」
「血、出すか?」
前振りでもなんでもなく、そろそろうざくなってきたので、殺しかけたのだが、ノリノリの吊屋絹夫。
「じゃ、死んじゃいますか! ってわぁ! 違いますよ! 食べないでください!」
「え、違うのか? あたしがお前を殺して、ミイラ探偵なんてなかったことにして、今回のこの事件もなかったことにするんじゃないのか?」
「違いますよ! 『下衆ビール』! 飲みたいでしょ?」
「まぁ……その欲望には勝てないんだけどな」
「でしょう! だったら、私の言う特殊技能にちゃんと耳を傾けてください!」
「はいはい」
「私は死ねます!」
「殺すか?」
「死ぬ時に、殺した人間の感情がわかります! 一瞬だけ天国に行けちゃうんですよね。あれ、地獄なのかもしれないけど。どっちにせよ、天から授かるパワー! ってことで、超次元の超パワーで、その殺した人間の感情を読みとることができるんです! ちょっと難しい言葉を使うとするなら、私を殺した人間の潜在意識ってやつを知ることができるんです」
「おおー! いっそのこと超次元の超パワーでこの事件解決すればいいのに」
「それができない程度のパワーってことなんですよ。あしからず」
「せけぇ超次元もあったもんだな」
「だから、私はミイラ探偵のその名に恥じないように、今からマスターに殺されたいと、そのように思います」
「待て待て。マスターの感情を読んで一体どうなる?」
「何かがわかるはずです。なぜって、その人の心に入り込むことが出来るんですからね。マスターがたとえ殺したかどうかを忘れていたとしても、私がマスターあなたの心忍び込んで、解き明かします!」
「でも待てよ。死ぬのか、本当に」
「死ぬのは嫌ですよ。でも私、探偵になるためには、この能力がないとだめです。ミイラ探偵の名にかけて!」
宣言した刹那だった。
ミイラの首筋から、大量の血があふれ出た。状況証拠もへったくれもない、この有様。もう誰も推理する気なんてないかもしれないし、この事件の行方もどうでもいいのかもしれなかった。あたしもどうでもよかった。マスターが気が付いたらナタを持っていたことも。吊屋絹夫が血まみれになったことも。
「ん、これでいいんだろ?」
「マスター。そういう時だけ行動速すぎだよ。ま、死にたがりがいるからいいけどね」
「そうだな。がはは!」
がはは! じゃねー。
てか、思いっきり血ぃでてるけど、本当に大丈夫なのか、これ。心に飛び込む、だなんてことができているようには見えない。冷めた目で見れば、ただ殺されているようにしか。
「心配ご無用でございますよ! 生きてますから、生きてますから。生き返りましたから!」
「血まみれで言われても説得力ないんだがな」
「で、見えたのか? その特殊技能とやらで」
「ええ。どうやら死後、私は地獄に堕ちるらしいということが」
「地獄だったのかよ!」
「というのは冗談で、わかりましたよ。まずマスター! あなたは……あなたは……途方もなく、バカだ!」
「バカにバカって言われちゃったー!」
「これは、大問題ですよ。今まで様々な人間の潜在意識を見て参りましたがね。これだけ何もない人間というのは珍しい。マスター。あなたはほとんど生きながら死んでいるようなものです!」
「生きてるぞ、俺」
「いや、まぁそうなんですが……」
「でもまぁ、マスターがそういう人間だってのは、言うまでもないことだぞ。だって二歩歩けば大体すべてを忘れる人間だぞ?」
「私が言いたいのは、ですよ。これだけ何も考えていない人間。無であり続ける人が、殺しをするとは思えない」
「それはま、一理あるかな」
「憎しみというのはわかりやすくその人の意識の中に顕れるものです。それこそ、手に取れるようにね」
決め顔、である。得意げになっている人間というのはうざったいものだ。へこましてー。
「で?」
「え?」
「いや、お前が死にもの狂い……っていうか死に狂いでそれだけの推理しかできないのか? これじゃ全く解決しねーぞ。わかりきってたこと、だし」
「そうなんですよねぇ」
「そうなんですよねぇ、じゃねぇよ。これから探偵としてやっていくんだろ? お前のその特殊技能だけじゃ事件は解決しないぞ。探偵ってのは、色々とめんどいこともこなしながら、ようやく事件を解決するんだ。好きなことだけやって、死ぬだけ死んで終わりってわけじゃねーだろ」
「好きで死んでるわけじゃないですよ! 痛いんですよ、これでも」
「どうみても、死にたがりにしかみえん」
「いいですか、血雨子さん。優秀な探偵の隣には、優秀な頭脳がいるものなんです」
「探偵の方が優秀じゃないとだめだろーが」
「その頭脳が、結局のところ、答えを導き出すんですよ。ね? わかるでしょ」
「あたしはあんたの助手になったつもりはない!」
「私はある!」
「自信満々に言うな!」
「すいません。血雨子さん。正直に言いましょう。ぜんぜん推理できません!」
「……これじゃ、どっちが助手なんだかな」
「吸血鬼探偵、名乗ってもいいですよ。決め台詞は『じゃ、吸いますか!』で」
バカにつきあうのはこれくらいにしておこう。こいつ、本当にやる気あるんだろうか。
この吊屋絹夫はどうでもいいにしても、マスターにはそこそこ世話になってるし、返り血を浴びた吸血鬼のあたしをいつでも歓迎してくれるこの『下衆』での恩返しを少しでもしてみたいという気持ちは、ないわけではない。まぁ、どうでもいいっちゃ、どうでもいいんだけど。さっさと帰りたい気持ちの方が強いっちゃ、強いわけだから。
でも。
わかる、わけもなかった。
そもそもここには、殺人事件とやらにつきものな被害者も加害者もいない。疑わしきもの、がいないのだ。探偵ごっこやろうにも、全くお膳立てされてない。疑わしきを問いつめるなんてことは出来やしない。勝手にこのミイラを犯人にして終わりに出来やしないだろうか。マスターはそれでも納得しそうではある。それで『下衆ビール』も飲み放題にしてくれそうではある。
……もうちょい考えてみるか。
手がかりと言えば、この血。
ミイラが何度も死んできたっていうのなら、あたしも何度も血を見てきた。
これは間違いなく血、で間違いないはずだ。それも、人が一人死ぬほどの、致死量。
ミイラ曰く……マスターの心境は、無、と。
「吊屋、犯人はお前だ」
「え? ちょ、ちょっとなに言ってるんですか」
「お前はなんつーか、バカだ。マスターもバカだ。どっちが人を殺しそうか。どっちかといえば、お前だ。だからだ」
「すごい雑な推理!」
「うん。大体そんな感じでいいんじゃないかな。どうかな、マスター」
「いいかな」
「いいんですか! 依頼人すら投げやりになっている!」
「だってめんどうになってきたんだもん。ねぇマスター?」
「そういわれてみればそうだな」
「あんただけだよ、ミイラ。やる気になっているのは。だって冷静になって考えてみな。この『外れゴーストタウン』じゃ、人が一人死のうが日常茶飯事。探偵が突き詰めるほどの謎ってわけじゃない。みんな、生きてりゃ死ぬんだ。それがマスターの奥さんは最近だった。そういうこと」
「ちょっと、ちょっと待ってください。今日は私のデビュー戦なんですよ? いくらなんでもこれで終わりってのは嫌です。私はこれから探偵になると決めたんだから! それに、みんな死んでも、私は死なないんだから! 探偵なんだから!」
「ミイラだから、だろ。でも考えてもみろ。デビュー戦って、結構どんな奴もさんざんな結果に終わるんだよ。そこで持ってた夢が潰える瞬間ってのはあるんだよ。お前だって色々わかったろ。探偵は向いてない、廃業しようって」
「決断が早すぎる!」
「そのくらいの速度で動かしていけよ、人生。探偵の次は墓守りとかやってみたら? それか……そうだな、あの、ほら……その次は公務員とか」
「適当な提案!」
「じゃ、廃業しますか!」
「決め台詞をもじった!」
「……はぁ。だってさ、これもう無理だよ。もう少し手がかりがないと。せめて、もう一人でもこの事件を知っている人がいないと」
言ったそば、だった。勢いを立ててドアが開いた。
「子分じゃん。すげーちょうどいいところに現れたな」
「あれ? 血雨子さん……あれ? 親分なんで生きてるの!」
「……え? 子分お前、なんか知ってるのか? 今ちょうどこのミイラ野郎とマスターで、マスターの奥さんが死んだとかなんとかの推理ごっこをしているんだが」
「知ってるもなにも、マスター自殺したんですよ」
「は?」
事件は一言で解決した。
名探偵がずばり、びしりと言うように。
「昨日、みんなで酒を飲んで、結婚したいだとか、したくないだとかの話をしているときに、マスターが突然、俺は女だったか男だったか忘れたとか言ってきて。で、さすがに俺達もこの発言に、親分のバカさ加減にあきれて……誰かが言ったんですよ。バカは死なないとなおらないよなぁって。そしたらマスター死んでみるか、って。腹にぐさりと。で、血まみれになって死に際に『やばい、店しめる。つか、死ぬんじゃなかった』って。だから俺達、今日働く場所探してたんですよ」
「それでスーツ姿なのか」
「ええ。就活ってやつですね」
「面接、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ」
「ちょっとちょっと! 唐突に世間話するのやめてもらっていいですか!」
「……ん、ああ。もういいじゃん、これ」
そう。
推理するまでもなかった。もしかすると、ミイラの推理通りなのかもしれなかった、のだが。
「一応、これほら! 解決編ってことで、ほら、あの探偵がね、びしっと言うやつ」
「じゃあ、どうぞ」
帰りてー。あたしは、もう一度たばこをふかした。
「血雨子さん、ほら、例のやつお願いします」
「ん?」
「ほら、決め台詞の前振り」
「血、なんとか」
「それじゃないですよ。いいですか、解決編の決め台詞は『ミイラ探偵吊屋絹夫、死してなお、謎を解く!』です。前振りはそうですね……血雨子さん、考えちゃってください」
「しね」
あたしはたばこを投げつけた。
「傷ついた! 心が傷ついた! でもそれでもいいです、いきますよ、ミイラ探偵吊屋絹夫、死してなお、謎を解く!」
「しね」
「今回の事件、まず一番の疑問点は果たしてマスターに奥さんがいるのか、ということでした。そして奥さんはこの部屋で果たして死んだのか、ということでした。殺害現場、と思しきマスターの部屋には死体がないうえに、血が妙な滴り方をしている。ここでいったい何が起きたのか!」
「はぁ、しょうもな」
「そこで、私は潜り込んだ。マスターの潜在意識に……そこには驚きの世界が待ち受けていた! 血雨子さん、反応してください、ほら! ほら!」
「はい」
「そう、そこにはなにもなかったのです。なにもない世界がそこにあった。そこで私は閃きました。これだけなにもない世界……もしかして、自らの存在認識すらも、おぼろげなのではないか、と。血雨子君。マスターは昨日酒を飲んでいた、そうだね?」
「さっき子分が言ってただろ。ってかなんでいきなり君よばわりすんだよ。しね」
「そう。これだけ何もない世界を漂っているマスターが酩酊した結果、自らをさらにおぼろげにしてしまった! その結果、何が起きたか。つまり、自分が男なのか、女なのか本気でわからなくなってしまったということなんだ! 恐ろしい! ここで重要なのは、本気でわからなくなってしまった、ということなのだろう。そこに死んでみないと、という発言。真に受けてしまったマスター。あなたは一度死んだのだ! そうしてできた血だまりが、この、血だまりだ!」
ほとんどお前の血でなかったことにされてるけどな。
「ここで一番の謎が、なぜマスターは生きているのか、ということになります。でしょう、血雨子君」
「まぁ、そりゃそうかもな」
「ただしかし! すべては繋がります。事件の全貌は、男なのか、女なのかもわからないように、マスター! あなたは死んでいるのか生きているのかもわからなくなってしまって、とりあえずなんとなく生きてる! 死んだはずなのに、あれ、もしかして生きてるかもな、みたいなノリで。あなたはノリで、生死を決定できるほどに、無なのだから! 血雨子君、効果音、効果音」
「効果音?」
「ずばーん、みたいな」
「……自分で言え」
「ずばーん! はい。さらに探偵の推理は続く! 生死を乗り越えたあなたは、しかしさらにいろいろなことがおぼろげになっていた。なぜなら一度死んだからです。自分が男なのか、女なのか、それすらもわからないあなたが直前にしていたのは、結婚の話。いやぁ、そろそろ結婚しようかなぁ、なんて考えていたあなたは、奥さんがいたのか、いなかったのか、あるいはもしかして女なのかもしれない自分が奥さん、なのか。何がなんだかわからなくなってしまい、結果的に奥さんが殺されてしまった、と私たちに相談をしたのです!」
ずばーん、と。
ミイラはもう一度大声で言って、こう告げた。
「事件の全貌はこうなります! マスター! あなたがバカだったのです!」
「そうか、俺、バカだったんだ……」
そう言ったマスターは、実はすでに死んでいたみたいで、突然透明になってしまい、だんだん見えなくなってしまっていた。あの世へ旅立ったのだろう。
「おやぶーん!」
そう言って泣きはらしてマスターを見送っていた子分だったのだが、翌日には親分は生き返って普通に『下衆』を営んでいた。そしてこんなことを言うのだった。
「死んでるのかな、俺」
バカは死なないとなおらない、というのもどうやら嘘のようだ。
バカは死んでもなおらない。なぜなら死なないから、という新しい名言が生まれた瞬間である。
「よくわかんないですね!」
こいつもまた、何度死んでもバカはなおってなさそうである。
「で、続けるの?」
あたしは飲み放題になった『下衆ビール』を飲み干して、ミイラ探偵吊屋にそう聞いた。
「続けますとも! なんだかんだで、やっていけそうじゃないですか?」
あたしに首をかまれた吊屋は首から血を吹き出しながらそう答えた。やっぱりビールはがっぽり空いたどて穴からこぼれている。
「そうは思わないけどな」
「どうしてですか」
「だって、お前もバカじゃん」
「そうだったー!」
こうして、バカがバカだと言う、バカしか出てこない、バカみたいな事件が幕を閉じた。
ちゃんちゃん。
気が付いたら、あたしもバカになってるような気がして、いやんなった。やってらんねー。
第二黙示録 華麗なる一族? メイドと坊っちゃんとその家族の行方
堅く守っている信念を持っている人間を、僕は決してバカにしたりしないけれど、僕がもしそんなことをしてしまったりしたら、必ずやバカになるという予感がしていた。それはこのゴーストタウンに来てから確信に変わったわけなのだけど、そんな僕がたった一つ守っていることといえば、この家の門を開けはしないということだった。これだけは守る、ということを決められない僕が決めた、唯一の約束。戒め、だった。
僕の名は、相楽一馬という。名前は平凡で、人間としても平凡な人間だと自覚している。平凡な僕はそのまま平凡な僕を維持して生きてきて、やっぱり平凡なんだってきっちりと自分を理解することができた。ここまできたら、正直人生なんてのはちょろいもんだと、僕は考えていた。思うに、自分が特別じゃない、って考えることは、とても重要なことなんかじゃないかって、思うんだよな。それに、特別な人間というのが仮にいたとして、あるいはその存在になれたとしても、僕はなりたいとは思えない。
なにせ、ゴーストタウンに来る前の僕の生活は、とても、とてつもなく普通ではなかったのだ。ある意味で、特別。異常。だから、せめてとも、僕自身は普通の価値観を持ち合わせたいものだからさ。
平凡な僕は、平凡じゃない家族の元に生まれた。その時点で平凡じゃないじゃないかって思われるかもしれないけれど、異常な家族に囲まれた僕は、はっきりいってやっぱり平凡だった。誰かと比較されて、自分が決定されるおもきというのも、あるとは思うのだけど、それを除いたとして僕は平凡なのだ。
平凡、平凡、と連呼するにはわけがあって、僕はいちはやく日常に戻りたいし、このゴーストタウンから逃げ出したくもあった。
ある稼業で金持ちだった僕の家は、そして僕たちの家族は、ある理由で一夜にしてその財産を失った。夜逃げに近い状態になって、僕たちは散り散りになった。そんなことが本当にあるのだな、って眺めていられなくなった僕も当事者だった。僕は父に、ここだけは誰にも言っていないから、と告げられ、このゴーストタウンの洋館にやってきた。ゴーストタウンというから、最初はとんでもない荒くれだったりがいるのかと思ったのだけど、僕の予想は外れていて、この町は平和そのもの……なわけもなかった。荒くれがいたのならばまだよくて、荒くれに感謝するくらいに、この町はどこかがおかしいのだ。頭がおかしい連中で片づけられるのならば、まだしも、僕のような平凡な人間ではとうてい理解できないし、あるいはそのものを受容できないような存在というのが、数多くいるというのが、判明したのである。その存在の詳細は、書かないし書きたくもないのだけれど、僕は父の意向で狂った町に飛ばされたというわけだ。これが果たして、父の好意だったのか。あるいは、「まぁ、息子だしこれくらいでいいか」といった打算だったりで構成されているのかはわからない。後者ならば、僕としても悲観に悲観を重ねてしまう。こんな狂った町で自分から悲観してはさすがにどうにもいられなくなるので、僕は、「かわいい子には旅をさせよ」というあの名文句を思い出して、勝手に解釈をすることにした。
しかしそこまで悲観することもなかった、というのが僕の発見である。人間、どん底までやってくると、ありふれたこととか、あれ、これはもしかしてありがたいことなんじゃないか、なんて発見が増えてくる。まず発見の一つ目は、この館がこのゴーストタウンの山奥にあるということである。近隣には誰もいない。これはとても喜ばしいことで、関わり合いにならなければ、これはもう、ほとんど僕が不幸になるということは避けられるように思うから、ずっとを保持していけばいいのである。じゃあ、どうやって保持するか、なんて疑問が出てくるのだけど、発見その2。地下にとんでもなく広大な地下と、そして井戸があって、水の色が紫にでもなってそうなこの町でも、きれいな水が湧き出ることが判明したのである。僕はこの地下水で飲み水は確保できたのだった。こうなるとあとは食べ物だけ、といった次第になってくるのだが、食べ物も確保している。近隣にまず果実や木の実が生えている森林があったのだし、さらには いつ枯渇するのかは定かではないし、その不安というのはいつだってあるにせよ、しかし僕はこの館の門を守ること。あけないこと。そして外出しないことは、今のところ遵守できていたのだった。
絶対に、守り通す。
不幸にならない、最大の法則とは、不幸にならないことである。
これは僕の人生で見出した、自分なりの名言だ。
すなわち不幸にならなければ、平凡な僕であれば、幸せになれる、と。そういうことにも繋がってくる。
けれど、このゴーストタウンは僕の安息を許さない、というのが最近のことなのだった。
堅く守ろうとしているのは僕の信念ではなく、この館の門、なのだし、その門がなにか危機的な状況に陥っている……というわけでは決してない。その内部に、問題が出てきたのだ。
この広い館に、僕はいまのところ一人で住んでいる。はっきりいって、身に余りすぎる広さだ。僕が使用しているのは、大広間にあるキッチンと、数多ある部屋の一つである、この狭苦しい部屋だった。元は倉庫だったのかもしれないくらいには手狭で、空き部屋だった。誰にも手つかず、と言う理由で僕はこの部屋に好んで住んでいる。隣の部屋には、誰かが使っていたらしい(というか、そもそもこの家には誰が住んでいたんだろう?)この部屋とは比較して大きな部屋がある。その部屋にはたまにものを置きに行ったりするくらいで、僕の行動範囲とは大抵その限りである。正直に言って、この館を有用しているとはまるでいえないけれど、これで十分なのだった。なにせ平凡……なのだから。
それが、最近天井でなにやらやかましいのである。
それ自体がもう既におかしい……つまり、やかましくなってしまうということそれ自体が非常におかしいのだけど、僕はそれをなんとか風雨のせいだとか、家がたまたまきしんだ、だとかのせいにしていて、もう気が気でないくせに、ほとんど自然現象の類による物音だと押しつけていた。
どん、どん。
という足音。
これが、自然現象なのだと。
僕の一番の勘違いは、門さえ閉じていれば、このゴーストタウンからの侵攻を防げるに違いないと確信しきっていたことである。
関わらなければいい、とどれだけこちらが構えていても、あちらから関わってくるのだということを、まるで想定していなかった、ということである。
でも、そんな僕を責められるだろうか。
だって、僕はやっぱりただの人間なんだから。
今。
今僕がどういう状況に陥っているか説明してみよう。
まず、平凡な人間の僕の目の前には、狂った人間、であればまだよかった。同じ人間なのだから。
そこには人間ではなく、幽霊がいた。どうぞ僕の代わりに笑って欲しい。自称、幽霊、などではない。もうてんで体が透けているし、なんなら浮いているし、そこらへん、空中をうろついているのである。。
「で、君の言いたいことは……つまり、こういうことなんだね。もうどうにもこのゴーストタウンで居場所がなくなったし、ゴーストバスターと呼ばれる霊能力者が町を闊歩し始めて、どうにもこうにも居場所がなくなってしまって、この館に来た。見つからないようにして上の階で生活をしていたけど、だんだん寂しくなってポルターガイスト現象を起こしてみたのはいいものの、この館で一応住まわせてもらっている身の上ではあるし、なんだか僕を見て不憫になってきたものだから、こうして姿を現した、と。加えて、僕に助けて欲しいことがある、と」
「そう。その通り。実はずっとあなたのことは見ていたのですが。なにせ、この館に住むのはあなたしかいないのだから」
「幽霊に哀れまれるほど、僕は落ちぶれていない」
僕はなぜだかこの幽霊にびくつかないで済んでいた。これは僕の家の特殊な稼業のおかげなのかもしれない。そういった方面のことについては、知識があったものだから。もっとも最初の頃は、足がふるえていたのだけど、こうやって意志疎通ができるからか、あるいはこの幽霊が使用人の格好をしているからか、なじみやすさ、というものがこの幽霊にはあるのである。僕がもしかすると、心のどこかで話し相手を求めていた、というのもあるのかもしれない。
「ご主人様も苦労されているのですね」
「なんで急にご主人様になった?」
「こう見えて、というか、見たとおり、私、元使用人でございますので。この館に住まわせていただいているのも、かつての自分を思いだして、ということもありますから」
「なるほど。で、君は一体何をしたいの? 僕が求めているのは平和なんだけど。つまり、君には悪いけれど、君がいると平和を乱されるような気がしているんだ。悪い奴ではないようには思うのだけれど。なにせ幽霊だから」
僕はこの幽霊のことを決して嫌いというわけではない。しかし同時に好きというわけでもなかった。好きになるというのはありえなかった。だったらとりあえず放っておくという手段もあるにはあったにせよ、やはり僕は不幸をどれだけ防ぐか、なんてことばかり考えているので、放置することはしたくなかった。なぜなら厄介ごとを背負っていそうだからである。存在そのものが、果てもなく厄介そうだ、というのは言うまでもないことだけれど。
「ご説明に当たる前に、私、身の上話していいですか」
「そんなことされても、困るよ。化けて出た幽霊に身の上話されるこっちの身にもなってみてよ」
「そう、あれは……私がまだ生きていたころでした」
「何の話も聞いちゃいないね、君」
「私は使用人の両親の元に生まれ、使用人として生まれてきたように思います」
幽霊は確かにいかにもな使用人、メイドの姿をしている。少し、スカートが短いような気もするけど。
「使用人の両親……? つまり父親も母親も、使用人であるということ?」
「そういうことになります」
そんな家計があるのか、と思いはしたものの、別段特別なことではないのだろう。なにせ僕の家計が既に特殊なものだったし、このゴーストタウンには幽霊以上に受け入れ難い存在というのも、数多くいるところを目撃した、してしまった。平凡な僕には目に入れたくない存在、というものが。この際、無害な幽霊くらいいいのかな、なんて思っている自分が少し怖い。
「生い立ちや、使用人としての私だったり、あるいは使用人としての私の信念だったり、好きな食べ物だったり、性的嗜好だったりは割愛させていただきますね」
「いまさりげなく、どうでもいい情報、入れたよね。割愛する前振りすら必要のないものが」
「とにかく、私は使用の家庭に生まれ、使用人として、初めて勤めた家庭に、私は長らく勤めあげました。けれど、なにかおかしいな、と思ったんですよね」
「おかしい?」
「そうです。あなた……お名前は?」
「相楽です」
「相楽さんはそういった経験はありますか?」
「どう、だろう」
定められた宿命、というのには確かに抗えないのかもしれないので、この幽霊の言い分は、なんとなく理解できたかもしれない。
「私はおかしいと思ったんです。だって、自分の人生、じゃないですか? 自分の人生、自分で生きないと、生きている意味がないようにすら、思うんです。使用人だから、使用人になる。そんな人生に、私は耐えられなくなったんです」
切なく、辛い表情を見せる、幽霊。人の人生数あれば、様々な苦悩もある……いや、あった、ということなのだろう。もしかすると、そんな人生を悔いて、幽霊として化けて出ているのかもしれない。
「そしてマフィアになりました」
「すごい変わりっぷりだ! 関係性が全くない!」
「やはり驚かれ……ますか?」
「驚くも何もないよ! メイドからマフィアに転職した事例を、僕はかつて聞いたことがないよ!」
「そうでしょうか……:」
「しおらしく上目遣いでこちらを見てきてもおかしなものはおかしいよ」
「それで私、とあるマフィアの幹部を務めておりまして」
「そこを淡々と言わないでくれるか、頼むから」
「何を言いますか、本題はここからなんですから」
「とんでもなく聞きたくなくなってきたぞ、その本題」
「まぁ、マフィアと言えば抗争、ですよね」
「知らないよ。そんなマフィアの世界に片足突っ込んだこともないんだから」
「ドラッグ、密売、裏稼業斡旋……そして、殺し合い、でしょう」
「いやだから当たり前みたく言わないでよ! 頼むから! 穏便なメイドでいてくれるか?」
「絶対に譲れない信念は、使用人としての私にはまったく、これきしもなかったのですが、マフィアとしての私にはありました。信念、というよりは哲学、といったほうがいいのかもしれませんが。それは、殺しをする自分がいかに美しくあるか、ということであり、その美しくある自分が死体を見るその刹那、私の人生と、殺した相手の人生を想像し、ぶつけあい、微笑みをかけ、その微笑みをつぶさに研究し、日々の人生の中に取り込んでいく、ということなのです」
「猟奇的でマニアックだよ! せめて、せめてだよ、百歩くらい譲って殺し方、とかその程度に抑えておいてよ!」
「夢中になって殺しを続けた日々、でした……」
「恍惚としないで!」
「気が付けば私は幹部ではなく頭領になっており、私の率いる元使用人集団『メイド☆ミラクル☆スターズ』は一躍ほかのマフィアを傘下に加え、警察やその他国家権力をなきものとするほどに強大な力を持っていました」
「名前がかわいい!」
「……が、そこが私の人生のピーク、でした。強大な力を持った組織は、崩壊を辿る羽目になったのです」
「へぇ、強かったのに?」
「調子に乗っていた私たちが痴れ者だったのでしょう。未知なる遭遇、というやつです」
「それで、幽霊になったということなんだな」
「そうです。そういうことなんです」
前言撤回、とんでもなく悪い奴だった。人を殺してきたのだから、この幽霊になってしまっているのは、因果応報、なのかもしれない。
「ただ問題は、私が死んだ、ということではないのです」
「ええ? じゃあ今までの前振りなんだったんだ?」
「それは相楽さんに、私のことを知って頂きたい、ということです。長い付き合いになりそうですから」
「つきあいたくないよ! 色んな意味で!」
「問題というのは、私の仲間です。生前の、という意味ではありません。死後の、こういった姿になった私はまるで途方に暮れていたんですが、その仲間のおかげで一命を取りとめることができていたんですね」
「そいつも、もしかして幽霊ってこと?」
「そうです。問題というのは、そいつが死んでしまったんです」
「既に死んでるじゃないか!」
「いえ、死んだのです。正確に言えば、存在を抹消された、ということなのかもしれませんが……」
「もしかして、除霊だとか、そういうことがされたとでも?」
「そういう、ことになるのではないかと思います。その私の友達はいつもこの館の井戸で、のほほんと生活をしていた、かわいい存在、でした。私は彼女を生き甲斐にして、今まで生きてきたというのに……殺られたんです、ゴーストバスターに」
それは幽霊の本業、なのかもしれなかった。人を怖がらせる、という。人間を怯えさせる、という。
その幽霊の表情は、確かに人を何人か、いや……そんな生やさしいものでない。数百人規模の人間を殺してきたであろうということを映し出そうという、そんな顔つきだった。断言できるのは、明らかにメイドではないし、むしろかつてメイドであったという事実をなきものにするものだった。
「いや、力になりたい、というのは山々……でもないけれど、困っているというのならば、力を貸してその上で君も自分の進退を考えて欲しいところなのだが……はっきりいってそれは誰かのせいというわけでなく、自然消滅の類ということは考えられないだろうか? なにせ、幽霊だ。誰かに消されたという確証も出せないんじゃないだろうか。それにこの館には僕しか住んでいないはず。君の言う、ゴーストバスター云々だとかについては、確かにこのゴーストタウンにはいるのかもしれない。ただこの館にはいないと思うのだよ」
「それは、私も考えましたよ。ええ。ただそれを言うのには根拠がありまして」
「根拠?」
「井戸に、お札があったんです」
「お札」
「そうです。ちらりと見えただけで、私もそれに近づくとどうにかなってしまいそうでしたから、目視しただけなのですが、明らかにそれは誰かが意図的に設置したものでしたよ」
「一体誰がそんなものを! 何度も言うけれど、ここには僕しか住んでいないんだ。考えられない」
「いいえ。ありました。それに、ここには相楽さん以外も住んでいるじゃないですか!」
「はぁ? 何を言っているんだ」
話が見えなくなってきたところで、僕の部屋の天井ががたがたと揺れた。またポルターガイスト現象をこの幽霊が起こしたのかと思ったのだけれど、違った。そんな生やさしいことが起きたわけでは、決してなかった。その人間は、大きな音を立てて、天井をぶち抜いて僕と、そして幽霊の前に姿を現した。
「呼びましたか、兄様」
「二葉! お前、なんでここにいるんだ」
「なんでって……父がそのように言っていたじゃないですか」
「父さんが?」
「今日までに兄弟がここに集うように、とのことでしたので。私、一週間ほどまえから屋根の上で待機しておりました」
「一体どうして天井にいたっていうんだ。そして天井をぶちぬいて来たっていうんだ」
このように質問する不毛さを、僕は知っているし、したくもなかったのだが、聞いてしまう。
妹、相楽二葉は普通ではない。尋常でない、と言った方がいいか。
「鍛錬のため、ですよ」
満面の笑み、である。
妹、というとどこか可憐で、愛でたくなる要素が、どれだけ生意気で、かわいげがなかったとしても、少なからずあるものではないかと思う。それが兄としての性、というものなんじゃないかと思うし、なんなら兄弟の関係じゃなくても、男性が女性に対して見出す感情の一つ、といってもいいかもしれない。
なのだが。
この二葉にそんな感情を見いだせる人間はいないだろう。少なくとも僕のような普通の人間には無理だ。たとえ妹であっても、無理なものは無理だ。
肉体。一分の隙もなく鍛え上げられたその肉体は、既に、女性……というか人間の域を越えていた。強靱な筋肉要塞、という比喩も生やさしいくらいに彼女の肉体は異形であった。その肉体はどこを目指しているのか、とかつて尋ねたことがあったが、曰く、「宇宙」らしい。そして、「最強の戦士になる。宇宙の」と。たとえば、悪意のある人間だとか、獰猛な動植物だとか、あるいは天災だったり、不意の事故だったり……を想定しているわけでは決してないらしい。つまり、まだ見ぬ敵と戦うために、宇宙を見上げながら毎日来るべき日に備えて心身を鍛え上げているらしかった。
それでいて女性らしさはどことなく保っているのだからめんどうだった。異形なら異形でいて欲しいというもの。口振りもどこかお嬢様らしいし、加えて三つ編みのお下げ、純白のスカート、ピンク色の眼鏡。それらとその筋肉の塊が全く調和していないため、身につけないほうがいいかもしれないし、むしろ原始的な布切れとかを身にまとっていたほうがよっぽど似合うのかもしれなかった。
一言で言えば、頭がおかしい、と。そのように考えてくれれば問題はない。
普通ではない、僕の妹。
「闘りがいがありそうですね」
とメイド幽霊が鋭い目つきで見て言っていたのを、僕は聞かなかったことにした。
「父さんが一体どうして?」
「理由は聞いておりませんが、敵、ではないでしょうか。敵がやってきたから、家族でまた集まるとのことでは?」
「嫌な予感しかしないな」
僕はここにきて家族とまるで会いたくない自分に気が付く。ゴーストタウンは不気味であるものの、一人であることの心地よさになれきってしまっていたのだろう。
「あなたですか! あなたが私の友達を消したんですか」
「あなたは何者でございますの? 敵であるのなら、容赦はしませんわ」
「誰に口利いてんだ。呪い殺すぞ」
どすの利いた口調と共に、急に幽霊からどす黒いものがにじみ出た。幽霊なりの殺気だろうか。それともマフィア独特のものなのだろうか。
二葉も臨戦態勢に入っている。
「ちょっと! ちょっとまて! ここで闘わないで。一応説明しておくと、彼女は幽霊の……えっと……」
「摩不伊亜だ」
「とんでもない名前だった!」
「肩書きみたいなもんだよ。マフィアの中のマフィアになるためにね」」
「もうこれ以上は突っ込みたくないぞ。ね。私はあなたのご友人のことなんて知りませんわ」
「しばいたあとでもしらばっくれられるかな」
「そう簡単に負ける気はなくてよ」
「闘うな、闘うな! 頼むから闘わないでいてくれるか! 君らが全力で闘えばこの館がどうにかなってしまう!」
と、僕が叫んだその瞬間、実際に館がどうにかなってしまった。激しい爆発音と共に、大きく揺れる館、室内。
異常を察知した二葉が僕を抱えてすぐさま音の発生源と向かった。二葉の胸元で僕は一つの予想を持ち合わせていて、どうかそれが当たらないで欲しいと願っていたのだけど、大抵僕の願いというのは叶わないものだ。
そこには確かに異常な光景があった。まず、どうやったか知らないが、分厚い館の門が綺麗に粉砕され、ぶち抜かれていた。幸い火は燃え移っていないようだったが、そんなことで安堵は出来ない。門を越えた、吊り橋の上に立っているのは弟、三太だった。
それだけならまだよかったといえる。僕の予想は辛くも当たってしまったものの、これはある意味で仕方のないことだった。二葉が父に集合をかけられたのなら、三太もまたこの館に来るというもの。爆発音の一つや二つ、あるいは門をぶち抜くというのも、三太ならば仕方がないと思えるもの。
ただ、一つ。
僕の想定を遙かに越えた存在が、想定を遙かに越えた光景を映し出していた。
まるでお手玉をするかのように、三太が例の超能力(もう説明が面倒なので、簡単に言ってしまうけれど、弟、三太も頭がおかしいのだ。超能力が使える。後は勝手に想像して欲しい)で、一人の人間を浮かして、操っていた。
「助けてくださいぃー」
と、暢気に言っているようにも見えるのだが、その人間はスーツ姿で正装といえるようなしっかりとした出で立ちをしながらしかし血まみれだった。首から、だろうか。いや、もうどこから出血しているのかも全くわからないし、三太の超能力で、円を描くように回転し、血の雨を降らせているのだ。何がなんだかわからない。
「三太じゃないか、お帰り!」
二葉が三太を抱きしめている。
「兄さん、姉さん、元気? 俺は元気だよ」
「すまない。二葉、三太。感動の再会、の前にその空中で回転している血まみれのスーツ姿の人間について説明してもらえないか」
「ん? ああ。この人、ね。いや、僕ちょっと地球の自転をずらせないかなぁ、って考えてさて。この門の前でちょっと精神研ぎ澄ませようとしてたんだけど、この兄さんがなんか血まみれになりながらこっちに来てさ。明らかに怪しいから、とりあえず回転させておくかな、みたいな。大体そんな感じ」
ぐちゃり、と。
回転していた男は、その慣性を保ちながら地面にめり込むような勢いで体を打ち付け、のたうち回っていた。首の骨が折れたんじゃないかと思ったら、実際に折れていたし、どころか首が半分切れていた。
「三太! だめだろ、この人、死んじゃうだろ! いや絶対死んだよこれ! もはや人としての体裁を保ってないよ!」
「いや兄さん。それがこの人、死なないみたいなんだよ」
「死なない?」
「門に向かって走ってきた時には、既に血まみれだったし、なんなら首の骨どころか、首が半分切れてるみたいになっててさ。だからおもしろいなぁ、っておもって。思わず回転させちゃった」
「おもしろいからって回転させちゃだめだよ!」
「いえいえ、おっしゃるとおりですよ。私、こういうものでございますから。死なないんです」
スーツ姿の人間は立ち上がり、そして血まみれのショルダーバッグから、血まみれのカードケースのようなものを取り出し、その中から血まみれの紙片を取り出して、渡してきた。
なんとか汚れを取って、僕はそこに書かれている内容を読み取った。
ミイラ探偵 吊屋絹夫
と書かれている。
「ミイラ探偵?」
「いえなに。最近そういった稼業を始めましてね。ご近所の方々にご挨拶に回っております。営業活動って奴ですよ! いやぁ、でもまさか宙に浮かんで回転するとは思いもしませんでしたがね! ジェットコースター!」
「あはは。おもしろいね、お兄さん」
「ミイラ探偵吊屋を、どうぞお願い致します。もし不可解な謎というものがあるのであれば、お受けいたしますよ」
不可解な謎といえば、こんな頭のおかしい連中が一同に介してしまったことに違いない。
「謎といえばさ、俺、父さんからこんな手紙を預かってきたよ」
「手紙?」
「まだ開けてないけど多分兄弟で話し合って、誰が継ぐのか決めろってことなんじゃないかなぁ。父さんのことだし、稼業はどうにか続けて欲しいって言うと思うなぁ」
「継ぐって、一体なにをですか?」
メイド幽霊改め摩不伊亜が興味津々になって聞いてくるが、それは答えてはいけないように思えた。答えてしまえば……きっと激高するに違いないだろうから……そして、僕を……僕たちを、怪しみ、憎しみの対象にするに違いないだろうから。
「除霊師。ゴーストバスターだよ」
・
はー。
やってらんねー。
吸血鬼やってらんねー。
吸血鬼やめてぇ。
吸血鬼とイモムシ、来世はどっちがいいかって聞かれたら吸血鬼かもしれねーけど、吸血鬼としょうもねーけど普通の人間。なんのとりえもないまま、なんのとりえもなく生きている人間、どっちになりてーかっつったら、普通の人間かなぁ。
なんせ腹が減る。血が吸いたくてうずうずしてしまう。もう吸血鬼やめようかなぁ、とか思うんだけど、どれだけ我慢しようとも最終的には血を吸っちまう。死にたいというよりかは生きたいんだな、どうしても。吸血鬼続けなきゃいけないってのに、吸っちまう。人間の血じゃなけりゃ、まだいいんだけどよ、満たされないわけよ、ほかの血じゃ。
だから人も殺しちまうわけ。っかー。
でもあの吊屋っつーバカが携帯食糧になってくれたから、その吸血鬼としてのめんどくささはなんとなくほぐれてきていたんだけど、あの吊屋と関わらなきゃいけないっていうめんどくささが生まれちまったわけだ。だからめんどくささの総量みたいなもんは変わってないどころか、むしろ増えているのかもしれない。
会う度に探偵業のことをどうたら抜かして来やがって、今日なんてバカのくせしやがって交渉してきやがった。バカなのに。
せっかくある程度話を聞いてやって営業活動とやらにもついてきてやったっていうのに、突然血が吸いたいなら助手になれ、だと。そのまま血祭りにあげてやったんだが……
もう一度吸いたくなってきちまった。
どこ行ったんだろう。
と、迷う必要もなかった。
血の跡を辿れば、奴に突き当たるのだろう。
「おーい!」
気が付けばでけぇ館の前に、あたしはいた。館といえば、謎、とか。吊屋だったら言いそうだし、面倒ごとに顔を突っ込んでそうだった。嫌な予感がすると思えば、幽霊があたしの前に姿を現した。
「血雨子さんじゃないですか!」
「は? メイド?」
「ほら、あたしですよ。摩不伊亜」
「まふいあ? ……ああ、もしかしてメイドなんたらっていうマフィアの!」
「そうですそうです! 『穀潰し』と抗争した時はお世話になりました。懐かしいですねえぇ。でも、なんだって血雨子さんがここに?」
「いやむしろなんだってお前は幽霊になっているんだ」
「死んじゃって」
「それ以上はなにも聞かないことにしよう。すげーめんどくさそうだから。あたしが聞きたいのは、ここにバカが一名紛れ込んできていやしないか」
「もしかして、吊屋さんのことですか」
「そうそう。そのバカ」
「その方なら今私たちの謎を解いてくださってます」
「はー……また面倒なことを。あたしは血を吸いたいだけなのに」
「血雨子さんも、力をかしてくれませんか」
・
言われるまま館内部に入り、摩不伊亜に案内されて一つの部屋に入った。
扉を開くと、
あ、血雨子さーん。
とバカがこちらを振り返った刹那、ごつすぎる人間に腹を打ち抜かれて絶命していた。
「おいおい、早速死んでんじゃねーよ。あたしが殺そうとしていたっていうのにさ」
「そんなひどいこと言わないでくださいよー。今、この方たちの謎に向き合っているんですよ」
血まみれのまま、こちらに近寄ってくる吊屋。
「……もしかしたら、この方たちお金持ちかもしれないので、うまい具合におこぼれちょうだいできるかもしれませんよ」
「いいから、とりあえずあたしにも教えてくれよ。この部屋で起きたことや、謎とやらを」
結構どうでもよかったんだけど、なんつーかこの館もそうだし、この部屋にいる人間から、とてつもなく
あたしが言うな、って話なんだけどな。
「……で、要するに誰が摩不伊亜の幽霊を退治したか、ということが謎なんだな?」
「そういうことになりますかね」
「謎というには、あまりにもバカバカしいな」
「血雨子さん! そんなこと言わないでくださいよ! あたしの大事な大事な友達だったんですから」
「どんな友達だったんだ?」
「イモムシの霊です」
「イモムシここで出てきちゃったよ!」
「イモムシといえども、霊の私にしてみれば、大切な友達だったんですから」
「それは本当にいたのかすら危ういレベルだな。まずそこからだろ」
「でも確証があるんです。この方達の誰かが私のイモ子ちゃんを除霊したって。お札も張られていたし、それにこの人達、ゴーストバスターの末裔、なんだそうです」
「ゴーストバスター? の末裔?」
「除霊で一儲けしている連中のことですよ。だからこんな館も建てちゃうんですね」
「へぇ、世の中そんな連中がいるんだねぇ。でも誰がやったかなんてわかるのか?」
「除霊が出来る才能を持った人間、だそうですよ」
「そこからは僕が説明しよう」
と出てきたのはこの部屋にいる中で唯一の常人ともいえそうな、坊ちゃん刈りの坊ちゃんだった。
「僕たち一家は霊能力で稼業をしていてね、両親の失態で散り散りになってしまったんだけど、父はやはり稼業を存続させたいらしく、跡継ぎを指定する手紙を送ってきたんですね。ただ……」
「ただ?」
「血が、ついちゃったんですよ。ゴーストバスターとしての力を扱える人間を、名指ししているのに、その部分だけ血がついちゃって。で、結局だれが跡継ぎなのかというところがわからず……そしてこの三人一同も、自分が果たして除霊が出来るのかどうかはわからず。結局、だれがイモ子を除霊したのかわからない、っということなんです」
「じゃあ元凶お前じゃん! 吊屋!」
「そうともいえますが、しかし名探偵が現れる場所には謎がつきものといいますし、むしろ名探偵が謎を持ち込んでくる感じも、ね? どこかしらにはあるかな、みたいなそういう感じも否めないというか、決して私だけの責任とも言えないという部分はあるのではないかと思うのですが」
「これじゃ謎を解決するどころか持ち込んでるじゃねーか! 責任とれ、ほら」
「切腹させて頂きます!」
飛び散る血。こんなもんは日常茶飯事になっているため、あたしは笑いながら見ていたけれど、坊ちゃんが明らかに全身を震わせていたので、ちょっと悪ふざけはこれくらいにしておこうかと思う。あたしもさっさと吊屋の血を吸いたいので、このよくわからん事態の収拾はつけたい。
「ところで君は何者?」
「吸血鬼かな。驚いた?」
「……もうこの際何が出てきても驚かないよ」
「てかさ、あんたらの親父に会いに行けばいいんじゃないの? 謎がどうとか言う前にさ。確認」
「それが、父は既に他界しているとのことです。追っ手のゴーストバスターに命を取られた、と。手紙にそう書いてありました。これは父の代理人が送ってきてくれたものです」
「すごい世界だな、ゴーストバスターの世界。知りたくもないけど。あたしが思うには、そんなに無理して跡継ぎなんて探さなくてもいいんじゃないか? ほら、兄弟みんなで仲良くやるっていう、さ」
「それではいけませんわ」
「なんだお前! 気持ち悪いわ! 女だったのかよ!」
「まぁ! 私を侮辱するのはいいですけれど、筋肉は侮辱しないでいただけますか?」
「……いや、これ以上突っ込む気も失せるわ。で、どして?」
「まず私たち兄弟は、父の意志はどうにかして実現したい、と考えています。それに、地下には確かに私たちが除霊用に使う札が張ってあったのです。が、誰もがそれを館に持ち込んでない、と口をそろえて言うんですね。こんな不可解なこと、ありましょうか? これは私たちとしても、一つの疑問として解き明かしておきたいのです。」
「そ、れ、に! ですよ。イモ子ちゃんをあの世へ葬った人間を、私は探さなくちゃならないんです」
「まぁ、成仏したんならそれでいいんじゃね、とは思うけどな」
「タイマンですよ。見つかったら。幽霊になったからって、力は衰えてませんから」
ヤバい肉体を持った女に、超能力者、そして坊ちゃん。
誰が霊能力を持っているのか、そしてイモムシの霊を誰が除霊したのか、ってとこか。すげーどうでもいいな。マジで。話をどうまとめあげても、何一つ感慨深い要素がない。
「くじびきとかで決めればいいんじゃね」
「ちょっと血雨子さん。これはチャンスなんですよ。私たちの名前を売るという。だめですよくじびきとか言ったら」
「でもさ、わかるわけなくねーか? 誰が霊能力とやらを使ったか、なんて」
「わかるわけもない、というよりも、ここは鋭くいかせてもらいますが、むしろ一体なぜ誰も名乗りでないのか、ということなのだと思います」
「そりゃあれじゃねーか。摩不伊亜の霊が怖いとか」
「でも、同じ霊ですからね。霊能力があれば、相対することが出来るはずですよ」
「うーん、言われてみればそうかもな」
「それにこのご子息の話では、稼業を継げば、この館を含めた隠れた資産を相続出来る、とのことですから、なおさら隠す意味がないと思うのです」
「うーん……」
「ね、謎でしょ。というわけで、血雨子さん。例のアレ、いっちゃいましょう」
「勝手にしてくれよ、頼むから」
「ノリ悪いなぁー……ってぎゃぁ!」
「言わせる前に殺る」
「死んじゃいますか、っていうか、死んじゃいました」
「ちょっと、ずっと疑問だったんだが、この人は一体どうなっているんだ? いや、人、なのか? 明らかに出血量が致死量を越えている」
「坊ちゃん。人じゃないぜこいつは、ミイラだ。真剣に考えたら負けだ」
「ミイラ……」
「私は殺されることで、その人の潜在心理を読むことが出来るのです。レッツダイブトゥーヨアハートというわけなのです。さぁさぁ、誰から来ますか?」
幸い、というかなんというか、兄弟のうち二人は人を殺すことになんら抵抗を示さなかったため、吊屋の能力が発揮出来た。筋肉ダルマはラリアットで吊屋の首を薙いで、超能力野郎はサイコキネシスって奴だろうか、で、吊屋の体を破裂させた。
「ふいー。死にました死にました。あとはあなただけですよ。相楽一馬さん」
「僕には出来ない。たとえいくらあんたが生き返るとしても、感覚が狂ってるよ、みんな!」
「いえいえ、ほら。この通り。どれだけナイフをずぶずぶやっても、ね? 大丈夫ですから。それにみんなやってあなただけやれないとなれば、あなたが怪しまれることになりますよ? 相楽一馬さん」
「しゃーねーなぁ。ほら。こんなこともあろうかと、致死率100%の青酸カリだ。これを飲ませればいい。間接的に殺してもいいらしいぞ」
「
「ズバリ、出てきた皆様の心内、なのですが、一言で言えば『最強』でした」
「最強?」
「そうです。もっとも強くなりたい、という気持ちと願いがみなさんの中に強く、強くありました。やっぱり兄弟だけありますねぇ」
「筋肉と超能力はなんとかわかるとして、坊ちゃん。あんたも最強になりたいのか?」
「それは、父の教育によるものだと思う」
「教育?」
「僕が説明するよ。うちの家族は言った通り変わっててね。父さんなりの帝王学ってのを仕込まれるんだ。つまりなんでもいいから一番になってみせろ、っていうね。僕も一馬兄さんも、二葉ねぇもそう言われて育ってきた。だから、みんな最強になりたいって思っているのは別に不思議でも何でもないよ」
「一体どんな家庭なんだよ。霊能力に帝王学って必要なのかよ」
「ビジネスとしてやっている部分もあるからね。ぶれない『最強』っていうのがどうしても必要らしいよ。父さん曰く。死んじゃったけど」
「あんた等はその跡を継ぐためにその最強を目指してきたのか?」
「最初はみんなそう、だったはずだわ。みんな、父君の背中を見て育ってきたから。けれど私はもうどうでもいいのだわ。父君の失態を見てしまった。父君への信頼は既に失われましたもの。それにいまさら名誉も金も興味はないんですの。肉体と、まだ見ぬ敵。これにしか関心はありませんわ」
「僕もそうだよ。僕は超能力が使えるし、それだけでもう十分やっていける。跡継ぎにこだわる必要はないから。それにこんな状況になって跡を継ぎたいなんて、思うわけないやい」
「坊ちゃん。あんたは?」
「僕はただ平穏に暮らしたい。それだけさ。ほかには何も求めちゃいない。最強も、跡継ぎも、僕には必要がないの」
「ふーむ。皆様否定的ですな。そもそも失態というのはどんなことなんですか?」
「簡単さ。父さんは代々続いてきた、ゴーストバスターという仕事を表向きには続ける傍ら、新興宗教で多くの人間から金を巻き上げていたんだ。それが公にバレて、で、信者も目が覚めて。暴動みたいなのが起こっちゃったわけね。それに、ほかの同業者にも追いつめられて。それで一族離散。事業も崩壊寸前……というか、崩壊しちゃったわけ。僕達、ほとんど指名手配されているようなもんだから、それぞれ隠居みたいな生活をしていたのさ。で、父さんが死んで、手紙が来て、ここに集まったってわけなんだよ」
「はー。いろいろあるんだねぇ。華麗なる一族の最期って具合か」
「結局、そのミイラおじさんがみた『最強』ってのは、父さんの教育の成果ってところなんじゃないかな」
「なるほど……」
「なるほど、って納得しちゃだめだろ」
「しかし血雨子さん。これじゃ推理しようがありませんぞ。みんなそれぞれ跡継ぎなんてどうでもいいと思っているのだから……」
「霊能力ってのはでも確かに存在するんだよな?」
「それは実際にあります。私たちに備わっているかどうかはわかりませんですがね」
「あんたらの父さんも、このうち一人がやっぱりゴーストバスターとやらの力を伝承していると言っているんだからイモムシの霊を成仏させた奴はやっぱりこの中にいるんじゃないだろうか? 札もあるってことだし」
一同、沈黙。
「うーん。なぜ、出てこないんだろう」
「と、いうか。皆さんの話を総合しても、隠す意味がないような気もするので外部の犯行であるという可能性はないでしょうか」
「犯行って呼べるのかな、これ」
「それはないでしょうよ。この館の仕組みを考えたら。だってあの分厚い中世の城みたいな吊り橋式の門だよ?」
「摩不伊亜みたいな存在ってのも考えられるんじゃねーか? 幽霊みたいな。幽霊が幽霊を除霊するってことも考えづらいかもしれんが」
「でもお札がありますからねぇ。それはさすがに誰かが設置したとしか考えられない」
「そりゃ確かにそうだな」
最強、ね。
本当に最強とやらになれば、都合はよさそうだけど、その先になにがあるんだろうか。あの筋肉ダルマは既に世界最強なんじゃないかという気もするな。
もはや誰でもいいんじゃね、どうせイモムシだし、誰も跡取りになんてなりたがってないみたいだし。
と、言いかけたところで、地震が起きた。結構強いやつだ。館全体が大きく揺れている。
「おい、ミイラ。地震止めろよ」
「ちょっ! そんな無理難題はさすがに解決できませんよ、いくらミイラ探偵であっても!」
「地盤の間に挟まってこいよ」
「うーん。でもこれ、ちょっと地震ってレベルを越えてない?」
「確かな」
言っている間に広間のシャンデリアがまず落下して、ミイラに直撃した。これはちょっとヤバいかもね、なんて外に飛び出そうとした時に、ようやくこれが地震ではないのだと気が付いた。地震ってのが生やさしく感じるくらいには、おかしなことが起きていた。
「おい、これ」
「飛んでますね」
「飛んでる?」
「飛んでる!」
ロケットってやつを見たことはないが、さながらロケットだった。正確すぎるくらいに、この館は地面に対して垂直に浮かんでいた。眼下の景色がどんどん離れていく。
「やい超能力野郎。おまえの仕業か? 止めやがれ。いくら最強の、華麗なる一族だからって、館を浮かしちゃだめだろ!」
「さすがに館を浮かすことなんて出来ないよ! てかこれ、脱出したほうがよくない? 姉さん。頼むよ」
「任せなさい」
筋肉ダルマのその本気の一撃は、確実に家の壁をぶち抜くものだった……のだが、大きな音だけを立てて、ひびすら入らなかった。人間がくらえば塵一つ残さないような拳だというのに。
「なんですの」
「姉さん。本気出してよ」
「本気ですわよ!」
言っている間に、館は雲を突っ切っていた。もはや跡取りだとか、イモムシだとか言ってはいられない。
「いまだかつて宇宙で推理をなした探偵がいただろうか」
「悦に浸るな! 早く脱出路を確保しねーと大変なことになるぞ! 本当に宇宙に行っちまうかもしれん!」
「銀河、旅しちゃいますか」
「うるせー!」
「無駄だよ、みんな」
「兄さん?」
坊ちゃんの様子がおかしい。さっきからびたひとつ動いていないどっころか、慌てふためいてすらいない。
「おまえの仕業なのか?」
「みんな、どうしてわからない!」
「わからない?」
「なんだって、普通が一番だってことをさ」
「おいおい急にどうしーーっ」
雷が私の前を通過した。閃光。花火か?
「なんだ今の? 超能力か?」
「黙れ!」
もう一度。どうやら坊ちゃんの手のひらからでているらしかった。あたしはミイラを盾にして、雷を防ぐ。
「次許可なく喋った奴は、殺す。ふふ、といっても、もう皆この館と共に死ぬわけだけどね」
優等生をやりすぎると、ある日突然ぐれて、突拍子もないことをやりだすって法則があるが、それに近いもの、なのだろうか。でもいくらぐれたって、手のひらから雷は出さないんじゃねぇーか?
「まず今起きていることを説明するよ。この館は宇宙に向かっている。僕がそうした。そして僕は魔法を使える。わかりやすく言えば、最強の魔法使いだ」
「魔法使い! 魔法で館を動かしているわけですな!」
撃たれる吊屋。
殺されてしまったが、こいつの場合は死ななかったのだった。
「この程度でへこたれる吊屋ではありませんぞ」
「黙れ」
「一体なぜこのようなことをーー」
「いいから黙って聞いていろ。イモムシの霊を除霊したのも僕だし、父さんが跡継ぎとして指定したのも、僕だろう」
「あのお札も?」
今度は手のひらから炎が出てきて、焼き殺されるミイラ。
「そうだ。魔法で霊を抑えることが出来ると知っていたから。ふ、これで謎は解けただろう。なに、謎というわけでもなんでもない。ただ最強の魔法使いである僕が、すべてそうしただけさ」
「てめぇ! よくもイモ子を! 木訥なツラしてだましてやがったのか!」
「もうごめんなんだ。ようやく僕はこの館で平穏をつかめたと思ったのに……摩不伊亜さん。あんたは僕を憎むかい? でも、大丈夫。この館は間もなく宇宙に突入して、そしてその後爆破するよ。幽霊がどうなるのか知ったことではないけれど、僕を殺さなくても、このイカれた連中とともに、宇宙の塵となる」
言って、坊ちゃんはバリアみたいなもの、としかいえないくらいバリアっぽいものを自らの周りに張って、だまりこくってしまった。
「ミイラは宇宙で死んだら死に続けるのかな」
「血雨子さん! 悠長なこと言ってられませんよ! もうすぐほら、本当に宇宙に行っちゃいますって!」
なんて言ってたら確かに宇宙にたどり着いた。やったぜ。ひょんな機会に宇宙旅行しちゃったぜ、なんて喜んでられねぇな、確かに。
「兄さん!」
「お兄さま。考え直してください!」
筋肉ダルマと、超能力野郎がなんとかバリアを引っ剥がそうとしているけれど、屈強なようで、黙りこくった坊ちゃんは、なんの反応も示していない。
「おい、吊屋。なんとかなんねーのか」
あたしはタバコを吸うことにした。宇宙で死ぬのも、まぁ悪くないのかもしれねーな、なんて。
「任せてください。血雨子さん、前振りをお願いします」
「くたばれ」
「ミイラ探偵吊屋絹夫! 死してなお、宇宙でも謎を解く!」
「果たしてこれは謎なんだろうか。謎と、そう呼べるのだろうか」
「相楽一馬さん! 私はあなたの何を知っているというわけではありません。ですが、皆さんが知らない深層心理のなかに、私は先ほど何回も飛び込んで参りました。その推理の結果を、申し上げても、よろしいでしょうか?」
坊ちゃんの反応は相変わらずない。
「一つの謎、そして違和感はまず最初にあなたに殺された時に浮上してきました。あなたは確かに最強になりたがっていた。二葉さん、三太君と同じように。父親の教育のせい、といえども、私には違和感がありました。あなたが言ったように、普通であり続けたいと、そう願っているのならば、最強という意識は出てこないはずだから、です」
あたしがこんな家族に囲まれてたら、多分逃げてるかな。普通云々の前に。
「最強、最強、最強。三人の最強になりたがっている兄弟。そしてあなたの父君もまた、かつて最強であったのだろう、ということはお話を聞く限り、想像できます。しかし相楽一馬さん! あなたは一体何を持って最強と呼び、どんな最強になりたがっていたのか。おぼろげながら先ほど殺されたときに、その最強の実像が見えてきました」
おお、なんか探偵っぽいぞ。
「まず一つ、あなたは二葉や三太君のように、力を持ちたかったわけでは決してない。むしろその逆。館を浮かせるほどの有り余る力を既に有していたのだから、最強を目指すまでもなく、最強の魔法使いで、力を誰よりも持っていたのです。それじゃあ一体、何を目指していたのか。何を成し遂げたかったのか。二葉さん、三太君。それがあなたたちにわかりますか?」
「わからないよ。そもそも兄さんがこんな力を持ってたなんてことすら知らなかったんだ」
「私もわかりません。兄様! 出てきて! お願い!」
「一馬さんの代わりに、私が言ってあげましょう」
「やめろ!」
静まっていた坊ちゃんが、雷をまたミイラに浴びせる。が、蘇る吊屋。
「今のではっきりしましたよ。見て参りましたよ、一馬さん。あなたはズバリ! 血雨古さん、効果音をお願いします。宇宙エディションで」
スルー。一つわかったこと。タバコは宇宙で吸うと格段にうまく感じるようだ。
「ずきゅーん! ズバリ、あなたは『最強の普通』を目指していたのだ! 最強になりたい、というその願いは、むしろ力とは正反対の位置にいる凡庸さに憧れていた。力を持っているからこそ、その普通へと、目指していた。そうでしょう? 一馬さん」
図星、なのかもしれなかった。坊ちゃんはばつが悪そうな表情をしている。
「持て余す力は決してあなたを幸福になどしなかった。普通を願えば願うほど、むしろ遠のいてしまう」
「兄さん! 別に普通じゃなくたっていいじゃない!」
「そうですわ! だって私たち、普通じゃない家庭に生まれてきたのだから!」
「ちっちっちっ。だからこそ、一馬さんは普通を願うのです。異常な家庭の、異常な兄弟。せめて自分こそは、と」
「兄さん! 遅くないよ! これからでも!」
「そうですわ!」
バリアが、解かれる。
「その探偵さんが言った通りさ。僕が求めていたのはただの凡庸な家庭。二葉、三太。まだ皆小さかったころを覚えているか? みんな普通の子供をやっていた。誰も宇宙一の戦士になるなんて言わなかったし、スプーンやフォークを曲げもしなかった。動物園に行ったり、レストランに行ったり、ごっこ遊びをしたり。何も考えないで楽しんでいた時があった。最強になる必要なんて、なかったんだ」
語り始めやがった。そしてわりと簡単に心を開きやがった。最強の魔法使い、といえどもただの坊ちゃんなんだね、やっぱ。
「僕が稼業を継いで、その上でまた家族が笑えるような、普通の家庭を見たかった。それだけなんだ……本当にただ、それだけを求めていたんだ。あのイモムシを封じたのも、僕に霊能力があるかどうか、確かめてみたかったってことなんだ。それなのに、ミイラは現れるし、吸血鬼も現れるし、血まみれになるし、幽霊も出てくるし、父さんは死ぬし……二葉と三太はやっぱりおかしいし。ゴーストタウンも変な奴ばっかだし。もう普通なんて実現出来っこないって、思ってしまった。だから、終わりにしよう、って」
「兄さん」
「兄様ー!」
泣き合う兄弟。見てるこっちが恥ずかしくなってくる。
「二葉。おまえは宇宙一の戦士になりたい、その気持ちはわかるけど。家族も……家族だって、大事。そうだろう?」
「……ええ。兄様」
「三太。お前も超能力で最強のサイキック軍隊を作りたいという気持ちも分かるけど、家族の方が大事、そうだろう?」
「……うん。兄さん」
どの気持ちも理解できないあたしが実はこの中で一番普通なんじゃねーのかな。
「すまないな。不安をかけて。でも、こうまでしなきゃ、お前等はわからないだろう。僕の気持ちなんてな」
「伝わったよ、兄さん。思い出した。思い出した」
「兄様……私も」
長男の胸の中で泣く二人。とんだ茶番である。
「おい、糞ども。てめぇら全員しばきあげるぞ」
しかしフィナーレは迎えられなかった。そういえば摩不伊亜がいたのである。
ゴーストバスター一家VS元マフィア幽霊連合。
こいつは見物だった。宇宙ショーってのが今後出来るとするならば、ぜひともこういうマジな闘いってのをショーにして欲しいね。酒が飲みたくなったよ、まったく。
それはそれは壮絶な闘いだった。あたしはタバコをふかして見ているだけだったけど。たまにミイラが巻き込まれて宇宙を漂いながら数回死んでいたのを見て笑っていた。
地球と宇宙を行き来しながらの、壮絶な闘い。坊ちゃんが様々な魔法を駆使し、筋肉ダルマは肉体を躍動させ、超能力野郎は隕石を操り。一方の摩不伊亜は、どこから呼んできたのか、かつて同じマフィアにいた霊を呼び寄せて、群をなして反撃をしていた。
最終的には坊ちゃんも異世界から異形の化け物を召還して、幽霊連合をねじ伏せていた。坊ちゃんは普通を願っていたとのことだけど、もうこんなことしちゃったら一生涯普通にはなれないだろうなぁと思った。
そんな坊ちゃんの決め台詞はなんとこんなものだった。
「悪霊退散!」
ゴーストバスターが言いそうなそれである。
霊能力とやらはあったらしく、摩不伊亜連合は坊ちゃんの霊力にやられ、消えてしまった。
三人は「銀河を漂うゴーストバスターになります」と言ってあたしたちをゴーストタウンに降ろしてから、また宇宙へと旅立ってしまった。
「普通を求めていたんじゃねーのか」と尋ねたところ、「家族が一番ですから」、とか、家族愛やら兄弟愛やらが芽生えていたようで、まーめでたしめでたしってところだった。まーこいつらがどうなろうが知ったこっちゃないし、どうでもいいんだけどな。
一応、「達者でな」と一言添えて、空飛ぶ館を見送ってやった。吊屋の血を吸いながら。
「普通ねぇ。普通って、おまえもあたしも普通じゃねぇけど、あんたは普通になりたいって思ったことある?」
「どうですかねぇ。考えたこともありませんよ。血雨子さんはどうなんですか?」
「考えたこともないけど、一つだけ言えるのは、あいつらみたくはなりたくないってことかなぁ」
「間違いないですね」
吊屋に言われたらおしまいだな、なんて思いながら、あたしは飲み放題になった下衆ビールを飲み干した。ごくり。うめー!
この事件の教訓など、何もない。
今日もゴーストタウンは平和だ、ということで。あの連中が宇宙へ旅だったことが、なにより平和をもたらしたろうとして、あたしの記憶にとどめておくとしよう。ちゃんちゃん。