2日目(夜)
(めっちゃ気まずかった……!!)
全力で窓の外に景色に集中して30分、無言の中ようやく王宮に到着した。もちろん今度はきちんと正門からだ。なんたってレナートと一緒だしね。ははは……もう、乾いた笑いしか出ないわ。
外から衛兵が扉を開けるとすぐに、レナートは何事もなかったように手を離し、近くの兵に指示を出しながら去っていった。
彼の姿が見えなくなって緊張が緩み、ふかふか座席から滑り落ちそうになった時、ふいに右腕を掴まれた私は情けない悲鳴を上げてしまう。
「げっ」
次いで思わず漏れる声。出た! 冷酷腹黒キング、クラウス・オーランジュ!
銀髪蒼瞳のこいつは、女と見紛う儚げな顔つきとは裏腹に、鬼畜敬語キャラの道をひた走っちゃっている。通り名を、流氷の宰相補佐。彼が通った後の政務室には、文官の屍が累々としているとか、夜中彼の部屋から奇声がするとか、それはそれは恐ろしい噂が山ほどあるのだ。「流氷」なのは、「氷」が解ける前に、次から次からやって来るという意味らしいんだけど……うん、名付けた人、ほんっと優秀だよね!
彼を凝視したまま固まっていると、高位の文官が纏う純白の官服を着ている彼は、ため息を一つついて馬車に乗り込んできた。
「『げ』とはご挨拶ですね。どうせろくでもないことを考えていらっしゃるのでしょう? まあいいです。とりあえず馬車から降りて頂けますか?貴女を連れて行かなくてはならないので」
「お、お仕置きは勘弁してくださいい! 私には、ふかーい事情が!」
「そんなもの、一晩寝たら忘れる程度のものでしょう。ほら、行きますよ」
一刀両断!! いや、でもね、これは貴方が敬愛するレナートにも関わることであって!
あれ、そういえば、勝手に還る宣言したこと、この人に謝ってないかも――!!やばい、これはやばい。
ずるずると大理石の廊下を引きずられるように歩く。すれ違う人は皆、特に驚くこともせず、なんと微笑ましそうに見ている人もいる始末!いやいや、いつもこうやってクラウスさんに連行されてたからって、もうちょっと何かあったっていいんじゃないでしょうか!?
そんなこんなで中庭も通り過ぎ、大広間も抜けて、何やら行ったことのない廊下に出たときに、あれ?と思った。てっきり自室での謹慎だったと思ったのに、クラウスさんの背中越しに見えるのは、立派な回廊だ。まるで王族が使うような……ああっ、思い出した!
「クラウスさん、クラウスさん!」
「何ですか騒々しいですよ」
「あの、アレクは……?」
私としたことが、悪友の安否確認すら怠っていたなんて!バレたら後でなんて言われるか!
「……ああ、彼は早々に部屋へお戻り願いました。今はあの抜け道も塞いでいるところでしょう」
「えっ、何で知って」
ぎょっとして強く腕を引くと、彼は私の右腕を拘束したまま、顔だけ振り返った。蒼い目が、私を射抜く。
「ルザンブルグ王族を試していた、と言ったら?」
挑発的な声。
「っ……わざと抜け道のある部屋を与えたってこと?」
「察しがいいですね。でもこの一年間、彼は特に怪しい素振りもなく、ひいては毎週のように貴女と城下町に遊びに行く始末。こっちが拍子抜けしましたよ」
なんということだ! やはりこいつは腹黒だ!まっくろくろすけだ!
「はいはい、それより貴女はちょっとはこの部屋に入ることの重大性を考えてくださいね」
「ちょっと、どういう……ぶっ!」
クラウスさんが急に足を止めたせいで、見事に彼の背に激突した私は、状況を理解する間もなく、目の前の部屋に押し込まれた。ひどっ、今絶対『ぽいっ』って擬音語ついてる!
「では、こちらの部屋でお待ちください、サキ様」
ふかふかの絨毯にへたり込んだ私の前で、ギギギ、と、いかにも重厚な音を立て、
頑丈そうな扉が閉まってゆく。 閉じられた扉に向かって舌を出していた私は、再度急に開いた扉に舌を噛み悶絶した。そこへ呆れた声がひとつ。
「はあ。あ、サキ様、言い忘れてましたけど、ここ陛下の部屋ですから。暴れたりして物を壊さないように、くれぐれもお願いしますよ」
「暴れるかあっ、って、え! は!?」
「ではそういうことで」
「ちょっと!?」
ガチャガチャと、鍵をかけるには大げさなほど大きい音がする。ここで反省してろってことですか、そうですか。
って、レナートの部屋!?レナートの部屋って言った!?
飛び上がる勢いで立ち上がり、慌てて後ろを見ても、誰もいない。次いで部屋の隅で縮こまって様子を窺うも、どの続き部屋からも物音ひとつしない。人が大勢働く王宮の中心部だというのに、中庭に面したこの部屋は、いやに静かだ。
「セーフ……」
さすがにキスされ手を握られた後で、平然と顔を合わせる根性は持ち合わせていない。とにかく早く脱出しないとと焦る私の視界に、ふと、綺麗に整頓された窓際の机が見えた。棚に所狭しと置かれているのは、政治や経済関係の本なのだろう、タイトルだけで読む気を失くすものばかりだ。
「いつの間に、大人になっちゃったんだろうね……」
軽く側のベッドに腰掛けて本を眺める。私には理解できないものばかりだ。この本も……持ち主の気持ちも。
「ああもう、レナートの馬鹿…………」
この台詞を、昨日からもう何度呟いただろう。
昼下がりの太陽が、白いカーテンの向こうに揺れている。昨晩の寝不足もあってか、ふと意識が遠のいた私は、そのままゆっくりと後ろに倒れ、た……。
*****
「……キ、サキ」
誰かが私の名前を呼んでいる。低くて心地よい声。安心する、声。
「サキ」
「う……ん、何よお兄ちゃん……」
夢うつつで、声の主であろう人の名をつぶやく。お願いだから、もうちょっと寝かせて。
そんな懇願も込めて、右肩にそっと置かれた手に触れる。
すると、びくっとその手が震えたかと思うと、すぐに離されてしまった。
「………?」
ゆっくりと目を開ければ、ぼんやりとした視界に映る、金。
違う、ここは、日本じゃない。ここは、
「こんなところで寝たら風邪をひく。……サキ」
「やっ……!」
「っ……!」
眩しいくらいの金から伸びてきた手を、反射的に振り払ってしまう。パシッという小さな音が、静まり返った空間に嫌に響く。辛そうに歪む、目の前の、少し幼い顔。
「あ……ごめ、レナート。ごめん」
俯く彼にすぐに手を伸ばそうとしたけれど、途中で止まってしまう。
“弟”じゃない彼相手に、どうしていいか分からない。今までだったら、彼がしんどそうな時は、頭ごと抱きしめて慰めたこともあった。
なのに今は、彼に触れることさえも躊躇ってしまう自分がいる。
どうしていいか分からずに、レナートと向かい合わせでベッドの上に座り、俯く。
「サキ、聞いてくれ」
どれくらい沈黙が続いたのだろうか。陰鬱な空気を打ち破るように、きっぱりとした声が頭上から降ってきて、思わず顔を上げる。最近良く見るようになった、真剣な目がそこにあった。
「俺が渡した王樹の実を、食べただろう」
「え?」
これはお前のものだと渡された、真っ白な手のひらサイズの実。梨と桃を足したような味で、日本の味に飢えていた私にとっては、涙が出る程美味しかったのを覚えている。
でも、いきなりなんで……
「サキは、何故実が二つ成るか知っているか?」
「え、と、確か異世界人の分が一つ・・・」
「違う」
レナートは即座に否定すると、そっと私の左頬に手を滑らせた。
「あれは本来、王になる者と、その伴侶に与えられるべきものだ」
――――え?
私の顔をレナートの右手が支え、おのずと目線を合わせる形になる。呆然とする私が、彼の瞳に映った。そうだ、あの日、私は何と言った?
*****
『レナート!!実が成ったよ!それも二つも!!』
異世界に渡ってやがて二年、訳の分からぬまま苦労して育てた王樹に実が成った朝、私は嬉しさのあまり彼を大声で呼んだ。回廊を歩いていたらしい彼は、あっと言う間に中庭に降りてきて、息を弾ませながら私の顔を見る。
『本当か?』
『本当だって! ほらこれっ』
私の頭ほどの高さにある、小さな白い二つの実。彼はそれをじっと見つめた後、恐々とその一つを取り、口に含んだ。瞬間、神殿中から上がる歓声。そうだ、彼は今、王位継承者としての正式な権利を得たことになるんだ。
改めて、自分の大役を思い知った私は、ぶるりと身震いした。
『どう?美味しい?』
無言で咀嚼する彼に味の感想を聞くと、返事の代わりにもう一つの実を渡される。
『やる。食べろ』
『え、でも、こんな大事なもの、もらえないよ』
『……サキ以外にはやらん』
若干照れくさそうにそっぽを向くレナートに、ふふ、と笑みが漏れる。
『レナート……ありがとっ、じゃあ頂くね』
*****
冷や汗が背中を伝う。
……聞いた。確かに聞いた。え、あれ、そういう意味だったの!?
てか、そんな大事なこと、私は一体どこで聞き逃したの!?
あれ、そういえばあの時、メイドさんたちが黄色い悲鳴を上げてなかった!?
「もちろん、サキがそのような意味で実を口にしたのではないことは分かっていた。だが、周囲に印象付ける良い機会だと思った。このまま王になってしまいさえすれば、なし崩しにお前を傍に置けるのではと。だから戴冠式では焦った。まさか大神官があのような発表をするとは……」
言葉にならず、ぱくぱくと口を開けては閉じる。ちょっと待って、待ってください、お願いだから。
そんな混乱する私の耳に届く、どこか恨めしそうなレナートの声。
「ところで、いつ、大神官とそこまで仲良くなったんだ」
「そこ!?」
思わず突っ込みをいれる。……言えない。ルゼル様がカツラであることをネタに脅したなんて、言えない。
恐る恐る前を見ると、バツの悪そうにこちらを見る、彼の姿。
「……今日のことは、悪かった。サキをアレックスにとられるのではと思うと、目の前が真っ赤になって、思わず兵を差し向けていた」
レナートの言葉を理解した瞬間、顔の温度が急激に上がるのを感じて、顔を手で覆い、ベッドの上を後ずさる。とられるって、どういうこと?なんで私はこんなに動揺してるの?消化しきれない『何故』が、私の頭を埋め尽くす。
ずるい、ずるいよ。レナートばっかり涼しい顔して。いつものツンデレはどこに行っちゃったのよ。
「レ……ナート」
この変な空気を何とかしたくて、いつもどおりに名前を呼んだはずなのに、嫌に震えている私の声。彼はベッドの端に腰掛けて、「なに」と低く掠れた声で言うと、もう一度、そっと私に手を伸ばした。
「――どうしたら、分かってくれる?」
静かな、燃えるような目。
窓の外は既に夕刻と呼ばれる時間を過ぎ、何の灯りもないこの部屋はひどく薄暗い。
ひとつだけ分かることは、彼と近距離で見つめ合っていること。
そして、唇が重なったこと。