偽りの自立
あさ、いつも通りに杉三は出勤する。ところが、いつもご挨拶をしている高見沢校長はいない。それどころか、生徒もこない。杉三は、不安になり、今にも泣きそうになる。
すると、学校の近くにある家のおじさんが声をかける。
おじさん「杉ちゃん、今日は、富士市内の学校はみんな休みになったよ。」
杉三「え、どうしてですか?」
おじさん「今朝早く見つかったんだよ。」
杉三「誰が?」
おじさん「テレビを見なかったの?ああ、見られないのか、きみは。あのね、昨日行方不明になっていた女の子が遺体で見つかった。まだ、犯人は捕まってない。そういうわけで、休校なんだ。」
杉三「そんな、事件なんて!」
おじさんは、しまったという顔をする。杉三の顔がたちまち恐怖に変わっていく。こうなると、止められない。
美千恵「杉三!どこにいるの、帰るわよ!」
おじさん「お母さん、こっちだよ!」
杉三「お母さん!」
美千恵の顔が見えると、一気に泣き出す。
おじさん「大変な息子さんをもたれて、本当にお母様も、大変でしょうな。」
美千恵「まあ、仕方がないです。さあ、泣いてないで帰るわよ!」
と、泣きじゃくっている杉三の車椅子を押し、無理矢理つれて帰る。
おじさん「ジャイアンのお母さんみたいだなあ。」
たしかに。体格は細いが、口調はそっくりだった。
杉三は、家に帰ってきたが、ぼけっとしている。
美千恵「ぼけっとしてないで、古筝でも、弾いたらどうなの?」
杉三「今日は、古筝弾く日じゃないし。」
美千恵「じゃあ、テレビをみるとか、なにかしなさいよ、部屋のなかでぽかんとされていたら、こちらが困るわよ。こういう障害は、応用問題ができないから、困るんだわ。今日は、休みなら何か別のことをしよう、というように持っていけないんだから。」
杉三「そんなこと。」
美千恵「それにも、気付けないのね。ああ、どうしたらいいのかしら。」
杉三「誰か来た。」
美千恵「セールスかしら。」
杉三「小橋さんだよ。」
美千恵「よくわかるわね。」
杉三「あの人の歩きは独特だからね。」
美千恵「テレビをみれないのに、なんでこういうことはできるのかしら。」
小橋「おはよう、杉ちゃんいる?」
美千恵「はいはい、上がって頂戴。すぐお茶いれるから。」
小橋「わるいね。いつももらいっぱなしで。お邪魔します。」
と、居間に入ってくる。
杉三「小橋さんこんにちは。」
小橋「おう。こんにちは。」
杉三「今日は、事件の捜査?」
小橋「いやいや、あれは、もうすぐ解決するとおもうよ。なんでも、遺体が入っていた袋のなかに、名刺が入っていたらしいので。」
美千恵「まあ、間抜けな犯人ね。そんなこと忘れたら、すぐ逮捕されるのは、わかっていなかったのかしら。あれだけ、残酷にやっておきながら。」
小橋「まあ、めった刺しだったからね。体の八ヶ所を刺したなんて、よほど恨みがあったんだろう。」
美千恵「でも、被害者は、大人じゃなくて、七歳の女の子でしょ?」
杉三「社会に復讐するつもりだったのかな。」
小橋「うーん、、、。」
と、小橋のスマートフォンがなる。
小橋「はい、もしもし、えっ、自首してきたんですか?」
小橋の顔がだんだんに青くなっていく。
小橋「え、えーっ!そんなばかな!」
部下の声「とにかく署にきてください。取り調べもしなければ。」
小橋「は、はい、わかりました。すぐもどりますから、とにかく彼女の話を聞いてみてください!」
と、電話を切り、
杉三「どうしたんですか?」
小橋「犯人が自主してきました、なんとも、彼女の自宅から、すぐ近くのアパートに住んでいる、若い女性です!すみません、すぐもどらなきゃあ!」
と、署に向かってすっ飛んでいく。
すると、家の外がいきなりざわざわしはじめる。報道陣たちだ。
美千恵「大丈夫よ、あんたが悪い訳じゃないんだから。」
杉三の目が、踊るようにうごく。美千恵は家中の雨戸を閉めて、報道陣に見られないようにした。それでも、報道陣の数はふえていく。美千恵がテレビをつけると、富士市の小学生殺害事件の犯人逮捕、27歳の精神障害の女。という、字幕が表示される。
美千恵「精神障害、、、。鬱か何かかしら。」
すると、呼び鈴がなる。
小橋「杉ちゃん、ちょっと協力してもらえないかな?取り調べを円滑にしたいから、お願いしたいんだけど。」
杉三「ぼ、僕は、、、。」
美千恵「あんたも、協力しなさいよ。こういう障害っていうのは、当事者でないとわからないことが、たくさんあるでしょうに!小橋さん、お入りください。」
小橋「ああ良かった。(と居間に入ってきて)じゃあ、単刀直入にいうけど、
精神障害のある人は、世の中に復讐したい、みたいなことを、一度は思うのかな。」
杉三「思わないよ。あきめくらには、思うことすらできないよ。」
小橋「そうか。杉ちゃん、君は障害者手帳はもちあるく?今回、逮捕できたのは、それが決め手だったんだ。名刺ではなく精神障害者福祉手帳だった。そこに、名前と住所が書いてあったからなんだけど。」
杉三「持たないよ。車椅子に乗っていればすぐわかるし。」
美千恵「あんまり、はやいうちからそういうものに頼ると、判断力が鈍ると思って、持たせなかったのです。たまに、うちへ役所から電話がくるけど、聞き流すようにさせているのよ。」
小橋「ああ、なるほど。そういう見方もありますね。じゃあ、障害年金は?」
杉三「それもないですよ。」
小橋「申請したことも?」
杉三「一度やったけど、断られましたよ。申請書も書けないし、診断書もよめない。」
美千恵「あたしが働いていたから、役所のひとは、必要ないと思ったんじゃないかな。まあ、今みたいに精神障害をおおっぴらに現す時代ではなかったからね。だから、一度でやめたんですよ。」
小橋「それで、将来に備えてとか、経済的に自立とか、考えなかったの?」
美千恵「そのときに聞けばいい。また、制度は変わるかもしれないし。いま、ジタバタしてもしかたないし。まあ、杉三が自立するのは、実際は無理だからね。」
小橋「なるほど。」
美千恵「今の子は、制度にたよりすぎなのよ。だから、だめなの。」
小橋「ありがとう。捜査にもどるよ。また、協力してくれるかい?辛いかもしれないが、事件を解決させるまで、よろしく頼む!」
美千恵「わかったわ。警視さんも大変ね。」
小橋「(靴をはきながら)僕らが商売繁盛するのは、世の中がよくないからなんだよなあ。ありがとう!」
と、また、署へ戻っていく。
一方、富士警察署は、終始報道陣に囲まれて大パニックになっていた。容疑者の女性、亀田智美は、単に社会に復讐としかしゃべらなかった。犯行の動機も、状況も説明しない。捜査によると、彼女の部屋からは血痕があったし、凶器の刺身包丁もまな板に置きっぱなしだったので、間違いなく彼女の犯行ではあるのだが。いつまでも、取り調べ室で、青白いかおをして、うずくまっているため、報道陣たちは、多数の仮説をたて、こぞって報道した。
ある日、杉三は、病院にいった。いつも行っている精神科だ。美千恵は、用事があり、一人ではいけないので、まりあがついてきた。
病院に入ると、
院長「こまります、そんなことを公開したら、彼女はもっと追い詰められ、余計に自白しないとおもいます。」
院長は冷静であった。だからこそ、80歳をこえても、まだ人気なのである。
記者「しかし、二度と同じ事を繰り返さないため、報道は必要なのではありませんか?亀田智美が、幼いころこちらでお世話になっていたのは、すでに彼女の肉親が証言しています。その裏付けのために、彼女がなんという病名でこちらにかよっていたのか、教えてくれたって、いいじゃありませんか!」
院長「おしえることは、できません!お帰り下さい。」
記者「またきます。」
すごすご帰って行く。
杉三「院長先生、大丈夫ですか。」
院長「クライアントさんから励ましてもらうとは、年をとったな。大丈夫だよ。いま、処方箋を書かなきゃいけないから、少し待合室でまっていてくれ。きみはいつも予約した時間の一時間以上前にくるから、申し訳ないんだけど。」
まりあ「そうそう、杉ちゃんは、時間厳守すぎるくらい、時間厳守だから、たまにはのんびりしましょ。先生、カフェにいますから。」
院長「よろしくたのむね。」
と、頭をかきながら、診察室にもどる。
カフェスペース。
二人がはいると、先客がいた。中年女性と、おばあさんだった。おばあさんは多分認知症と思われる、風貌だった。
おばあさん「あら、また来たねえ。」
杉三「へ、だれが?」
女性「お母さん、違うわよ。この人は、男性だし、年も違うじゃないの。」
おばあさん「そんなことないよ。確かに智美ちゃんだ。亀田智美ちゃんだ。」
女性「すみません、出任せをいっているだけですので。」
おばあさん「智美ちゃん、三田、いってきた?なんと言われてきた?大丈夫よ、あなたは知恵遅れではないから。」
杉三「いきましたよ。僕も、三田さんにはお世話になりました。知恵遅れとは言われませんでしたけど。」
女性「すみません、この人は、保育士でしたので、その頃のことは、覚えていて、よく口にするんです。」
まりあ「認知症のひとには、よくありますから、大丈夫です。あたしはよく知っているんで。」
女性「そうですか。」
おばあさん「智美ちゃんは、お母さんから愛してもらえなかったのよね、先生、よく覚えているよ。だから、いつまでも、指しゃぶりがとれないし、何かわすれものをする。だから、先生、三田さんにつれていったり、精神科につれていったり。でも、先生はあなたの、お母さんにはなれないな。本当はお母さんにいってもらうべきなのに。」
杉三「智美ちゃんは、なぜ、お母さんから愛されないと想っていたの?」
おばあさん「当時、一人っ子はいけない
という風潮があってね。お父さんもお母さんも、兄弟を作りたくて必死で。でも、お母さんはそのせいで死んでしまった。智美ちゃんのほうをむいてくれたのは、数年しかなかった。」
杉三「寂しかったんだ。」
おばあさん「そうだとおもうよ。だから、問題をおこしていたんだとおもうけど。園長が精神科を受診しろといって、薬だらけの生活になって。」
まりあ「そんなことがあったんですね。診断名はなんでしたか?」
おばあさん「発達障害とおもわれていたけれど、知能には異常はなく、結局、親が側にいない、そのまま、時代がすすんでしまったからじゃないのかなあ。本当は幼いころ、構いすぎるくらい可愛がってあげた方が、いまの時代にはいきれるのかもしれない。」
杉三「僕は、一人っ子だよ。でも、幸せだよ。」
おばあさん「変わったんだね。あの頃にも、認めてくれる人が、一人でもいてくれれば、また、違うかもしれないね。」
杉三「こう言う経験は、時代によって、変わってきちゃうんですよね。僕は読み書きできないんですよ。」
まりあ「あたしたちのアルバニアでは、こんなにはやく、ころころと、時代がかわることがなかったからな。もっとのんびり、ゆっくりしてた。こんなに大きな病院なんて、ありえなかったわ。」
女性「そうね、外人さんには、そうみえるかもしれないわね。日本語お上手ね。さ、おかあさん、診察室にいきましょうか。」
おばあさん「今日は、楽しませてくれてありがとう。」
と、カフェを、でていく。
杉三と、まりあは顔をみあわせる。
まりあ「杉ちゃん、いまのおばあさんのお話が本当なら、彼女の裏付けができるんじゃないかしら。」
杉三「僕は、一人っ子なのに、なぜいけないんだろう。」
まりあ「そこじゃないでしょ、そこじゃ。
へんに感化されやすいのねえ。」
杉三「一人っ子でなにがわるいのかな。兄弟がないと、悪い人間になるわけじゃないのに。ルールがまなべないから?」
まりあ「ちょっと、杉ちゃん。こだわりすぎよ。そういう時代はとっくに終わってるの!」
杉三「まりあさんの国では?」
まりあ「ぎゃくに、多すぎてこまる。だから、自分の体を売らなきゃいけないひとが、五万といる。一昔前は間引きがはやってたわ。」
杉三「それもかわいそうに。」
まりあ「へんなところに、もってかないでよ。それより、さっきのおばあさんの話を小橋さんにつたえなきゃ。」
杉三「僕はお電話はかけられないので。」
まりあ「そうだったわね。しょうがないわ。」
と、まりあは、スマートフォンをダイヤルする。
一方、富士警察署では、連絡をうけた小橋が、智美とにらめっこしていた。
部下の刑事たちも彼女にはお手上げであったのだ。
小橋「あなたは、一人っ子であったことで、酷く傷ついていますね。それに気づかせたのはだれですか?」
智美「自分できがついていました。」
小橋「しかし、三歳か四歳のころに、そんなに鮮明な記憶があるとは、科学的に立証されていない。誰かが教え込んだのでは?」
智美「目の前で親が、子供ができないって喧嘩していて、じゃあ私はなに?といつも思っていたんです!」
小橋「しかしですね。そういうことがわかるのは、もっともっとあとだと、精神科の先生は仰有っておられました。だれか、ご家族のなかに、それをそそのかした人物がいたんでしょう?」
智美「バカなこと言わないでよ!一人っ子は悪い、人間性が育たない。譲り合うとか、優しくするとか、そういうことをする機会がないから、だめな人間になるって、教えたのは誰よ!」
小橋「と、いうことは。」
核心をついた。
小橋「やっぱりだれか、そそのかしたんですね。」
智美はあっという顔をする。
小橋「はなしてください。二度と同じ事を繰り返さないようにするのも警察の仕事です。」
智美「自立支援のひとです!」
小橋「支援するひとがですか?」
智美「私は、ヘルパーのかたをやとっているのですが、その人が、本当にきついんです。家で過ごしたいと、おもってはいけないんでしょうか?もう大人なんだからなんていいますけど、わからないものはわからない。そういえば、一人っ子は悪いとか、甘やかしながら育ったとか、いうんですよ。」
小橋「ヘルパーがそういうんですか?」
智美「はい。いうんですよ、警視さん。確かに守られすぎていたのかもしれないけど、病院から退院して、家族と住めないので、ホームにいたらいじめられるし、じゃあ、障害年金で一人でくらして、ただし、お医者様からは、家事を一人でするのは、難しいから、ヘルパーのかたを雇えといわれ、そうしたら、その方にこんどは嫌みをいわれる。もう、私はどうしたらいいんですか!だから、世の中に復讐したいとおもったんですよ。何も知らないこどもたちが憎くてたまらないから、ころしてしまいたい。そう思ったんです。家の家族にも、あの子が死んだのと、同じくらいの苦しみをあじあわせてやりたかった。あたしは、まだ27なんです。それなのに、どうして追いつめられるんですか?」
小橋「残念ながら、精神疾患を治すのはまだできない。でも、幸せにはなれるんじゃないでしょうか。それに気をつければ、殺す必要もなかったわけだ。」
智美は、わっと泣き出す。
智美「どうして私だけが、みんなと違うの、どうして皆みたいに兄弟がないの?」
小橋「本日の取り調べを終わります。」
と、取り調べ室をでていく。
うどん屋。棊子麺を食べている、小橋と杉三。
小橋「あーあ、落とせたのはいいけれど、彼女の半生は、余りにもかわいそうだ。一人っ子だからといって、なぜあんなにくるしまなきゃならないかな。」
杉三「つまり、ねたみってことかな。
なんか、最近、たりない、という言葉をよくきくよ。あきめくらにとっては、多すぎてこまるんだけどね。」
小橋「いいとこついてるね、すぎちゃんは。確かに、何が正しいのかわかんないもんなあ。」
杉三「僕は、うどんは、棊子麺さえあれば十分さ。」
小橋「それだけあれば、生きていけるなあ。杉ちゃんは。よし、おごるから、ばんばんたべてね。」