杉、呉服屋にいく
今日は土曜日であるが、生徒たちに、土日などない。全て、補習で埋まっている。と、いうことは、教師にもあてはまる。
夕方、疲れはてた優子が、電車を降りる。
優子「連休くらい、休ませてもらいたいものだわ。どうしてこんなに補習続きなんだろう。だから彼氏もできない。」
つかれてしまったので、優子は、遠回りをして、商店街にいく。たしか、可愛いものがある、雑貨屋が開店したときいたからだ。
雑貨屋の隣に古くから知られる呉服屋さんがあった。優子が雑貨屋から出てくると、呉服屋さんで、話し声がする。
声「杉ちゃん、自分で五、六万といえるのに、財布から、どれが一万円札なのか、わからないのは、ちょっと困るよ。」
優子は、呉服屋さんにいってみる。よく太った店長と杉三が話していた。いくつか、男性用の帯がテーブルに置かれている。どれも高級品だ。
店長「ちょっと財布貸して。」
杉三「これ。」
店長、財布を受取り、中身をかくにんする。
店長「杉ちゃん、この顔のおじさんが書いてあるのが一万円札だよ。ちゃんと、五枚はいっているね。この帯は、いま売り出しだから、三万円だよ、だから、このおじさん、三枚もっていくよ。」
杉三「よくわからないけど、買えるだけ、もってって。」
店長「わかったよ。じゃあ、いまから、たとう紙にいれるから、ちょっとまっててね。」
優子は、店内にはいる。
優子「杉三さん。」
杉三「はい。」
優子「お金のちがいもわからないの。」
杉三「はい。数字を読めないので、、、。」
優子「あなた、歩けないのはしかたないかもしれないけど、読み書きができないのは、本当にこれから困るわよ。だから、いまからでも特殊学校にいって、せめて、平仮名だけでも読めるように、訓練したら?」
杉三「小学校にはいきましたけど、一年でやめました。どうしても、教室が怖かった。」
優子「だったら、ほかの場所で掃除したら?」
杉三「どこでも、同じですよ。どこへいったってからかわれるのは当たり前。」
優子「本当におかしな人ね。自分が障害があるのに逃げて、直そうとしないんだから。」
店長「杉ちゃん、包装がおわったよ。あら、新しいお客様?」
杉三「(包みを受けとり)はい、吉田高校の、宇佐美優子先生。」
店長「美人だねえ。先生、今日は何をご入用で?」
優子「いえ、私は、、、。」
店長「いやいや、杉ちゃんのお友だちはみんなよい人たちですから、大歓迎ですよ。これなどいかがですか?サイズも丁度いいはずですし。」
と、一着長着を出してくる。
優子「すみません、私は着付けができないのです。」
杉三「半着は?」
店長「そうか、その手があった。二部式着物ね。ここにあるのはみんな二部式ですよ。メーカーから直に仕入れていますから、お安くできます。」
と、一つのケースを出してくる。
杉三は、楽しそうにそのケースをあける。彼のその笑顔に、優子は、とめることができない。
杉三「優子先生、これなどいかがですか?」
と、さむえのような上着と、裾避けを拡大したようなスカートで成り立つ着物をだす。カサブランカを染めた、紫色の正絹の着物だった。
優子「私にはとても、それに、価格も。」
店長「いやいや、先程もいいましたが、特売ですから、千円で大丈夫です。」
優子「ええっ?そんなにやすく?」
しかし、その着物は、実に見事で、優子は、心を奪われたようだった。
杉三「僕の、残りのお金で払えるかな。」
優子「い、いえいえ、私が買います。これでいいんでしょう。」
と、千円を取り出す。
店長「はい、毎度あり。おくるみしましょう。たとう紙は、当店では無料です。」
優子「それよりも、着用の仕方を教えていただけないと。」
店長「そうでした、そうでした。いま、女房をよびますから、まっていてね。おい、お前、客だぞ!」
声「はあい!」
と、絹連れの音がして、中年の女性が出てくる。げっそりとやせている。
店長「杉ちゃんのお友だちだそうだ。ちょっと二部式、きさせてやって。」
妻「ありがとうございます。」
といい、名刺をさしだす。
優子「私は、宇佐美優子といいます。」
恵津子「村山恵津子です。」
優子「じゃあ、お願いします。」
恵津子「こちらへどうぞ」
と、試着室へ。
数分後。
恵津子「ほら、綺麗になりましたよ。よくお似合いです。」
優子「自分じゃないみたい」
恵津子「はじめてのかたは、そう言われます。でも、本来日本人は、これを着てきたのですから、みんなお似合いであたりまえなんですよ。少しずつ、着物を広めてくれたらいいわ。」
優子「本当ですね。私、教師なのに、なにも、しらないなんて、恥ずかしい限りです。」
恵津子「そうですよ。学校の先生なら、もっと胸をはらなくちゃ。」
優子「そういえば、卒業式で袴をはかなきゃいけないのに、私はまだ、新人教師で、なにも知らないのです。」
恵津子「まあ、それでは、うちの着付け教室にきてください。」
杉三「うん、それがいい。基本的なことから、丁寧に教えてくれるから。」
優子「いまは、いそがしいのですが、卒業式が近くなれば、またきます。よろしくお願いしますね。」
恵津子「わかりました。それでは、こちらのアドレスにメールをください。それから、教室の詳細をお伝えします。」
優子「ありがとうございます。あら、もう帰らなくちゃ。明日からまた授業ですから。」
恵津子「じゃあ、脱ぎかたをお教えしましょうか?」
優子「いえ、結構です。このままで帰ります。先程、着させていただいて、二部式はすごく簡単だとわかりました。とても嬉しいです。ちょっと歩いてみたいです。」
恵津子「まあ、ありがとうございます。これに慣れたら、ぜひ、一部式にも挑戦してくださいね。杉ちゃん、いいお客さんをありがとう。学校の先生は、お偉いから、ぜひ、日本の着物を生徒さんにも、つたえてください。」
優子「ありがとうございます。」
杉三「またくるね。」
二人、店を出ていく。夕方を通り越して夜になっていく。
優子「杉三さん、ありがとう。よかったら、ご飯でもどうかしら?わたし、なにも食べてないのよ。」
杉三「はい。時間はあるから。」
優子「どんなものがすきなの?」
杉三「好き嫌いはありませんよ、何でも食べます。」
優子「じゃあ、そこにあるイタリアンレストランで」
と、トラトリア菊岡とかかれた店にはいる。
ウエイトレス「いらっしゃいませ。あ、いまシェフをよびますね、あちらの奥のお席が車椅子席です。だれも予約はないので、おすわりください。」
杉三「いや、車椅子席じゃなくてもいいのに。」
優子「杉三さん、親切に教えてくれたんだから、」
と、彼の車椅子を押して、車椅子席へつれていく。
小柄な男性がやってきて、
菊岡「オーナーシェフの菊岡です。メニューを代読しますね。えーと、」
と、四十ちかくあるパスタの名前を朗読する。
杉三「僕はミートソースがいい。」
優子「私は、、、。そうだな、ボンゴレがいいわ。」
菊岡「かしこまりました。しばらくおまちください。」
と、キッチンに戻っていく。
優子「あの方、いつも読んでくれてるの?」
杉三「はい。でないと、たべられないから。」
優子「忙しいでしょうに。ちょっと、手帳かなんか持ってない?」
杉三「ありますけど、、、。」
といい、かばんのなかから古ぼけた革製の手帳をだす。しかし、それは十年ちかく前のもの。
優子「せめて、手帳くらいもちなさいよ。」
とペンをだし、彼の手帳を開いて、ある文字をかく。
優子「読める?これがあなたの名前よ。私と一緒に読んでみて、か、げ、や、ま、、、。」
菊岡「(挽き肉を炒めながら)先生、杉ちゃんには文字は通用しませんよ。この人は、文字を通り越してしまっているから。」
優子「でも、彼もいずれは一人になるわけですし。」
菊岡「いやいや、一人にはなりませんよ。」
優子「なんだか、のんびりしすぎというか、、、。」
菊岡「まあ、これをたべて、のんびりしてください、はい、ボンゴレと、ミートソース。」
ウエイトレスが器をもってくる。
優子、ボンゴレを口にして、
優子「おいしい。」
ところが、杉三は、手をつけない。
優子「どうしたの?」
菊岡「ごめんごめん、白い器でないと食べられないのを忘れてた。」
優子「へ?」
菊岡は、白い器にパスタを移し、綺麗にもりつけ直す。
杉三「いただきます」
と、やっとくちにはこび、
杉三「うまい、うまい。」
いかにも美味しそうに食べる。
とても、四十五とは、おもえない行動である。
優子「どうして、そんな失礼なことを平気で!」
菊岡「仕方ないじゃないか。杉ちゃんには、通じないんだよ。できる人もいれば、できない人もいるよ。」
優子「でも、こんなに迷惑をかけているのに、お礼の一言もないなんて。」
菊岡「先生、その着物は、選んでくれたの杉ちゃんだろ。」
優子「なんでわかるんですか?」
菊岡「わかるよ。杉ちゃん、読み書きはできないけど、きれいなものを見分けるのは、誰にも真似できないから。そういうがらの着物を選ぶのは杉ちゃんにしかできないから。美しくするのは、杉ちゃん、得意中の得意なんだ。それがあるから、いくら読み書きができないとしても、許してあげられるんだよ。」
優子「よくわかりませんわ。」
菊岡「まあ、教育関係の人は、確かに分かりにくいかも。」
優子「もう、訳がわからない、私、帰ります!」
優子は、立ち上がった。
杉三「僕は、なにも、、、。」
優子「わからないなら、努力することね!それをしなきゃダメ!お代は私のぶんだけしか払いませんから!この人、お金の勘定もできないんだから!」
菊岡「それはしってるよ!」
優子「私は知りません。この人を擁護するなら、この人が一万円札を使えるようにしてください!」
と、店の入り口のレジの上に、千円を置き、つり銭もなく、でていってしまう。
優子はむしゃくしゃしながら一人暮らしのアパートにもどる。着物をみると、腸が煮えくり返りそうになるので、急いで脱ぎ捨て、ゴミ箱にすてる。
翌日。
生徒指導のため、朝六時に家を出、学校に到着する。すると、空気がおかしいことにきがつく。
優子「おはようございます。」
ところが、誰もよりつかない。
そうこうしているうちに、生徒が登校してくる時間になり、優子は、校門の前にたつ。
眠そうな顔をして、やってくる生徒たちに、
優子「こら、おきなさい、しっかりしなさい!ほら、スカートを直しなさい!」
と。どなりつけていると、
生徒「先生、昨日あきめくらにあったでしょ?」
生徒「私たちに厳しくしても、あきめくらに対しては何もできないんですね。」
生徒「私たちにそうやって、怒鳴り付けるなら、あの人のあきめくらをなおしてください。」
優子「どこで知ったの!」
生徒「YouTubeにのってました!先生はスマートフォンを持たないのですか?」
優子「誰がそんなこと!必要のないものは持たなくてけっこう!もし、そんな映像があったら、捨てなさい!」
生徒「そんなことしたら、私たちがいじめられます。インターネットは、そういうものですよ!」
高橋「そんなことをいうのなら、スマートフォン等、お前たちは持つ権利はない!没収して、家電屋に売り飛ばしてやる、今すぐだせ!」
生徒たち、恐々スマートフォンをだす。高橋は、それをひったくり、近隣の川に放り込んでしまう。
高橋「さあ、勉強の邪魔はなくなった。さっさと教室へ入れ!そして、
俺に従え!」
生徒たち、何もできないまま、教室へはいる。
愛子が登校してくる。いつもの席にすわる。しかし、彼女の隣の席に座っている筈の、望月寿という男子生徒が、いつまでたっても来ない。
しばらくして、第一次元が始まる。
愛子「先生、望月くん、どうしたんですか?欠席ですか?」
高橋「うるさい。お前も敵のことを考える必要はないのだから、きくほうが間違いだ。」
愛子「でも、私は、もう大学を決めてますし、それに、彼のことが心配なんですけど。」
高橋「それならなおさら聞いてくるな。お前は兵士を看護する、いかいほだと思え。」
愛子「でも、」
高橋「黙ってろと言うのが聞こえないのか!他の者共、この特別進学クラスのなかで友達を作ろうなんて、思うなよ!」
同じ頃、職員室。
高見沢校長「はあ、そうですか。命に別状はないようなら、ひとまず安心です。後で謝罪に伺います。本当に申し訳ありません。」
電話の奥で、寿の父のこえがする。
父「いえいえ、校長先生ではなく、うちの寿を自殺に追いやった、高橋と、高野という教師に謝ってもらいたいです。確かに学校の長である校長先生が、そういわれるのは解りますが、寿を自殺に向かわせたのは、校長先生ではありません。日本の教育は、学校の長である方が、責任をとってやめるとか、するだけで、やった張本人が、ぬけぬけと教師をしている、というところがおかしいと、おもうのです。」
高見沢校長「ごもっともです。」
校長が話しているのを聞きながら、優子は、こっそりパソコンでYouTubeをひらく。すると、確かに彼女が写っている動画がある。よくみてみると、杉三も写っていて、丁度、彼女が杉三に文字を教えようとしている場面のみが投稿されている。あのとき、レストランは、混んでいただろうか。自分達は、車椅子席にいた。だから、盗撮するような場所もなかった。では、杉三が盗撮?とも考えたが、自分の名前を読めないのだから、盗撮なぞ、できはしない。シェフは、菊岡で、望月寿の父親とは、明らかに違うし、では、誰が?
植松「宇佐美先生、あんまり気にしすぎない方がいいですよ。犯人はもう分かりましたから、制裁をうけるでしょう。」
優子「えっ、誰が?」
植松「望月の母親ですよ。彼女が、菊岡で働いていたんです。」
優子「望月くん、自殺をはかったとか、、、。」
植松「だから、母親が復讐したんでしょうな。あの、あきめくらを利用して。」
優子「それでは、彼もかなり傷ついているでしょうか?」
植松「そうかもしれません。ああいう障害のあるひとは、非常に傷つきやすいと、養護学校に勤めている友人から聞いたことがありました。もしかしたら、彼も、自殺を図るかもしれない。」
優子「私、彼にはなしてきます!」
と、職員室を飛び出す。
杉三は、中庭を掃除している。
優子「杉三さんごめんなさい、私がさそったばっかりに!」
杉三、優子の方をみる。
杉三「なんのことですか?」
優子「私たち、犯罪に利用されてしまったの。昨日のウエイトレス、あの人が私たちを盗撮していて、」
杉三「校長から聞きましたよ。でも、僕は傷つきませんでした。ご心配なく。」
優子「だって、あなたのことが、インターネットに書き込まれたら、多くの人に公開されて、あなたを誘拐して身代金という、犯罪者も出るかもしれないわ!そうしたら私の責任になるのよ、本当にごめんなさい!」
杉三「謝る相手は僕じゃありません。あきめくらなんですから、インターネットなんて、見ることはできませんからね。それよりも、望月くんに謝罪するのが一番だと思います。だって彼のお母さんは、本当に、うんとうんと、本当にうんと悲しいとおもいますよ。文字を読めないからそれが、わかります。復讐してやる、という気持ちになるのも、自然なことなんです。でも、読み書きができないから、僕は誰も救えない。」
優子「どうしてそんなことが、わかるの、、、。」
杉三「読み書きができないし、お金の勘定もできないので、、、。」
優子は、弾丸のように望月の家へ向かって車をとばしていく。高見沢校長がそれを、校長室からじっと見ていた。高橋と高野の怒鳴り声も聞こえてきた。
翌日、望月寿の一家は荷物をまとめてでていってしまった。