きっとマセていた。
きっとマセている
ミーン…、ミンミン…ミーン
小学4年生の夏休み、午前8時12分。
いつものように学校へ向かう。
母子家庭や共働きの子が集う放課後事業があるからだ。僕は前者である。
勉強のためではなく、ただ楽しいから行きたくなる。
36度の炎天下、前が少し揺れて見える。
体温では平熱なのに、なぜこんなも暑いのだろう。と疑問に思ったが、深くは考えなかった。
ただ今日はカラッとしている少し気持ちの良い暑さだ。
いつもの景色の中に少し違いがある
いつもの公園にいつもの猫たち。
今日は見たことない猫がいた。
新しい友達かな?それとも家族かな?
いつもの猫と比べて小さかった。
とっても可愛いなと思った。
黒猫だった。
嬉しくなって、僕は少し遠回りしたくなった。
いつもは入らない住宅街の路地裏、
いつも通らない近くの商店街
そして、少し汗をかいて、水筒の水を飲む。
僕の小さな冒険だ。
商店街と言っても、アーケード商店街だから
少し影を頼り涼んで、まだ開かない駄菓子屋の前を通る。そしてさらにちょっと涼んでから、足を学校に向ける。
商店街から学校までは1分も掛からなかった。
完璧な計画だ!
と思った。
また嬉しくなって、走った。
ガラガラ…
「おはよー、朝から元気な子やね〜。」
いつも子供とよりも、歳が近い従業員と話しているおばちゃん。
たまーに、子供に分からなそうな嫌味を言う。
まるで近所のおばちゃん同士みたい。
僕は平和だな〜と思った。
「おはよー!」と僕も挨拶をして、
ホワイトボードにある自分の名前が書かれたマグマネットを裏返した。
20名前後の名前がある
いつもの日常だけど、作業だとは思わない
だって楽しいから
新しい猫、新しい道、いつも発見がある
今日は見たことない名前があった。
早川 きのみ
変な名前と思った。
そして振り返ると、
入り口から左奥の隅、レゴブロックやジェンガが置いているスペース。この教室の角、レースを超えて夏の光が差し込む窓際。カラフルな床も色が霞むほど日当たりのいい場所。
僕の1番落ち着くとこ。
そこに見たことない女の子がいた。
(早川 きのみって子だ!)
一瞬でわかった。
「変な名前だな」
って言いに行こうとした
でも体が動かなかった。
「白くて綺麗」
と思った。
体調が悪い時や、血の気が引いた白さではなく、純粋で綺麗な白。メイクでもなんでもない、本当に純白のような美しい肌。ショートカットの女の子。珍しいなと思った。
どこか不思議な子だなとも思った。
少しの間きのみちゃんを見ていた。
きのみちゃんは、
いつも放課後に来ている3個下、小学一年生の男の子
たける
と遊んでいた。
カプラでお城を作っていた。
きのみちゃんは、こっちを向いて、手を止めた。そして立ち上がり、純粋な笑顔を僕に向けながら近づいてくる。
「ねぇ、名前教えてよ」
少し大人っぽいなと思った。
身長も僕よりすこーし低いくらいで、高いなと思った
僕は163cmだったから。
「俺、れいや、一森れいや」
初めて一人称が僕から俺に変わった日。
「へぇ、いちもり れいやって言うんだ。
私はきのみ!」
なんでずっとニコニコしてるんだろうと思った。
もしかして、僕の顔、赤いのかな?
なんて思った。
だから僕は、そそくさと黙ってトイレにいった。
無視してしまったみたいで、
少し焦りながらも、とりあえず、トイレの鏡で顔を確認する。
「少し赤い…」
でも夏のせいにできるくらいだった。3分くらい経った頃にでた。
すぐに僕は、びっくりした。
「れいや、遊ぼう」
トイレの外で、きのみちゃんが待っていた。
初対面なのに呼び捨てだった。
「うん」
本当は、僕から言おうとしてたし
素直に喜べばよかったけど、
咄嗟に感情を隠してしまった
きのみちゃんは、たけると同じ小学一年生らしい。
教室に戻って、カプラの続きをした。
たけると僕と、きのみちゃんで
簡単なお城はすぐに出来て、誰かに壊された。
僕はまた違うのを作ろうとして、
たけるは悲しそうな顔を浮かべて
きのみちゃんは笑ってた。
それぞれ違う所を見ているんだなと思ってたら、
「なんか見よう!」
って急に手を引っ張るもんだから、流石にびっくりして、きのみちゃんの手を振り払った。なのに、きのみちゃんは笑顔だった。
一年生にしては大人っぽいなと思った。
夏休みの宿題がたくさん残っているけど、
まだ終わらせるには早いし、特にすることも無いから、きのみちゃんとトムとジェリーを見た。
そして1時間近く過ぎた頃
お昼寝の時間、僕は眠れなかった。
新しい出会いや発見が多過ぎて
ドキドキしていた。
そして、みんな起きた後
グラウンドでいつものようにサッカーをする。
僕は土で汚れたボロボロのボールを全力で追いかける
サッカーが好きなわけでもない。
ただ、全力で走って汗をかいて、喉が乾けば水を飲む、
遊びだとしても、友達と同じ目標を持ち
みんなが全力で楽しむ。
そう言うのが好きだった。
きのみちゃんも参加していた
大人っぽい第一印象とは違うきのみちゃんだった。スポーツが得意なわけではなさそうだけど、全力だった。
僕たちはたくさん汗をかいた。
そんな日が1週間ほど続いた。
いつもの通学路にいつもの公園、今日は変わってない景色を歩き、学校に着く。
ガラガラ…
たけるが他の子と遊んでいた。
チャンスだと思った。
いつものように自分の名前が書かれたマグネットを裏返す
きのみちゃんの名前は裏返ってなくて、僕は少しがっかりした。
宿題を少ししたあと
テレビを見ていた。何も考えてなくて、ぼーっと見ていたら、ドラマが始まった
ウォーターボーイズの再放送だった。
すると、近所のおばあちゃんのような従業員が
「おはよー」
と言った。
僕は瞬きをするまもなく、すぐに扉の方を向いた。きのみちゃんだった。
自分の名前を裏返して
僕の横に来た。今日も笑ってた。
僕は、可愛いなと思った。
僕は真顔でテレビに顔を戻す。
三角座りをしながら2人でウォーターボーイズを見ていた。
教室には必ず僕たち以外の誰かがいるんだ。
でも、誰もいない気がしてた。
2人きりだって思ってた。
この時間が本当に好きで、ずっと続けばいいのにって思って、
このドラマが終わってほしく無いって思って、
勝手に自分の体が傾き、少し近づいて
肩が、きのみちゃんに触れる前に止まる。
去年よりも夏が好きになった。
そして、少しみんなと遊んで、薄い布団を引いて、みんなと川の字でお昼寝をする。
カーテンをしていても少し明るい室内。ピンクのビニールテープが付いた意味のわからない扇風機の弱風。
あちらこちらから寝息が聞こえる。
心地いいなと思った。
僕はずっとドキドキしていたのに、とってもよく眠れた。
その後、いつものように炎天下の中、グラウンドでサッカーをした。
きのみちゃんが居なかった
視線はボールを無視して、きのみちゃんを全力で探していた。
きのみちゃんを見つけた。
1人で、ベンチに座ってこっちを見ていて、ソワソワした。安心と緊張、
いつもはパスばかり出していたけど、
今日はいっぱい点を取りたくなって、無闇矢鱈にシュートを打ちまくって、いつもよりたくさん動いて。
目に汗が入って痛いのに痛く無いふりをして
とにかくシュートを打ちまくる。
全然入らなかった。
20回以上シュートして2点しか取れなかった。
「ちょっと休憩」
とか言って、きのみちゃんの座るベンチへ向かう。
「なんで今日サッカーしなかったの?」
気になったから、恥ずかしかったけど勇気を出して聞きに行った。
初めて自分からきのみちゃんに話しかけた。
「ひみつ」
そう言われて、とてつもなく恥ずかしくなった。
もう、夏のせい、サッカーのせいになんてできないくらい顔が熱くなってたから
紛らわせようとして、体を動かしたくなって
でも、休憩って言ったもんだから、
きのみちゃんに話しかけて、すぐに戻ると「お前、きのみちゃん事好きなんだろ!」
とか馬鹿にされるって考えたら
どうすればいいか分からないので
とにかく体を動かそうと思い
ぐるぐる回った。
なんで回ってるのか分からないけど
動いている方がマシだから
とにかく回ってたら、足が疲れてたのか、滑って転んで
「今日は来なきゃよかった」
なんて思って、
雲ひとつない、海のような青空を眺めた。
白い太陽と、青い空と、暑い砂。夏だな、と感じていたら
「はい」
ベンチから立ち上がったきのみちゃんが
僕に手を差し伸べていた
時が止まった。
まるで、1枚の写真の中にいるような
汗も暑さも、恥ずかしさも、生温い風も、
この一瞬だけは、何も感じなかった。
僕は、少し前から君が好きだったんだろう。
薄々感じていた。
初めて見た黒い子猫、新しく見つけた裏道も
そんな刺激は、もう必要なくなっていて
ここに来る理由が、楽しいからとか簡単な理由から、きのみちゃんになっていた。
少し怖くって、とても嬉しくて
何故か寂しくて、だらだらとして、遊んで過ごすフリをして。
全部紐解いていくと、そこには君がいて
見たことも、聞いたことも、感じたことも無い感情に戸惑って、
2人で海に行ったり、公園で遊んだり
自転車で校区外に言ったり、コンビニでパピコを食べたり、夏らしい夏は過ごしてないのに
すごく、夏だなって感じた。
好きなんだって、その時はっきりとわかったのに、確かな胸の高鳴り、高揚感、安心、緊張…
僕は、きのみちゃんが差し伸べた手を少し強く
弾いた。
僕だったら傷つく。
僕じゃなくても普通傷つくはずなのに
きのみちゃんは笑顔だった
次の日は一緒にサッカーして、たまにベンチで僕らを見ている
小学4年生の夏はいつもと少し違った。
長くも短い夏休みが終わり、始業式に体育館に集まる。
きのみちゃんはいなかった。
たけるに聞いたら、
「きのみちゃんは、実は転校生じゃなくて、親の都合で、夏休みの時だけ他校から来るんだって〜」
僕はきのみちゃんのせいで、夏に恋をした。
秋ごろに噂になっていたことがあった
「新品の消しゴムに好きな人の名前を書いて使い切ると、恋が実る」
馬鹿馬鹿しい。
隣のやつが、消しゴムを落としたらカバーを外して馬鹿にしてやろうって考えてた。
きのみちゃんと出会ってから
クラスメイトがみんな、以前より子供っぽく見えた、そして特に何もないクリスマスを過ごし、春を迎え、「きのみ」
と書かれた消しゴムが半分くらいになった。
夏休みまでに間に合わせるために、僕は机や教科書に適当に落書きをして、
理由は、流行っていた巨大練り消しを作るためにして、消しゴムを使い込んだ。
結局最後まで使いきれないまま迎えた、小学5年生の夏休み。
きのみちゃんが来ない日が続いた。
切なかった。夏が嫌いになりそうだった。
8月の9日。
久しぶりに来たきのみちゃんは、すっかり焼けていて、顔にも日焼けの跡がたくさんあった。
従業員のおばさんとの会話が聞こえてきた。
家族でグアムに行っていたらしい。
そして僕の隣に来て一緒にウォーターボーイズを見みる。
僕は世界の国や文化に少し興味を持っていたけど、なにも聞かなかった。
そしてお昼寝して、またグラウンドに行く。
今年の夏は、僕はあまりサッカーに参加せず、
2人で竹馬や一輪車なんかをして遊んでいた。
この時も、2人きりじゃなくて他に誰かいたはずなんだけど、2人きりだと思ってた。
遊びが終わると周りもだんだん見えてくる。
僕ときのみちゃんの他に4人いた。
そこには、たけるがいなかった。
習い事を始めたから、あまり来なくなっていた。僕はチャンスだと思って、積極的にきのみちゃんに話しかけるようになった。
きのみちゃんは、去年より早く帰る。
寂しいなと思うだけで疑問には思わない。
興味はあれど、好奇心と言う物を超えていたから、恋をしていたから。
次の日も、その次の日も、
またいつも通りウォーターボーイズを見て、
昼寝して、グラウンドで遊ぶ
そんな日が続いた
今日は2人でベンチに座って、みんなのサッカーを見ていた。
僕のこの、恋という名の不思議な感覚は
最高潮を迎えた。
初めて、本当の意味での2人きり
何を話すわけでもなく、ただ暑い外でサッカーを黙って見ている。みんながサッカーに夢中になって、僕らのことなんて忘れている時。
この子に触れたいな、なんて事も思わずに
ただ隣いるだけで、幸せだった。
本当に幸せだった。
みの文字が消えかけていた消しゴムも
どうでも良くなって、
この教室では使いたくないし、もうこんなものに頼らなくてもいい。捨てようって決めた。
僕たちはグラウンドから戻って、
「勉強するから話しかけないで」
って照れ隠しで冷たくした。
でも、きのみちゃんは笑顔で僕の前に座ってきた。
消しゴムがバレたらって怖くなって、もう筆箱開いてたから消しゴムをポッケにいれて隠した。どーせ、「み」すらも分からなくなってるんだから大丈夫なのに、なんか焦ってしまって
「やっぱり宿題明日する」
って言うと
「えー、せっかく応援しようとしたのに」
その言葉もかすれるほど、きのみちゃんの顔は綺麗だった。夏なのに白くて、日焼けの後もはっきりわかる。
なんかいいなって思った。
きのみちゃんは笑顔で
「なんで消しゴムポッケに入れたの?」
『だって、もう使えないから』
「見せて」
『やだ、捨てるし』
「じゃあ私の使う?」
『いらない』
「トイレ行ってくる」
ぼくは教室のゴミ箱に消しゴムを捨てて
トイレに行った。
教室に帰ったら、きのみちゃんはいなくて、名前の書いた札が表になっていた。
きのみちゃんは帰ってた。
バイバイくらい言いたかったけど、それよりも幸せだなって感じた。
お母さんの作る夜ご飯も、食べる量が増えていった。
次の日、きのみちゃんは来てなくて
また旅行に行ってるのかなとか、考えたけど
以前より寂しさは薄くて、また会いたいな
早く来ないかなってワクワクに変わった。
もうその夏は結局来なかった。
その年の冬の帰り、いつものように家の近くの公園で猫を見ている。小さかった黒猫も大きくなっていた。やっぱり可愛いなと思った。
手が悴んできたから、温かい飲み物が欲しくなって、お家にお小遣いの120円を取りに戻った。その家の近くの公園の向かい、道路を渡って2台の自販機が並ぶ。
そこでコーンスープを買った。
キャップが大きくて粒が飲みやすいタイプのコーンスープ。僕はこれが好きだった。
それを握り、すこし手を温めて公園に戻ろうとした時
きのみちゃんとたけるが降りてきた。
2人でテコンドーを習い始めたらしい
僕は
なんで?いつから2人で?と思った。
あの時とはまた違った感覚で時が止まった。
「れいやくん、何してるの?」
って聞かれて僕は
こっちが聞きたいんだけどと思いながらも、
「今帰り」
と答えて
でもやっぱり気になるから
「何してたの?」
って聞いた。
「空手帰りだよ」
『空手やってたんだ、いつから?』
「私は3歳で、たけるは夏前から」
僕は負けたと思った。
もっと君を知ればよかった
少し触れただけで知った気になってた自分にムカついた。
たけるも、きのみちゃんが好きだったらしい
同い年で、白くて、可愛くて、いつも笑顔で明るい。
そりゃモテるかと思った。
たけるが少し嫌いになった。
2人がそれぞれの自転車にのって背中を向けて、帰っていく。
僕は待ってと言おうとしたけど
「バイバーイ」
と言ってしまった。切なかった。
冬は大嫌いだと思った。
外の風は例年より刺々しく、すこし痛かった。そして、普通の小学生活を送り、春を迎えた。
暖かくなかった。ずっと寒くない冬が続いているような感覚。
「夏になったら、また」って季節に期待する。
そんな自分が少し嫌いだった。
時は何もしなくても軽く過ぎていく。
だんだん暑さを感じてきた小学6年生、最後の夏休み。
放課後事業、初日。
僕は、なぜか早めに宿題を終わらせたくなって
鉛筆を走らせていた。
「のみ」の文字が残っている消しゴムを家に忘れてしまった
期待はしていて、でもショックだったのだろう。まだ僕だけが冬を引きずっているのかなって考えながら、適当に宿題をこなしていた。
ガラガラ…
きのみちゃんが来た。
手を止めずに宿題を続けていたら
また可愛い笑顔で僕に
「小学3年生になったら
ここに転校するんだ」
悔しかった。
もう一年、遅く生まれてたら…。
もう、きのみちゃんはたけるが好きなんだろうなと思った。
僕は、また初めての感情になった。
もどかしくて居た堪れないから
他の友達と遊ぼうと思って、とにかく近くで遊んでいるやつに話しかけた
「よっ!」
ジェンガをした。
楽しくなかった。
後から従業員も来て、その子の友達も来て
盛り上がったはいたけど
いつまで経っても楽しくなかった。
そう思ってたら
笑い声が聞こえてきた。
若干ハスキーで、芯があって、
でも透き通っていて、安心感のある美しい笑い声。
きのみちゃんだった。
ずっと後ろで見てたんだ。
近くにいるなら仕方ないと思って
「一緒にやる?」
って聞いたのに
笑いながら首を横に振る
「ねえねえレイヤ、ちょっと」
僕の耳元で囁いた
以前のドキドキではなく、太鼓のような重たい胸の高鳴り、ドキっとした。
DVDかなんか見るのかなと思って
一応着いて行くことにした。
ずっと緊張してた
クーラーが効いてる部屋で、何も握ってなどいないのに、手汗をかいている。
きのみちゃんは教室の入り口、ドア側のカーテンの中に入って
「これ、返すね」
と、何かを握りしめていそうな、真っ白な拳を突き出した。
僕は反射的に手を出して受け取った。
きのみちゃんが握りしめていたのは
以前僕がゴミ箱に捨てた「み」の文字もすこし消えかけている消しゴムだった。
「ちゃんと最後まで使わないとダメじゃん」
と、囁くような小声で言われて、全部知っていたのかなと思った。
でも勘違いだったらとか、
僕の好きがバレたら、この夏の関係が終わる気がした。
でも次、中学生になるのに、どーせ終わるのにと思いながらも
まだ残っている1ヶ月を大切にしたいから、好きってバレたくなかった。
だから、
「なんで、もう使えるとこ無いじゃん」
って言った。
きのみちゃんは少し悲しそうな笑顔で
「へぇー」
って言った。、むねが苦しくなった。
でも勇気も出なかった。
多分全部バレてて、僕のことも好きなんだろうなって思った。
それから2人で遊ぶことが増えた。
グラウンドでも2人きりになることが多かった。ウォーターボーイズもみんな飽きて、
僕ら以外誰も見てなかった。
今日も習い事で、きのみちゃんは早く帰る
なんとなく日々が続いて、だらだらと時間が経った。
8月中旬が過ぎた頃、
もう夏休みの宿題も1ページあまり
きのみちゃんは先に来てた
向こうからまた笑顔で近寄って、こっちきて、れいやと、僕を誘う。出会った頃から呼び捨てだから、慣れているはずなのに、呼ばれるたびに口角がスッとあがる。
またあのカーテンの中に入る。
3枚あるドアの真ん中を入った右にある、かたくて、重ための遮光カーテンの中。お互いがお互いのためだけに発するほど細い小声で会話する。
「これあげる」
消しゴムのカバーだった。
「ただの紙じゃん、捨てなよ」
「じゃあ、こっちは?」
僕が捨てた消しゴム。
以前より少し黒くなってて、みの文字もほぼ無くなってた。
おかしいなと思った。
おかしいなって気になったから、その消しゴムを親指と人差し指でもち、何かを探すように見つめた。少し小さくなったくらいで、特に変わった様子はなかったから、裏返して見た。
そこには横並びで小さく、
「れいや」と書いてた。
午前中や昼間は節電で電気を消している教室の、遮光カーテンの中、足元から冷やかすかのように入る夏の光、クーラーが効いている部屋で分厚い遮光カーテンにくるまり少し熱くなって、
2人の呼吸の音がよく聞こえる。
ふたりきり、いまのこの狭い空間には
僕たち2人しかいなくて、時間もなくて、季節もなくて、
ただ、君と僕がいる
そんなような場所だった。
付き合いたいなって、思ってた
好きって言いたいなって思った。
でも僕は必死にスました顔で、
「じゃあ貰っとくよ」
って、何事もないような返事は、
少し裏返った。
真っ白な肌で、真っ白な歯をみせながら、純粋な笑顔。
ずっと近くで見ていたいなと思った。
ショートカットが似合うなと思った。
やっぱり好きだなって思った。
だんだん恥ずかしさに耐えきれなくなって、目を瞑った。
きのみちゃんの手が、僕の手に触れてる
偶然か故意かはわからない
それどころじゃないほどに、2人は今最高潮にいる。
以前たどり着いた、僕1人の最高潮ではなく、
はっきりとわかった。
今この瞬間が2人きりなんだなって。
自分だけが2人の世界だおもつことではなく、
2人で過ごすことでもなく、
君と僕が見つめ合い、音も時間も無くなってしまう、この空間がふたりきりなのだと。
初めて君に触れたいなと思った。
好奇心も湧いた。
まるで無音の世界で呼吸が重なり
ふれあい、他の誰でもない、たった僕1人に向けた薄い声
「どうしたの?照れてる?」
僕はとても熱くなった。
そして、僕も笑った。
君に向けた特別な笑顔
楽しいや嬉しいではなく、
温かさを含んだ、もう二度と出ないようなごく自然の笑顔。
「は?意味わかんねぇ」
小声で呟きながら
僕は我慢できなくなってカーテンの外に出た。
そして、消しゴムのカバー。
ただの紙を君はずっと持っていた。
そしていつもの日常に戻り、
夏休み最後の日。
今日来たら、好きって言おうって決めてたのに
結局来なくて
あの時、言っとけばって後悔した。
すごく悲しくなった
自分が嫌いになりそうだった。
2個目の消しゴムも途中で無くした。
3つ目の消しゴムに
また会いたいから、すぐにでも来てくれないかなって、「きのみ」と書いた。
恋が叶うおまじないであって、会えるおまじないじゃないのに。それほど情熱的になっていた。
今年の冬はとても暖かく、心地が良かった。
別に付き合えなくてもよかった
ただ、きのみちゃんを好きになった事が
僕にとっての幸せだったと思った。
心と心が通じ合った気がした。
やっぱり夏が好きだなと思った。
それ以来、2人は一度も合わずに
3月になった。
卒業式のあと、クラスメイトと公園で鬼ごっこをしていた時、道路を挟んだ向かいの空手教室から、きのみちゃんと、たけるが出てきたのを見つけた。
嬉しくなって、笑顔で
「おーい!」って手を振ったら
きのみちゃん達が近づいてきて
「卒業おめでとう〜」
って笑顔だった。
「ありがとう!今鬼ごっこしてるからまたね!」って全力の笑顔で言ったら
笑顔で
「バイバイ」
って返してくれて、可愛いなって思った。
でもその一瞬、君が帰る方向を向いた時
その横顔は、どこか悲しく、笑顔が消えていた。たけるより少し早く自転車を漕ぎ、先々走って行った。
僕はまだ何も伝えてなかった。
幸せに満ち溢れ、景色が普段より鮮明にみえる。
そんな気分で、とっくに僕ら通じ合ってるもんだから
言葉なんて必要ないと思ってた。
君はちゃんと、使い切った消しゴムのカバー、ただの紙と僕が言った大切なものを渡そうとしていたのにね。
それから、僕は引っ越して新しい街で過ごしている。
新品の消しゴムに名前を書いて誰にも見られずに使い切ると、恋が実る。
春、僕は中学に入り、新しい消しゴムに「夏」と書いた。またあんな夏が来ないかなって、季節に恋をした。




