2日目(昼)
いざ、城下。
そうと決めたら行動あるのみ。私は急いで髪を整えると、今着ているラフな水色のワンピースの上に、白に焦茶色の刺繍が施されたショールを羽織る。これで、どこにでもいる町娘の完成だ。ふ、私って本当、涙が出る程平凡顔よね……。
「アレク、準備できたよー」
「おー、じゃ、行くか」
同じくラフな格好をし、剣を佩いたアレクが、硬貨の入った袋をポケットに入れ、振り返る。そして向かうのは入口……ではなく、反対側にある、大きな古い暖炉だ。
「……毎回思うけど、あんたって本当、敵に回したくないやつよね」
「それは光栄。ほれ、早く」
外の守衛に見つからないよう、音を立てないように慎重に暖炉のレンガを崩していく。そこに現れたのは暗闇の先にある階段。初めて見たときは「本場のハリポタ……!!」なんて感激したものだ。だけど、他国の王族を、こんな秘密の通路がある貴重な場所に滞在させるはずもないので、十中八九、この国のお偉方も知らないことなんだろう。他国の武人が知ってるのは、きっと良くないことで。
還るときはレナートに教えてあげたほうがいいかもしれない、なんてつい思ってしまった私は、また頭をかきむしりたい衝動に襲われたのだった。
「うわあ、空が青い」
「眩しいな」
暗闇の階段を下り続けて十分ほど。王宮近くの森にある枯れ井戸から、よいしょ、と顔を出す。今さらだが、これは護衛なしで気ままに散策したいときの常套手段である。帰還が大事にされてしまった私は、間違いなく外出の許可が下りないだろうし、来賓でもあるアレクには、護衛が大勢付くに違いない。もちろん、ばれたら……やめよう、想像するだけで怖い。
森を抜けて、レンガ造りの城下町に入る。メインストリートはちょうど昼市の始まりらしく、出店を広げる人、呼び込みをしている人、広場で子どもと昼ごはんを食べている人などで賑わっていた。高層ビルも電柱もない青空の下、赤茶色の建物と道を、多くの人が笑顔で行き交う。
この風景が、私は好きだった。
もう、お別れかあ、と小さく呟くと、横で歩くアレクに「どうした?」と言われたので、慌てて繕う。だって、自分から還るって言っといて寂しがるなんて、恥ずかしい。
「いや、もう秋だなあ……って、思っただけ」
「アキ? ああ、サキの国ではそう言うんだったな。シルビア王国では『風の季節』というらしいぞ」
「風の季節……」
ふわっと髪を撫でてゆく風。そういえば、アレクが来るまでこんな風に城下町でぼーっとすることがなかったなと思う。いつも傍にはレナートがいて、彼が、立場上城下町へ行くことはほとんど出来なかったからだ。一度ひとりで行こうとしたのがバレた時は、それはもう盛大に拗ねられ、機嫌を直してもらうのに3日かかった。あの時レナートは……
「おい!」
アレクの声にはっと我に返る。
「お前、大丈夫か? 間抜け面で呆けてたぞ」
「な、なんですって!?」
乙女に向かって失礼な!と後ろから蹴りをいれると、「うお、いいねえぞくぞくするわー」と気味が悪いことをのたまいながら、大してダメージが無さそうに足をさするアレク。全く、デリカシーのないやつだ。ふと隣の気配が消えたのでやつを探すと、ちょうど焼き鳥を二本持って戻ってくるところだった。
「ほれ」
「……ありがと」
側のベンチに腰掛け、有難くかぶりつく。ああ、空が高い。横に立つアレクも同じことを思ったのか、二人して空を見上げる形となった。
「そういえばお前、直前まで還ることを黙っておくつもりだったと聞いたぞ。薄情なやつだな」
「ひど! んー、アレクには2日前くらいに言ったかな。そういえば、アレクは私が還った後、どうするの? 国に戻るの?」
「まあ、そうだな。随分この国に長居しちまったしなあ。ま、お前が還ったらの話な」
「ぷ、何それ。もう6日間しかないんですけど」
私が笑うと、アレクは微妙な顔で、「ま、……そうだな」と呟いた。なんなんだ、一体。言いたいことがあるなら言ってほしい。
あっという間に食べ終えた私達は、露店を一軒一軒冷やかしながら歩いた。
「そういえばさあ」
雑貨屋の小物を見ながらなんでもなしに呟くと、横にいるアレクが律儀にも「なに」と聞いてきたので、続けることにした。
「あんたって、初対面からサイッテーなやつだったわね」
同じく可愛らしい小物を指で弄んでいたアレクがぐっとつまった。
「「なんだ、女神ときいて期待していたが、これか」」
「「…………」」
彼の記念すべき初セリフを見事にハモる。
ないわー、ほんとに人間としてこのセリフはないわーないわー
ちょうど1年前のあの日、留学生を歓迎する式典で、着慣れない正装を着てひーひー言ってる私に、こいつは言い放ったのだ。しかも鼻で笑いながらというオプションつき。もちろん、私にだけ聞こえる声でだよ!あー思い出しただけでムカムカする!え?その後? そりゃやり返しましたよ。床まで届くドレスを隠れ蓑に、思う存分高いヒールで足を踏みつけてやりましたとも。
それから、「おい、面貸せよ」「おまえの方こそ」というようなやりとりを経て、人目のない裏庭で大喧嘩をし、熱い友情が芽生えるというまさかの王道少年漫画展開の末に、今日に至る。
タチの悪いことに、二人してボロボロで大広間に帰って来たとき、唯でさえ何事かと注目されていたのにも関わらず、アレクが大声で「お前、面白い女だな。嫁にならんか」なんて言うもんだから、もうすったもんだの大騒ぎ。……あれは、本当に疲れた……。
おまけに、何故かレナートの機嫌がダダ下がりで「サキはあんな筋肉ダルマがいいんだ……」なんてジト目でいうもんだから、いかにレナートが可愛くて萌えで愛すべき対象か熱く語ったら、レナートとアレク、双方にドン引きされるはめになった。くそう。
「……なんか、今さらながら腹立ってきちゃった。殴っていい?」
「……お前、ほんっとうに暴力的なところは変わらんな。嫁の貰い手がなくなるぞ」
「はっ!残念でした!私は元の世界で青春を楽しむって決めてるんですー!」
「ほんっっとに、可愛くねーな」
「あーうるさいうるさい。あ、アレク、向こうに」
面白そうな店があるよ、と言うはずだった私の口は、無様にも空いたまま固まってしまった。いつの間にか、私とアレクの周囲5メートルほどを十数人の兵に囲まれている。すごっ何にも音も気配もないとか、まじ忍者。いや、そんなこと言ってる場合じゃないけども!
「ちょちょちょ、アレク! あんたまた何かやらかしたの!?」
「俺じゃねーよ。てか“また”ってなんだ」
「とにかくなんとかしてよ! 私なんにもしてないんだから、あんたに決まってるでしょ!?」
「いやあ、さすがの俺も公権力には逆らえないっていうか……」
こうけんりょく? なんのことだと思った私の耳に、聞き慣れたテノールが飛び込んできた。
「サキ、迎えにきた。帰ろう?」
ばっと振り向けば、兵の間からこちらに近づく、この国の最高権力者の姿。つい最近まであると思っていた少年の面影は、もうどこにもなく。
「サキ?」
「―――っ」
こ、怖いいいいいい!!
大好きな弟の笑顔のはずなのに、何故か得体がしれない怖さを感じて思わず斜め前にいるアレクの裾を掴む。「おいっ」となぜかアレクが慌てた声を出したけど、そんなん無視だ無視!服が伸びるくらい勘弁願おうじゃないか。あれ? 何か一気に気温下がった?
「……クラウス」
苛立ったようにレナートが側近の名を呼ぶと、後ろから銀髪を束ねた青年が進み出て、アレクの腕を掴み「ご同行願います」と強い力で引いた。
え、ちょっとなんなの。なんでこんなことになってるの。ほら、周りの人にめっちゃ注目されてるじゃん。というかなんでレナートが――
「きゃ……っ」
アレクが引っ張られると同時に、くっついていた私も引きずられ、前に倒れ込みそうになる。転ぶ、と目を瞑った時、背後からお腹に手が回され反対方向に強く引き寄せられた。
「大丈夫?」
「レナー……ト? 一体なんの」
「王宮に帰ろう、サキ」
レナートが、私の腰に腕を回したまま、まるで幼子に諭すように囁く。そのまま呆然としている私は、馬車に乗せられ、城下町を後にした。
右隣に座るレナートは、理由を言うでもなく、ただ無言で前を見つめていた。私は居心地の悪さから少しでも離れようと身体をよじるものの、あることに気づき固まってしまう。
私の右手に重なる、大きな左手。
「…………」
オーケー落ち着こう、私。おそらくこれは偶々重なってしまったものであって、次のカーブの時に自然にどければ何事もなく終わるはずのものだ。レナートも着地点を間違えて気まずい思いをしているに違いない。ふっ我ながら完璧な理論である。よし、今だ!!
「!!」
の、ノオオオオオオオ! 手を、手を握られただとっ!?
カーブの揺れを利用してずらそうとした手は、今度はしっかりと握られてしまう。
頭が真っ白になり、これ以上何も考えられなくなった私は、コツンと左側の窓に頭を預けた。
どうしよう、熱くてたまらない。