桃花源
声「働いてないんです。だから、死にたいんです。死なせてほしい、終わりにしたい、終わりにさせてほしい。」
尼僧さま「世の中には働けない人もいますよ。」
声「働いていない人間は悪人しかいません。仕事をしなきゃいけない、というよりできなきゃいけないんです。そうしないと、私も、悪人になってしまう。そうなる前に死にたい。」
尼僧さまは、筆を硯の上におく。
夕暮れの寺の中、ある女性が相談にきていたのだった。
尼僧さま「桃子さん、あなたは、もう十年近くここへ来ているけど、いうことは、いつも同じね。でも、忘れろといっても、忘れられないのが人間と言うものだからね。いまは、ほんとう、再生するのは難しい。」
桃子「だったら、死なせてください。こんな人間、いきていてもしかたないです。ただ、バカな道を志したばかりに、人生を壊滅させたばかな女ですよ、私は。親がなくなれば私はこの世からも必要なくなるんだ。精神科に閉じ込められるのなら、死んだ方がまし。友達もないし、早く死にたい。」
尼僧さま「それはどうかな。人間は動物だから、いざとなるときは、生きようと考えるものよ。」
桃子「私は、家族からも愛されなかったし、友達も、教師もみんな私を、間違えてるとまでいいました。だから、もう生きているのは、いやです。ご家族のことだとか、もったいないなど、全くいりません。どうせ働いてないんだから悪人呼ばわりされるしかない。そうなる前に死にたい。」
尼僧さまは、返事をださず、涙を浮かべていた。
桃子「答えを教えてくれないなら、もうなにもないですね。さよなら。」
と、彼女は寺を出ていってしまう。
杉三の家
和裁をしている杉三。柱時計が五回なる。
美千恵「ごはんよ!いい加減にきりあげなさい。」
杉三は、針を針箱にしまい、縫ったたんものをテーブルに置いて、車椅子を操作して居間へいく。
美千恵「あんたが好きな名古屋きしめん。」
杉三は、嬉しそうに笑って、きしめんを口にする。
美千恵「それだけは、いくつになってもかわらないわね。あんたって人は。きしめんの箱の文字すら読めないのに。」
確かにそうなのだ。
美千恵「子供のころは、それで本当にないていたのよ。あんた、覚えてる?」
杉三、笑って首を降る。
回想、幼いときの杉三。
スーパーマーケットで買いものをしていたとき。車椅子で、勝手に乾麺のところへいき、名古屋きしめんとかいている箱を全部とって、三千恵のところへ戻る。
またあるとき、きしめんが品切になっていたときであるが、
美千恵「今日はきしめんがないから、タリアテッレにしよう。」
杉三「いやだ、味が違うじゃん!」
美千恵「だって、売ってないじゃない!」
杉三「いやだ、いやだ、嫌だよ!」
と、車椅子のまま、号泣。
回りの人が、何事だ?と騒ぎ出す。
声「頭が変なのかなあ?」
声「甘やかしすぎたのよ。」
声「いい迷惑だよな。」
美千恵は、穴があったら入りたかった。
子供たちも、それをみていて、
子供たち「あーあ、あきめくらの杉三、またないてらあ!きしめんとパスタの文字も覚えられないくせに、なんで中身を識別できるんだろう。」
子供たち「本当にあいつは、ダメな人間だなあ、悪人にしかなれないさ!」
子供たち「お母さん、お母さんになる前におばあちゃんになるぜ!」
しかし、杉三は、なきやまない。
丁度買い物に来ていた尼僧さまが、
尼僧さま「そんなこといっちゃいけませんよ。彼は彼なりに苦しんでいるんですから。」
尼僧さまには逆らえず、群衆は散っていった。
美千恵「ありがとうございます。」
尼僧さま「いいえ、いつでもいってください。お母さん、大変ですね。」
美千恵「ほら帰るわよ!他のところを探しに!」
と、車椅子をおして、唇をかみながら、帰っていく。
回想おわり。
美千恵「となりのスーパーマーケットから、取り寄せたこともあったわね。」
杉三「そうだったね。」
美千恵「まあ、あんたの好物だから、それは仕方ないわ。」
杉三「、、、。」
美千恵「でも、困らせるだけが、あんたの個性じゃないことも、知っているから、それで満足よ。」
杉三「そうだね。」
美千恵「まあ、他の人とは、幸せの形が違うって思うことにしてるわ。」
杉三「そうだね。」
一方、桃子は、ぼんやりと家に帰り、布団の中にいた。あらゆると過去が渦巻く。いじめられたこと、教師に強姦されそうになったこと、つらいことは、いろいろあった。
スマートフォンでSNS をだしてみた。たくさんの人が、笑顔で写真をのせている。彼女にも何人か知り合いはいても、その先がない。何人かには、実際に会ったりしていたが、すべて、性交をもとめる汚いひとたちだった。あるいは宗教などへの勧誘しかない。理由はただひとつ、働いてないんだから、と、桃子は、おもっていた。
この世界は、学校で失敗したら二度と帰れない、そしていきる道がない。桃子は、そう結論付けた。さらに、やり場のない怒りもあり、どうせなら死に間際だけは、注目されたい、と思い付いた。
翌日。
桃子は、コンビニにいく、と、嘘をついて、高層ビル街にいった。さて、死ねそうなビルはどこか、と探していると、富士市の市役所があった。となりにたっているホテルよりも高く、屋上にはビアガーデンもあったから、注目される、と、桃子は、おもい、市役所へはいった。
一階の警備室で、警備員が車椅子の男性と話している。それをとおりかかる人は、不思議そうにみていた。そういえばまるで関係ないけれど、今日は、衆議院選挙の期日前投票をやっていたのだ。桃子は、政治家にも自分の不幸を知らせられる、として、ニタリと笑った。
警備員「だから、三階へいってください。そして、それをまっすぐいって、投票所というところがありますから、そこで投票してくださいよ。」
杉三「三階にはどうやっていったらいいんですか?」
警備員「エレベーターで、昇るを押して、三という数字を押してくれれば、すぐつれていってくれますよ。」
杉三「三という数字?僕はよめないんです。」
警備員「こまったなあ。駐車場の案内係をしなければならないので、一緒にいってやりたいけど、それはできないんですよ。あ、そこのお姉さん!」
桃子、あしを止める。
警備員「ちょっとこの人を、期日前投票室までつれていってやってくれないかな?」
桃子は、自分より明らかに年上に見える杉三をみて耳を疑う。
警備員「この人、読み書きができないんだって。いわゆるディスレクシアのひとだ。まあ、こういう人だって、参政権はあるんだから。」
桃子「警備さんがいけば?」
杉三「僕はやっぱり来ない方がよかったかな。母が、一人で挑戦してみろといったんだけど。」
警備員「いいさ、失敗すると、自分のことがわかるから。」
桃子「しかたないな、いきますよ。でも、あたしは、政治なんかなんの興味もないし。ここには、福祉課ってものはないの?」
警備員「三階にあるよ。まあ、とりあえず、エレベーターにのせてあげるだけでも。」
桃子「それだけよ。」
頭の中では、彼を福祉課に引き渡して、すぐ逃げるつもりだった。
桃子「こっちきて。」
と、彼をエレベーターに連れていった。しかし、エレベーターは、車椅子が入ったら、細身のひとがやっと入れるだけだった。桃子は、ぎゅうぎゅうになりながら、エレベーターに二人で乗り、三階に移動した。
桃子「福祉課にいかなきゃ。」
幸い、そこは、さほど遠くはなかった。
彼女は車椅子を押しながら、福祉課にいった。
桃子「こんにちは、この人を期日前投票につれていってやってくれませんか?」
しかし、誰も反応がない。みんな電話ばかりしている。相手は恐らく高齢者や障害者だろうか、一つ一つ、噛み締めるように話したり、中には怒鳴っている職員もいた。
杉三の顔がひきつっている。机を叩いたり、どなっている職員に怯えているのか。
桃子「あの!」
職員「うるさいなあ、あんたぐらいの障害のひとは、自分でいけばいいだろう、自分で!」
桃子「だって、このひとは、文字が、、、。」
職員「こっちはな、いちいち年よりの話ばかり聞かされて、うんざりなんだよ!」
桃子「なんて、冷たいひと!いいわよ、私がいくから。」
と、桃子は、踵をかえし、車椅子を押して、福祉課から、期日前投票室に移動した。
たくさんの有権者が並んでいた。
一匹の蛇のように見えるほどだった。期日前投票では、当日にいけない理由などを紙に書かなければならない。
しかし、杉三は、書くことができない。
桃子「ねえ、どうして投票にいけないの?」
杉三「遠方の病院にいくので、一泊しなければならず、投票終了時間に間に合わないからです。」
桃子「わかったわ。」
と、大蛇の最後尾についた。
桃子「投票入場券ある?」
杉三は、困ったかおで、巾着から財布をだした。桃子は、蛇皮の財布から、投票入場券を出して、杉三に手渡す。杉三は、財布も受け取り、巾着にしまった。
そうこうしているうちに、大蛇の尻尾から、頭の方に来る。
係員に、杉三は、投票入場券を手渡し、
係員「はい、えーと影山杉三さんね。そしてあなたは、ボランティアさんですか?」
桃子「はい、そうです。」
係員「本来なら、私たちがすることですが、今日は、こんな風に人手がたりません。なので、候補者と、政党名を、読んであげて、代筆してあげてください。」
桃子「わかりました。」
係員「では、どうぞ。」
二人は投票室にはいった。
間仕切りされたテーブルに、候補者の名前が書いてある紙が貼り付けられていた。桃子は、政治家など、クソクラエであったが、杉三は真剣に考えていた。政党名も同じだった。桃子が、政党名と、候補者の名前を読み上げると、三十分ほど考えて、漸く投票した。
桃子が、代筆して、投票箱に用紙を入れると、嬉しそうにわらった。
投票箱の近くにいた、ハゲ頭の人が二人に近づいてきた。多分偉いさんだろう。
偉いさん「今日はきてくれてありがとうね。杉ちゃん、やっと投票ができるんだから、彼女にも感謝しなよ。」
優しい声だ。福祉課の人とは、大違い。
偉いさん「杉ちゃんいいな。そんな綺麗なボランティアさんを雇って。僕なんか、禿げちゃったから、結婚なんてむりだよ。」
桃子「私は、、、。」
といいかけたが、やめておいた。
偉いさん「またきてね。」
二人、期日前投票室を出る。
桃子「名残惜しいわ。ちょっとお茶でも、しましょうか。」
杉三「かまわないですが、お品書きのあるところは。」
桃子「私が、通訳するから。」
と、言うわけで、二人は狭いエレベーターから出て、広い通りを渡り、大手のカフェにつく。
その店は、注文を先にするタイプの店。
店員にメニューをつき出されても、杉三は、読めない。
桃子「えーと、アイスコーヒーが280円で、、、。」
と、メニューをよみあげる。
杉三「じゃあ、一番最初に読んでくれたアイスコーヒー。」
と、言い、巾着を開けて財布をだすが、また、こまったかおをする。
桃子「どうしたの?」
杉三「どれが、十円なのかもわからない。」
桃子「この茶色いのが十円、銀色のものが、100円。280円だから、銀をふたつと、茶色を八個だせばいい。」
といって、財布を覗いてみると、その通りの硬貨が入っていた。
桃子「銀ふたつ、いち、に、そう。そして、茶色を八個、いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち。そうよ、それをこの人に渡して。」
杉三は、そのとおりにする。と、グラスにはいっていたアイスコーヒーが手渡される。
桃子「よくやったわ!」
二人、コーヒーをもって席につく。
となりの席に、高齢のおばあさんがすわっている。
おばあさん「お二人は、御夫婦?それとも、兄弟?」
桃子「いえ、わたしは単に友達です。」
おばあさん「まあ、そうなの!ずいぶん大変でしょう?文盲の人にお金を勘定させて、、、。」
桃子「たいへんかな?わたしは嬉しいだけでしたわ。」
おばあさん「そう。うちの孫も、あなたみたいに優しく接してもらえたら、自殺なんかしないですんだかもしれない。」
桃子「え?」
おばあさん「うちの孫も、その方みたいに、ディスレクシアだったのよ。いまでこそ、ディスレクシアという、かっこいい、名前があるけれど、文盲とか、あきめくらとかしかよばれなかった。娘も、どうしていいか、わからなくて、いつも感情的になってて、学校の先生も匙を投げてしまって、結局、孫は帰らないひとになった。」
桃子「そうだったんですか、、、。わたし、何も思いませんでした。私も、あまり良い人生ではありません。わたしは、大学もやめたし、まだ、親のすねをかじるしかないし、はやくあの世へいきたいな、と思っていたのですが、、、。
」
おばあさん「でも、さっきみたいに、あんな丁寧に接してくれる人が増えたら、私の孫みたいに、自殺しなくて良いかもしれないわよ。大体の人は、必ず自分のためって飾りがつくの。でも、あなたにはそれがなかったの。」
桃子「わたしが?」
おばあさん「長く生きていると、それがよくわかるのよ。大学より、そっちを大切にしてほしいわ。」
桃子「はい、、、。」
コーヒーを飲み終えた杉三が、彼女の肩をたたき、
杉三「きょうは、どうもありがとうございました。あとは、一人で帰りますから。そうだ、お名前はなんですか。」
桃子「松谷桃子。」
おばあさん「どんな字を書くの?」
桃子「食べ物の桃ですよ。」
杉三を気にするが
杉三「いざなぎの神様が鬼に投げつけた食べ物ですね。」
桃子「どうしてそんなことが、」
おばあさん「本当よ。桃には魔除けの力があるのよ、まさしくあなたは、そのままだわ!」
と、杉三と、二人でにこにこと笑った。
ここに残ろう、と、彼女は思った。
自分の生きる道を、自分なりに見つけるまで。




