ラバーズコンチェルト
その日はどんよりした空だった。すでにテレビでは盛んに嵐が近いと、ほぼすべての放送局で流されていた。
杉三は、そんななかでも、病院に向かっていた。病院も、いつもはごった返しているのに、今日はがら空きだった。みな、嵐では帰れないので、はじめから病院にはこないのだ。その代わり、職員たちは、多数のくすりを郵送するのにいそがしかった。
杉三が、受付にいくと、
受付「杉様、また来たんですか。きょうは台風がくるから、くすりを郵送しますと、お電話したんですけどね。」
杉三「僕がいえを出たときは、電話なんてなってませんでしたよ。」
受付「だったら携帯くらい持ってください。」
杉三「僕は、、、。」
受付「そうでしたね、杉様は携帯も操作できないんでしたね。それにしても、毎回毎回、何で予約時間の一時間前にくるんですか。時計もみれないのか。」
杉三「ごめんなさい。でも、今日こないと、薬はみんななくなります。」
受付「だったらすぐかえってくださいね、診察終わったら。じゃないと、ものすごく大きな台風がくるから、こっちも困るんですよ。ここは、普通の病院とは違うんですから。説得だってむずかしいのに。」
杉三「診察だけはうけさせてください。薬ないと、僕はどうなるのかわからない。」
受付「みんなそうですけど、がんばってやってるんですから、定期的にきちんと来るのはいいけれど、頼りすぎもよくないですよ、杉様。」
杉三「電話がなってる。」
受付「読めないのに、おとには敏感なんですね。」
杉三「早くでてくださいよ。」
受付「はい、もしもし。あ、大家さん、いつもお世話になります。えっ、稲葉千香がまたあばれてる?あいにくですが、今新規入院は受け付けておりません。こちらもいっぱいなんですよ。」
声「それはそうなんですけど、台風がきている間だけでも、預かってくれませんか?なにしろ、国公立にいかなかったから、台風を逃れられなかったとか大声で叫ぶから、隣の部屋の子どもが、恐がってしまうんですよ。」
受付「まったく、吉田をはじめとして、今の高校はおんなじことばっかりいうんですねえ。あーあ、こっちにの事情も、理解してくれないのかなあ。」
声「とにかくね、夜中にピアノ弾いたり、歌ったりしてるから、苦情がすごいんですよ!」
受付「だってお宅、防音でしょう。」
声「とにかく、彼女をつれていってください!じゃないと、ほんとうにこまりますから!」
受付「わかりました!」
と、ガチャンと受話器をおく。そして、診察室にいき、医師と押し問答をして、また、別の部署に連絡する。護送車が一台、病院からでていく。そして、軽自動車がやってきて、一人の男性が、荷物をまとめ、病院からでていく。
数分後。護送車が到着。
声「だから、国公立でて、いい会社に入って、たくさんお金をもらえば、台風を防げるんです、それを受験しようとしているだけなのに、なんであたしがつれてこられなきゃならないんですか!」
という、雷竜のような大声で怒鳴りながら、女性がおりてくる。両隣には男性看護師が彼女をつかまえている。
杉三「またきたのか。この人。」
と、呟く。まさしく、彼女は稲葉千香だった。
千香「また来たって言うか、つれてこられたの!」
看護師「千香さん、今度こそ、長居はしないでちょうだいね。あなたが、何回も入院しているせいで、他に必要なひとができないんだから。」
千香「まったく、大家が私を追い出そうとしてるからだめなのよ。」
看護師「はいはい、千香さん。お部屋にいきましょ!」
千香の歳は、54歳ときいているが、とてもそのようにはみえなかった。むしろ、高校生と考えた方がよいのかもしれない。
彼女を連れていった、医師や看護師が戻ってきたのは、一時間以上あとだった。再び診察が開始されたが、皆、疲れはてていて、なげやりだった。なので、杉三の番はすぐきた。彼もまた、様子見でおわってしまった。
杉三が、薬をもらうために待っていると、
どこからか歌声が聞こえてきた。千香だった。日本人離れした太い声質と、オペラ歌手波の声量をもっていた。例えて言えば、アメリカ合衆国の大歌手、サラ・ボーンの歌い方に近かった。
すると、車軸をながしたような大雨がふってきた。看護師がテレビをつけると、台風が、丁度上陸したとながれた。そこは、富士市が直接関与している地域ではないのであるが、大規模な土砂崩れがあり、十以上の家が倒壊した映像が流されたため、まず子供が泣き叫び、続いて、場所の認識がむずかしい認知症のお年寄りが泣き出した。
院長「静かに!いま騒いでもしかたありません!もうしばらくしたら台風は、離れます!それまでの辛抱だから、落ち着いてください!」
しかし、それは逆効果で、としよりたちは、受付やら、医師やらに、いつ帰れるのかを詰問するばかりだった。子供は親と一緒なのでまだよかったが、なかにはいうことを聞かないというより、聞けない子供もいる。
職員たちはテレビをつけようか、やめようかなやんでいた。親御さんには、テレビをつけた方がよいのだが、年よりたちのパニックを助長させてしまう可能性がある。
杉三「あの、すみませんが。」
受付「は?」
杉三「この前、誰かが寄付したという古筝をだしてくれませんか。」
受付「は、なにを考えているの?」
別のものが、
受付「いや、すぐに持ってきてあげて、この人までパニックになったら、ほんとうに困る。彼は古筝があれば、大丈夫だから。」
受付「わかりましたよ。」
と、一面古筝をだしてくる。患者が寄付したといわれるが、通常の古筝よりちいさく、テーブルの上においても問題ない大きさのものだった。杉三は、風呂敷包みをあけて爪をはめ、急いで柱を立てて調弦し、ある曲をひきはじめた。それは、階上で、千香が歌っているのと同じ曲だった。
院長「お、きょうは同じ曲か。」
階上の声はさらにつよくなる。
杉三「彼女をつれてきてくれませんか?僕は階段が上れないので。」
院長は、にこりと笑い、階段を上がっていった。
数分後、ラバースコンチェルトを唄いながら、彼女がつれられてきた。
院長「つれてきたよ。杉ちゃん。」
杉三「ラバースコンチェルトを歌って。僕は伴奏するから。」
千香「いいの?」
杉三「いいんだ、自分をサラ・ボーンと思って!」
といって、前弾をひきはじめた。
千香「雨のしずく、優しく森を濡らし、
小鳥は歌う、愛のうた、あのメロディ。
いつのまにか、虹は丘の上に、
二人のために、輝くよ七色に。」
子供たち「いい声がする!」
子供たち「もう一回うたって。」
二人は何度もくりかえす。
そのうちに、年よりもうたに気がつく。
年よりたち「へえ、あんなにきれいなこえだったのか、あの姐ちゃんは。」
年よりたち「文盲の刺青男も、よくやるよなあ。あんなに綺麗なんだから、古筝の大学とかいっていれば、もっとちがうかもしれない。」
さらにうたは続く。
千香「さあ、皆さんもうたってください!ラバースコンチェルト。いきますよ!」
だれも否定することなく、杉三の前弾のあとに、うたいだした。
患者たち「雨のしずく、優しく森をぬらし、
小鳥は歌う、愛のうた、あのメロディ、
いつのまにか、虹は丘のうえに。
二人のために輝くよ、七色に。」
受付のものは、患者から苦情がなかったために、事務処理を早く済ますことができた。
子供「小鳥がうたってる!」
ほんとうに小鳥たちのこえがきこえてきた。台風がら過ぎ去ったのだ。
全員、杉三と、千香に拍手した。
受付「お薬ができましたので、取りにいらしてください。はい、まず、相田さん、、、。」
一人ずつ笑顔で薬をうけとった。
千香「ああ、久々に歌ってたのしかったわ。病棟にもどるわね。」
杉三「戻らなくていいんじゃないですか?」
千香「なんで。」
杉三「子供さんやお年寄りをみてくださいよ。これだけ沢山のひとをすくえたんだ。国公立じゃなくても。」
千香「そう、なの?」
院長「はい、音楽は、いろんなひとを助けてあげられるものですよ。そうだよね、杉ちゃん。」
杉三「(古筝をしまいながら)ええ。そうしんじています。」
院長「二人とも、気を付けてかえってね。」
二人「ありがとうございました!」
二人は、虹がでている空を見ながら、かえっていった。