1日目
抜けるような青空の下、ここ、シルビア王国では、新王の戴冠式が厳かに執り行われていた。白亜の王宮のバルコニーに凛と立つ、弱冠16歳の若き新王であるレナート・ジュン・シルビア陛下の姿に、詰めかけた民衆は熱狂し、紅の国旗を振りかざす。ふと、新王の横に控えていたこの国の最高神官、ルゼル大神官がゆっくりと右手を挙げ、民を静めた。
「この場を借りて、皆に伝えたいことがある。――召喚者であり、この国に多大な貢献をして下さったサキ・アリシマ様が、7日後帰還されることとなった」
一体何を言い出すのかと、訝しむように見ていた新王の目が驚きに見開かれる。民も一様に不安気な顔になり、ざわざわと、広場が波打った。
「サキ様がいなくなることに不安を覚える者もおろう。だが、今日レナート陛下がご立派に即位されたのは、皆も見てのとおりだ。これからは、我々が陛下を支える番なのだ。……サキ様に心からの感謝を表す日として、また、陛下の即位を祝し、残る7日間を祝祭日とする。皆、楽しんでほしい」
穏やかな揺るぎない大神官の言葉に、民の間に徐々に歓声が広がり、やがて広場を埋め尽くした。
こうして、シルビア国第十八代新王戴冠式は、無事に終わりを迎えた。
――幾人かを除いては。
◆ ◆ ◆
っっっだ―――――!!!
あんの老いぼれ大神官め!!
なんっっで戴冠式でペロッと喋っちゃうかなあ!?
ほんとにありえないんですけど!!
大理石っぽい、いつ見ても慣れないとにかく豪華な王宮の階段を、カッカッとマナーの欠片もない足音を立てて上る。向かうはもちろん大神官がいる貴賓室。ちなみに今私は、新王の戴冠式に合わせて作られた、国旗の色である紅色の生地に、黄金色の刺繍、白いフリルをあしらった、とんでもなく派手で豪華なドレスを着ている。普段身軽な格好ばかりしていたツケが来たのか、躓いて転びかけたことも、この数時間だけで片手では済まない。案の定、また転びかけた私の前に、ズサササーッと、何人かが立ち塞がった。
「だ、誰!?」
「「「サキ様!」」」
「「「お還りになるなんて!」」」
「「「寂しゅうございますうううううう!!」」」
目を丸くする私の前に、可愛らしいメイド服を着た侍女さん達が現れ、見事に息の合ったセリフを叫んだ後、号泣しながら取り縋ってきた。
「ちょ、ちょっと!?」
狼狽する私に、侍女Aが白いハンカチで涙を拭いながら、よよよ、、、と私を潤む目で見上げてくる。何これ、めっちゃ可愛いんですけど。
「サキ様…… シルビア国のこと、お嫌いになってしまわれましたか……?」
なんということだ! これが小鳥が囀るような声というのか!
私は、ふう、とため息をつくと、屈んで侍女さん達に目線を合わせた。
「そんな訳ないでしょう? 本当に、すごく楽しい3年間だった。でも、私も故郷が恋しくなっちゃって……分かってくれる?」
困ったように微笑むと、途端に侍女さん達が顔を赤くして、ぶんぶんと首がもげる勢いで頷いた。
「そうですわよね! サキ様にも大切なご家族やご友人の方々がいらっしゃいますものね! 分かりました! 残り7日間、サキ様の最高の思い出となるよう、微力ですが精一杯務めさせて頂きますわ!! 覚悟はよろしくて? 皆さん!!」
「「はい!!」」
「そうと決まれば、一刻の猶予もございませんわ! ではサキ様、お引止め致しまして、申し訳ございませんでした。失礼させて頂きます!」
「あ、うん……」
去った。嵐が。
私はよろよろと立ち上がり、これまた豪奢な手すりに全体重をかけた。
この国の人たちは、気質なのかとっっても感情豊かである。それはもう、日本人がドン引きするほどに。
そんな人達に、7日後還りますから―なんて、ルゼル大神官がのほほんと宣言した結果、今のようなことが起こるのだ。
正直、私はこの国と、この国の人達が好きだ。だから、盛大に見送られると、余計に寂しくなってしまうことは間違いない。はあ、だから直前まで誰にも内緒にしようと思ってたのに……。
結論。許すまじ、ルゼル大神官。
どうにか気を取り直した私は、再び淑女にあるまじき大股で歩き出す。とりあえず、あの好々爺のふりをした中身タヌキのルゼル様に一言いわないと気が済まない。なんだかんだ、私もすっかりここの気質に染まっているようだ。
そんな喜怒哀楽表現が激しいお国柄だが、身近に例外がひとりいたりする。それは――
「サキ」
細かな意匠が眩しい白亜の柱の影から、これまた金色の髪と翡翠色の瞳が眩しい王子様……いや、さっき戴冠式が終わったから王様か、がスッと出てきて前方に立ちふさがった。純白の衣装に黄金色の刺繍と飾りボタンが金色の髪を引き立て、また、紅色のマントが王族としての威厳と凛々しさを強調している。ふわ~、毎日見てるけど、改めて思うわ。格好いいね、レナート!ついでに衣装係グッジョブ!と心の中で親指を立てていると、ぼんやりしている私に焦れたのか、彼が近づいてくる気配がした。
「おい、サキ」
なによ、といつものように軽く言いかけて、はっとする。そうだ、相手はもう可愛い弟キャラの王子ではない、一国の立派な王様なのだ。
「なんでしょうか、 陛下」
「っ……いつもどおりでいい。それより、さっきのルゼル大神官の発表はなんだ」
私からそう呼ばれることを想定していなかったんだろう。一瞬言いよどんだ彼だが、思いなおしたように私を睨む。
「え、いや、だから、……」
最近良く見る、全てを見透かすような瞳。じっと見つめられると、感情豊かな他の人たちより、よっぽどタチが悪い。昔と違い随分伸びた背丈は、高いヒールを履いている私より頭半分高く。くそう、これだから成長期の男子は!
「もう、この国に来てなんだかんだ3年経つし、レナートも無事に王様になれたでしょ? 私も、そろそろお役御免かなあって思っ……わっ、ちょっと!」
言い終えないうちに無言で左腕を引っ張られ、傍の小部屋に引きずり込まれる。え、何!?と思っているうちに扉が音を立てて閉められ、彼と壁の間に閉じ込められた。
唐突だが、ここで少し昔話をさせてほしい。私こと有島咲(19)は、三年前の高校からの帰り道、ふとした瞬きのほんの一瞬のうちに、ここシルビア王国にいた。要するに、ファンタジー小説にありがちなトリップだ。ありがちどころかテンプレと言ってもいい。勇者として戦わされるのか、はたまた愛を知らない王様に愛を!なんて寒気がするような設定なのかとガクブルしていた私に告げられたのは―――一本の樹の世話だった。
荘厳な王宮から少し離れた場所に静かに建つ、紅色の美しい神殿。その中庭に、ポツンと一本だけ寂しそうに立っている樹。これを王樹といい、私が手を伸ばした高さと同じくらいのこの樹を、この国の人たちはそれはそれは大事に世話をしていた。なんでも、王子が王に即位するためには、この樹から成った実を食べなくてはならないらしい。でないと、正当な後継者として認められないそうだ。しかも育てられるのは召喚した異世界人のみという、めんどくさいオプションつき。
もちろん、何で私が、とは思った。平均並みの身長、日本人なのでもちろん黒目黒髪。チートな能力があるわけでもなく、この世界に役立つ知識もない。もちろん誰もが振り返る美人では無いし、運動神経すらも絶望的という、ないない尽くしだ。それでも一度きりの召喚なので、私しか出来る人がいないらしく、なだめすかされ、敬われ、御馳走を振る舞われ、最終的には根負けして今に至る。
ちなみに大昔には、異世界人の召喚に失敗して30年間王様がいない時期もあったらしい。そりゃ皆さんが必死になる訳ですよ。
そして、王樹の世話に四苦八苦する私の前に現れたのが、当時13歳の我が儘ツンデレ王子、レナート王太子殿下だった。賑やかで感情をストレートに表す人が多いこの国では、彼のような素直じゃない性格に対応できず、周囲が扱いにほとほと手を焼いていたそうだ。だがしかし!私にとっては我が儘ツンデレ金髪美少年とか、何このご褒美!?状態で、毎日嬉々として構い倒した。元々素直じゃない性格だったところに、事故でご両親が亡くなったことで、余計に不安定になっていたことを、後で聞いた。今はレナートの叔父さんが王様をやっているけど、 正当な後継者が16歳になったら、王位を譲る決まりがあるんだって。
だから、それまでに王樹が成るようにと、早めに 異世界人が呼ばれたみたい。
そんなレナートも先日16歳になり、すっかり我が儘王子とは縁の遠い、立派な男の子になった。素直じゃなくて寡黙なところは変わらないけど、いつの間にか私より背も大きくなって、なんというか・・・威厳?みたいのが出てきた。毎日勉強も仕事も頑張ってるみたいだし、育て親?の私も、鼻が高い。
天国にいらっしゃるレナートのお父さん、お母さん、レナートは、良い子に育ちましたよ――。
そして今回帰還を決めたのは、レナートが即位したからだけじゃない。私だってレナートが可愛いし、もうちょっとなら成長っぷりを見ていたい気もする。だけど、3か月ほど前に聞いてしまった噂では――
「アマーリエ」
「え……」
レナートが驚いたように私を見る。
「アマーリエって子と、婚約するんでしょう? だったら私、お邪魔虫になっちゃうじゃない」
最近レナートといると、容赦ない嫉妬の目線がバシバシ飛んでくるんだよね。これ以上いたらほんとに毒でも盛られそうだ。それは勘弁してほしい。私は 地球に戻って花の高校生活を送り、そして華の女子大生になるという壮大な目標があるのだよ。(もちろん召喚時に時間を戻してもらうことは確約済みである)
「なんっ、誰がそんなことを・・・!!」
お、図星ですか?慌てちゃって、可愛いなあ。焦ったように私の左肩を掴むレナートの髪を、そっと撫でる。
「姉代わりも、そろそろお終いにしないとね」
「姉代わり……だと……?」
レナートの声がいきなり低くなり、あれ、と見上げた私の顔に、彼の影が覆い被さってくる。え?と漏れた声は、それ以上紡がれることなく。
気づいたときには、左手で右腕を、右手で顎を固定され、口づけられていた。
「んん!? んうううう~~~!!」
い、一体何が起こった!!?
大混乱な私は何も考えられず、とりあえず目の前の綺麗な顔をひっぺがそうともがく。しかし、髪を引っ張っても、胸を強く叩いても、一向に離してくれず、拘束が強まるばかりだ。
「っや、めて! レナート!!」
必死に顔を背けながら叫ぶと、レナートがびくっと反応したため、その隙に逃れる。
はあはあと息を整えながら、振り向きざまレナートに向かって「一体何の冗談で……」と言いかけた私は、彼を見て固まってしまう。
レナートは、感情の無い表情をしていた。いや、違う。これは、傷ついている表情だ。でも、一体なんで……
「「…………」」
大して広くない部屋に、沈黙が落ちる。
先に耐えられなくなったのは、私だった。
「あ、の、レナート?」
おずおずと声をかけると、レナートがはっとしたように私を見て、次いで瞬く間にその白い顔が朱に染まった。おお、国旗と同じ色だ。なんてのんきに現実逃避していた私の前を横切り、無言のまま部屋を出て行った。
残された私。
「……なんなのよ、もう」
今さらながら足が震えて使い物にならなくなり、冷たい床にへたり込む。
「なんなのよ、もう……」
意味もなく、再度呟く。
これからの一週間、果たして平穏に過ごせるのだろうか・・・?