杉、宦官に会う
杉三が、車椅子で横断歩道を渡り、そこを左折したところに、ピンクサロンというものがあった。もちろんピンクサロンという文字を読むことはできないし、どういうものなのかもわからない。彼はなにも気にかけず、その前を通りかかる。すると、その前をある人がやってきて、車椅子と、正面衝突してしまい、杉三は、仰向けにひっくり反ってしまった。
ある人「ご、ごめんなさい。怪我は?」
と、急いで車椅子をたちあげてやる。そして、
ある人「お着物、クリーニング代です。」
と、一万円を手渡す。
杉三「いや、いりませんよ、これ、セルだからうちで洗えますし。それより、これをどうしたらいいもんだか。明日の和裁教室、材料が、、、。」
と、持っていた反物を広げる。丁度雨上がりで水溜まりにおちたため、大島紬は、びしょ濡れ。
杉三「どうしよう、、、。」
ある人「買い直しましょうか。」
杉三「そうですね、ここまで濡れちゃうとなあ。」
ある人「買い直しましょ。なんという店ですか?」
杉三「あきめくらで、わからないのです。」
ある人「あきめくらとは、おかわいそうに。せっかく、美女なのに、、、。」
杉三「僕は美女ではないですよ。」
ある人「えっ、僕?つまりあなたは男性ということ?」
杉三「はい。」
ある人「えーっ!女優さんみたいにきれいじゃない!誰ににてるかな、、、。それに、着ている着物だって女性用じゃない!」
杉三「はい。男性用だと大きすぎるから、女性用の裾を切って袖をつめて着ています。」
ある人「そのかおで、お和裁とは、珍しいわね。」
杉三「まあ、そうですね、宦官さん。」
ある人「私のこと、よくわかったわね!まさしくその通り。」
杉三「声は低いのに、女の人にみえたから。」
ある人「はい、名前は陽介ですが、早く改名できたらなあ。」
杉三「じゃあ、宦官さんとよびます。僕は影山杉三。」
宦官「ずいぶん古い名前ね。昔の武将みたい。」
杉三「いや、そうでもないですよ。」
宦官「呉服屋はどこ?」
杉三「住吉屋呉服店です。」
宦官「もよりは?」
杉三「読めないです。たしか、覚えているかぎりでは、吉原本町駅。」
宦官「じゃあ、吉原駅から電車に乗ればいいのね。」
杉三「はい。多分。」
二人、吉原駅に向かう。スイカをもっているので、杉三もすんなりと駅に入る。
ちょうど、電車がやってきて、駅員の助けも借りながら、二人は電車にのる。
しばらくすると、杉三の顔が不安そうになってくる。
宦官「どうしたの?」
杉三「これ、本当に岳南鉄道?」
宦官「どうして?」
杉三「いつも見えてくる、車の絵がついた看板がないから。すみません、駅の名前がよめないから、前後の景色で見ているのですが。」
宦官「ああ、あの看板は、お店が移転したから撤去されたわよ。」
杉三「えっ、どうしよう!あれがないと、、、。」
宦官「大丈夫よ、ちゃんと、つれていってくれるわよ。」
杉三「どうしよう、こわいよ!」
回りの客が何事かとざわざわし始める。
杉三「こわいよ!」
遂に泣き出してしまう。
陽介はどうしていいのかわからず、回りの人たちが、いきなり席をたって、他の車両に移っていくのを、見届けるしかできなかった。
アナウンス「まもなく、吉原本町駅に到着いたします。」
陽介「ほら、着くわよ。もう大丈夫だからね。」
杉三「ほんとう?」
陽介「そうよ。」
そうこうしているうちに、吉原本町駅につく。やっと落ち着いていけるとおもった。二人は、さっさと電車をでた。陽介は、宦官だから、車椅子は軽々だった。
杉三「ここ、本当に吉原本町?」
駅は、改装工事が行われていて、壁はシートで覆われていた。
陽介「そうよ。」
杉三「だって、寒稽古している看板と、病院の看板がない。だから、違うんだよ。」
陽介「そんなことないわよ。ちゃんと、吉原本町と書いてあるし。」
杉三「読めないから、不安になるよ。」
陽介「もう、それじゃあ、駅の外へでてみようか。」
二人は、車椅子エレベーターから、改札口を通過して、駅の外へでた。
陽介「右へいくの、左にいくの?」
杉三「大きい石碑の前を通るの。」
陽介は、石碑をさがした。なんという石碑なのか、気になったが、聞いてはいけないと思った。
陽介「どんなかたちの石碑?」
杉三「塗り壁みたいに大きな石碑。」
なるほど。二人は右にいってみた。すると、行書体で文字が刻まれた、石碑があった。
杉三「ここでね、事故があったそうで。なんでも、集団下校していた子供が、一人亡くなったんだ。きまった道順しか行きたがらない子だったらしい。」
陽介「そう。かわっているわね。」
二人は、石碑の前を通過した。
さらに道を進めていくと、小さなコンサートホールがあった。丁度、コンサートがおわったのだろうか。こどもたちが、入り口から出てきたので、二人は足をとめ、こどもたちが、全員出るのを待った。そのなかに、どうしても出たがらない、男の子がいた。教師が、帰ろうと、一生懸命促している。
教師「ほら、田井くん、かえろうよ。」
田井「やだ、いつまでも、ここにいるんだ!」
教師「ここはおうちじゃないのよ、かえりましょう。」
他のこどもたちは、馬鹿にするように彼をみている。
別の教師がでてきて、
教師「お母様がもう近くにきているから、かえろうね。」
田井「やだ!」
すると、ショルダーバッグをさげた、中年の婦人がやってきて、
母親「どうもすみません、田井です。この子はどうしても、気に入ったところへくると、執着してしまう癖があるんですよ。申し訳ありません。」
教師「いえいえ、田井くん、おとなしくすごしていられました。どうぞどうぞ、おきをつけておかえりください。」
彼は、母親と上機嫌で帰っていく。
杉三と、陽介は、このやり取りが終わるまで待つ。陽介も、間をすり抜けてしまうと、田井くん、という少年は、おかしくなってしまうと、予測ができた。
二人は、教師たちが踵をかえすと、同時に通過していった。そのとき、
教師「法律でさあ、入れなきゃいけないんだよね、自閉症児。」
教師「そうね、それに、静岡の学力も上げなきゃいけないなんて、教師に任せすぎよ、県知事は。」
教師「そうだな、全く教師なんて役にたたないな。でも、やめたら生活できないし。ま、お役人さんの目さえ逃れりゃ、多少手をぬいてもいいさ。」
教師「そうね。私の方が、まいっちゃうわ。あーあ、あそびたい!」
陽介「遊びたいなんて、教師の資格ないわね。」
杉三は、こたえなかった。
さらに、歩いて、住吉屋呉服店についた。
杉三「こんにちは。」
店長「どうしたの杉ちゃん、さっき、反物を買いに来て、まだなにか?」
杉三「はい、道で落としてしまったのです。だから、この人に、新しい反物を。」
陽介「よろしくお願いします。」
店長「ははあ、お水さんと一緒にきたのか。」
杉三「それより、もう一反、大島の反物を。」
店長「大島、さっきので、切らしちゃったよ。あと、こんな古い柄しかない。」
と、一反の反物をだしてくる。
とんぼが飛んでいる、黒い反物。
店長「子供っぽいよなあ、杉ちゃんには。」
杉三「でも、次回のお和裁教室まで、間に合わないよ。仕入れて、うちへ届くまで、一月以上かかるでしょう。」
店長「杉ちゃんごめんよう。もうちょっと大島を来月は仕入れるからさ、もうちょいまっててくれる?」
陽子「あの、すみません。」
店長「あら、おかまさん。どうしたの?
」
陽子「杉三さんのもっている反物を洗うとかは。」
店長「ああ、京洗いですか。あれ、すごくお金がかかりますよ。それをするなら、買った方がはやい。うちは、反物はアウトレットとか、既製の中古品の着物ばかりですからね。」
陽子「そうなのかもしれないけど、彼がせっかく、購入したわけですし、汚してしまった張本人は私ですから。」
杉三「陽介さん、いくらなんでも、もうし訳なさすぎます。」
陽子「陽子とよんでください。お代はいくつでもだせます。ピンサロは、結構かせげますから。」
店長「ああ、なるほどね。そういう理由があるわけね。」
杉三「なんですか。ピンサロって。」
店長「杉ちゃん、聞かない方がいい。」
陽子「確かに汚いですよね。でも、この人は綺麗な人ですから。なにかお礼しなければと。」
杉三「お礼なんていりませんよ。僕が歩けなくて、ぶつかったから、悪いのは、僕の方です。」
陽子「いいえ、このひとは、本当に自分をさらけ出して生きている人なんだから、悪いなんて考えていません。ぎゃくに、それが、彼の魅力だとおもいます。」
店長「そうか。それならそれなりにやるといいさ。」
陽子「じゃあ、彼がもっている反物を、京洗いにしてあげてください。」
彼女は、財布をとりだした。一万円札が一寸ちかくはいっている。自分の体をうって、得たものであった。
店長が見積もり表をもってきた。
店長「京洗いね。お値段はこれくらいかな。これに、サインしてくれる?」
陽子は、増田陽子、とかいた。
杉三は、汚れた反物を、店長にわたした。
店長「うまい字だな。」
杉三「読めないのがざんねんだな。」
店長「増田陽子さんね。」
陽子「こんどくるときは、もっと、女らしくなるわ。私、これをきにピンサロは、やめて、着物関連の仕事につきたい。」
杉三「いいじゃないか、ぜひ、やってほしいなあ。」
陽子「わたし、陽介とよばれるのが、男みたいで嫌だったの。一生懸命女になろうと思ったんだけど、体の方がいうことをきいてくれなかったの。だから、一応手術したけど、声だけはまだ変えてないから。今度は私も、女性用の着物が、ぬえるようになりたいわ。」
杉三「普通の女性より、もっと女らしくなれるよ。研究しているから。」
店長「そうだなあ、こういう人もいるって思わなきゃな。商売のためにも。」
陽子「そこはよけいよ。」
杉三「はい、失礼しました。」
三人、朗らかにわらう。




