俺の彼女は画面の中に
「……大好き!」
頬を染めながら満面の笑みを浮かべる彼女は、小さな液晶画面の中にいた。
* * *
左島真(さじま しん)は、現在、恋愛ゲームにハマっており、片時も携帯ゲーム機を離さない高校二年生だ。
自称恋愛ゲームの神と言って憚らない真だったが、現在は専ら一つのゲームに固執しており、特に、その中の一人に己の情熱の全てを捧げていた。
彼女の名は、華住舞亜(かすみ まいあ)。
『桜色の思い出』のメインヒロインだった。
その天然ボケと煌びやかな美少女っぷりは他の追随を許さない。
フワフワの綿毛のような淡い黄色の長い髪。
キラキラと輝く大きな瞳は若葉のような緑色だった。
何も無い所で転んだり、電柱にぶつかる事は日常茶飯事。
見知らぬ強面のお兄さん方の電車内喫煙を不思議そうに尋ね、危険な目に遭ったり。
何かとお騒がせだが憎めない、放っておけない女の子だった。
そのルックスもあって人気は常にトップだが、理想の高さから、バッドエンディングしか見られないプレイヤーが大半を占めていた。
芸能人顔負けのルックス、常に学年首位の成績、運動部からの勧誘が絶えない程の運動神経を兼ね備えつつ、彼女のフォローを完璧に熟し、彼女の好みを把握した上でのデートプラン、プレゼント等、全てを彼女好みに仕立てるのは、並の腕前では不可能だ。
そんな難攻不落さも、恋愛ゲームの神である真にとっては魅力の一つだった。
「俺に落とせない女(恋愛ゲーム内)は居ないぜっ!」
彼に掛かれば舞亜も赤子の手を捻るように、簡単に落ちた。
落ちたら少し飽きるかと思ったが、デレた彼女のイベントは数多く、何時までも真をときめかせていた。
「俺もだよ、舞亜」
躊躇いも無く、相槌を打つ。
流石に公衆の面前では声を出せない。
その程度の常識は一応持ち合わせているので、プレイは専ら一人、部屋に篭もって行われていた。
普段ゲーム機を手放せないのは、愛する者と常に共にいたいという衝動故だろう。
端から見れば、変態以外の何者でもなかったが、そんな些細な事は、真にはどうでも良かった。
「……君さえ居てくれたら、他には何もいらない」
真は舞亜の映し出されたゲーム機を強く抱き締めた。
* * *
とある平日の放課後。
真はいつもと変わらず携帯ゲーム機を内ポケットに忍ばせたまま、素早く帰り支度をする。
「……お前、まだゲームにハマってんの?いい加減現実見ろよ」
真のクラスメイトで幼馴染みの桂城篤騎(かつらぎ あつき)が真の元へと歩み寄る。
篤騎は、いつも通り真っ直ぐ自宅へ帰ろうとしている真の様子に、深い溜息を吐いた。
「二次元より、三次元の女の方が、温かいし柔らかいぜ?」
篤騎は見た目、運動神経、成績、何れも高レベルを誇り、数多の浮名を流している。
その噂は途切れた事が無く、普段見掛ける彼の側には、常に数名の女性が群がっていた。
幼馴染みで無かったら、確実に真とは縁の無い人種である。
真は、卑猥な手付きで指を動かす篤騎を一瞥し、鞄を肩に担ぐ。
「……三次元なんか、糞食らえだ」
真の言葉に篤騎は肩を竦めるが、真は気にする様子も無く、足早に教室を後にした。
逸る心と同調するように足が素早く動かされる。
目を瞑っても帰れると思われる通学路に苛立ちが募っていく。
その見慣れた景色の中、奇妙な違和感を覚え、不意に歩を緩める。
通り過ぎる群衆の中、一人だけ、妙に彩りが良い人間が居る。
白黒画面の中に、その人物だけカラーで登場するヒロインのように。
思わず、舞亜がこっちの世界に登場したのかと期待に胸を膨らませるが、期待は大きく外れた。
その人物は、少し長めの黒いレイヤードカットに、黒を基調としたスーツ姿。
細身の長身から、ヒョロッとした印象を受ける、切れ長の眼をした、男であった。
男は真の方へと真っ直ぐに歩み寄ってくる。
「君、華住舞亜の所に、行きたくない?」
突然の不可解な言葉と舞亜の名前に、真は全身雷に打たれたような、高圧の電流が流れる衝撃を感じた。
男は、積もる話だからと真を連れて近くの喫茶店へと移動する。
真は注文したコーラをストローで啜り、男の様子を伺う。
男も自分の注文したコーヒーにミルクを注ぎ、スプーンで掻き回しながら、徐に口を開いた。
「華住舞亜にとっては、君もゲームキャラなんだよ」
いきなりの爆弾発言に、真は飲んでいたコーラを霧状に噴き出す。
「わっっっ!!!汚えっっっ!!!」
「い、いきなり変な事言うからだろ!」
「そういう華住舞亜だって、ゲームキャラだろ?偏見はダメだよ」
真は言葉に詰まり、男を睨み付けたまま黙り込む。
そんな真の様子を気にも留めず、男は自分に掛かったコーラを拭き取り、無事だったコーヒーを口にした。
この男の話によると、こっちの世界も向こうでは『琥珀色の囁き』という乙女向け恋愛ゲームとして遊ばれているようだ。
舞亜はこの恋愛ゲームにどっぷりのめり込んでしまっているらしい。
その事実に驚きつつも、真は喜びを隠せない。
「じゃ、じゃあ、俺達は同じ世界で過ごせるのか?!どうやって行き来すればいいんだ?!ってか、何で舞亜は来ないんだ?!」
「華住舞亜は事情が有ってこっちに来られないんだ。だから、君が行ってあげなきゃ」
前傾姿勢で詰め寄る真に男は体を後退させ、爽やかな笑顔を向ける。
やや怪しさを感じる笑顔だったが、真にはそんな機微を察する余裕が無かった。
男は『桜色の思い出』の世界と『琥珀色の囁き』の世界を作った者の依頼で二つの世界の共通モブキャラをする為、向こうとこっちを行き来しているらしい。
仕事としてモブキャラを演じていたが、向こうの世界で舞亜を知り、彼女が『琥珀色の囁き』にハマっている事を知ったのだと言う。
「それより、どーやって行くんだ?」
「もー、せっかちだなー、真君は」
男は両手を肩の辺りまで上げ、外国人風に大袈裟な溜息を吐く。
「君のデータを向こうのゲームに合うように書き換えなきゃなんでね、ちょっと待ってね」
そういうと男は内ポケットから小型キーボードの付いたタブレット型端末を取り出し、何かを打ち始めた。
男自身は、第三の世界から移動するゲームに容量を合わせて己をデータ化する特殊な専用の機械を通してゲーム内に飛んでいる為、特にゲームの行き来は苦では無いらしいが、元々ゲームの容量に合わせて作られたデータを別のゲームに合わせて改竄するのは少々骨が折れる作業だそうだ。
「設定は、やっぱ幼馴染みがいいかな?それとも金持ちの坊ちゃん?」
「どっちでもいいから、早くしろ!……いや、やっぱ金持ちかな?」
舞亜の性格を思い出し、恐らく現実では相当金が掛かるであろう事を予想した真は前言を撤回し、男に告げる。
「了ー解ー。金持ち、っと」
男はタブレットの前から視線を外さず、手を動かしたまま軽く承諾した。
(…これで、金銭面もOKだ……!)
真は待ちきれずに幾度と無く男を急かしながら貧乏揺すりを始める。
(……舞亜!今行くからな!!!)
真は、強く抱き締め合う自分と舞亜の姿を想像し、不気味な笑みを零した。
* * *
『桜色の思い出』へと移動出来た真は、舞亜が居るであろう星奉学園へと疾走した。
逸る思いを胸に、過去最高速度で学園入り口へと辿り着いた真は、運命に導かれるように舞亜を見つけ出し、両手を広げながら彼女の元へと駆け寄っていく。
「舞亜!!会いたかった!!!」
「きゃあ!何?!誰?!」
突然抱き付こうとする真に、舞亜は己の身を抱き締めるように庇いつつ真を睨み付ける。
思っていた反応と違うのは、人目が有る場所で抱き付こうとしたからだと考えた真は両手を下ろし、舞亜を真っ直ぐに見つめた。
「俺だよ、『琥珀色の囁き』の左島真だよ……!」
真は満面の笑みを舞亜に降り注ぐが、帰ってきた言葉は、思っていた物と異なっていた。
「……え?篤騎君の友達の……?…そういえば……!じゃ、じゃあ、篤騎君もいるの?!ドコ、ドコ?!」
舞亜は嬉しそうに頬を染め、周りを見回している。
その様子から全てを察した真は、地面にへたり込んだ。
------舞亜がハマっているのは、桂城篤騎だった。
(……じゃあ、何で俺をこっちによこしたんだよあの野郎!!!!!)
自分をこちらに移動させた不思議な男の顔が脳裏に浮かび、怒りで気が触れそうだった。
(取り敢えず、見つけたら殴る!!いや、刺す!!!いやバラバラに刻んでやる!!!!!)
いきなり地面に伏せ悶える真を、舞亜は怪訝そうに見つめている。
「……所で、あなたは何でそんなにカクカクしてるの?」
「……は?」
* * *
「ぷっくくくく……ぷわはははははははははははは!!!!!!!!!」
無機質なコンクリートに四方を覆われた世界。
規則的に並ぶ大量の作業机の一角でモニターを眺めていた黒スーツの男は、真の無様な姿に腹を抱えて大笑いしていた。
「カクカク……そ、そりゃ、カクカクしてるよなー!!」
『桜色の思い出』は最新技術を駆使した超美麗グラフィックを誇っている。
一方、『琥珀色の囁き』はまだ技術の拙い、『桜色の思い出』の十年以上前に作られた作品だった。
当時では最高のグラフィックを誇ってはいたものの、この数年で飛躍的に開発されたこの世界の技術と並べれば、その差は歴然である。
例えるなら、真が数バイトなら、舞亜は何ギガ、という次元であった。
そんな舞亜が『琥珀色の囁き』にハマったのは、縁と言う他無い。
それに興味を持ったこの男が、今回の遊びを思い付いたのだ。
「見知らぬ人を、あっさり信用しちゃダメだよ〜、真君♪」
男はモニターを消し、手元のゲーム機を操作し始める。
「……さて、次はどのコで遊ぼうかな」
男は口角を上げ、この世のものとは思えない不気味な笑みを漏らした。