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Runner  作者: 赤井慎一
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3.期待のルーキー

踏切の音が闇夜に響いて聞こえてくる。寒さが肌を打ちつけた。顔が寒いという表現よりも、痛いという説明の方が的を得ているかもしれない。公共の駐車場に車を止め、ドアから降りた新藤里美の最初の感想がそれだった。

「帰る前にちょっと仕事を頼まれてくれないか?」


部長のこの言葉でこんな場所にくる羽目になってしまった。

自分で行けばいいのにと、今更ながら思った。となり街から少し離れた場所に建て並ぶ家々の一軒家。特徴もないその家に住んでいるという人物に会って話を聞かなくてはならない。まずその住んでいる場所を探さなくては。ここからだと五分くらい歩くと着くだろう。里美はダウンジャケットを被さるように着て寒さを凌ぐ。

今の会社に入社して六年くらいだろうか。

スポーツ新聞の記者ということだが、自分が担当しているのは賭競走だ。

いい加減飽きてきていた。

部長も最近の賭競走はつまらないと話している。飛び抜けている選手もいなければ、感動を呼び込むような熱い選手もいないと。記者になる前は、プロ野球の試合でホームランを打った選手にインタビューをして、その選手と仲良くなって結婚する、なんて甘い考えを持っていた。これが現実という、いい例だろう。

部長からもらった住所のメモを睨み、周りを見渡すが、それらしき場所が見当たらない。これは困った。里美はもう一度引き返しながら、探してみることにした。




「おれが出すのかよ?」

「当たり前でしょ。レディに出させる気?」

ご飯を食べ終わり、立ち上がろうとした久伸に、由佳が伝票を渡してきた。

「飯を食おうって言ったのは由佳だろ。」

「関係ないわ。」

一体どういう育ち方をしてやがる。

カップルならまだしも、ただの幼なじみだ。良くてワリカンだろう。いきなりファミリーレストランに連れて来られたと思ったら、メニューに目移りして人を待たせるし、話の本題はレースのはずなのに、世間話や友達の愚痴などを聞かされて、こっちとしては疲れが溜まることこの上ない。おまけに金を出せだと?身勝手にも程がある。

「だいたいトレーニングの帰りだから財布なんか持ってきてないぞ。」

「じゃあ仕方ないから貸したげる。」

そう言うと由佳は伝票を持って会計に向かった。貸したことは絶対に忘れない。こいつはそういう女だ。返すのが遅れれば遅れるほどうるさく言われるだろう。だいたいなぜ貸しなんだ。

「それじゃ行きましょ。」

会計を済ませた由佳が戻ってきて言った。

「先輩の家に寄ってくれないか?」

「先輩って…久伸のトレーナーになったっていう人?」

「ああ。」

ダメ元で頼んでみた。この女は人の頼みなんか聞き入れる耳を持っていない。

「場所はわかるの?」

「わかるよ。」

「ならいいわよ。」

珍しい。予想とは違う返答に正直驚いた。少しは成長したかな。

「これで貸し二つ目ね。楽しみにしてるわ。」

前言撤回。この女はいつまでも成長しないままだろう。大きな溜め息を呑み込むようにして、店を出て、再び車に乗った。




新藤里美は未だに住所のメモと格闘していた。

完全に迷ったらしい。

今自分がどこにいるのかがわからない。

右を向けば、田んぼが広がっており、左を向けば、マンションが何件か見え、周りを住宅が軒を連ねている。どういう道を辿ってきたのか、自分が車を止めた駐車場がわかれば、また違うのだが。里美はとにかく、近くの人に聞いてみるしかないと思い、人探しを始めることにした。まず左のマンションを目指すように道を進んでいく。右に行くより左の住宅街に出た方が早く人と会えそうな気がしたからだ。

部長の資料によると今シーズンの賭競走期待の新人レーサーがいるらしいのだ。まあ期待と言っても世間体にお知らせ感覚で記事にするだけで、毎年期待されたルーキーというのはレースでのレベルの違いを思い知らされ、結局全然結果を残せないまま終わるのだそうだ。

今日はその形だけの期待をかけられたルーキーのトレーナーをしている人に会いに行き、様々な話を聞いてこなければならない。調整は順調かとか、どのようなトレーニングをしているのかなどだ。アポなしのため、追い返されるという可能性もある。非常にやりにくい取材だ。同僚で今回と同じような境遇の取材に出掛け、追い返されてその上その時に暴行を受け、入院したという例もある。気が引ける仕事だった。

いきなり後ろからププーという大きな音が聞こえた。

びっくりして道路の端に寄った。

どうやら音の主は車のクラクションで、知らず知らずのうちに道路の真ん中を歩いていた自分に向けられたものだった。我に帰った里美はいつの間にか目標としていたマンションに到着していることに気づいた。後は人が通るのを待つだけだ。すると時を待たずして一台の車がやってきて、マンションの駐車場に停車した。チャンスだ。その車に駆け寄ってみる。

「すいません。」

車の運転席にはショートヘアーの女の人、そして助手席には無愛想な感じのする男の人が座っていた。

「どうかしましたか?」

答えたのは女の子の方だ。

「あの、高木実さんという方のお宅を探しているのですが。」

すると男の人が手を挙げ発言した。

「あぁその人の家に行くなら今行ってきたところだからわかりますよ。一応知り合いなんで。」

見かけよりいい人そうでよかった。気の弱い里美はほっと胸を撫で下ろした。

「そうなんですか?よかった。場所がわからなくて困ってたんです。よろしければ教えてもらえませんか?」

里美の質問に男は反応を見せず、少し考える仕草をしてから、隣の運転席に座る女の子の方を振り返った。

「いいわよ。これで貸し三つね。」

女の子がそう言った。何のことだかわからない。

「おいおい。おれは関係ないだろ?」

「なら歩きで行けば?」

男は、はあと溜め息を吐いた後、わかったよと呟いた。

「あのぉ…。」

里美はたまらず声をかけた。

「あぁそんなに近い場所じゃないし、車で行きましょう。後ろに乗ってください。」

男の人が返してきた。なるほど。男の人はそのことを女に頼んでいたのか。

「ありがとうございます。すいません。お願いします。」

里美はそう言うと車のドアを開け、後部座席に乗った。

「さっき行った場所に引き返してくれ。」

「わかってるわよ。バカじゃないんだから。」

「そうだったのか?気づかなかったな。」

「あんただけ歩いて行く?」

「あぁ悪かったよ。早く行ってくれ。」

二人のそんな会話を聞いて少し笑ってしまった。しまった、と思い急いで口を塞ぐが、遅かったようで、前の二人が自分を見ていた。

「すいませんね。こいつうるさくて。気長に無視してやって下さい。」

怒られるかと思ったが男の人がそう言うのを聞いて、また安心した。見かけでは近寄りがたい人に思えたが、案外人見知りしないのかもしれない。

「どういう意味よ?やっぱりあんた歩く?」

「冗談だって。どうでもいいから早く向かってくれよ。」

女の方がぶつぶつと文句を言いながら車を発進させる。もしかしたら近寄りがたいのはこっちの女の子の方かもしれない…。






高木実は部屋で資料に目を通していた。自分の担当しているレーサー、久伸の出るレースについての資料だ。

久伸が出るレースは春の副賞レースだった。

この副賞レースに勝つことができれば、グランプリレースの出走が間違いなく決まる。数多くいるレーサー達の夢であり目標、四大グランプリレース。その一つ目、春花クラシック。毎年期待されたルーキーはこのレースに出走すらできずに終わることが多い。だが実は、久伸にはこのレース勝つ力は十分あると思っている。もちろんその前に副賞を勝たなければならないが。

副賞レースは距離適性やチャンスによって九つのレースが用意されている。

スタミナに自信のあるレーサーがでる長距離副賞、ペース配分や長く使える足に自信のあるレーサーが出る中距離副賞、そして久伸が出る、足の速さが自慢の集団で構成された短距離副賞。

春花クラシックは短距離なので、この短距離副賞の勝者が最も有力なレーサーとなる。そしてこの副賞はそれぞれ三ラウンドまで用意されていて、どれでも一着を取れば、間違いなくグランプリレースの出走が決まる仕組みなのだ。久伸も第一ラウンドで勝てれば全く問題ない。レースは十五人で行われるため、あとの六人は成績順となる。

レース出走においての注意点などが書かれた資料を読み終わり、デスクに置いた。ポケットからタバコを取り出し、口に一本くわえ、火を点ける。ふぅと煙を吐き出すと、生きてることを実感できる。

ふと自分のレーサールーキー時代を思い出した。あの頃は走ることが何より生きていることだった。他のやつに負けたくない。走ることを一番愛しているのは、自分だったから。

まさか可愛がってた後輩が同じ道をたどるとは思わなかった。まだ自分がレーサーとして賭競走に出ていたら、久伸と対戦することもあったんだろうな。

実は思うように動かない左足首をさする。

何が何でも、久伸には夢を叶えてほしい。グランプリ制覇を成し遂げてほしい。そのために自分がいる。この左足から途切れてしまった自分の夢…。久伸に託す。

実は、よしっと気合いを入れて、また新しい資料に手を伸ばした。すると、それと同時にインターホンが鳴った。


こんな時間に誰だ?


実は重い腰を持ち上げ、玄関へと向かった…。




一度目のインターホンを押したが、返事がないため、里美はもう一度インターホンを押そうと手を伸ばしかけたところで止めた。カチャッと鍵の開く音が聞こえたからだ。

「どちらさん?」

ようやく中が見える程度開いたドアの向こうから声がした。

「あ、夜分遅くすいません。私、新聞記者をしている新藤里美というものですが。」

「新聞なら間に合ってるよ。」

「あ、いえ。新聞の勧誘ではなくて、記者のものですが。」

勧誘と間違われたらしい。里美が誤解を解くと、ドアが全開に開いて、中から寝癖だらけの男が現れた。

「新聞記者が何の用だい?」

明らかに寝起きのような姿だ。何より寝癖が異様に目立つ。

「高木実さんでいらっしゃいますか?」

「そうだけど。」

欠伸をしながら実が答える。眠いのだろうか。

「今年、春花クラシックの短距離副賞レースに登録された、松山久伸選手のトレーナーをされていると聞きまして、お話をお聞きしたくて訪問した所在です。」

不器用ながら、なるべく丁寧な敬語を並び立てる。

「そういうのは本人に聞いた方が早いんじゃない?」

また欠伸だ。

「そうなのですが…。」

何せその本人は取材を拒否しているというのだ。

そのため、松山選手の情報が未だに一つも我が社には入ってきていないのだ。我が社だけではない。どこの新聞会社も何一つ期待の新人の情報を掴んでいないのだ。

「まあ、寒いでしょうから上がって下さい。汚いところですが。」

よかった。とりあえず悪い人ではなさそうだ。里美は一礼して中に入る。

「お邪魔します。」

確かに、お世辞にも綺麗な部屋だとは言い難い。見たところ1ルームで部屋の隅にはパソコン、テレビ、本棚が寄せ集められてるといった感じ。反対側にはデスクがあり、そこにもノートパソコンがあり資料などで埋もれている。だらしがない作家の部屋のようだ。

「その辺に適当に座って下さい。」

実がそう言い、キッチンに向かった。すみませんと一礼しながら辺りを見渡すが、人一人座れるスペースが見当たらない。本や何らかの用紙によって場所を占拠されていた。仕方なく里美は、自分が座れる分だけ整理し、腰を下ろした。

「久伸のことが聞きたいんだったね。」

コーヒーを渡されたので、それを受け取り、頷く。

「副賞レースに出るレーサー全てにこうやって取材を?」

「ええ、まあ。それで私は今回松山久伸選手の担当になりまして。」

「そうか。で、他のレーサーの状況は?」

「え?ああ。今回の春花クラシックで有力とされているレーサーのほとんどが短距離副賞の第一ラウンドを回避しています。中距離副賞に流れる選手や第二ラウンドに逃げる選手が続出です。」

松山選手の話に移るかと思っていたが、虚をつかれた。

「なるほどね。だが久伸を警戒してのことじゃないだろう。」

「おっしゃる通りです。期待されたルーキーは毎年結果を出せずに終わってしまいますから。」

しまった!言った後で失礼な発言だと自負した。あっすいません、と懸命に頭を下げる。

「いえいえ。気にしないでいいよ。近年ではルーキーがグランプリはおろか、副賞さえ勝っていないからね。新人クラスでのレベルがいかに低いかだな。この世界での力でも勝っていけると少し自信過剰気味なんだろう。そういう奴らはマイナーからやり直した方がいいな。」

新人クラス?マイナー?どういうことなのかわからない里美はたまらず聞いてみた。

「あの…。新人クラスって何のことですか?」

その瞬間、実の目が大きく見開かれた。

「知らないのかい?記者なのに?」

「は、はい。まだ賭競争のことについては未熟でして…。今のように取材で駆り出されるようになったのは最近のことですから。それまではコピーやらお茶汲みの毎日で。」

実が、なるほど、なるほど、と頷いた。

「じゃあ教えてあげよう。その前にタバコを吸っても大丈夫かい?」

「ああ、どうぞ。」

すると実はポケットからタバコを一本取り出し、火を点けた。

「新人クラスというのは、賭競争対象レーサー試験に合格した駆け出しレーサー達が最初に所属するクラスのこと。一年間このクラスでレースをしなくてはいけないんだ。そして一年後、晴れて新人クラスを卒業すれば、そこからは別れ道。好成績を残したレーサーはクラシッククラス、あまりいい成績を残していないレーサーは一般クラスな我々の専門用語ではマイナークラスと呼ぶが。」

「つまり、優秀なルーキーはクラシッククラスになるということですか?」

「そういうことだね。」

煙を吐き出しながら実は言った。

「久伸は新人クラスでの実績が認められ、新人王に選ばれた。だが新人王は毎年一人は出るし、クラシッククラスの中ではたいした名誉じゃない。クラシッククラスデビュー戦である短距離副賞が本番だろう。」

「そういうことでしたか。いきなりデビュー戦で副賞レースとは…。」

「問題ないよ。彼はやってくれる。」

「勝算はおありなんですか?」

「勝算?そんなものはないね。」

期待していた答えとは違う反応に里美は疑問の視線を浴びせる。

「言うならば…彼の素質だね。強敵はたくさんいるし、楽に勝たせてくれる相手はいないだろう。だがそれでも…うまく言葉にはできないが…。」

実が言いたいことはだいたい把握した。寝癖だらけの前髪の間を割って放たれる眼光には、しっかりとした自信の色が映し出されている。

「自信がおありなんですね。凄い走りなんだろうなあ。できればその松山選手の走りというのを見てみたいのですが。」

ここまで言われたら是非見てみたい。副賞レース期待のルーキーの走りを。期待以上なのか、例年通り期待だけなのか。里美は率直な感想を述べた。

「すまないが、トレーニングはあまり人に見せられないんでね。」

きっぱりと実が言う。やはりダメか。里美は残念ながら諦めることにした。

「わかりました。是非またの機会にお話しだけでもお聞かせ下さい。」

里美は立ち上がって玄関に向かった。だが、背中から一声かかった…。

「どうしても見たいかい?」

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