6.轟く
高木実は自宅でレースの資料に目を通していた。この間、里美が訪れたので、途中で読み損ねてしまったものだ。
この資料とは賭競争管理委員会レーサー部から直接送られてきたもので、久伸は初のクラシッククラス出走となるのでずいぶんと量は多いが、なんてことはない。
読まなくてもわかっているような注意書きやらが並び立てられているだけだ。こういうめんどくさいものが、実は非常に嫌いだ。なので、飛ばし飛ばし読んでいた。重要なのは、《出走登録予想レーサー名簿一覧》という資料だ。確定したらまたその報告がくるだろう。久伸は初レースのため、除外、つまりレースに出られないということはないだろう。
目でその資料を追っていっても、やはり里美の言うとおり、ほとんどのレーサーが回避を表明している。理由は簡単、強いレーサーがいれば、勝てる可能性が低くなるためだ。
その原因のレーサー。
名前を発見した。
幸馬秀喜。ケガのため、しばらくレースから離れていたが、復帰戦にこのレースを選んだのだろう。四大グランプリレースこそ白星がないものの、クラシッククラスでの成績は確かなものだ。きっと今度のレースでも、間違いなく優勝候補、一番人気だろう。だが、久伸に勝ち目がないわけではない。今行っているトレーニング、終えれば、勝つ可能性はぐんと上がる。そのためのトレーニングだ。最後に笑うのは、自分と久伸だ。
実が資料をごちゃごちゃのデスクに置いた時、携帯が鳴りだした。見てみると発信者は久伸だった。
トレーニングが終わった報告でもする気か。それともトレーニングがキツいという苦情か。とりあえず実は電話に出た。
「おう、終わったのか?」
「とっくに終わりましたよ。」
そいつは予想外だな。強がりなのか?
「そうか。何か用か?」
単刀直入に聞いた。
「実さん。おれ、次のレース、必ず勝たなきゃならなくなりました。」
「端からそのつもりじゃなかったのか?」
「ええ。ですから、今のメニューでは軽いと言ってるんです。」
なんと!この男からそんな言葉が聞けるとは…。
「頭でも打ったのか?熱があるなら風邪薬でも届けるぞ。」
「勝手にどうぞ。おれは正常だし本気で言ってるんです。」
こいつはおもしろい。まさかこんなに早く、久伸が弱点の一つである《覇気のなさ》を克服してくるとは。それも難易度の高い方の弱点だったのだから。
ふっ…。おもしろいことになってきた。
「よぉし。弱音や戯れ言は聞かんぞ。」
「望むところです。」
一体何があったか知らんが、素晴らしいほどの情熱を感じる。願ってもない状況だ。
明日楽しみにしてろ、とだけ告げ、電話を切った実は、早速メニューの作成にとりかかった。
春花クラシック予選短距離副賞、悪いがうちの久伸が頂く。
「バカ者!」
浅井盛政の怒声が響いた。地球の反対側まで届いたんじゃないだろうか。
新藤里美は、あまりの声の大きさに身を縮める。目も瞑っていただろう。
部長に見つからないように帰社してきたつもりだったが、甘かった。怒りに燃える部長は廊下で待ち伏せしていたのだ。そんなこと知る由もない里美は、意味のない抜き足差し足で、編集部の部屋の前で捕まった。
「子供か、おまえは?くだらん嘘をついたあげく、こんな時間まで帰ってこないとは。中学生の方がまだマシな気がするぞ。」
余計なお世話だ。とは間違っても言えないので、仕方なく謝るしかないのだ。
「それで?」
謝るタイミングを部長の一声で逃してしまった。
「え?それで…とは?」
謝罪しろという意味なのだろうか。
「え?じゃないだろう。ここを出ていく時、おまえは特ダネを持ってくると言っていたな。それを提出しろと言ってるんだよ。」
しまった!そのことさえ忘れていた!
まずい、まずい、まずい。どう言い訳しても待っているのは地獄よりキツいコースだけだ。
「どうした?早く教えてくれないか?おれのこの怒りさえぶっ飛ばす特ダネを。」
にやりと部長が引きつったまま笑みを作った。
恐い、恐すぎる…。心拍数が徐々に細かく刻まれていく。
「まさか、何もありませんでした、なんてことはないだろうな?こんだけ社長にこっぴどく絞られ、恥をかいたおれについた嘘は二つですなんてオチじゃないだろうな?」
逃げられない…。最初から逃げられないことはわかっていたけど、いざこの状況に直面すると、逃げ道を探してしまう。
松山選手の走り…思い出すだけで勇気の出るような走りだった。賭競争に全く興味のなかった私、でも少し興味を持てたかもしれない。
よぉし、ここは私も逃げてちゃダメだ!勇気を出して謝ろう!
「部長、申し訳ありませんでした!」
「バッカ者!!」
…今の叫びで地球にヒビが入ったんじゃないだろうか?