杉と説得屋
和裁教室の帰り。杉三は大島紬をきて、膝に縫い上げた大島の着物を膝にのせ、車椅子でとおりを歩き始める。しかし、道は混雑していて、彼は横断歩道をわたることはできたものの、後ろから急いであるいてきた、若い女性に追突され、車椅子をひっくり返されてしまう。こうなると、自分ではなにもできない。
すると、中年くらいの男性が駆けつけてきて、彼を向こう側まで運んでくれた。
杉三「どうもありがとうございます。」
男性「いやいや、大したことじゃありません。当たり前のことですからね。じゃあ、失礼します。」
杉三「あの、時間ありませんか?」
男性「なんですか?」
杉三「お礼をしたいので、お茶でもしてくれませんか?」
男性「お礼なんていりませんよ。日本の社会は、そういうところが、まだ遅れているところですね。」
杉三「いえ、しなきゃいけません。だって、助けてもらったんですから、必ずお礼をしろと、母がいつも僕に言っていましたよ。だから、守らなきゃいけないんです。」
男性「しつれいですが、あなたはおいくつなんですか?」
杉三「はい、45です。」
男性「そうなんですか、、、。分かりました。(声色を変えて)じゃあ、行きましょう。」
と、彼の車椅子を押してとおりを歩き始める。
男性「なにか、好きなものはありますか?」
杉三「きしめん。」
男性「じゃあ、あの店にはいりますか。」
と、前方にある、うどんとかかれた店にはいる。
店のなか
ちょうど夕飯時で、たくさんのサラリーマンで混雑している。
店員「いらっしゃいませ、二名様ですね。じゃあ、車椅子席にお座りください。」
杉三「嫌です。多少うるさくても、みんなと一緒がいい。」
男性「いや、車椅子席にしてください。こういう人は、わがままが通ると思い込んでいるから。」
杉三のかおが、みるみるうちに崩れ、涙が出てくる。店員は嫌な顔をする。
中年の店長がでてきて、
店長「おいおい、お客様は神様だ。全部マニュアル通りと思ったら、大間違いだぞ。はやく、一般席に連れていってあげなさい。」
店員「は、はい。」
男性「いや、そんなに甘やかしては。」
店長「あ、お客様、ご注文は?」
杉三「きしめん、きしめん。」
男性「いや、」
杉三「何か、好きなものはありますか?とききましたよね。何か好きなものはありますか?」
その言葉が、発音もイントネーションもまったく同じだったため、男性は一瞬ぎょっとする。
店長「わかりました。きしめん一枚と、もう一人の方は何にしますか?」
男性「お、同じで。」
店長「わかりました。では、こちらのお席にいらしてください。」
と、杉三の車椅子を押して、席につかせる。
二人、きしめんを食べながら、
男性「それにしても、すごい記憶力ですね。」
杉三「こうしないと、わからないのです。読み書きできないので。」
男性「はあ、それでは、障害が重いですね。名前を名乗らせてください、本村といいます。」
杉三「影山杉三です。よろしくどうぞ。」
本村「杉三さん、愛の手帳は、もっていますか?」
杉三「いえ、わかりません。どれが愛の手帳かもわからないし。」
本村「その、今着ているお着物のお値段とかわかりますか?」
杉三「これは、自分で縫ったから、値段はありません。布は、大島を使ったのは確かだけど、布以外のものは、自分で買っているから、値段はつけません。」
本村「で、お仕事はされていますか?作業所にでも、通っているのですか?」
杉三「作業所はいったことないです。僕は、高校で庭はきと、草むしりをしてます。」
本村「それでは、あなたのご家族は経済的に大変困っていることになりますね。その大島という着物はね、ものすごい高級品なんですよ。一着、五万は軽くいくでしょうし。」
杉三「わかりませんね。五万というものが何なのかもわからないし。僕は単に、大島が一番綺麗で、一番着やすいから着ているだけです。あとは、条件もなにもありません。」
本村「杉三さん、明日もう一度ここで会いませんか。私の仕事、をみていただきたいんです。」
杉三「何をみるんですか?」
本村「説得、という仕事です。あなたのような障害のあるひとに、病院までいってもらうための。」
杉三「そんなもの見ても仕方ない。」
本村「いや、あなたは考えを改めてもらう必要があるからです。」
杉三「今は、幸せですよ。好きなものもあるし、友達もたくさんいるし。」
本村「うんうん、それは入院したくない人がよくいう言葉です。あなたは、入院して、生活訓練を承けていただく必要がある。」
杉三「いりませんよ、そんなもの。入院したら、和裁もなにもできなくなるし。」
本村「いえ、貴方の甘えを、矯正してあげますから。朝九時に迎えにあがります。住所はわかりますか?」
杉三「いえ。」
本村「じゃあ、お父様か、お母様のお名前は?」
杉三「影山美千恵。」
本村「わかりました。では、本日の食事代は出しますから、明日、必ずきてくださいね。」
杉三「は、はい、わかりました。」
翌日。柱時計が九時を打つ。と、同時に一台の黄色い車が停車する。チャイムも押さずに勝手に本村が入ってくる。
本村「杉三さん、いきますよ。予約が十時なので、はやくきてください。」
大島を着た杉三は、仕方なく玄関までやってくる。本村は、車についているリフトに彼をのせ、そのまま押し込むように、彼をなかに入れ込む。
本村「なんですか、また黒大島なんですね。他にしろといったはずなんですがね。」
杉三「他に何もないですから。着るものは。」
本村「ほんとに、45までよく持ちましたねえ。」
しばらく走って、小さな家の前で車はとまる。まわりは異臭がたちこめている。
本村が、チャイムをおすと、痩せこけて、顔に痣がある中年の女性がでてくる。
本村「おはようございます。お迎えにあがりました。ご長女さんですね。」
女性「はい、なんとかしてください。」
後ろから、どかどかと、階段を下りてくる音。見ると、太った女性だった。いや、化け物というべきかもしれない。
女性「お母さん、また、私を騙したの!」
本村「こうでもしないと、お前のお母さんは、死んでしまうからな!はやく、乗れ!」
女性「そう。結局、あたしは邪魔な存在なわけね。そうよね、お兄ちゃんには、家もあげて、結婚までさせてるのに、あたしは何ももらえなかったわ。勉強ができないからって、あたしは、みんなから差別されて、あげくのはてに精神科送りって訳?あたしなんかいないほうがいいのなら、あたしを作らないでよ!女の子がほしいとか、そういうことだったんでしょうけど、
そんなことするなら責任取って!」
女性は20代と思われた。しかし、その顔はどこかしら、子供のように見えるのである。
本村「お母さんを責めるのではなく、自分で何とかしようと思わなければだめだ!」
女性「そう。みんなそういうことをいうわね。結局私がみんな悪いんだわ。だったら死ぬことが一番いいのに、偉い人たちは自殺予防とか、綺麗事をいうわよね。だったら、殺すわ。そうしなければ、あたしは解決なんてできやしないから!」
と、そばにあった、ゴルフのクラブをとる。叫ぶ母親の声と同時に、
声「待って!」
女性「え、、、。」
と、クラブを床におとす。本村が、彼女に麻酔を打とうとすると、
声「本村さんやめて!本村さん!」
本村が、後ろを振り向くと、後部座席に座っていた杉三が叫んでいたのであった。その顔は、涙でいっぱいであった。
女性「誰!この人!」
杉三「君は辛かったんだね。だから、引きこもってしまったんだ。そうでなければ、誰かを殺そうなんて思わないだろうから。」
女性の顔から、みるみる力が抜けていった。
杉三「辛かったんだね。それなのに、精神科に連れていかれるのが対策であれば、もっと辛いよね。」
女性「いつも、お兄ちゃんと比較されて、お兄ちゃんは良い大学入って大喜びされてたのに、あたしは、お兄ちゃん見たいになれしか言われたことがないわ。もっと言えば、一回もほめてもらったことなんて、なかったのよ。」
母親「そんなことないのに。」
女性「いいえ、私は自信もっていえるわ。お兄ちゃんのことばっかりだった。この家は!あたしがいくら勉強しても、お兄ちゃんのようになりなさい、しか、いってくれなかったわ!」
杉三「そうか。お兄さんが、君が愛してもらえるのをジャマしてるように見えたんだね。お兄さんは今どうしているの?」
女性「結婚して、子供もいるわ。お兄ちゃんは土地も買ってもらって、家も立てたけどあたしは何もない!家を継ぐ人だからって、あんなに愛してもらってたのが、憎くてたまらないわ!」
杉三「でも、いまは、お兄さんはここにいないよね。」
本村「杉三さん、一体、なにをするつもりですか?」
杉三「(無視して)やっと、お母さんに見てもらえる時が来たんだよ!人間だもの、間違いをすることだってあるよ。それが、きみに取っては、長くて辛かったんだよね。だからこそ、そうして怒りを表しているのかもしれない。でも、それは、逆に言えば、お母さんにとっても、反省の材料になるんだよ。お母さんも、間違いをしていたんだなあと気がつけるし、君も、お母さんに振り向いて貰えるきっかけになるわけだから、大丈夫だよ。そうやって、現れた訳だから、やり直しを始めればいいんだ。
それだけのことなんだけど、みんな何だか勘違いをして、余計にへんな方へ持っていくみたいだよね。」
本村「ちょっとちょっと、杉三さん、あんたってひとは、」
杉三「この人は、いい人に見えるかもしれないけど、そうじゃないよ。だって、不幸を商売にするなんて、聞いたことがないよ。」
本村「お寺だって、にたようなものじゃないですか。人がなくなった時に活動するんですよ?」
杉三「違うよ。和尚様や尼僧様は、亡くなった人の幸せも願うけど、残った人がしっかりやれるように、アドバイスしてくれる人でもあるから。僕の隣に住んでいる、尼僧さまもそうだから。本村さんはそうじゃない。中に入ることは良いのかもしれないけど、家族が気が付く場を壊してる。」
本村「杉三さん、時代錯誤もいいところですね!」
母親「いえ、お帰りください。杉三さんのいう通りです。私たちも、娘がこんなに悲しんでいたとは、気がつかなかった。治子、ごめんね。」
と、涙ぐんで、娘を抱き締める。
娘「お母さん、、、。ありがとう。あたしのほうこそ、ごめん。」
本村は、言葉がでなかった。
母親「そういうわけですので、運搬は取り止めにさせてください。キャンセル料は出しますから。」
本村「いいですよ。もう!帰りますよ。」
と、杉三をのせたまま、車を強引に走らせる。
杉三は二人の顔が見えなくなるまで、手の甲をむけて、バイバイしていた。
母親「ああいう人より、杉三さんの言葉のほうが、印象にのこりました。」