おばあさんのアラベスク
おばあさんのアラベスク
運動会の近い日。生徒が、ダンスの練習をしているが。全くやる気がなく、だらだらとやっている。
教師「こら、しっかりやれ!」
しかし、男子生徒などは耳を貸さない。
その中に谷本和美という生徒が居た。和美は、運動場に何か人影が見えたような気がした。しかし、その影はどんどん近づいてくる。それは、腰の曲がったおばあさんであった。おばあさんは、黒色の、長いスカートと、白いブラウスを着ていた。まさか合唱団の一員だろうか。そんな人がなぜ、この不良高校に?
教師「こら、ドコをみているんだ!」
和美「先生、おばあさんが、、、。」
教師「蜃気楼だ!」
しかし、蜃気楼ではない。おばあさんはどんどん近くに来る。一見すると魔法使いのようにみえる。
とうとう、彼女は、和美たちのすぐ近くに現われた。しかし、その風貌はどこか違っていた。
おばあさん「ここは吉田高等女学校?」
谷本「はいそうですが、何か御用でも?」
吉田高等女学校は、明治時代から、戦前までの、吉田高校の呼び名。
おばあさん「福沢という校長をご存知ありませんか?」
教師「あの、福沢校長は、百年近い前にお亡くなりですが。それより、何の用があるんです?本校に。」
おばあさん「わかりません、、、。」
教師「住所とか、連絡先は?」
おばあさん「佳代子です。住所は忘れてしまいました。」
教師「どちらから来たの?」
おばあさん「わかりません。」
教師「谷本、校長を呼んで来い!」
和美は、校長室に走っていく。他の生徒がざわざわと騒ぎ出す。
教師「静かにしろ!」
数分後、和美が校長を連れてくる。
和美「先生、連れてきましたよ。」
高見沢校長「こんにちは。お名前は?」
佳代子「さっきも言ったけど佳代子。」
高見沢校長「ご家族はどこに?」
佳代子「いません、そんな人。」
高見沢校長「電話番号とかは?」
佳代子「わかりません。」
高見沢校長「どこから来たのかは、覚えていますか?最寄り駅とか。」
佳代子「分かりません。」
高見沢校長「携帯電話とか持っていませんか?」
佳代子「ありません。あんなものは凶器ですから、私は持たないのです。」
里森「校長先生、佳代子さんは、僕の推量ですが、認知症がかなり進んでいるのでは?」
高見沢校長「いわゆる、アルツハイマーなのかな。」
里森「僕の父に見せないと分かりませんが、多分ピック病のでないかと。」
教師「先生、談判は早く終わりにしてください。でないと、この子達の学力が。」
高見沢校長「しかたありませんな。では、佳代子さん、ちょっとこちらにいらしてください。」
校長室
庭はきを終えた杉三が入ってきて、
杉三「校長、庭はき、終わりました。あれ、何かあったんですか?」
佳代子「まあ、綺麗な人ね。私のなくなった亭主にそっくり!」
杉三「どこがですか?」
高見沢校長「そうですか、ご主人亡くなられているのですね。」
と、手帳にメモする。
佳代子「男前ですね。貴方のお名前は?」
杉三「影山杉三です。」
佳代子「なんとも固い名前ね。その顔だから、もっと、モダンな名前なのかと思ったわ。私の孫に、りおんという子が居たけど。」
高見沢校長は、それもメモする。
高見沢校長「とりあえず、市役所さんへいって、戸籍を調べてもらいましょう。そうして、家に帰っていただけるように。」
佳代子「いえ、あんまり好きじゃないけど、、、。」
高見沢校長「しかし、家族は心配されてるんじゃないですか?おばあちゃんが居なくなったら、と大騒ぎするとか。」
杉三「いえ、それはありませんね。もし、そうならここへ来る前にマイク放送があるはずです。」
佳代子「そうよ、そうよ、頭が良いのね。彼は。今の高校生とは全然違う。」
杉三「僕はもう四十五になるんです。」
佳代子「へえ、もうそんななの!だったら俳優さんにでもなればいいじゃない。鏡みてみなさいよ、綺麗な顔よ。」
高見沢校長「僕は、市役所へいって、調べてもらってくるよ。杉ちゃん、佳代子さんのお話に付きあってあげて。」
高野「その必要はありません!いい教材が出来たので、彼女には吉田高校で寝起きしてもらいます!」
高見沢校長「高野先生、人をもっと大切にしてください。それに。彼女を住まわすような部屋は、本校にはないじゃありませんか。余っている教室は全くありませんよ!」
高野「いえ、あの、ピアノが二台置いてある部屋でいい!」
高見沢校長「何を言ってるんです!あの部屋は、狭すぎて、寝起きなんか出来ませんよ!」
高野「いや、グランドピアノが二台置いてあるからその下でいい!寝具は本校の非常持ち出し袋からだした、寝袋で十分です!」
高見沢校長「それでは惨すぎます!第一、何のために彼女をここへ置くんですか?富士にもホテルというものはあるでしょう!」
高野「ははははは!見せしめですよ!国公立大学を行かなかった生徒は必ずこうなると、実物をみせたいのです!校長、貴方は民間だから、ショック療法と言うものが以いかに効果的か生徒にみせるチャンスです!インターネットとはわけが違う!」
杉三は静かに泣く。
高野「ああ、ちょうどいい、このあきめくらと一緒に、働いてもらいましょうかね!あきめくらはどぶ掃除。この婆は便所掃除でどうでしょう!ああ、これでただ働きが二人になって、吉田高校はより素晴らしい学校になりますよ。では、ばあ様、こちらにいらしてください!」
と、高野は彼女を引っ張って、ピアノ室に連れ込み、
高野「はい、ここで暮らしてください!食事はお昼にあげますから、一日分に分けて少しずつ食べてくださいね。」
ひどい話だ。おばあさんには、理解できないから、さらにひどい話である。
夜、美しいピアノの音が、吉田高校を包む。それを聞いて高野は更にほくそえんだ。
その日は、進路についての講演会が行われる日だった。といっても、高野の独演会なのだが。それを知っている生徒たちは、まるで聞こうとはしない。聞いている生徒もいるのかもしれないけれど。
高野「黙って聞け!お前たちの、親御さんはお前たちのせいで、体を壊しながらも働いてくださるのだ!だからこそ、国公立へいって、正しい生き方をして、親御さんに安心して逝って貰う事!それがお前たちができるただ一つの恩返しだ!いいか、この世で一番必要な者は金だぞ!それがなければお前たちは銀行強盗をして、刑務所へいくしか、食べ物にありつくことは出来ないだろう。何よりも、身分が低いのだし、どうせたいした才能も持っていないのだから、芸道で身を立てるほどの力はお前たちには無い。使用人たちに囲まれて生活している身分の高い人間は、金があるからそういうことが出来るのだ。今は音楽や美術なんて、スマートフォンさえあれば誰でも出来る。身分が低い人間はそれで十分!それに気が付かないで、自分は出来ると勘違いしてしまうから、犯罪者になるのだ。だから、中途半端な思いはすぐに捨てて、おかねを稼いで暮らして行くことだけを、考えろ。江戸幕府は、年貢さえ納めれば、お百姓ほど気楽なものは無い、といった。お前たちもま
さにそれなのだ。いいか、この言葉を頭に叩き込んで、考えることだな。」
愛子は自分の隣座っている、谷本が苦しそうに泣いているのに気が付いた。
愛子「(そっと、和美の耳元で)大丈夫よ、戦時中でもないし。」
高野「こらあ!!」
と、愛子と和美の前にやってきて、愛子をけとばし、谷本をつまみ出す。
高野「俺が話しているときにいちゃついている場合ではない。特にお前は、一番正しくない生き方をしようとしているのに気付け!」
里森「先生、いくらなんでもひどすぎますよ。もし、先生の仮説が本当に正しい生き方で、音楽を学ぶひとが、本当に銀行強盗をしているのか、具体的に教えてください。僕がテレビで見た限りでは、全くそういう例はありませんでしたよ!」
高野「ああ、いるとも!」
里森「誰ですかそんな人!」
高野「こいつだ!」
と、高野は和美を放し、廊下に立っていた、佳代子を連れてくる。
高野「いいか、この人は、重度の認知症で、名前も家族も、どこに住んでいるのかも分からなくてここへつれてきた。何しろ、ピアノを弾いたりする。このばあさんは、音大に行ったが、金を作ることが出来なくて、家族が死んでも生活できないから、認知症になったのだ!喜べ、谷本!お前もこうなるのだぞ!ははははは!」
里森は冷ややかな目で高野を見、和美は、放心状態になる。愛子は真っ青になり、和美を見る。
高野「どうだ、谷本!よく考えろ!これで正しい生き方が分かっただろうから、明日、進路希望調査には、音楽大学なんて書かないよな!よし、これで進路指導を終わりにする。他の者も、この素晴らしい具体例をみて、ちゃんと考え直すように!では、教室に戻れ!」
生徒たち、のろのろと教室へ戻っていく。
教室
里森「和美君、大丈夫だよ、あの先生はきっと、気が変なんだ。そんな、誰でも必ず認知症になるわけじゃないし、あのおばあさんはきっと、こじつけだとおもう。それに、音楽大学を目指す生徒はたくさんいるよ。大丈夫だよ。」
愛子「そうよ、里森君の言う通りよ。それに、あいつの頭は、あまりにも古すぎるわ。戦時中じゃあるまいし。それに、音楽療法士とかになれば、また違う道が開けるかもしれないし。」
和美は泣き止まない。すると、どこかから、シューマンのアラベスクが聞こえてくる。
里森「あのおばあさんかな。」
和美はさらになきだす。
和美「やっぱりうまいよ、あの人。」
里森「どういうこと?」
和美「時々ああやってピアノを弾いているから、高野先生の話が真実みたいに聞こえるんだ。あの人は、きっと、素人じゃないとおもう。だって、三十年以上使われていなかったピアノが、あんな美しい音を出すわけ無いじゃないか。」
愛子「どうしてそんなことが、、、。」
里森「きっと、上手いから和美君は辛いんだとおもう。それにシューマンが統合失調症であったという説もあるし。」
愛子「高野に、シューマンのアラベスクがわかるかしら。ねえ、和美君、こう考えましょうよ。高野は、シューマンの素晴らしさなんか知らないわ。それを分かるんだから、高野より優れていると思いなおせばいいんじゃない?」
しかし、修羅場から戻ってきた和美は、いつまでも泣き続けるばかりだった。
一方、ピアノ室では、杉三と高見沢校長が、佳代子の演奏を聞いていた。佳代子は、アラベスクばかりではなく、様々なシューマンの曲を弾きこなした。
高見沢校長「お上手ですなあ。」
佳代子「はい、東京音楽学校にかよっておりました。」
高見沢校長「ああ、今の芸大ですか。それはそれは、お上手なわけだ。」
杉三「シューマン、お好きなんですか?」
佳代子「はい、彼の作品にある、物悲しさが好きなんです。ショパンもやったけど、私の性分にはあいませんので。」
杉三「すごいですね。僕は古筝しか弾けませんよ。洋楽器は、全く知りません。」
佳代子「まあ、古筝をやってらっしゃるの!素敵だわ。わたしが見たのは、音楽学校時代に、楽器博物館でみたことしかありませんが、音色はよく覚えていますよ。ピアノみたいにはっきりした音程じゃなかったけど。」
杉三「まあ、それが持ち味だといわれましたが、そのよさが分かる人は今はいないから、、、。あの、失礼ですけど、上野の文化会館で、演奏されませんでしたか?」
高見沢校長「杉三君、二人でアラベスクをやってくれないかな。」
佳代子「私、編曲は、、、。」
杉三「それに、ピアノと古筝では、、、。」
高見沢校長「堀越高校で音楽教員をしている友達が居たから、そいつに手伝わせよう。彼女は、佳代子さんの後輩です。彼女なら、きっと、うまくやれるでしょう。それに、佳代子さんをここに寝泊りさせるのは、申し訳なさ過ぎるから、、、。どこかのホテルに居てもらおう。あ、お代は学校でだしますよ。」
放課後、佳代子は高見沢校長の車で、近隣にある、高級ホテルに居を移す。
翌日、高見沢校長は、富士駅にいく。堀越高校音楽教員である、川田真紀子が電車を降りて、改札から出てくる。
高見沢校長「いやいや、遠いところをありがとうございます。」
真紀子「こちらこそ。吉田高校の人が何で私に連絡してきたのか、びっくりしたけど、そういうわけだったのね。」
高見沢校長「たしかに、堀越は、うちとは対をなす高校ですからなあ。」
真紀子「そうね。でも、高見沢君は本当によくがんばってるとおもうわよ。伝統がある高校だけど、堕落している高校を救おうと、一生懸命なんだから。私だって残念に思うわ。だって、吉田高校から芸大に進んだ子何て、私の時には何人もいたんだし。それなのに、今の吉田は、音大なんて端くれだという教師がいるなんて。全く、吉田高校が華やかであった頃の事を、思い出してほしいわ。」
高見沢校長「全くだ。僕は愕然としたよ。」
二人、高見沢校長の車に乗り込む。佳代子がいるホテルに向かう。
真紀子「私、生徒から聞いたけど、高見沢君、ディスレクシアの人を小遣いにしたんですってね。生徒が2ちゃんねるで見つけたと、いっていたけど。きっと、すごい波紋だったでしょ?」
高見沢校長「うん。単にディスレクシアではないと、思うけどね。もしかして彼は自閉症なのかなと、思った事もあるよ。」
真紀子「なるほど。思い切ったことするのね。大体、進学率だけしか考えてない教師なんて、ただのばかよ。堀越ではそう教えてるの。みんな個性があるんだから、同じじゃなくてもいいんだってのが、うちの売りだから。」
高見沢校長「そうだよなあ。本当はそれの方が正しいと思うんだけどね。さて、着いた。」
と、有料駐車場に車を止め、ホテルに入る。
ロビーには、杉三と、佳代子が待っていた。
杉三「来た!」
佳代子もすぐに分かり、杉三は車椅子で、佳代子は立って、二人を迎える。
高見沢校長「杉ちゃん、この人は、有名な音楽家だ。今は堀越高校で、音楽を教えている。」
しかし、真紀子も、おばあさんが誰なのかすぐに分かる。
真紀子「時任先生!どうして!」
高見沢校長「時任?」
真紀子「この方、音大教授の時任佳代子先生よ!」
杉三「時任佳代子、あ、あの、ピアニストの!」
高見沢校長「お、おい、どうなっているんだ!」
真紀子「もう、高見沢君、この人は、私が芸大時代に、すごくもてはやされていた、ピアニストの、時任佳代子先生よ!そんな人に、教室で寝起きさせるなんて、絶対にやめてね!」
佳代子「そんなの、あったかしら。」
真紀子「いやですわ、先生。私は先生にあこがれておりましたのに。どうしてそうご謙遜なさるのです!先生もっと、堂々としてくださいよ!」
佳代子「私は、そんなこと、当の昔に忘れてしまいましたよ。私は本当に、ときとうかよこという、名前だったのでしょうか、同姓同名では?」
真紀子「いいえ、そのお顔ですから、先生とはすぐ分かります。」
杉三「先生、いくらお忘れであっても、先生は先生です。そのお顔が時任佳代子だと示しています。あきめくらの人間にはそれがよく分かるんです。やっと思い出せました。もう一度聞きますけど、上野の文化会館で演奏されませんでしたか?僕はがほんの子供だった頃に。」
真紀子「私、覚えているわ。上野でやった退官演奏会。確かもう、二十年以上前かしら。」
高見沢校長「そうだったのですか。では、お二人に演奏してもらうのは、難しいですかね、、、。」
真紀子「いいえ、是非やってもらいましょう!二人とも、現代社会の被害者みたいなものだから、モアイと同じように、警告灯になれると思う。がんばって編曲しますから。えーと、古筝をされているのでしたよね。五線譜は読めるかしら。」
杉三「文字は読めませんが五線譜は読めます。」
真紀子「分かりました。じゃあ、私が編曲します。佳代子先生の演奏が又聴けるなんて、楽しみだわ。」
高見沢校長「なんだかお三人さん、遠く離れた世界に行ってしまっているような、、、。」
真紀子「高見沢君、弱きにはならないでね。これを企画したのは高見沢君なんだから。」
高見沢校長「はい、、、。」
数日後、真紀子から、楽譜が送られてくる。それは、二人に手渡され、二人は練習を始めた。幸い防音の効いた部屋であるので、授業中には聞こえてこず、通り過ぎたときにピアノの音が漏れてくる程度しかなかった。
愛子は、二人が羨ましかった。
里森「音楽ってすごいよな。愛子さん。」
愛子「そうね。文字の読み書きなんて必要ないものね。」
里森「そうだなあ。医者も、音楽にはかなわない事もあるよ、と、お父さんが言ってた。」
愛子「和美君に聞かせてあげたいわ。」
里森「そうだなあ。でも、寝込んでしまっているらしいし、、、。」
和美は、あの日より、一日も学校へ来ていないのであった。
愛子「そうね。せめて、あの二人の舞台ぐらい見てほしいけど、、、。校長先生だって、彼を慰めるために企画したんじゃないかしら。」
和美の自宅。
和美は、天上をみつめたまま、動けない状態であった。脳卒中を起こしたわけではないが、全身に激しい傷みが巡回していて、動くことができなくなっていたのだった。医者は、線維筋痛症候群という診断を下した。
特定疾患でもないので、特に医療費が重視される事も無い。とにかく激痛の性で、食べ物さえ食べる事もできず、和美はがりがりに痩せてしまった。気分しだいで痛みも変わる、といわれても、それをうち消すことは自分にはできない。
母親が、食事を作って持ってきた。
母親「和美、起きれる?ご飯持ってきたけれど、、、。」
和美は起き上がろうとするが、左手に激痛が走り、
和美「痛い!」
と、叫んでしまう。
母親「痛み止めだそうか?」
和美は、恐る恐る痛み止めを飲んだ。一錠飲むのがやっとだった。
と、インターフォンがなった。母がドアを開けると、里森と、愛子がいた。
愛子「和美君、どうでしょう?」
母親「はい、それが、なかなか、痛みが取れないみたいで。ずっと寝ています。」
里森「そうですか、、、。精神科にはいきましたか?」
母親「はい、色んなところに行きましたけど、、、。どうしても治療がなくて、、、。」
里森「そうですね。僕の父親も、非常に苦労する病気だといいました。痛みを取るには、心の根本的なところを何とかしなければいけないと。カウンセルを受けたり、場合によっては催眠療法とかも、必要なのですが、そこまでいくことも痛みがあれば、困難になりますよね。本当に申し訳なくなってしまうと。」
母親「はい、お二人がお見舞いに来てくれただけでも、、、。」
里森「そうですか、申し訳ありません。」
愛子「実は明日、学園祭なんです。」
母親「そうですか、でも痛みが取れないので、、、。」
里森「はい、それは知っています。ただ、後夜祭というものがあります。そこで杉三さんと、時任佳代子先生が曲をひくのです。シューマンのアラベスク。それだけでいいから、来てくれませんか?」
母親「あいにくですが、私たちは退学を考えております。和美があんな辛そうにしていると、責を取らなければならない。だから、もう、あんな高校にはいられません。和美がよくなったら、また、高校に通わせようかと。」
愛子「そうですか、、、。悲しいです。本当にあの二人は極悪人です。私も似たような大学を目指しているけど、和美君の場合、もっと深刻だと。もしかしたら、逃げたほうがいいのかもしれませんね。」
里森「じゃあ、退学のお祝いと、解釈したらどうでしょう?きっと杉三さんなら、そういわれると思いますよ。後夜祭にきてくれませんか?一度だけですので、、、。」
母親「高野と高橋という先生にあうでしょう?」
里森「何とかしますよ!」
と、頭を下げる。
愛子「私からもお願いします。」
と、頭を下げる。
母親「とりあえず、本人に聞いてみますが、多分、行きたがらないと思います。」
里森、ある考えを思い出す。
里森「あの、高野を負かす方法を見つけました、協力してくれませんか?」
愛子「何を言っているの?」
学園祭当日。
学園祭といっても、高野たちのせいで、ほかの学校とは全く違う、粗末なものである。いわゆるバンド演奏もないし、小規模な部活の展示と、簡単な店程度。派手な飾りもなければ、音楽もない。
いよいよ、後夜祭である。
司会者「続きまして、校長先生のお話。」
高見沢校長が、演台に立つ。
高見沢校長「えー本年も、素晴らしい学園祭を行うことができました。それでは、協力してくださった皆さんのために、ピアノと、古筝による演奏があります。曲はシューマンさ曲、アラベスク。ではどうぞ。」
里森が、古筝を設置し、愛子が佳代子をピアノの前に座らせる。そして車椅子で杉三がやってくる。佳代子と杉三は、互いの顔を見合わせて演奏を始める。その音色に、生徒たちはあっけに取られ、何も言えない。保護者もたくさん来ていたが、誰一人して反論する者はいなかった。確かに絶対音感がある人は、違和感を持つかもしれないが、それはどこ吹く風。
里森と愛子は、二人の演奏に感動しながら、目論見を練っていた。
演奏が終わる。
割れんばかりの大拍手。保護者の中には涙を流すものも。
里森が出てくる。
里森「杉三さん、佳代子さん、ありがとうございました。実は、この二人、正常、というと語弊がありますが、正常ではありません。佳代子さんは認知症で、名前を思い出せないし、杉三さんは文盲で、自分の名前すら書けないのです。しかしですね、こんな立派な演奏をしてくれました。この二人のことを、馬鹿といえるでしょうか?進学率がどうのこうのばかりではなく、こういう人たちの力になってやることこそ、本当に正しい生き方だと考えます。しかし、先生方は、国公立がどうのこうのしか言わない。これだけでは、まったく、発展はしませんね!」
生徒たち、保護者達から拍手が起こる。高野と高橋は苦虫をかみつぶした顔。
それをもって、後夜祭はお開きとなる。生徒たちは何よりも楽しかったのは後夜祭だ、と、言いながら、帰っていく。
高野「里森、後で職員室に来い!」
里森「はい。」
と、さらりという。
数分後、里森は顔中あざだらけになって戻ってきたが、その顔ははればれしていた。
高見沢校長「よくやってくれた。佳代子さんは、特養の予約が取れたよ。そこでぜひピアノを弾いてもらいたいそうだ。まあ、その顔の傷は辛いかもしれないが、君は本当に思い切ってやってくれたから、本当に感謝しているよ。ありがとう。」
愛子「里森君、英雄ね!」
杉三は、相変わらず古筝を弾くだけであった。