7.守り神
自宅から徒歩十分の場所に、自分にとっての安らぎの場所があった。住宅街を離れ片側一車線となっている国道の隙間道。その奥に鳥居がある。先は長く、夜は異様に暗いため、夏になればカップルや友達同士で肝試しを行おうと人が訪れる場所だ。
鳥居をくぐれば、目の前に広がるのは、百段を誇る石階段。普通の人間ならまず、登り終えた頃には満足に立ってはいられないだろう。
松山久伸はこの百段の石階段を軽々と登ると、砂利が敷かれた土地に忽然と姿を現した神社を見上げた。風が辺りにある木々の葉を叫ばせる。時期的にはそろそろ春になるというのに、冷たい風は容赦なく冷淡さを発揮する。
この神の社には昔から健康の神様が奉られているというのだ。
ここは風吹神社と呼ばれているため、それを知らない訪問者達は、いまいちパッとこないネーミングだろう。名付け親はこの神社に吹き付ける、優雅な風からつけたのかもしれない。人気スポットでも観光スポットでもないため、肝試し目的の輩を除けば、訪問者などそうはいない。そこもお気に入りの理由の一つだ。
久伸には、この神社に数々の思い入れがある。幼い頃から、何か大きな行事や大会を前にした時、その前夜には、必ずここを訪れている。
何よりも階段が鍛え上げるのに最適で、走ることが好きな久伸にとっては、格好の秘密基地なのだ。
幼い頃から賭競争に興味を持っていた。あんなのはギャンブルに溺れたオヤジのすることだ、なんて周りは久伸に言い聞かせていたが、自分が興味を持ったのは賭ける方じゃない。走る方である。そして念願の賭競争のレーサーとなれたのも、一概にこの神社のおかげと言っていいかもしれない。
久伸は適時、物思いにふけた。
小学生の時、陸上の県大会で優勝したこと。
中学生の時、全国大会で準優勝したこと。
高校生の時、ケガをしてしまい、大会に間に合わせてくれとここで祈り、見事完治し、優勝したこと。
大学卒業と同時に、賭競争対象レーサー試験に合格できたこと。
今度…でかいレースがあるんだ…。それに勝てなきゃ…おれの今までの人生が水の泡になる…。勝ちてぇ…。もちろん、あんたに全て任せるつもりはない。自分の力でねじ伏せるさ。トレーニングだって耐えるさ。でも…、それでもまだ、力が足りないようなら…頼む…少しでいい…。力を貸してくれ。
久伸は合掌をし、祈った。
「神頼みしてる先客がいるわね。」
後ろから声がした。
振り返ると、幼なじみの峯井由佳が立っていた。幼い頃から、ここを愛用している久伸についてくる様に、由佳もここを知っていて、たまに来るそうだ。
「いたのか。」
「悪い?」
トゲが付いてるようなセリフだな。悪いなんて一言も言ってないのに。
由佳は、自分の隣まで来ると、久伸と同じように合掌し、目をつぶって祈りだした。何かこいつにとってのビッグイベントでもあるのか?
「レース会場、京都なんだってね。」
突然目を開け、由佳の口から出た言葉。
「え?」
知ってたのか。その言葉は呑み込んでしまった。
「今日ね、たまたまコンビニであなたの先輩の高木さんに会ったの。」
それでか…。
サッと由佳が振り向き、ズカズカと久伸の目の前に来て、顔を睨みつけた。
「何よ!京都なんて応援に行けるわけないじゃない!東京にしなさいよ!」
いきなり怒鳴られ、久伸はビクッと後ろに引いた。
そんなムチャクチャな…。
「できるわけないだろ?だいたいなんでそんなに応援に来たいんだよ?」
「別に…。ただ久伸があれからどれだけ成長したのか見てみたいだけよ。」
それだけか。なら別にそこまで怒らなくてもいいじゃないか。というよりおれは怒られなくてはならない理由を何一つ持ってないじゃないか。しいて言うならレース会場を間違えて教えてしまったことくらいか。
「まっ仕方ないか。私が応援に行けないからって負けないでよね。」
「有り得ないな。むしろ逆の可能性のが高くて嬉しいよ。」
「何それ?あんた喧嘩売ってんの?」
ヤバい。目が据わっている…。
「わ、悪かったよ。」
なぜ由佳がこの話題にここまでこだわりを持っているのか全くわからないが、ここは素直に謝ったほうが良さそうだった。
「それじゃあ私はもう帰って寝るわ。トレーニングお疲れ様。負けたら承知しないからね。」
語尾は当然強め。由佳の応援はどちらかと言えば、強制に近い。
「あぁ。絶対負けねぇよ。負けられねぇんだ。」
由佳は、口元に微かな笑みを作ると、帰っていった。
一人になってみると、改めてこの神社の風格が確かなものとして、脳内に印象を与える。
小さい頃はもう少し迫力を感じたが、衰えはない。
次は…勝利の報告に来るから…じゃあ今日は帰ります…。
神社に奉られている神という人に伝心させるような想いを残し、久伸は風吹神社を後にした。
汝…愛されるものより…情来たれり…
え?
久伸はさっと後ろを振り返った。その目線の先には誰もいない。風も止んでおり、木々たちは沈黙を守っている。
今、なんか聞こえたような…。
声の主は、久伸を幼き日の久伸に重ね、温かい笑みを隠し通してした…。