二尺袖
商店街の一部である、呉服屋。営業時間終了し、店長がそとへ出していた目玉商品をしまおうとしていると、ある女性が着物をもって、やってくる。
女性「すみません、店長さん、これを直してくれますか?」
薄い、2尺袖の着物。塩沢の小紋である。
女性「この裾を切ってもらいたいんです、ちょこっと、大きすぎまして。」
店長「いつまでに仕上げたらいい?」
女性「来週にはつかいたい。」
店長「うーん、あいにく女房は仕入れにでかけてるから、どうしようか。間に合わないなあ。」
と、そこへ車椅子の音がする。
杉三「こんにちは。すみません、店長。足袋を1足、、、。」
店長「あ、いいところへきてくれたね、
この人がね、塩沢の裾を切ってもらいたいんだって。杉ちゃん、やってあげてくれないかな。」
女性「この人、たしか、あきめくらの、、、。影山杉三。」
杉三「はい、確かに、あきめくらですよ、僕は。」
女性「うちの母がすごく嫌っていました。」
杉三「だれだろう?」
女性「母を覚えていませんか?菅原千鶴子です。旧姓は丸山千鶴子。たぶんきっと、同じ45歳だから、知っているとおもいますが。」
杉三「丸山千鶴子さん!よく覚えています。僕がほんのわずかな間、学校に行っていたときに、たしか、僕の筆箱にかみきり虫が入っていて、担任教師がすごく怒って、、、。」
女性「はい、その犯人が私の母でした。」
店長「杉ちゃん、君は一週間で小学校をやめたときいたが、よくおぼえているもんだねえ。」
女性「はい。私は娘の、菅原松代です。彼のようなひとは、ものすごい記憶力があるそうですよ。それは、私もならいました。わたし、看護師になりたくて、いま、専門学校にいってるんです。」
杉三「あんな乱暴者であった、千鶴子さんも、結婚されて、娘さんがいるなんて、信じられませんよ。」
店長「杉ちゃん、そういう人が結婚してるんだから、君も、そんないい顔してるんだから、いわゆる、婚活してみたら?」
杉三「むりですよ、そんなあきめくらの人間をもらってくれるひとはいませんから。」
店長「この、未来の看護師さんはだめ?」
杉三「いや、それはちょっと。」
店長「とりあえず、彼女のきもの、なおしてあげてよ。菅原さん、ちょっとそれを着てみてくれませんか?」
店長が鏡を持ってきて、彼女は鏡の前にたつ。そして着物を羽織る。
店長「はいはい、おはしょりがだぶつくわけですね、幸い江戸小紋で、色無地に近い着物ですから、少し切っても損なわれることがなくきれます。わかりました。三寸くらい切りましょう。」
松代「はい。三寸というと、どれくらいですか?」
店長「九センチです。」
と、物差しをもってくる。
店長「杉ちゃん、印しておくからさ、そこを切って、縫い合わせてあげてくれ。君は、メートル法を読めないんだったよね。」
杉三「わかりました。尺貫法でないと、僕はわからないから。」
店長「だから、和裁がすきなんだよね、杉ちゃんは。Sとか、Mとか、スリーサイズとか、なんにもわからないで生きているのは君くらいだよ。杉ちゃん。」
杉三「まあ、こればかりは、いくら直そうと、おもってもできないので。」
松代「でも、わたし、そういう人好きよ。実習でいくのは、そういう人ばかりだもの。」
店長「はい、脱いでいいよ。(松代は着物を脱ぐ)いま、印しておくね。つまり、小児科とかにいるのかな?」
松代「卒業したら、精神科にいこうかと。」
店長「今時珍しい。目指せ、第二のナイチンゲールか。」
松代「祖母がうつ病で亡くなったの。だから、苦しんでいるのみてたから。」
店長「偉いな!」
杉三「だからきものにも興味があるんですね、心が綺麗なんだ。」
店長「うまいこというね。じゃ、菅原さん、この着物、彼に縫合してもらってね。」
杉三は着物を承けとる。
松代「杉三さん、お宅はちかくなの?」
杉三「電車で15分くらいですよ。」
松代「よかったら送るわ。あたしの車、車椅子でも乗れるから。」
杉三「ご家族で歩けないかたが、いらっしゃるのかな。」
松代「というより、学校の指定の車だから。運転技術も学ばなきゃいけないのよ。」
杉三「あ、ああ、そういうことか。僕は実験台なわけね。」
松代「まあ、そういうことになるわ。いきましょ。」
杉三「お言葉に甘えて。」
二人、店長に挨拶して、店の駐車場へいく。車は軽自動車で、後部座席をおりたたみ、車椅子ごとのれるもの。
松代「杉三さん、これにのってみてくれる?」
と、箱のようになっているスペースに、車椅子ごとのる。松代がボタンをおすと、スペースは折り畳み、車にはいる。それを確認した松代は後部 ドアを閉める。そして、運転席にのる。
エンジンをかけて、道路にでていく。
杉三「すごいですね。いまは、こんなに簡単にのれるんですか。まあ、僕は車なんてほとんどのれないから、頭が古いかもしれませんが。」
松代「いえいえ、もっとすごい車もたくさんあるわよ。杉三さん、介護タクシーは、利用してる?」
杉三「いや、いちどもないんです。お金がかかりすぎるから。」
松代「私の、夫がタクシー会社をやってるから、利用してよ。」
杉三「だって僕、読み書きはできないから、お電話もできないです。」
松代「あら、おともだちがたくさんいるくせに。代理人にかけてもらっても、全然OKよ。だから、パンフレットだけでも、もっていってよ。」
といい、鳩のマークがついた、冊子を渡す。介護タクシーハトポッポと書いてある。
松代「もうすぐお宅よね。」
杉三「はい、そうだけど、」
松代「毎日の通り道だから、おぼえているわ。母がバラックみたいな家だといっていたから。」
杉三「はあ、よく覚えてますね。千津子さん。」
松代「たしか、古ぼけた柱時計があるんでしょ?」
杉三「ありますよ。いちども壊れたことのない、古時計。」
松代「大きなのっぽの古時計、か。まさしくぴったりだわ。あ、このいえよね。」
杉三「着物、お預かりしますね。」
杉三の家がみえてくる。松代は玄関前に車をとめ、杉三を車椅子ごとおろしてやり、杉三は鍵をあける。
松代「じゃあまたね!」
と、車を走らせて去っていく。杉三も手の甲を松代に向けてバイバイし、家のなかにはいる。と、柱時計が五時をうつ。
一方、松代は、自分の家ではなく、介護タクシー営業所とかかれた家の中に車をとめ、その家にはいる。
松代「ただいま、かえってきたわ。」
松代は、中にはいる。夫の紀之は、電話でなにか話している。まあ、いつものことだ。せめて自分達夫婦だけではなく、ほかに、一人か二人乗務員がいてほしいほど、忙しかった。本来なら松代は、専門学校にいきたくなかったのであるが、紀之が、たしかな介護技術があったほうがいい、と発言したので、急遽、入学したのだった。
紀之が電話を切った。
紀之「明日、加藤さんが自宅から総合病院にいきたいようだから、お前いってくれるか?」
松代「あなたは?」
紀之「別の人をつれていかなきゃいけないんだ。」
松代「最近いつもそうね。」
紀之「仕方ないじゃないか、仕事があるってことは、良いことなんだから。」
松代「あなた、仕事って言葉以外に他にないの?」
紀之「当たり前だよ。そうじゃないか。そうでなきゃ生活できないじゃないか。」
松代「母の二の舞しかおもえないわ。」
紀之「お前はお母さんにこだわりすぎだ。心の臍の緒が切れてないのか?」
松代「わたし、あきめくらの人にあったの。母が長年嫌がっていたひと。でも、すごく好い人だった。綺麗なひとだったわ。」
紀之「どうしてそんなやつとでかけるんだ?お前は、女房だろ?」
松代「結婚して、何も楽しくないのよ。結婚する前は、あなた、新しいビジネスを始めるといって、意気込んでいたけど。」
紀之「結構じゃないか。それでうまくやれているじゃないか。」
松代「なんだか、寂しいのよ。」
紀之「それで、あきめくらのほうが、いいってわけか?それじゃ、俺はなんのためにいるんだよ!お前は我が儘すぎる、同じやるのなら、もっと、仕事や学校に、打ち込んでくれよ。それとも、あきめくらのほうが、たいくつしないってか?」
松代「そうじゃないわ!でも、なにかつらいのよ。」
紀之「お前がそんなに我が儘な女だったなんて、しらなかったよ。」
と、居間をでていってしまう。
松代は20歳、紀之は、26歳であった。結婚した理由は、紀之の家のものが、申し込んで来たからだった。多額の借金をした、紀之の父が、松代と紀之を婿とり婚として、結婚させて、結納金を得よう、と目論んで、まんまと成功させたのである。お陰で紀之の家は破産せずにすんだ。そうなることで、紀之は、家をでて、独立することを許され、介護タクシーを開業したのだった。周囲からは、格差婚といわれた。大金持ちの松代が、平凡な男を婿にするとは。まあ、いつの時代にも、子供をツールにする家庭はなくならない。
松代は、母と婿と同居して、幸せだと、他人にはよくいわれるが、幸せだとはおもえなかった。
千鶴子「松代!」
松代は、母の部屋にいった。
千鶴子「お夕飯のしたくは?」
松代「ごめんなさい、今日、酢豚かってきたから。」
千鶴子「それじゃだめじゃない。ちゃんとつくってやらないと、紀之さんにわるいわよ。」
松代「でも、私は学校もあるし。」
千鶴子「社会人になっても、学生をしているひとは、たくさんいるわ。」
松代「わかりました。明日は、ちゃんと、支度するから。」
紀之「ああ、いまからですか?はい、大丈夫ですよ。ああ、そこなら、五分くらいでいけますから。」
と、電話を切り、
紀之「ちょっと仕事してくるよ。おばあさんが、スーパーマーケットで買い物をしたいそうだから。」
松代「はい、気を付けていってきてね。」
千鶴子が、玄関先で彼を送る。
千鶴「いつもありがとうございます。」
そういう母は、どこか、夫をバカにするような風でもあり、頼りにしているような風でもあった。
松代「他の人とやることが違う。」
千鶴子は、アパレル関係の仕事をしていて、現在は重要なポストについていた。そんなわけで、松代は、洋装が嫌いだった。
玄関から戻ってきた千鶴子に、
松代「お母さん、影山杉三と言う人をしっている?」
千鶴子「ああ、あの、あきめくらでしょ。歩けなくて。」
松代「あの人、すごく綺麗よね。」
千鶴子「そう?なんにも取り柄がない、地球のごみみたいな男だけど。あの人、言葉もはっきりしないし、歩けないし。」
松代「じゃあ、どうして覚えてるの?」
千鶴子「あの男がばかだからよ。答えはすぐにわかるわ。読み書きも、そろばんもできないんだから、事故かなんかで、もう、死んでいるんじゃないかしら。」
松代「ちがうわ。吉田高校で、働いてる。」
千鶴子「そんなことないわよ、あんなバカな男が、働けるわけないでしょうが。自分の名前すら、自分でかけないのよ、あの男は。まあ、私と同じ45歳になるけれど、体も弱かったし。長生きはしないんじゃないかしら。」
松代「わたし、あの人みたいに、自由になりたいわ。勉強と仕事ばかりではなくて。」
千鶴子「なにバカなこといってるの、もう社会に出て、紀之さんという、旦那さんもいて、ここまで、恵まれているんだから、何も文句はいらないでしょう?」
松代「でもつらいのよ。」
千鶴子「お母さんだって耐えられたんだから、大丈夫よ。すぐなおるわ。」
松代「そうね。」
千鶴子「大丈夫よ、お母さんも、のりこえられるんだから。」
千鶴子に悪気はないが、その言葉は松代の心を刺した。
松代は、寝室にいき、布団に横になった。どうしても、心がみたされなかった。
杉三は、一生懸命着物を縫った。すそを切ったら、その着物は、仮縫いの状態のままだったらしく、すぐにほどけてしまうので、彼は、すべてバラして、新しい糸で、仕立て直してやった。彼女が既婚であるとわかったから、2尺袖はまずい、と思い、訪問着の長さに詰めた。小紋なので、詰めても、問題はなかった。
燕が織り出されていた。夫婦円満を意味する、吉祥文様。誰かからのプレゼントだろうか。
仕立ては1日がかりだった。終わったときはへとへとに疲れはてた。
しかし、猶予はあと1日しかなかったから、これを彼女のもとに、持っていかなければならない。
ところが!
翌朝
千鶴子「松代、起きなさい!学校に遅れるわよ!」
松代は、布団から跳ね起きて、いそいで、時計をみると、まだ、一時間以上ある。
千鶴子「松代!」
松代「まだ、だいじょうぶだから!」
と、ふたたび横になる。
千鶴子「松代!」
松代は、頭に来て、パジャマのまま、食堂に行き、
松代「うるさいわね!学校くらい自分でいくから!いちいち、くちを出さないでよ!」
紀之は、朝から仕事にでていた。
千鶴子「はい、朝御飯。」
といって、ご飯と鮭をだす。友達はだいたい、マクドナルドや、朝ラーという、ラーメン屋さんで、済ます人が多いのに。たしかに、塩分のとりすぎかもしれないが、そうしたかった。
松代「おいしくない。」
と、呟き、服を着替えた。
千鶴子「松代は地味ね。まだ二十歳なんだから、おしゃれくらいしなさいよ。」
松代「いやよ、あんな売春婦みたいな格好!」
千鶴子「だけど、人生は一度きりよ!」
松代「私は、着物でおしゃれするわ。」
千鶴子「そんな経済力、家にはないわ。」
松代「もう、古いことを、押し付けないでよ!」
と、松代は、鞄をもち、学校に向かっていく。
専門学校
講義が行われている。
同級生「ほら、松代!」
とからかい始める。
松代「やめて!」
教師「こら、授業中に声をだすな!誰だ、今のは?」
同級生「菅原です。」
教師「そうか、菅原、いくら生活が保証されているといって、授業を妨害はしないように。」
同級生たちは軽く笑う。
授業終了後
松代「どうして、ここまでするの!」
同級生「あんたがいると、いらいらするの。あんたさ、結婚してるし、親御さんもいるわけでしょ?なんでわざわざこんな学校にくるわけ?」
松代「必要だからよ!仕事に。」
同級生「だったらさ、講習会とか、あるいは、大学に行けばいいでしょう。こんなところより、大学の方がよほど学べるわよ。」
同級生「あたしたちは、仕事がなくてこまってるのに、あんたは仕事があるんだから、いいわよね!それが、むかつくのよ!」
松代は、なにも言えなかった。たしかに、その通りだ。就職難は、テレビやラジオでも、盛んに言われている。もしかしたら、自分は幸せすぎだと、思われているのかもしれない。
学校が終わり、松代は、家に帰った。
千鶴子「松代!もう着物は、いい加減にしなさいよ!」
松代「いいじゃない、どうせ、しまむら価格で買えるんだし!」
千鶴子「さっき電話があったのよ!少し遅れてますが必ず届けますって!あんた、呉服屋さんに、修理を頼んだのね!何十万かけたらきがすむの?」
松代「何十万もしないわ、ただの、500円よ!」
千鶴子「そんなわけないでしょう?郡上紬が。」
松代「嘘だと思うなら聞いてみてよ!」
千鶴子「どこにあるの?」
松代「駅前商店街。」
千鶴子「駅前商店街なら、住吉屋呉服店だけだわ。他はみんなつぶれたはずよ。」
松代「そうよ、そこよ!」
千鶴子「あきれた人ね、全く。住吉屋さんは百年以上している老舗でしょうが。そこが五百円で、かえるわけないでしょう?」
一方。たとう紙に包んだきものをもった
杉三。駅員の案内のもと、電車に乗る。
走る電車。そのうち、客も増えてくる。
と、ガタン!とおとを出して、電車がとまる。
アナウンス「ただいま、人身事故のため、安全点検をしております。しばらくお待ちください。」
乗客たちは、ぶつぶつと文句をいったり、スマートフォンで、連絡を取り合うものも。
杉三もスマートフォンをだすが、どう操作したらいいのか、まったくわからず、
杉三「すみません、これでかけてくれませんか?」
客「は?どう言うことだ?」
杉三「僕、読み書きができないんです。だから、代わりに電話してくれませんか?」
客「一体なんだお前、いいおじさんのくせして、読み書きができないなんて、生きていたって、人に迷惑をかけるだけじゃないか。そういうひとは一番困るんだ。俺だって仕事があるんだし。すぐに頼ろうとするから、障害者はやなんだよ!」
杉三はわっと泣き出してしまう。すると、隣の席に座っていた、おじいさんが、
お爺さん「どれどれ、君はどこへいきたいのかな?」
杉三「一番最後の駅に。」
お爺さん「わかった。で、だれに電話をしたいのかな?」
杉三「住吉屋呉服店に、少し遅くなるから、必ずとどけますと、つたえたいんですよ。」
お爺さんは、杉三の風呂敷包みのなかから、手帳を取り出す。そのなかに、住吉屋呉服店の電話番号があった。さらに、お爺さんは、杉三から、スマートフォンをうけとり、住吉屋呉服店に電話をしてくれた。
すると、電車が動き始めた。
お爺さんは、スマートフォンを切り、手帳と一緒に彼の風呂敷包みにもどし、穏やかな顔をして、次の駅でおりた。
お爺さん「がんばって、任務をはたしておいでね。」
杉三「ありがとうございます。」
最敬礼して、手の甲をむけて、バイバイした。
杉三は、三十分遅れて、住吉屋呉服店に到着した。
店長「いやいや、とんだ災難だったね。さっき、おじいさんが、電話よこしてくれけど、あれは、君がたのんだのかな。」
杉三「はい。電車のなかでおねがいしました。」
店長「そうかそうか。よい人がいるもんだな。お客さんにも連絡しておいたんだけど、ひどく怒って、ガチャンと切れてしまった。あれはなんだったのかなあ。夫婦喧嘩でもしたか。」
杉三「心配ですね。」
店長「まあ、君がきたことを、お客さんに電話しよう。」
と、店にはいって、電話を掛ける。
店長「いつまでもでないなあ。留守電になってないから、いると思うんだけど。」
杉三「僕がいってみましょうか?」
店長「でも、君は道を知らないじゃないか。」
杉三「いえ、大丈夫です。あのお宅は介護タクシーをやってますから、ここから一台お願いしたいといえば、すぐにつきます。この、パンフレットに書いてある電話をかければ、繋がるとおもいます。」
と、鳩のマークがついているパンフレットを風呂敷包みからとりだす。
店長「ふむふむ、これが呼び出しだね。」
と、番号をまわし、
店長「あ、すみません、介護タクシーハトポッポさん?すみませんが、一台おねがいします。はい、住吉屋呉服店です。えーと、車椅子のかたがお一人で。はい。そうです、よろしくお願いします。」
と、電話を切り、杉三に、
店長「すぐくるってさ。」
杉三「ありがとう。」
数分後、紀之の運転する、ワンボックスカーがやってくる。杉三は、紀之に助けてもらいながら、車にのりこみ、店長に手の甲をむけて、バイバイする。
紀之「どちらまでいかれるんですか?」
杉三「菅原さんというお宅まで。」
紀之「えっ、もしかしてうちに?」
杉三「はい、そこの奥さまに、この着物の修理を頼まれたんです。すそを切ってくれと。ただ、これは、2尺袖だったので、既婚女性には、着用できません。だから、訪問着くらいの長さに詰めさせていただきました。」
紀之「ありがとうございます。うちの家内は着物が大好きですから、とても喜ぶとおもいますよ。」
杉三「そうですか。今は、住吉屋さんみたいなリサイクル着物があるから、お安く買えていいですね。僕みたいに、洋服を一枚も持っていない、となると。」
紀之「それはそれは。面白いですね。ぜひ、着付けを教えてほしいものです。男性の着付け教室はなかなかないですからね。」
杉三「いや、僕は歩けないから。」
紀之「そうですか、あ、もうすぐつきますよ。」
松代「お母さんっていつもそうよね。私がほしいものをみんな駄目だ駄目だっていう。そして、あたしが好きなものは、何一つさせてはくれないんだ。」
千鶴子「松代、なんであんたを、こんなに早く結婚させたか、教えてあげようか。」
松代「は?どういうこと、あたしが紀之さんが好きだからにきまってるわ!」
千鶴子、メモとペンを出してきて書きはじめる。
松代「高機能自閉症、、、。私が?自閉症?どういうこと?だって私も、紀之さんも、愛し合って結婚したのよ、それなのに、、、。」
千鶴子「だったら、タンスのなかをみてごらん。2尺袖が大量にはいってるから。」
松代「だって、あたしは、2尺袖が好きで、かわいいから、着ているのに、それだけなのに。」
千鶴子「そうよ、あなたには、そうしかみえないと思う。でもね、松代、お母さんもいつかは死ぬ。そのとき、あなた一人では、絶対に生きていけない。紀之さんのお宅が申し込んできたとき、お母さんはチャンスだと思い込んでしまったの。紀之さんの親御さんが、福祉事業をしていたし、うちに援助を申請してきて、良い手段になると思ったから。それで、紀之さんのお宅に結納金を渡すことにして、紀之さんには、恋愛のふりをしてもらって、結婚させたのよ。」
松代「あたしは、文字の読み書きもできるし、お金の勘定もできるわ。それなのに自閉症なんて。だから、あたしをお嫁さんにはしてくれなかったなんて。」
千鶴子「自分では、解らないと思う。でも、そうやって、だれかが、支えてくれないと、あなたのような人は、生きていけないのよ。自分のことがわかるひとは、むやみに買わないとか、自粛できるけど、あなたは、それができないから。だから、非常ブレーキになってくれる人がほしかったの。」
松代「お母さんって、そんなにずるい人だったのね!あたしたちのこと、なんでもかんでも馬鹿にしてるんだわ!あたしは、流行りの洋装とかは、嫌いなの!
リサイクルとかであれば、そんなにかからないって、私は何回も説明したのに!」
千鶴子「困ったものね。松代は。そう言うところが、高機能自閉症なの。いい、お金はただ、出すのではなく、減っていくものなのよ!」
杉三と、紀之は、菅原家についた。すると、
声「お金は出すのではなく、減っていくものなのよ!」
と、同時に、平手打ちの音。
そして松代のすすり泣く声。
紀之は、急いで杉三をおろし、ちょっとまってくれ、といって、家に入る。
紀之「どうしたんですか、また、松代がなにかしたのでしょうか?」
千鶴子「紀之さん、この子をとめてください。どうしても、2尺のきものをかってくる癖が治らないから、本当のことを言っただけです。」
紀之「お母さん、それは、本当に悪癖でしょうか?きょうは、ある方をおつれしました。歩けないし、文字の読み書きもできないそうですが、一人で松代のきものを縫い上げてくれたそうなんです。」
と、車椅子を押して、杉三をつれてくる。
千鶴子「まあ、あきめくらの杉三!」
杉三「千鶴子さん、、、。」
千鶴子「いまも、読書できないの!相当、知的発達は遅れてるのね、でも、なんで私のことを覚えてるの!」
杉三「僕をいじめてたから。」
松代「え、お母さん、いじめていたの!」
杉三「そうですよ。僕はたったの一週間しか学校に行かなかったのですが、そのときは、ほんとうによくからかわれました。あきめくら、あきめくらと。他の親御さんから、勉強しないと僕みたいになると、いうことばを作ったのも彼女です。」
松代「お母さん、私にはムカついたひとをいじめるなといっておきながら、お母さんはこの人をいじめていたのね!全然正反対じゃない!どういうことなの!責任とってよ!」
杉三「(静かに)僕は親になっていないので、わからないけれど、できたことを自慢するより、できなかったことができるようになってというのは、親御さんの望みじゃないかな。そう望むのは、お母さんになるまえに、その過去を体験して、うんと苦しんだからだと思うんですよ。」
紀之「この人のいう通りだよ。松代。だれでも過ちというのはあるからね。にどと繰り返さないために、記憶しているんだと、おもう。それを忘れてないってことは、きみもお母さんも、美しい心を持っているということじゃないかな。それさえ、わすれていなければ、なんぼでも、やり直せるんじゃないかなあ。」
杉三「この着物、すそを短くして、袖を詰めておきました。そうでないと、松代さんが着れない。僕は、松代さんにきものをきてほしい。」
千鶴子「お金がかかりすぎるのに。」
松代「おかねじゃないの、私がほしいのは。」
紀之「言ってみてごらん。お母さんに素直につたえてごらんよ。」
松代「機械とかでつくる洋服より、手縫いで、職人さんたちの思いを、感じ取れる、和服の方がすきなのよ!」
紀之「いいじゃないか、りっぱな理由だよ。それは、お金ではてに入らないさ。それに、この、車椅子の方がなおしてくれて、また、新しい繋がりができるよ!古いものはそういうものさ。僕は、君が高機能自閉症であると、お母さんから聞かされて、大変な家に婿養子にいくなあと、不安で仕方なかったけれど、そういうところを感じ取れる君のことが好きになったんだよ!だから、いつまでも、そのままでいてほしい!」
松代「紀之さん、そんなに私のことを?」
紀之「当たり前じゃないか!でなければ、結婚なんか、してないさ!」
紀之に、松代が抱きついた。
杉三「よかったね、松代さん。」
千鶴子「杉ちゃんごめんね。きれいになおしてくれて、ありがとう。これからも、いろんな人の着物を直してあげてね。」
杉三「僕は、和裁技能士ではなく、単にお和裁が好きで、ならいにいってるしかないのです。」
千鶴子「それだけでもりっぱな理由よ。あなた、そういっていたでしょ、もう忘れているの?」
杉三「すみません、忘れっぽいですね。」
ふたり、秋晴の夕焼けをじっとみていた。




